秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

蔵王権現だった武甲山を想う その2

2017-05-03 | 武甲山
武州秩父郡武甲山蔵王権現記

「伏して惟(おもん)みるに一気わずかに動いて天地開いて萬物生ず
萬物生じて天地人の三際茲(ここ)に始まる。
三際茲に始まりて後神明徳威なるを以てす。夫れ、扶桑国は天地開闢
してより天神七代地神五代に到る。
皆、俱に神代なり。
天照大神第五代鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)第四王子神武天皇
是れ人王の初めなり。仰も東海道武州秩父郡武甲山蔵王権現は、
人王十二代景行天皇の御守東夷大謀叛す。
天皇太子日東(やまと)武尊に命じて大将と為し東夷を征伐せしめらる。
日本武尊伊勢大神宮に参じ、斎宮倭姫に逢ひ宝劔を賜ひて進発す。
駿河の国浮嶋ケ原に於いて旗をなびかせて夷賊を亡ぼす。

夫れより相模国に到り又、武蔵を巡りて太子自ら此嶽に登る。
いっせん四望其れ景勝なり峯らん峨(ほうらんがが)として絶壁剣峻なり。
飛禽走獣往来す。
山?(さんてん)に白雲再として山腰を廻り渓水せんせんとして山根に流れ、
且つ山の形勢を視るに巍(ぎぎ)として威厳有り恰も(あたかも)雄武に以て
甲冑を帯ぶるの形勢なり及って武甲山と名づく。
是東夷征伐の吉兆なり言(のたまいて)、感悦無限なり即ち将に所持の
武具を此の岩蔵に納め以て鎮護の守りを為す。
而して太子常陸の国に往き筑波山に登臨す。
又陸奥の国に到りて悉く東夷を平ぐ。」




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まだ途中ですが、新編武蔵風土記から原文に訳したものをのせています。
漢字のつかない所は、平仮名にしてます。

扶桑国とは、中国伝説で東方のはてにある巨木であり日本のことをさすが、
太陽が昇るユートピアの意味と考えられる。

武甲山の由来が、ヤマトタケルが冑を置いて鎮護国家のために
武甲山と名付けたとある。
その前は、蔵王権現といわれていた。
秩父にも若御子神社がありますが、神武天皇を祀っています。
かなり古い地層に置かれているので、これを祀った人たちが、
和銅を発掘した新羅や高句麗と関係する氏族であることがわかる。
(詳しいことは後ほど)

おそらく武甲山を鎮護国家の山として神奈備としたのは、
鉱石を発掘するために渡来してきた帰化人だろう。
天武・持統朝の朝鮮出兵に戻ってきた帰化人を現在の高麗周辺や入間、
日高町へ住まわせた。その理由は、自然銅がとれたことを知り、
その知識をもつ人たちを派遣させた目的があった為。

続きをよむと、

「又、上野信濃を巡り美濃より還行す。然る後、まさに人王四十代天武天皇白鳳十二年
癸未四月八日勅して役優婆塞親(えんのうばそく)らの国并びに此の山の由って
来るところ尋ね、役行者委曲を旧記に聞達するなり。
此に於て天武天皇益々御感有りて亦勅して役行者に国名武蔵山号を武甲と言げしむ。
この山を国家鎮護と為して金剛蔵王権現を勧請せしめ可く行者詔命を蒙る。
村民森屋氏新に宮社を営建し祭杞を以ってす。
けだし、蔵王権現は本垂迹なり。
紀州吉野金奉山本地は盧舎那佛なり。末世の為に衆生済度をはかり出現さらるるなり。
今又、勅命を以て勤勧請奉り斬の蒿(いやたか)霊験新に増して鬼神妙応不可思議
を感ぜ令めて人夫を瞻仰(せんぎょう)し自らにして巳(すで)に来らしむ。
今毎歳四月八日頻繁祭尊怠り無く在る如く、郡民の帰崇日の昌(さかん)に国家
静謐(せいひつ)にして清平なり。此の山素(もと)より旧記に有りといえども、
蟲損断遍(ちゅうそん)するを以て今、古きを温めて以て其の闕略(けいりゃく)を補ふ。
爾記(しかき)しておわる。」


白鳳十二年癸未四月八日
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白鳳十二年は、寺社の縁起や地方の地誌や歴史書等に多数散見される私年号で、
日本書紀に現れない元号という。通説では、650年~654年の美称といわれる。
役優婆塞は、役行者のことで吉野の金峰山を開山した。
役行者の話から、天武天皇が武甲山に興味を示した内容になっているけれど、
武甲という名前は、かなり後になってからなので、(たぶん妙見山といわれていた後)
役行者と天武天皇の時代から、武甲とよばれていたのには、
時代錯誤がありそう。

この話から、かなり前にみた夢を思い出しました。
もう10年くらい前だと思います。
登山を始めた頃なのですが、知らない森で白装束の団体が下りてくるので、
私は道をゆずろうと後ろに下がろうとしたら、目の前にいたおばさんに、
「後ずさりするな!」といきなり喝をいれられた。
で、そう言うから、後ろに下がってはいけないのだな、と思い、
迷った私は横に歩いたという夢。笑。
そのまた続きで、別の森へ入ろうとしたら、また白装束の団体が下りてくる。
道をゆずり、また進むと広い展望のよい丘へ到着する。
遠くに山がみえた。武甲山に似ているがちょっと違う。
丘は畑が広がっていて、たしか、少年がでてきた気もする。
それだけなのですが、夢にでてきた山が気になっていた。

ちょうどその頃、修験系の山にはまっていたのですが、
役行者に興味をもったことがきっかけです。
一度でいいから吉野の蔵王権現に行きたいと思い、行き方を調べていたくらい。
ある時、奈良県の山の本をみていたら、大和葛城山があった。
その山の写真が、夢にみた山によく似ていたので覚えていた。
武甲山に似ているなあ、と思ったのですが、今となっては葛城山系に何かを感じて
いたのだなと思う。


大和葛城山
※YAMAKEIオンラインより

秩父に役行者がきていた説があります。
詳しいことはわかりませんが、今宮坊には、八大龍王をまつる池があるのですが、
武甲山の伏流水となっている。
この水を秩父神社に返す水分祭をすることから、
武甲山が水の神としている理由であり、それが龍神のことだった。


※家から武甲山が光っているから何だろうと思ってズームしたら、工事用のランプで、
まるで蛇のような長いホースがみえるね~。水をひいてるのかなあ。

いつも謎なんですが、あんなに破壊を30年以上続けているのに、
あまり水枯れを聞かない。横瀬町は水が枯れてきてますけど、秩父全体が水枯れというのは
聞かない。武甲山登山口にある延命水はいつも湧き出ている。
まあ、このあたりは石灰で掘られていはいないので大丈夫だと思いますが、
御嶽神社がある里宮は、完全に枯れてますけど。

蔵王権現を祀った人たちはどんな人だったのか。
それは和銅がとれた黒谷にヒントがあると思います。

天武天皇は、役行者のいた吉野へ頻繁に通っていたことは有名な話。
持統天皇も役行者と同じくらいの年齢だと思われ、頻繁に会っていたらしい。
持統天皇と役行者が実は仲が良かったんじゃないかな~、という妄想がふくらむ。

それで、天武天皇は、陰陽道をやっていたそうです。
天武天皇の養育環境があり、大海氏と役小角の賀茂家がともに葛城周辺に居住していた
こともある。
そのため、天武天皇は役行者に助けを求めていたのだろう。
陰陽道で。

秩父の和銅黒谷近くに、尺土(度)神社という変わった名前の神様があります。
尺土とは測量棒のこと。仙人がもつ杖みたいなものか?
これが葛城一族だと思う由縁。
測量技術を暗示する神名に、剣、蛇、雷の等式が成立するといわれ、
実は、この尺土という地名が、葛城市にあるのです。
大和葛城は大阪(たぶん)と奈良との県境にあり、一言主と役小角の神話がある場所でした。
赤い土がこのあたりに出たので、赤土を桂字にすると縁起がよいとされ、尺土となったそうだ。
春日神を氏神とする地なんですなあ。



葛城氏についてはいろいろと調べてみたい氏族なんですが、
あまり今の時点ではよくわかりません。
ただ、ヤマトタケルが私は以前からあまりいい気がしない。
雄略天皇とヤマトタケルの伝承の裏に、葛城王族がいたといわれる。
いつの間にか、消されたもうひとつの天皇家の一族として君臨していたと思われる
葛城王朝だが、蘇我氏や藤原氏たちの権力により消えていったイメージがある。

その影に、武蔵の建国があり、ヤマトタケルにより東夷したというのは、
葛城氏を征伐したように聞こえるのです。

また、和銅黒谷には「オシャングリ様」という金精様もある。
飲み水を求めて井戸を掘る時、オシャングリ様があらわれて、
「辰巳に向かって森のはずれに掘ればよい」と言われ、掘ってみると湧水が出たという。


オシャングリ様

で、このあたりサンカっぽい気もします。
梅ケ井戸がありますし、「ウメガイ」というサンカ用語の剣とか。
剣を埋めることを意味するのですが、剣と蛇、雷の成立が測量であるということが、
フギとニョカのコンパスと定規ということです。

つまり、灌漑用水など治水工事に長けていた禹の伝承は中国由来で、
その禹が五行説や陰陽師のルーツとなる。
役行者へ伝わり葛城氏たちが継承したと思われる。
それが北斗七星で結ぶといった星の信仰があるのですが、
和銅黒谷周辺の荒川に諏訪神社を北斗七星に結んでいるわけです。
荒川が荒れ狂う川と言われていたので、治水工事に大変手間がかかったのでしょう。
川を整備して人が生活しないと、自然銅の発掘ができないからです。

辰巳は、東南の方角。
武甲山の方角にあたります。
辰と巳の間を「巽(たつみ)」と書き、辰は龍、巳は蛇。
その間をとりもつのが巽というのですが、八卦のひとつ。
易の卦の名前では、
 ア:「八卦の1つ。表面は強いが、心の中では、素直であるという意味」
 イ:「六十四卦の1つ。相手を尊敬して忠告などを素直に受け入れるという意味」
※漢字辞典より https://okjiten.jp/kanji2436.html





あんまり詳しいことはわかりませんが、ちなみに、龍は「震(シン)」で、雷。
鶏が巽で風。
震の反対(陽2陰1)が、羊で兌(ダ)。
五行では羊は金を司る。
和銅黒谷の羊太夫の羊は、金も伝えているものかと思う。
また、シダ植物が砂金に関係する植物といわれますが、シダを「羊歯」とも書くので、
これも金を意味する言葉。
要するに、金を守り固めるために、五行説が使われている秩父なのです。
なんだか、とても宇宙考古学的なセンスよい人たちに見えてくるのですが、
こういう世界観の方が、私はとても惹かれます。

秩父妙見宮縁起では、巽は、武甲山をさす。
五行説をもたらした秩父の信仰は、黒谷の黒が「水」を示すこと、
円墳がたくさんみつかっていることなどから、
武甲山が水を司る黄泉国(死者の国)と捉えていたわけです。
霊魂は水に返るといった思想。
元は、秩父札所は武甲山で結願する流れだった。
が、室町時代頃に観光用としたのか、札所の順番が変わった。
ということで、和銅黒谷の発見にも、武甲山が大きく関係しているのでした。

もっと詳しく掘り下げると、古代の人たちのシャーマニズムになぜ龍や蛇かというと、
DNAの螺旋を伝えている。
私たちがみな、同じ遺伝子をもって分かれているのだけれど、
生まれる時の命は、みな魚なんです。
人間も鳥も動物も、胎内で育つ赤ちゃんの原型は魚類であった。
龍が世界神話に多く登場しますが、忽然と何かあって消えてしまうのは、
人類を創った起源が関係しています。
イルカが祖先ともいえる。
なので、イエスキリストが魚というのは、そういうこと。


※イクサスと車輪。
車輪はエゼキエルの智慧の天使のシンボル。
ニギハヤヒが降臨した地の生駒=生駒氏のシンボルも車輪。
それで、生駒は駒。
駒は高麗。葛城氏は加羅国からきたという説あり。加羅=任那。朝鮮における日本人の領土。


キリストのシンボル

加羅地域にヤマト朝廷から派遣された倭人の軍人・官吏、或いはヤマト朝廷に臣従した在地豪族が、
当地で統治権・軍事指揮権・定期的な徴発権を有していたことが有力視されている。
中国で東夷とは、狗邪韓国のことで、朝鮮半島の北が倭国の北限にあたる。

よってヤマトタケルは日本に帰化した人たちを、日本でも東夷とよんで、
征伐したと考えられる。その秩父にもいた東夷とは、これらのシンボルを従えた葛城王族だったかもしれない。
しかし、時代を経て、天武天皇は帰化した人たちを保護したと考えられます。


世界保健機関のシンボルもこれ。


ヘルメスの杖


伏羲(フクギ)と女媧:手にコンパスと定規をもっている。


しめ縄もそれ。

難しいけれど、鉱石を発掘するには環境破壊や汚染などのリスクが伴う。
土砂災害が一番大きな影響があったと思うのですが、そうならない為の知識や技術の他に、
地下水脈や鉱脈が山とどのような位置関係にあったか、ということも知っていたと思うのです。
その発見に五行説や易を使用していたと思います。
そのような占師みたいな人たちが必要だったので、
天武天皇は、たくさんの帰化人を受け入れたのです。

なので、蔵王権現を祀った由来に、役行者の葛城氏や賀茂氏などが関係しており、
秩父に役行者本人が来たのではなく、葛城氏たちの鉱石技術者がやってきたと考えられます。
役行者の弟子はたくさんいたと聞くし。

その人たちが五行説を元に、秩父を修験の聖地にしたということです。
後に、熊野修験が秩父を熊野とした。
そのため、秩父は御嶽山など時代と共にいろんな講に変わっているが、
軸となっているのは水と龍、蛇信仰で、横瀬も熊野修験の聖地となった。
守屋家が代々武甲山を管理しているのですが、元は、加藤姓だったそうです。


加藤家の家紋(蛇の目)

加藤家は横瀬に多いです。
加藤家の家紋は、蛇の目をあらわしている。
有名な加藤清正は、蛇の目と桔梗です。
桔梗といえば五芒星の桔梗姫。
後に平将門伝承があるように、秩父平家は、葛城系の陰陽師や道教を受け継ぎ、
蛇や龍信仰、金を守っていたようです。

※秩父水神巡礼④(秩父市黒谷) 水にまつわる民俗史
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/05c2da036750b5143ca2463cad45ed8a

火と水のカミ---------------------------------------------------
余談ですが、目がでてきましたけど、蛇の目というのはプロビデンスの目のことも示しているのでしょうか?
友達と、武甲山のコンクリートの段々のピラミッドのような崩落壁のことで、普通ではないよね、
と話をしていて。友達は、持山に登る前日、キャップストーンの話がでたと。
キャップストーンというのは、ピラミッドの頂点に蓋をするもので、
大英博物館に保管されているものです。
それに目が描かれているのですが、両目です。片目ではないのね。



五臓の話がありますが、火と水がなぜカミなのか。
今、北朝鮮が荒れてますけど、放射能の光をもし見てしまったら、蒸発してしまうといった
ニュースを聞いて、ぞっとしました。

友人に教えてもらった話。
火は肝臓をしめし、水は腎臓をしめす。
放射能は、水の分子を切ってしまうので、体内の水が蒸発してしまうそうです。
そうなると体内には火しか残らないから、燃えて蒸発してしまうという事。
ニュースで放射能の光をみると一瞬にして消えるという恐ろしいことを言ってましたが、
実は、それはちゃんと説明になっていたんです。
その火は、目から入るので、肝臓を悪くすると眼精疲労になるのは、ちゃんと意味があった。

武甲山が水の神だったのですが、世の中が水不足で、火をたやす怒りに燃えているのだから、
怒りをもつな。水を増やせという警告。
人も地球もリンクしていて、とにかく人類は水不足ということです。
とにかく水が足りない!

戦争も火ですから、それを止めるために水が必要ということで、そのバランスをとる必要がある。
そういう時に、私は瀬織津姫の言葉をよく耳にします。
世の中、みんなどこかで怒りをもっているから、水で冷やす必要がある。という警告でもありました。
私も実際、腎臓がもともと弱いこともありますが、身内のことで怒りをもってました。
最近、大量に漢方茶を飲んでいたので、そういうことか、と納得してました。

削られている武甲山の内部に思うこと。
ピラミッドみたいやん。


※秩父石灰工業(株)のサイトより。


※クフ王ピラミッド断面図

もう武甲山はピラミッドに変容していくと思うしかなく。
内部の削り方とか、はるか昔のピラミッドでしょ?
そういうのは偶然といえど、摩訶不思議な世界では、似てしまうのですよ。
そういう形状になってしまうのは、そういうことだと思うしかなく・・・。

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さて、そんな武甲山の古代史を考えている時に、これは、役行者のような人が実際、
武甲山にいたんではないか、と。
そんなアウトローな人が。と、思った。
本当に庶民の立場になって考えて全国を行脚して、祈りをささげて自身の体でもって
すべて救済のために尽くしたかっこいい人が。
本当は家柄がよくいい暮らしができたけど、あえてそれを拒否して隠居した人。

役行者は権力も持てれば持てた人で、政治の世界にも精通していたけど、
修験としての道を選びながら、庶民の立場で世界をみていたように思う。

そして、5月1日、イネハポ秩父二人で予定していた持山寺の即身仏伝承と流れる。
残念ながら一人参加できなかったので、2人の行脚となり、
偶然にも、というか忘れていたが、1日は武甲山の山開きだった。
これまた帰りは大雨にあい龍神の恩恵をうけた・・・。
家に帰ると晴れるのだよ。
そして2人だったのが、当日、もうひとり参加してくれて、
結局女子3人となった。
やっぱり、何か動くと必ず3人になる。
三位一体。面白い。





次は、持山寺の伝承について。
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2 コメント

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Unknown (しを)
2017-05-08 16:21:23
役行者!母の実家が大阪の箕面市なんですが…。
以前セオリツヒメが気になって調べてたら役行者に行き当たり、箕面の山で亡くなったことを知りました。
小さい頃、頻繁に箕面の祖母宅に預けられてたのでご縁を感じ、いつか調べてみたいなあと思っていたんです。
inehapoさんのブログでは、興味のある話題がタイムリーなタイミングで投下されるので、いつも驚きます…。

栗原の森林火災、大変なことになりましたね…。
火と水でカミ。そして、栗原という場所での大火災。
非難されてる方々の心中を思うと言葉もありませんが、本当に、色々考えさせられます。
Re:Unknown (inehapo)
2017-05-08 18:50:29
しをさん

大阪とも縁があったんですねー!
私は関西には身内がだれもいないので、関心がなかったのですが、古代史を調べると大阪は修験がたくさん集まっていたみたいで、大阪はすごいなあ、と思ってます。

私も役行者から山にはまったので、役行者はいつも気になります。役行者と瀬織津姫とは、天河弁財天が関係してるらしいです。天武天皇と役行者が瀬織津姫を祀った話があり、天河弁財天は五十鈴なんですね。なぜか、その五十鈴神社が東松島、石巻、気仙沼にたくさん祀られているのですよ。全国でもこんなに祀られているのは、東北だけです。

このブログ、けっこうシンクロしてる~と教えて頂くことが多いですが、書いている本人が一番シンクロすぎて驚いてます。(+_+)

栗原の火災は気になりますね。岩手も同じ日に森林火災がありました。強風だったせいもありますが、何が起きてもおかしくない日々ですね。

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