秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

笠島道祖神と出雲の関係

2019-11-25 | 宮城県の神社

むしょうにラーメンが食べたくなり、主人と岩沼のいつものラーメン屋へ行く。

帰り、主人が「あそこの神社にいきたい」と言う。

 (珍しい・・・) あそこってどこ?

名前が出てこない。

 「来る時に通ってきた」 私は金蛇水神社へいこうかなと思っていたけど、そっちじゃない方がいいという。

「来る途中にあった神社」・・・あった?

高舘那智神社?今熊野神社?

 「違う、その先にある所・・・誰かが死んじゃったところ。」

死んじゃった人→実方さん

 あ、道祖神か!! ということで、やっとわかりました。笑

で、久々に道祖神へ。

小雨降る中ですが、そんなに寒くない日でした。

新しい小道を発見!

これは歩きたくなる!

神社の鳥居前には美しい竹林の小道がありました。

いい雰囲気なんです~。

春頃に散策するのがよさそうですね~。

このまま先まで道が続いているようですが。

 断層?

ところで、以前、名取郷土史の資料で道祖神の巫女と商人の恋話しがありました。

実方がこの神社の前で落馬して亡くなった話しになっているのは、 その巫女を藤原実方と繋げたい為に、

地元の人がそのような伝承として 作りあげたという話し。

 なぜ実方と巫女を繋げたのかは、「出雲路の道祖神」と関係している事でした。

(3つの鏡?)

 以前どこかで書いた気がしたのですが、見当たらないので書いておきます。

その話しの元になっているのは『源平盛衰記』からでした。(1161年頃)

『奥州名取郡笠島の道祖神に蹴殺されにけり。 実方、馬に乗りながら道祖神の前を通らんとしけるに

、人諌めて(いさめて) 言ひけるは、「この神は効験無双の霊神、賞罰分明なり。

下馬して再拝して過ぎ給へ」と言ふ。 実方問うて曰く「いかなる神ぞ」と。

答へけるは「出雲路の道祖神の女なりけるを、いつきかしづきて、

よき夫に合わせんとしけるを、商人に嫁ぎて親に勘当させられて、

この国へ追下され給へりけるを国人これを祟め敬ひて、神事再拝す。』

名取の笠島道祖神と京都の出雲路が繋がっている。

都にいた巫女は、商人と結婚したことを親から勘当されて陸奥国へ逃れてきた。

『出来斎京土産』という書物によれば、

 「むかし、道祖神のむすめが商人に語らわれ、奥州に下り笠島という所に 住みて神になる。

笠島の道祖神とはこれなり。』とある。

山形県千歳山の阿古耶姫が、笠島の道祖神の巫女となっている話しもある。

 『日本行脚文集』という江戸時代のもので、全国行脚した際に集めた文集。

同じような話しで、名前は「阿胡屋」と登場する。

名取左衛門太郎が京都へ行った際に、阿胡屋に惚れてしまい契りを交わすが、 名取太郎が都に戻ってこないので、

阿胡屋姫は探しに陸奥へ行ったという話し。

 2人は再会することはできなかった。

阿古耶姫が「わけあって」都からきた巫女である話が長い間広まっており、

「都からきた巫女」は「あこや」という名前の総称になっていると考えられます。

※「さぐのえ(佐具叡神社)」と言います。

祭神:高皇産霊(たかみむすび)

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京都鴨川の西に出雲路幸神社(いずもじさいのかみのやしろ)があります。

出雲路幸神社の創建年代は不明ですが、飛鳥時代からあり(それ以前説も) 奈良時代~平安時代には「鬼門」として置かれたと伝わる。

他、700年代の始めての神社ともいわれ、 900年代の創建など、様々な説があって不明。

出雲氏との関わりがあるともいわれ、かつて「出雲路道祖神」と呼ばれた。

鴨川河畔西側の出雲路にあり、出雲への出発点になっていたともいう。

3月に下鴨神社に参拝してましたけど、あのY字の近くにあった!!

※鴨川近くにあった「出雲阿国像」

また、出雲郷の雲上里と雲下里の境に祀られていたとも。

※幸神社 https://kyotofukoh.jp/report33.html

この出雲氏が謎ですが、道祖神の由来に出雲族が関係されるのは、

白鳳元年再興、延暦13年に平安京鬼門除守護神として再造営され、

神亀3年(726年)の『山城国愛宕郡出雲郷計帳』に記されることから、

出雲氏集団との関係を推定するとある。

 (726年:京都出雲郷にいた住人の名が300名いた名簿帳)

つまり、「京都に出雲族がいた」という意味は、 「出雲族は京都から離れた」という意味にもなります。

鴨川西岸で発見された建物跡が出雲氏の屋敷とされたそうです。

 この場所は、「上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)」と御霊の祟神にされている所です。

ですから、笠島道祖神で落馬したのは祟りであると言われる由縁なのです。

上御霊神社の出雲族との関係を示している伝承と思うのです。

※道祖神

藤原家と出雲族の深い関係がみえてくるわけですが、 場所からして、鴨ですね。

賀茂家ではなく鴨家の方かと思う。

妄想するに、藤原実方が賀茂家だったことを考えれば、 出雲族を追って実方は陸奥へやってきた事もあったのでは?

賀茂と鴨の違いは、なんだっけ?

その道が、笠島道祖神だったわけで、竹林が知っていると思ったのです・・・。

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しかも、驚いたことに「笛吹き」が繋がっていたのです!

つい先週に書いていた千歳山大日堂の「オオヒルメ」の事。

金ヶ瀬の「お笛田」と、鹿角の「笛吹田」の屋号の話しがありました。

田を開墾した話し(少年)は、笛を吹く人でした。

阿古耶姫の松の木の精霊も笛を吹きます。

この「笛吹」というのは地名として全国にありますが、 以前から気になっていた葛城氏に関係していたのです!

やっぱり気になる葛城。

地名が「笛吹」でした。

それが「葛木坐火雷神社」で通称「笛吹神社」だったのです。

葛木坐火雷神社は、火雷大神と天香山命を主祭神とし、 大日霊貴尊・高皇産霊尊・天津彦火瓊瓊杵尊・伊古比都幣命を配祀する。

葛木坐火雷神社の元々の祭神は火雷大神で、天香山命は笛吹神社の祭神である。

大日霊貴尊(オオヒルメ)がここで登場。

 天香山命とは『先代旧事本紀』によれば、天照太神の孫神となる二ギハヤヒ (天火明命と同一)との事。

 天香山命=二ギハヤヒとしているのは、「尾張物部氏」なのです。

この尾張氏は愛知県です。 熱田神宮と出雲の「剣」が関わる。

ここで繋がる剣とは、「天の村雲」でした・・・

 ヤマタノオロチで先にあった村雲の剣(天叢雲剣)は、 後のタケルの剣=草薙に変わります。

 ※熱田神宮には青銅の剣が保管されているらしい。

「古代出雲王国」について書かれたサイトを発見。

まさか、ここに繋がるとは、本当に不思議です。

天の村雲の宮殿は 「笛吹きの地」と呼ばれていたと。

海童(ワタツミ)達は、ふるさとをしのび 「とうけん」(土笛の一種)を 吹いていたからですが、

後に竹笛をふいていたといわれます。

笛吹という地名が、田を開墾する意図があるのは、 出雲族が葛城地方へ移住して開墾したことから由来するという話しがあった。

何の資料を根拠にしているのかわからないのですが、興味深い話しです。

確かに「香語山」は、「かごやま」と言いますが、 かごは籠でもありますね。

籠神社は、真名井でした。

金ケ瀬の真野とは、そういうこと。

そこで休憩したあこや姫の伝承も。

出雲族が葛城にやってきた後に、香語山のグループ(丹波では五十猛の事という) の2つの氏族が、

同盟を結び香語山の息子が村雲に嫁ぎ、「天の村雲」王国ができた。

という話しになっています。

高鴨とは、アジスキタカヒコネという「味鋤」が登場していましたが、 これもタタラの意味が有力です。

ヤマトタケルが、鴨のアジスキ~を退治した舞台は、福島県のツツコワケ神社です。

それが土蜘蛛。

タケルVS土蜘蛛。(熱田神宮のマシキトベに繋がる)

そして、以前に何度も雷神がシンクロしていたのも、  

火雷(ほのイカヅチ)は、踏鞴(たたら)の金属精錬の神様で、  穴師(金属精錬技術者)たちに

信仰されたと言いますが 後に 雷神になったと。

穴師=オオナムチでしょう。

宮城県に多い「五十鈴神社」ですが、海側に多く祀られます。

これも籠神社の海部氏から繋がる話しかもしれません。

海部氏が祀ったのであれば、尾張物部氏とも繋がりますが、 海部という名は、

東北では安曇氏や宗像氏に統合されている気がする。

 大山積見(ヤマツミ)が特に強かった。

ということで、阿古耶姫が道祖神と重ねられているのは、 藤原家の娘であったが、

婚姻した相手は、東北に逃れた豪族のことを示している。

この裏道も通ってきたのでしょう。

千貫山・深山、愛宕山、猪倉山、五社山、樽水・・・の地名をみればわかる。

大河原の韮神山あたりは、山形へ行く笹谷海道の分岐でした。(東山道と陸奥街道の分岐)

金ヶ瀬の大高山神社にも近い所ですが、藤原実方が山形へ行く道として利用していた可能性有。

後に、奥州合戦で源氏に逃れて「照井高直」の首塚と、奥州藤原氏の「藤原国衡」が落ちのびた伝承がある。

藤原国衡の母は異母であり、蝦夷だった説あり。

出羽・羽黒にいた出雲族末裔が熊野信者を保護していたと思う話です。

早くに出羽国にきた出雲族です。現在の南陽市の熊野大社(出雲式です)

漠然とあった「羽黒講が出雲と熊野を繋げた」という話は、

日本海へ逃れた出雲族の末裔が、太平洋側のワタツミと結んだという話なのでしょう。

その仲介をしたのは、出羽三山の修験者たち(特に羽黒)という羽が黒い人たち、ヤタガラス?

出雲族の系譜をもつ豪族や鴨氏、葛城、物部、大伴、安倍氏などなど、 多くの東北に散った豪族たちの物語は、

都から派遣された出羽・陸奥国の藤原家の娘たちによって、 東北の成立を目指していた事を伝えます。

なかには、心外だった巫女もいたでしょう。

これは、 「平和的な意味をもって女性たちが間に入り、和合を結んだ」と考えるべきなのです。

 いつも平和をもたらすのは、女性であることを忘れずに。

まさかね、道祖神でこうなるとは。

出雲路のことは知っていましたが、笛吹きの意図が繋がるとは驚きです。

あこやんだわ。(親しみをこめて(笑))

この話しは、これからも続きそうです。

ひとまず道祖神はおしまい。

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