秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

秩父夜祭と秦氏の機織り

2017-12-09 | 秩父の祭りと信仰
私はよくやる「勘違い」をしてまして、
長野県市川市大町・大野町には、平将門伝承があったと思ったら、
市川市は長野ではなく千葉県でした。笑

でも、長野県にも大町市という場所があった。
12月6日に長野県中部にM5.2の地震があったそうです。
大町市は震度4だったそうです。
大町市には地震が昔から多いようで、
大町地震といわれる大きな地震が大正7年にありました。

千葉県の大野城に将門さまといわれる弁天祠がありまして、
蛇の形をした弁天さまもいらっしゃる。
地震と弁天様(蛇)と何か関係ありそうですが、千葉と長野が混同しているので、
妄想は無理~。後で何かでてきたら書いてみます。
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さて、秩父夜祭の謎に寅が関係していた話があります。
秩父は妙見信仰のメッカで、秩父神社は天之御中主神を祀り、思兼命も合祀してます。
おそらく思兼命が古く、後から妙見様を置いたと思います。
地方史研究によると、明治30年まで広見寺の住職が、
12月3日の朝、秩父神社の寅の門を開く定めがあったと。
広見寺は妙見堂があり、正門前にある妙見菩薩と関係するそうです。


また、鬼門寺ともいう。
なぜか、虹の寺。
廣見寺のサイト
http://www.chichibu.ne.jp/~kokenzi/

徳川家康公は、寅歳の誕生にあったので、秩父神社に寅の秘法を信仰したと。
「大星妙見の大斎秘法の御手洗を汲んで祈念したと伝わる。
その水は、秩父神社の近き辺なる七ツ井戸として七星の神水になり今日に至る」と。
その7つは、小鹿野藤原、皆野金沢、長瀞矢那瀬、東秩父村安戸、
横瀬町大野、入間名栗、飯能市北川が北斗七星となって秩父郡の境を守っていると伝わる。


日光東照宮の表門には、家康の生まれ年の干支が「寅」であることから、
虎の彫刻が幾つも施されている。

寅は、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)です。
秩父神社の裏に「北辰のふくろう」が彫刻されていますが、
体は南に向いているのに、顔は北を向いている。



南に鎮座するのは武甲山。
フクロウは、平家の祖、高望王(恒持神社?)か平将門
伝承のある高篠の方角にあたるので、平将門が反乱をおこさないように
見張っているといった説もある。

けれど、こういった祀り方も、天変地異への恐れからきているのだと思うのです。
フクロウの北は、渡来する人たちがその方向から来ているわけで、そこには荒川がある。
東の横瀬町は山に閉ざされている。
川の方が入りやすい。

その先は武甲山など秩父連山がそびえています。
なので、武甲山から先へ伝播させないために、武甲山麓に八坂神社(牛頭天王)
や塞神をやたらと祀っているのです。
災害による伝染病への蔓延を留めるといった意味のある夜祭は、
秩父の神がそれを阻止することを願っての意味もあるのです。

秩父神社を参拝すると自然に北極星に祈る形になる。
このような思想をもたらしたのが、秦氏説もあるのです。
機織りの秦氏ですね。

また、秩父神社を中心に置くと、ちょうど北東は恒持神社の方角に。
でも、玄武は北にあるけど、亀の子石は南の方角にあるなあ。
まあ、一応、南を武甲山とし、北を秩父神社とみた場合です。


南は直線に飯盛山、水を司る辰巳の方角は武甲山の横瀬町にあたる。
秩父夜祭が機織り姫伝説のように、年に1度、武甲神と秩父神社の神が出会う
天の川伝説になっている。龍神=武甲山なので、
その方位が、秩父神社から辰巳にあたるからです。



秩父夜祭の日、屋台のお囃子の音を止めて通る習わしがある。
「武甲山男神(龍神様)の「本妻さん」とよばれています。
妙見祭礼(秩父夜祭)は、俗に秩父神社の妙見様と武甲山男神が年に一度の
逢瀬する祭りといわれ、このお忍びに気を悪くなさらないようにと
祭礼の前日の2日夜に諏訪本宮にお参りして「諏訪渡り神事」が執行されます。」
(江戸時代には、祭礼当日の朝に神事が執行されていました。)
3日の夜は、屋台と笠鉾がこのお諏訪さまの近くを巡幸する際はいったん停止し、
屋台囃子は休めるという風習は今も残っています。」



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国譲りのような話ですが、天孫系が稲や蚕をもたらした。
麻から絹の転換に秩父夜祭がある。
諏訪神は縄文であるから、後から来た渡来系の氏族(おそらく秦氏)
が秩父に養蚕をもたらした歴史があったのでしょう。
なので、秩父夜祭の時に、繭を奉納します。



昨年の話ですが、平成28年12月2日(宵宮(よみや))3日(本祭(ほんまつり))
に開かれた「秩父夜祭」は、別名「お蚕祭り」とも言われ、
繭を大神様に奉献(ほうけん)し、1年間の恵みに感謝します。
翌日4日、JAちちぶ養蚕部会は、秩父神社にて「養蚕倍盛祈願祭(蚕糸祭)」を
厳(おごそ)かに執り行い、生産者や養蚕関係者、JA役職員ら39人が出席しました。



※JAちちぶ
ということで、毎年、繭が奉納されています。
寅と一緒に・・・。


繭(まゆ)


子育ての虎

秦氏は雅な人だったと思うのです。
いろんな神事を残し、機織り技術を奨励し、麻も養蚕も見ている先は同じだと思う。
自然を破壊するためにもたらされた物ではないこと。
体に「纏う(まとう)」ことの意味がある。
そんな風習を秩父にもたらした秦氏はすごいなあ、と思います。
秦氏が開拓した嵯峨野・太秦周辺にある木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
という噛みそうな長い神社がありますが、蚕の社といわれ、天之御中主神を祀ってます。

また、その信仰が妙見信仰となって北斗七星になる。
これは諏訪のルーツをそのまま継承しているのでは?
秦氏は「侵略者ではございませんわっ。」(ちょっと雅な言い方で)
…そう言いたいのでしょう。

さて、もうひとつ、なぜ寅なのか、毘沙門天の虎というのがあります。
これまたあるお寺に参拝して繋がっているような気がしました。
いや、繋がっているから参拝したんだな。。。
調べてみると寅が聖徳太子に関係する。
実は、恒持神社へ行く前に、最初に参拝したお寺があったのですが、
それが聖徳太子に関係していた・・・。

次は、不思議なお寺の話。
秩父ネタが長いのですが、
懲りずに、つづく~
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