秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

禹のタジヒと狐の美女

2018-07-19 | 神話・伝説
前回、禹の妻が「女嬌(にょきょう)」と書きましたが、
「禹王と日本人:王敏」著に、興味深い話しがあります。

禹王は塗山(とざん)氏の娘、女嬌に人目惚れしたという。
いくつかの説がありますが、女嬌は九尾の狐だった話しが!
禹王が行脚していると九尾をもつ白い狐に出会い、不思議な因縁を感じたと。
「白は我が衣服の色、九尾は王者の象徴」と禹王は言った。

遣唐使など中国へ渡った僧侶が、中国大陸から若い10代の女性を
連れてきたか、乗りこんできたという話しがある。
九尾の狐は大陸からきた異人と言えそうだ。
その人を「若藻」といい、日本の宮廷で仕えるようになったと。
それが「玉藻前」で、それが要因で「鳥羽天皇が病気になった」(皇女説もある)
という話しに流れます。

この玉藻とは、祭祀のことで白い狐とは、
狐の皮を衣服に身につける天子のもので、高貴な衣装だという。
日本と異なる文化(宗教)をもった人が皇室に入ってきた事を伝える。
それを追いだした陰陽師がいたわけです。

玉は化けるものであるとされ、狐が化けるという風になった。
美女に化ける狐とは、石と関わることにあり、
日本でも狐石というのがあったり、女嬌が岩の上に立って夫を待っている
という話しも、殺生石(那須)と繋がるわけです。


こちらは石に立つ猫(蘇州にて)

石は毒をもつと考えられた。
殺生石は、有毒な火山ガスを含むものですが、当時はその知識がなかったので、
石が原因だと考えられたそうです。
蛇を石に変えるとか、悪いものを石に変える話は、
キリスト教を伝えた人が異教徒的な儀式をしていた石の力を恐れていたことに由来している。



九尾の狐=玉藻前も、白人(西洋人と同じか不明)であると思います。
遺伝的に、アジア人とは違う、想像するにアイヌ人も鼻が高く外国人に似ていますが、
コーカサス地方など西洋と東洋のハーフの顔立ち。
高山地方に住む砂漠の人たちとも考えられます。
魅力的な姿だったので色が白い人は、不思議な霊力を宿していると考えられていた。
後に差別になり、異なる移民とのハーフは、過去に何度も迫害を受けてきたようです。

ということで、妻の女嬌は白狐をトーテムをしている一族で、
日本では稲荷として狐になっています。
それが秦氏のルーツ(秦氏は禹の系譜?)と思う。


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辺境に住む人は、野蛮人と言われ、「猿」と言われました。
漢字でも「狄」などの「犭(けものへん)」がつくのは猿の意味があるが、
「犬」の変形です。これが狼信仰のルーツです。
なので狐も狼も同じ存在です。


中国のリアル狛犬。子供をあやす母犬?

「夷」「戎」「蛮」「狄」も野蛮とされ、
東夷、西戎、南蛮、北狄とつけられた。

胡や、蕃、羌も同じ意味がある。
東夷の辺境に住む人は周代にはすでに定着していたという。
東夷は、現在の山東省、江蘇省など。

まとめると、禹は羌族出身とあることから、野蛮人(猿)といわれたが、
妻は、白人で異なる民族と婚姻をしたと。
猿は未開な人ではなく、食べ物が貧しかったり、穴に暮らす人だったり、
白人からみたら猿にされたのだと思う。
また、猿がアジア人と言うのでもなく、肌の色は白いけれど、
岩に住んでいた(山奥)の人を称して猿と呼んでいたと思います。

毛深い人はそのようにみられたという。
文明が発達すると、毛が薄くなるというので、
白人は毛の濃い人を猿と呼んでいたと考えられるのです。

その白人と猿とみられた異民の婚姻は、今から4000年以上も前の話である。
それは、猿田彦とアメノウズメと似ている。
国津神(先住民)と渡来人の女性との婚姻神話もそうだったりして。

これは政略結婚というよりは、
異民との婚姻をすることで、一つの血族から多様性を生みだす意図があったと考えるのです。
子孫繁栄のため?
多様な民族を生むために異なる民族との婚姻をすすめてきた歴史がある。
エミシ征伐とは、その意味が深いと思う。

歴史でいう異民とのハーフというのは、父は同じだけど、母親が違うという意味です。
昔は奥さんを複数娶ることは皇室では当たり前だった。
その子供たちが迫害され、差別され、藤原家が分断したと思います。

中国も日本も血統を大事にします。
他の血を入れないということでは、日本人は非常に濃い血を受け継いでいます。
島国は濃いね~。

九尾の狐は、異国の血を皇室に入れることを拒否したとも言える。
しかし、日本人の遺伝子は9種類をもっていることがわかっている。
一つの民族で9種類の遺伝子をもつのは日本人だけだそうです。
血を重視する割には、遺伝子は多種多様にある。
日本人の団結心は海外では異例にみられます。
その要因に「言霊」があることはよく知られています。
日本語の響きが、民族の団結心をひきおこすのですが、そのメカニズムはわかりません。

実は、その九尾の狐の退治に頼まれたのが、地元の伝承で「名取老女」と言われているのです。
面白い話しだけど、ここでは割愛。


客を招く時の部屋(お酒で迎える)豫園
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最後に、多治比氏について。
以前に書いた話しをまとめます。
山窩(サンカ)は、山人だが、マタギでも木地師でもない。
サンカというより、「ナデシ」といわなければ、サンカにはわからないそうだ。
ナデシは、漢字にすると、「撫師」と書き、これが本当のサンカの自称だという。

前回、蝮(まむし)の話になりましたが、禹の語源由来は、九の虫で蝮の意味を含む。
多治比彦の名前の由来は、「たじひ」が、イタドリからきているからと言われます。
イタドリの花は白いのです。

産湯の井戸の中に、イタドリの花が落ちてきたので、
その花の名をつけた話になっているのですが、
古事記では、「水歯別」の名代を蝮(たじひ)部を設けたとなっているが、
マムシとなっている。



これは、蝮を生活の中で使用する独特な職業のこと、それが山窩(サンカ)のことだといわれ、
多治比彦のタジヒとは、山窩の出であると言われる。
蝮のタジヒは、「這う虫」「咬む虫」の意味もある。
昔は、蝮を「ハミ虫」とよんだので、這う虫を想像してマムシになった説もある。
反正天皇がマムシ天皇といわれ、サンカだったと。

サンカに田地火という人がいて、縄文以前からの職業であるから、
「ツチカミのタチゴモ」といって火明命の一族だという。
火明命はニギハヤヒのことです。

ツチカミは漢字以前の言葉で、蝮のことをさす。
タチゴモは、断ちごもで、蝮を捕る者の掛け小屋のことで「瀬降(せぶり)」という。
(集落や河川でテントをはること)
なので、ツチクモ(土蜘蛛)も縄文の遺伝を受け継いでいると思います。


月見をしていた部屋
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日光に、瀧尾高徳水神社があります。
奈良の吉野にある丹生都比売神社のご祭神、ミズハノメを分請している。
瀧尾高徳水神社は、兎と亀が向かいあっている。
私は、この兎が禹に思えてならない。




上海:豫園の妙見像(ウロボロス)

水神の祠にあった亀は北、ウサギ 卯の方角は東。
陸のウサギと海の亀のトーテムを現し、どちらも多産。

兎という漢字は、元は菟(トツ)といって草冠がついた兎だった。
菟はヒルガオ科のつる性寄生植物「菟糸」(ねなしかずら)に用いられる字で、
中国に「菟裘」の地名があり「隠居する地」の意味がある。
縄文語やアイヌ語を起源とするkur(クル)は、影や人の霊の意味があるので、
呉の「クレ」がもしかしたら、隠居していた呉人から「クレ」と呼ばれたのかもしれない。

またフクロウ科のミミズクも「木菟」とかく。
菟原郡(兵庫県)が700年頃にあって、宇波良とも書くが海原からきているとのこと。

薬草、不老不死など、湯殿山の岩がご神体になっているのも、
岩から湯が出て、不老不死の薬水となった。
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また、「水歯」という「歯」の漢字は、多治比嶋(多治比王の子)
の歯が白いから、という話しですがそのまんま、そうかもしれない。
昔のことを考えたら、「虫歯」は死因の多い病気でした。

甲骨文に「歯を疾める蟲=虫」がいたとされ、
むし歯のことを専門用語で齲歯(うし)、または齲蝕(うしょく)といい、
この齲(う)は禹なのです。(※おもしろ大辞典より)

ですから、九の虫というのは、くねくね這っている虫=寄生虫?ゾッ。
昆虫は宇宙からきているし、すごい進化をするし・・・。

おそらく、古代の人の歯の状況は悪かったわけです。
しかし、歯が白いというのはある意味奇跡ですよね。
何を食べていたらそうなるの~という謎。

こんだけ妄想しておいて、実は虫歯でした。というのはちょっと悲しい。笑
ま、そういう説もあるということで。

秩父には禹の思想がある。荒川がそうですが。
丹生都比売を祀る社は秩父に多いからです。
それは丹党氏が祖神としているからですが、湯から生まれる話は、
おそらく刀の誕生といった霊刀を伝えるものもある。

ミズハノメ(罔象女)も、「イザナミのゆばりから生まれた神」といわれ、
やはり「水が這う」という事で波を表している。
灌漑用水や治水工事の神といった説もあり、水銀から金を産出することになった水銀を、
敬う風習もあり得る。丹生(辰砂)=水銀=不老不死。

また、ミズハノメは紙を伝えたそうです。
呉の人と同じ。
「和紙を作る紙漉きに大いに関係していると言われ、
それは福井県の今立町にある大滝神社の摂社の岡田神社の社伝に次のような話が残されている。
昔、乙女の姿をした神があらわれ「この土地は谷あいで田畑は少ないのですが
綺麗な水に恵まれているので紙漉きをやると良いでしょう」と言って紙漉きの技術を教え、
この神に村人たちが名を名を尋ねると「上流に住むミズハノメ神なり」と答え
姿を消したと記されています。」


また、丹比嶋真人(多治比真人)は「霊寿の杖」というのを授かっている。(680年~)
これが、禹の如意金箍棒に由来するものだと思います。
功績と高齢に与えられる杖と言われ、真人の人柄が感じられます。
鳩がついている杖ですが、
鳩といえば、旧約聖書ではノアの大洪水で鳩がオリーブをくわえてきた鳥。

当時は鳩だったかわかりませんが、中国の「鳩に三枝の礼あり、鳥に反哺の孝あり」という
難しい言葉ですが、礼を重んじ、孝養を尽くすべきとの意味があることから鳩の杖となったそうです。

丹比嶋真人は、竹取物語に登場するかぐや姫に求婚する貴族達の一人で、
石作皇子はこの嶋がモデルと言われている。
多治比系譜が天皇家を継ぐくらいの王権をもっていたのが、
亡くなった後は、政権から多治比側についていた人たちは排除され、
藤原不比等が藤原政権を持ちます。
多治比氏は天武側といわれる。

ということで、禹を妄想すると、いろいろな人物に繋がり、日本もその影響を受けています。
禹は治水工事をしながら世界中を行脚し、五行説を重んじ祈祷をしながら、
川の氾濫を防ぐことを行ってきた。
戦いで追われ、日本へ上陸し稲作や和紙などを伝え、弥生人として縄文人と
共生する行き方を学びます。

また、縄文人もその思想を受け継ぎ、後にユダヤ人が先祖を追って日本へやってくる。
秦氏はその禹の思想を受け継ぎ、白狐の稲荷を伝承させます。
妻が白狐だったからでしょう。サポートしてくれたマリアかもね。
白い衣装にこだわり、麻から絹の発展に尽力を注ぎます。
白は神の色。平和、統合の象徴です。

平家は多治比氏を重んじ、札所観音霊場を広めます。
秩父では「13人の権現」がつくった観音霊場の由縁があります。
西遊記みたいな話しです。
観音霊場も川の氾濫を治めるための、禹歩なのかもしれない。
人がその道をたどれば世を治めることができるという意味です。
それが巡礼になっています。


昭和初期、武甲山と妙見像


現在の妙見像

色の黒い人、色の白い人、その中間の黄色の人。
禹は人類の理想郷を求めて歩き続けたと思います。
まさにガンダーラなんだよね~。笑

♪『そこに行けばどんな夢もかなうよというよ
誰もがみな 行きたがる 遙かな世界
その国の名はガンダーラ
何処かにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい♪』
ガンダーラ タケカワユキヒデ作

エジプト~中央アジア~モンゴル~中国~朝鮮~日本。
長い旅ですよね~。

ちなみに、「シコを踏む」が相撲の神事にありますが、
あれも禹が工事の時に土を踏み固めることから由来するそうです。
大地を足で踏むことは、とても大事なことだったそうです。
ということで、涼しくなったらまた里山散策開始で、巡礼しまくる。

相変わらず長くなりましたが、これでもけっこう省略しています。笑
今回の中国と西日本の豪雨のタイミングから、
禹が何か警告していることを感じていました。
とにかく、中国ツアーでは水路ばっかりみてました。
なので、日本に帰って来て西日本の豪雨に驚いてしまった。





水の脅威を甘くみているわけではないけれど、やはり水は土を流すほどの力も持っている。
つくづく水の怖さを知るのと、そんな水に対してミズハノメ(ワケ)という龍神(水神)
で防ぎ、禹はその水に向き合ってきたのだと思うと、伝説上の人物としては
非常に魅力的な人です。

荒れる川を平穏にするのは、人の荒れた心を鎮めることと同じである。
「疎通」は、禹の治水が由来。留めるのではなく、流すことを重視した疎通は、
「意志疎通」というように、流れは止めてはならないと。
それほど水は人に影響を与えてきたので、禹は水そのものでもあった。



また、日本は本当に水の災害が多い。特に津波。。。
ますます水について考えさせられるのですが、水に対する価値観が、また変わってしまった。
日本の清水は本当に美味しいのです!

完。
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