秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

三峰神社のごもっとも様

2012-02-07 | 秩父の祭りと信仰

●2月3日節分祭り 「ごもっとも様」 in 三峰神社

Blog01_2  今年は寒い、寒い。

雪も多い今年の冬は、精神を安定させる(冬眠のように)脳を休ませる事を課せられていると感じる・・・。

三峰神社は色鮮やかな境内に加え、地元の人たちや県外から節分を楽しみにしていた人たちで賑やか。

冬の空はとっても青い。青く澄んだ空に、静かな森の中に張りつめた空気に賑やかな声が轟く!!

マイナス10度はありますね~、という寒い日であっても、信仰心だけは熱い秩父人。

「ごもっとも様~わ~っ」と拍手喝さい。

普通の節分に加えて、ごもっとも様という木の神様がいろいろと願い事を叶えてくれると・・・。時間がどんどん早くなってきている地球だから、のんびりしていられない。

早いとこ、お願いごとを叶えて下され、ごもっとも様。

その前に、三峰神社の神様へ祈祷が始まる。

クニトコタチノミコト~・・・・」

まだ天地が定まらない時に降りてこられたという神様。その天から降りてこられた神様を祀る三峰神社の門番は、もちろん狼。

祈祷が終わると、参加者全員、豆をまく。

「福は内」が先。「鬼は外」を2回行った後に、「ごもっとも様~」と、大きな声で3回唱えながら、木の棒を振り上げる。(持ってない人は万歳)

ここまで違和感なく、万歳できるのは三峰神社のごもっとも様だけでしょう。。。。

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で、ごもっとも様というのは、「男根」の事だ。

1メートル余りの棒の先に注連縄を巻き、
根元に蜜柑2個を麻縄でくくりつけた陰茎を象った大きな棒を突き出す。

これを神様に奉納し、人々の健康、大漁、夫婦円満、子授け、長寿などの願いを込める。

男根信仰は、遠野のコンセイサマが代表的ですが、木の棒というのは、さかのぼれば縄文時代。石がほとんどだけど、これも依代のようなもので、神が木に宿る事を意味する。

Blog03 特にヨーロッパでは、顔が鳥のようなくちばしがあるのに、下半身は男根のようになっている物が多数発掘されている。

それは、生と死を意味しているもので、私たちの祖先ホモサピエンス?は、子供が授かるのは、それまでの人類は自然に勝手にできるものだと思っていたのが、男女が交わらないと子供が授からない事に、女性が先に気付いたのだという。

それが人間の進化で、女は男が外で狩りをするのを待つ。という習慣がうまれたそうだ。

縄文時代頃から、出産には必ず火をともした。

神話に火の中で出産する話があるのは、そういう事。

縄文土器の中に火をともした跡が見つかっている。出産時に祈りの儀式のように使ったのは出産がそれほどに大変な事だったから。

今ほど栄養があったわけでなく、亡くなる人も多かったし、もっと他に残酷な事があったと思う。(子捨てなど)

無事生まれた命に感謝する事と、男性が強ければ、それだけお産も楽で強い子が生まれるという意味も含め、男たちが願ったのが、男根信仰の始まり。

また、神様を喜ばせるという意味もある。おそらく、これが女神信仰の発端ではないか、と思う。女性がいなければ子供は産めない事を、縄文時代から女性の土偶を作る事で万一の身代わりになってもらった。それは、自分ともう一人の別の存在に対しての願い。

また、家族を意識し始めたという事もある。

狩りをしていた民族は、民族同士移住をしていたが、だんだんと家族単位で移動し、定住するようになる。今までは皆同じ部族が子供を育てたのが、単一の家族となると、その子の父と母が世話をするという現代の家族構成になった。

狼のように子供を大事に育て、狩りをし続ける姿を人間は学び、家族を知る。

土着的な信仰が三峰神社に今も続いているのは、山に比重する生活が平地よりもずっと大きい歴史もあるし、狼がたくさん生息していた山が多かったことで、潜在的にその哲学はまだ生きていると感じた。

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武甲山伝説--山姥の歯

2012-02-02 | 武甲山

★松藤絶えろ伝説

昔、武甲山に山姥が住んでいた。おそろしい神通力を持ち、里人を困らせていた。
ある日、村を通りかかった行基が、この話を聞き、武甲山の頂上で17日間の祈祷をした。
すると、山姥は神通力を失い、行基の前に姿を現した。
行基は山姥をとらえ、松の木に、藤つるでしばりつけると、山姥は前非を悔い、自分の歯を抜いて行基に渡した。
しかしあまりのくやしさに「松藤絶えろ」とどなったので、それから、
武甲山には松と藤が生えなくなった。

この伝説は、他に山姥を畠山重忠としている伝説もあります。

Buko01 札所6番から

▲山姥の歯が残る札所と行基--------------------▼

Buko02 この伝説に終わりがなく、山姥が渡した歯が、札所6番卜雲寺・萩の堂(横瀬町)にあるという
行基が横瀬町で巡回していた時の伝説らしく、一人でに動いた剣により山姥を退治できたので、人々はこの力に仏法を信頼し、仏像を懇願する事になります。
それに対して行基は、影向か滝(ようごうたき)に下り、滝の上に聖観音像が影向した姿を彫刻しました。
その聖観音像は、武甲山蔵王権現社に安置されていたが、現在の荻野堂の本尊とされています。(この様子は、萩野堂絵巻にまとめられています。)

Buko03_2 ←ある日、一首の和歌を詠う人がいて、その声の場所をみると一株の萩の下に詠歌の短冊があった。観音の霊感となり、萩の堂を建立し繁栄したという。

行基の父の出身地は、越国で和泉に移住したという。百済国の渡来系王仁の子孫ともいわれています。
と、なると行基は渡来人の系譜をもつ事になります。
全国を行脚しながら仏法を伝えた人でした。が、他に何かを探していたような気も。

妙見山に関係するお寺の滝が、行基が説法を説いた滝といわれているのがあるので、
行基も妙見信仰に関係して、この伝説が秩父に伝わったのかもしれません。

東北で有名なのは、岩手県の黒石寺。妙見山とよばれたお寺は、蘇民祭でも有名です。
妙見菩薩像が安置されており、行基が729年頃に薬師如来像を安置したといわれます。

このお寺の仏像は、蝦夷征伐で追われたアテルイの顔に似せてつくられたともいわれ、
行基によって妙見寺になった信仰深いお寺。
詳しくは、黒石寺のHPへhttp://kokusekiji.e-tera.jp/

▲兵庫県の武庫山--------------------▼

似たような話では、兵庫県の藤無山があります

この山の山頂で天日槍と大国主命が領地争いをしたが、決着が付かないので、
藤カズラに石を結びつけ、その石の落ちたほうがその土地を領地として治める約束をしました。
しかし、この山でいくら探しても藤つるが見つからないのでシラクチカズラ(サルナシ)を見つけ、石を結びつけて投げたところ、天日槍の投げたものは出石に落ち、大国主命の投げたものは因幡に落ちました。
それから、天日槍は但馬地方を、大国主命は因幡地方を治めるようになり、藤かずらが無かったため、藤無山と言われるようになりました。

今でもこの山には藤カズラは無いといわれています。
またこの近辺には蛇が住んでいたという伝説も伝わっています。

武甲山伝説の他に、ヤマトタケル命が、磐鞍に冑を治めたという伝説も、兵庫県の六甲山から影響受けている事もあるでしょう。

秩父札所を創った中心人物は、中村氏一族で播磨国出身です。

播磨国は現在の兵庫県。摂津、丹波、但馬、因幡と、神話伝説には欠かせない地域。

Wikipediaより----------------------------------------------------------------

この地帯は古くから「むこ」の名称で呼ばれ、武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられており、『日本書紀』神功皇后摂政元年の条には「務古水門(むこのみなと)」
の記載がある。語源については「畿内から見て『むこう』を意味する」という説が有力であるが、諸説があるという。
「六甲」の字が当てられるのは比較的最近で、元禄時代にできた『摂陽群談』に見られるのが初期の例であり、享保年間の『摂津志』には「武庫山一名六甲山」の記載が見られるという。

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むこやま→ぶこうやま
と、なってもおかしくはない。

なぜ、松と藤かはっきりとしませんが、「藤」の象徴としては、藤原氏(中臣氏)や出雲の松田家の家紋にもあるように、鉄が藤と関係がある事はよくいわれます。
中でも諏訪神社のタケミナカタが、神話で相撲取り(相撲の発祥といわれる)で負けた時に
使ったのが藤枝だったという。それが武器になったらしい。(どんなものかわかりません)

逆に「松」は朝鮮半島では、豪族の王が記す象徴で、神とあがめられた植物です。
説はいろいろで、冬でも葉が落ちない(針葉樹林)ので、いつまでも青々としていることを願ったとか、「まつ」の語源が、「天から神が降りてくるのを待つ」の待つ→松になったと。
福島県に伝わる話では、昔から土砂崩れがあったところで、渡来人たちが大量の松を植えて、環境保全の意味も含め、自分たちの祖先を崇めたという話もあります。
松は、天武天皇の象徴といわれているように、渡来人と関係があります。

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(↑ 札所の入口にある道しるべ)

山姥の伝説は各地にたくさんあります。特に山の神は女性を神とする信仰から山に鬼のような怖いおばあさんが住んでいる話が多く聞かれます。

武甲山を犬神様と呼ぶように、天変地異が起こった昔は、その原因が山にあると考えました。空から降る雨は、山に保たれその水で川ができる。その恵みで作物が育つため、山を怒らせまいと、いろんな儀式をするのは女性のご機嫌をとるようなもの。

また、狼の話と同様に、山中でお産に苦しむ女性を助ける話や、山の女神は多産である事、
山姥を助けたことから食物をたくさんもらった等があります。
山にはいろんな動物がいるので、人はほんど山へ入ることはしませんでした。
仏教や修験道が入ってから人が山へ入るようになったのです。
作物の実りは山から得られる物と考えていた縄文人の暮らしは、山で暮らしていたわけではありません。

民族学では、山姥や山男は、身よりのない人や精神的に問題のあった人が住んでいるという指摘もあります。(実態はつかめませんが)「神隠し」といった話も、障害をもった子供が一人で勝手に森へ入ってしまうため、行方不明になった事も実際あったでしょう。
それが後に神隠しという昔話にする事で、子供たちの命を守る目的もあったかもしれません。

札所6番への道>西武秩父線横瀬駅下車→車の場合約10分。徒歩の場合40分くらいかかります。札所9番→7番→6番コースで歩くのも面白い。

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