秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

仙台東照宮と武甲山の夢

2019-04-20 | 武甲山

先週ですが、初めて!仙台の東照宮へ行ってみました。

主人が東照宮の桜がきれいだというので、行ってみたのですが、

仙台に東照宮があるというのは、考えてみれば不思議なのですけど。

伊達家と徳川家と深い関係のある東照宮なんですね。

ここでは歴史の話ではなく、武甲山に関係した不思議な夢をみたので、 書きたくなりました。

やっぱー、 関東人だからなのか、家康さんの方が落ちつく~。

 ほっとする東照宮でした。 とってもよい空気でしたよ!

東照宮が徳川家康公をお祀りしているわけで。

東北ではなく、この方は関東にいた人(江戸城)なのだから、

何か通じるものはあるだろう・・・という感じがありました。

武甲山と徳川家康について

『武蔵国武甲山が太古以来、関東鎮護の御神体のまします霊山であることを知り、  

1596年、鉢形城主日下部丹後守に命じて、武甲山の社前に、

 神楽装束鏡百面太刀三十振白銀三十枚、社領三貫文、 および永年太々神楽奉奏という莫大な寄進をした。

 家康江戸入城後6年のことである。

この後、家康は天下を二分した関ヶ原の戦いに大勝し、 ついに征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を創立する。

しかし、後に豊臣秀吉との和平共立は不成立に終わり、ひき続き1615年、 大阪冬・夏の陣を戦うことになる。

この時、家康は人を遣わして、五郎入道正宗の太刀を武甲山社頭に捧げる。

家康は最後まで、豊臣方との和平共立を願っていたと思われる。』  

「横瀬町誌 人と土より」

※上の図のように宝刀といわれるものが伝わる懸願が現存する。

懸願:家康は、関東鎮護の霊山として宝剣一振を奉納、 次の秀忠も奉納したと思われる文書もある。

ということで、徳川家康が江戸城に入ってから、 秩父の霊山である武甲山を神格化していた。

今の武甲山をみてどう思うだろう。

せっかく参拝するのだから、仙台東照宮で「武甲山をたのんます」と、

江戸時代の庶民風に言ってみた。(そんな役はいらない。笑)

願いは叶うことを南相馬の妙見様に教えてもらったから、 家康さんもわかってくれるはず・・・。

伝わるだけでいい。

以前、夢で武甲山山頂に板碑が3枚並んだ夢をみて、 武甲山は死んだ。と思った。

武士が武甲山の死をいたわり、板碑として御霊を弔ったものだ。

実際、そうなんだと思います。

武甲山がかわいそうでならない。

魂がからっぽの武甲山は、今も働きづづける。

その穴にいろんなゴミを捨てられる運命なのだから。

その後、夢の中の武甲山は雄大な青々とした山で登場することが多くなり、

愛知県(名古屋)という具体的な場所もでてきたこともある。

 夢の中の武甲山は立派なので、過去に多くの手柄をたてた 武将の魂も、あの世へ行っても、

武甲山と同じように雄大な存在でいると思ったのです。

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東照宮へ行った4日後に、実家に帰る夢をみました。

お祭りをやっているのですが、「御嶽祭り」という名前なのです。

ネットでぐぐると御嶽祭りをやっている地区はありますが、横瀬では聞いたことがない。

御嶽祭り? そんなのあったかな?と思い、私の実家はお天狗様のお祭りなので、

そっちに参加しないと!と思ったんだけど、すでに終わっていて。

 結局、その御嶽祭りというものに参加するという夢でした。

その祭りがどういうものかわかりませんが、 いつの間にか空を飛んでいて秩父の市内の上空を飛んでいる。

 武甲山を探すと上の方に小さい三角の山がみえて、 ああ、あれが武甲山だ、と気づくのだけど小さい。

小さいというのは、秩父全体が山で覆われているからで、 遠くに見える武甲山が小さくみえた。

 武甲山へ登るには、どこが登山口なのかを空から探しているんだけど、

その武甲山へいたる登山口がかなり東の方にあって、遠いな~という夢でした。

たぶん、東の方にあった登山口が、江戸城にあたる場所なんだと思います。

空からみた場所は、秩父ではなく武蔵全体の地図だから、武甲山が秩父連山に囲まれて小さくみえたわけだ。

・・・この夢の解釈をするならば、武甲山は御嶽神社(蔵王権現)を祀っています。

御嶽神社は、金剛蔵王権現を信仰する神とされます。

明治時代の神仏分離のときに、御嶽神社、金峰神社(金峯神社)、 蔵王神社などと改称されました。

徳川家康公に伝わったのであれば、夢の中で、 武甲山のために御嶽祭りを行ってくれたのだろうと。

武甲山の御嶽信仰は、木曽の御嶽信仰が流行るようになってから、

修験者たちは入間や飯能市あたりから吾野を超えて横瀬町に入ってきました。

国常立命を祀っている(古御嶽城跡)ため、木曽御嶽の信仰の方が深いのです。

木曽御嶽神社は「おんたけ」と呼ぶことで、武蔵御嶽神社「みたけ」とは 区別しているそうです。

狼信仰の武蔵御嶽神社(みたけ)は、1606年、徳川家康の命により 大久保石見長安が社殿を改築した由来があった。

江戸の西の護りとして建てられたということから、 秩父連山も江戸からみて西にあたるので、

家康は江戸の護りとして 蔵王権現の武甲山を含めていたと考えられます。

この流れがあったのかどうか。

 秩父イネハポたちの間で、「武甲山のかきっと」伝説の話題になった。

 武甲山に隠居した若僧が松平家の一族らしいけれど、実態は不明です。

ただ、先祖が松平家と関わりをもっていたので、実際、武甲山へ隠居した松平家の誰かが来ていると思います。

この話は、これからいろいろ見えてくると思います。

その隠居したお坊さんは、亡くなって白い鳥になって飛んで行った伝説があり、

 白い鳥は、白鳥のヤマトタケルに模しているのだが、 それは蔵王の白い鷹伝承の聖徳太子にも繋がっている。

ということで、武甲山は霊山なので、 夢の中に登場する武甲山と接触した方が、

真実が見えてくるのではないか、 と思いました。

エジプシャンな狛犬。古峰神社にて。

髪型が素敵。

(スフィンクスみたいな。)

源頼朝、徳川家康。

私にとっては全然ピンとこない武将たちですが、(おいおい)

 あんだけ妄想しておいて、ピンと来ないとは失礼ではありますが、

武甲山に関してお願いごとをして、なんとなくわかりやすいように、 応えてくれた武将たちではあります。

・・・てことは、頼朝もどこかで武甲山をみていたのか・・・。

あの世では光のような存在として今も霊統のように、 働いている存在なのかもしれません。

家康さんが違ってみえてきました。

ええ~、今度は家康萌え~?

そりゃないかな・・・。笑

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2 コメント

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複雑。 (綱永井寵生)
2019-04-23 20:03:31
私の家から近いです。中学から大学までの通学路でよくここを通っています。

ちょっと暈しますが17年ほど前、ハッキリくっきり目前で有る者(無い者??)を見ました(3番目の写真)。丑三つ時は行ってはならないですね。

日光東照宮の建設では、家康の側近だった私の家系の武将が現場監督をしたみたいですが、その者の10代前の先祖は源頼朝の父を殺し、頼朝に殺されていみたいです。頼朝が祭られているので複雑です。

考えてみたら近くに南光沢の地名がありますが、天海にあやかって付けられているのかも知れませんね。
Unknown (inehapo)
2019-04-23 20:56:56
綱永井さん

そうなんですか?
霊はどこにでもいますね。
まれに、とても嫌な夢見るときありますよ。

東照宮はとても良い神社でしたよ。 古峰さんもあったので、栃木県の日光みたいな雰囲気でした。
源頼朝は重いですね。
前より嫌な感じはしませんが、微妙ではありますねー。