秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

三居沢不動尊と水力発電

2018-01-16 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼11(不動尊

「三居沢」は聞いたことがあったのですが、
一度も足を運んだことがなかったので、行ってみました。
ここに不動尊がありまして、今少し凍っている滝がみられます。
NHKでもちょっとだけ宣伝されていました。





東北大の方に行くのですが、広瀬川を渡っていきますので、
仙台の風景が美しく映えるところです。
狭い道を行くのでちょっと危ないけれど、途中に亀岡八幡宮がありました。
あ~、ここにあったんだ~。
成田山という名前もいろいろありそうですね。





三居沢には水力発電があります。
その話は後ほど。



まずはお不動さんにごあいさつ。
しっかし寒い~。
手水舎の水がガッチガチに凍っていた。


境内を掃除されている方がおりました。
朝から御苦労さまです。


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由来
「古来より洪水・干ばつ・疫病などの厄災に霊験あらたかといわれており、
地域の人々の信仰を集めています。不動堂の裏には高さ20mほどの滝があり、
修験者が滝に打たれて修行をしていたといわれており、滝下には不動明王像が祀られています。

境内には本堂・不動滝・水子地蔵の他、寛永11年と慶安3年、
文化3年に建てられた古碑群を見ることができます。
毎月28日には例祭が行われ、この例祭と地蔵盆(8月24日)には
水子の供養祈願が行われます。」






下は雪に埋もれたお不動さんがありますが、この時は全然わかりませんでした。
後で写真をみて、お不動さんが雪に埋まっているのを発見。
雪が溶けないと見えないですね。



石碑建立の由来
「この石碑は1634年に建立されたものである。
本境内にはこの碑の他に1650年と1805年に建立された碑が現存している。
この様な石碑建立には次のような理(ことわ)りがある。



境内奥には大滝があり、昔、ある時その大滝に不動明王のお姿を拝したという。
そしてその不動明王を拝し、旱魃、洪水などや疫病の発生、または種々なる悩み事を
祈願するとその願いが叶えられるという霊験あらたかであったということから、
近郷近在の人々には不動明王に対する信仰心が厚く崇拝していたのである。
それから感謝の念と祈願の意をもってこれらの石碑を建立したと謂われている。」


余談ですが、1634年頃の仙台藩を調べていたら、Wikipediaに
伊達藩は、「江戸上屋敷は汐留(のちに新橋停車場、現在は日本テレビタワーが建つ)、
下屋敷は現在の東京都港区南麻布1丁目一帯(仙台坂付近)、
品川区東大井4丁目 - 南品川5丁目(旧仙台坂付近)にあった。」
とあって、うわぁ~と思った。

若い時、東京に住んでいた時あって、2年くらい東大井町の近く立会川に住んでました。
いつも大井町まで買い物してたな~。
そういえば、散歩していた時に仙台味噌を売っているお店をみつけて買ってました。
東京にいながら仙台みたいな所だな~と思っていたのですが、そういう事だったんですね。
今さら知った。

さて、このお不動さんのすぐ隣に、大きなパイプがある。
これが日本初の水力発電所といわれる。



400年以上前から講の人がたくさん滝修行をしていたそうですが、
今では、少量の滝で、全く面影がない・・・。
そんな場所に水力発電所が建てられる。
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「水から火を出すとは」

私はお不動さんを拝観したらお昼を食べて帰るつもりでいました。
が、主人が三居沢電気百年館に行くと言う。
正直、興味がなかったんだけど、行ってみた。




「水力発電発祥の地」

でも自動ドアが開かないので、諦めて帰ろうとしたら、
中から館長さんが開けてくれて、10時~だったのですが、3分くらい早かった。
「いいですよ」、とドアを開けてくれて、そこから館長さんの話がさく裂。
面白い話をたくさん聞くことができました。

河北新報より。
「仙台の街に初めて電灯が灯されたのは、明治21年(1888年)7月1日。
宮城紡績という会社が三居沢で40馬力水車タービンを回して、
すぐそばの同社工場で点灯しました。
わずか50灯の小さな明かりですが、初めて見た人は、
「キツネ火だ」と驚き、警官がかけつける騒ぎになった。





「仙台電力の社長を務めた伊藤清次郎さんが、創業時、事業を拡大しようとして、
財界人に投資を呼びかけるが前途を危ぶんで尻込みする。
当時はまだ都市ガスのランプだったので、ランプの火屋を磨く人の給料に
比べたら電気代が安いと説明して歩いた。
国分町の旅館の老母は、「電灯は何から火を出すのか」とたずねたので、
水力と答えると、「水から火を出すなんてとんでもない」と断られた。」




建て物は富岡製糸場と同じ作りだそうで、貴重な文化遺産です。

館内には、「電気の精:ラウル・デュフィ(1877-1953)」のリトグラフが見られます。
古代ギリシャのアルキメデスやアリストテレスから、ダ・ヴィンチ、ニュートン、
フランクリン、なぜかゲーテ、フーコー、レントゲン、ポアンカレ、キュリー夫妻、エジソンまで。



高さ10m、幅60mのこの大作は、1937年に開催されたパリ万博の電気館のために描かれた油彩の壁画です。
古代ローマの自然哲学者ルクレティウスの 『Du Rerum natura (物の本質について)』 を出発点に、
電気の発展の歴史が表された本作は、画面向かって右から左へ、
110名の科学者や発明家とともに回顧することができる大パノラマになっています。



パリにある実物の絵。
※パリ16区アートを巡る旅より
http://photolover555.blog.fc2.com/blog-entry-286.html


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震災の時は、この付近だけ電気がついていたそうです。
一度、停まったそうですがすぐ復旧したという話をしてくれましたが、
館長さんは、東京電力に勤めていたらしい。
福島原発では東電の社員が3000人も来ているという。
3000人!?統計なのか、実際、その数がいるのか。
「今は謝るのが仕事です」と。

「世界の東京電力」と言われていたのが、今は頭を下げる東電に。
福島原発の問題は延々と続くのでしょう。

2階にあがってみると、ますます、お不動さんの存在が大きくみえた。
よくここに水力発電所を作ったなぁと思う・・・。



館長さんに、「ここに不動尊があったから水力発電ができたんですよね?」
と聞くと苦笑いして、「そうなんだけど、この話はちょっと言えない」と。
話たいことはあるのだけど、話せない裏事情がある。
技術が進歩すると生活が楽になるけれど、何度もトラブルがあって、
住民と揉めて、自然が破壊されて、いろんな人が傷ついて生活している。
ここだけではなく、全国の滝の水量は減っています。
川から水を引いて滝に流している不動尊をいくつか知っています。
ダムも日本にはた~くさんあるよね~。



お不動さんの水は、水力発電に取られたから、
不動尊の滝は、自然ではなく人工で通された水を流している。
最初はお不動さんの水だったのに、電気を発電するために使われた水を、
今度は電力によって戻されている。
立場が逆転してしまった。

住民がお不動さんの水が急激に減ったので、戻してほしいと言ったので、
水力で使う水をお不動さんの方に流したら、電力側は、なぜそんなことをする。
と、否定的だったそう。



今、滝が異常に少ないのは、そういうこと。
昔は、ドドドーと流れ落ちるほどの大滝だった。
河岸段丘であり、広瀬川の水を通しやすい地形にあったからです。



この場所は、伊達政宗が、4つの谷を水道橋で超える「四ツ谷用水」を敷設します。
これが「四ツ谷用水」の名前の由来で、ブラタモリも歩いていました。
帰りは、大崎八幡宮の前を通ってきましたが、生活用水に欠かせない
広瀬川の水を引いて水源としていた所です。



ということで、このあたりにお不動さんが祀られたこと、
成田山の亀岡八満宮と大崎八幡宮をはさんで位置すること。(おそらく)
また、文殊菩薩堂もあって、伊達政宗と祓戸神の修験の匂いがぷんぷんでございます。

その地形を利用した水力発電所は、それはそれで良いと思いますが、
お不動さんの存在を忘れてませんか?

電気を供給するために、「お不動さんは大事な水を仙台市民に与えてくれた」
という感謝の念が伝わっていないから、震災の大津波を受けるのだ。
だから今、東電が大変なのは、当然だと思う。
カルマとはよく言ったものだ。
「おこなった行為は必ず返ってくる」

これからますます全国各地で、いやもうアメリカがそうなっているから、
そういう形で返ってくるのか、と思うと、悶々としてきます。
戦争勃発のことを言われている方は多いですが、それどころではなくなります。
でも、それに気づいて、知ることが唯一の救いです。

そんな思いを秘めていた三居沢不動尊なのでした。
でも、このお不動さんは水を返してほしいと思っていない。
ただ、知ってほしいだけなんだ。

今年で水力発電所ができて130年がたつので、盛大に何かやりたと仰っていました。
その際は、不動尊も一緒に感謝の意を伝えられるよう願っております。



<おまけ>--------------------------------------------
帰りにたちよった日蓮宗本国寺。
西郷さんみたいな日蓮聖人銅像。





なんだか、仙台の街がたそがれてみえるのでした・・・。
たそがれ日蓮。



このすぐ下に、四ツ谷用水聖沢掛樋があります。
散策できるコースもあるということで、暖かくなったら散策してみます。
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奇跡の水神社

2017-09-12 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼10(自然編)

「そのかみは湯なりきという霊泉の
 尽きることなくむらを潤す」




十和田湖の八郎太郎伝承から、以前より増して水を欲するようになってしまった。
登山をしていると山からの清水をよくみかけ、林道などを走っていると湧水に出会ったりとか、
その度にちょっと飲んではいたけれど、家まで持ちかえることまで考えたことがなかった。


なぜか東屋にフクロウが。長寿の意味かと。

秋田から戻って、急に、水道水がこの先飲めなくなるという漠然とした不安がよぎり、
水道水を拒否するようになってしまった。謎の現象…。
料理で使う分ならいんですが、飲料水として普通に飲んでいた
水道水を飲まない方がよい気がしてきたのです。
まあ、煮沸してお茶やコーヒー飲んでる分には、さほど気にならないんでしょうけど、
夏によく水を飲んでいたら、身体が拒否しはじめたのです。

ミネラルウォータの方がいいと聞きますが、
私の場合、美味しいかどうかより、
「その水にはどんな経緯があって湧水としているか」
という面倒くさい理由がないと腑に落ちないんです。笑
極力、自然のままの水が飲みたい!
八郎太郎のようにガブガブ飲みたい!

よくわからないが、もう水道水は危険かもしれない。
水道水の民営化が信用できないと思うのは、私だけでしょうか・・・。
実態はよくわかりませんが、漠然とした不安があるのです。

長者屋敷公園の薬水などがあるように、「水は薬」だったことがよくわかった。
それで、ようやく「腑に落ちた」わけです。
たぶん、あの水を飲んだから、腑に落ちたんだ。と。
「腑に落ちる」の語源は、「はらわた」なんですけど、腸なんですね。
腸は第2の脳といわれます。
実は、腑に落ちる現象とは、脳の松果体からストーンと腸におちた時、
という意味が隠れてます。(ホントカ?)もうこれは「感覚」です。スピリットの世界なので説明できん。
ということで、湧水や清水は、松果体を揺さぶるものだったりしたら、
最高じゃないか、と思ったのです。

なんせ、腑に落ちると、水に繋がって早い、早い。
また私の行動も早い、早い。
もう2回いったよ。
先週みつけた神社なのに。





ということで、そんな事を考えていたら、導かれた「水神社」へ。
水が大事なこと、龍の目覚めなどと、言っていたことが、
こういう繋がりをもつとは。
それは、蔵王の水です!
ご縁を与えてくれた蔵王の水。(近いし)

水は大事ですよね~、という軽いノリではなく、「水じゃっ!」という
行者のようなじいさんの声が聞こえる。(わけない)
で、行ってみたら、蔵王権現の木彫の像を発見。(最近のものです)
蔵王権現が「水じゃっ」と言っているところで、せっせと汲んできましたよ。
インスパイアーされたっ。


水神龍桜
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きっかけは、鎌倉温泉でした。
蔵王の麓には温泉がいくつもありますが、
先日、主人が鎌倉温泉が雰囲気あるから良いよ、と教えてくれて
鎌倉温泉に行ってきました。(鎌倉温泉は後で紹介します)

鎌倉温泉の休憩室で、また~りしていたら、テーブルに
「蔵王山の噴火の歴史」の冊子がありました。
ネットでも見られます。
http://www.town.zao.miyagi.jp/kazan/zao.html

子供向けの冊子なので読みやすく、サクっと読んでいると、
「水神社」の写真がありました。
その水は、温泉だったのが噴火によって冷水に変わって飲めるようになった
という不思議な水だったのです。
温泉が冷水になる要因が、噴火にあるという火と水の陰陽が
うまくできてるな~と、私は妙に感心してしまいました。
google mapで調べると水神社は鎌倉温泉の近くにありました。

看板の説明より
「この神社は、「水の郷、平沢」の象徴ともいえる神社です。
かつてこの地には湯が湧き出してしましたが、1623年の蔵王連峰刈田岳
の噴火を境に清水に変わりました。
それ以降、平沢では、旱魃になっても田に引く水に困ることがなくなった為、
村人たちはこの清水に感謝し、この神社を建てて水神を祭ったと伝えられます。



江戸時代、平沢領主・高野武兼の日記によると、1704年は大干ばつに
みまわれましたが、平沢では水神社の清水のおかげで無事田植をすることができたという
記述があります。
この清水が、現実に平沢の人々の命水としてかけがえのない存在であったことが窺えます。
高野家では、毎年例祭にあたって金品を献納したり、武兼の子倫兼が1755年に
社殿を建て替え奉納するなど、この神社を深く尊崇しました。」





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1623年の刈田岳の噴火では、柴田、名取まで大量の灰が降ってきたそうです。
その年は、刈田山頂で鎮火祈願をしたそうですが、
伊達政宗の息子村田城主宗高を蔵王の山頂に登らせて祈祷させたそうです。


※Wikipedia(蔵王連峰・刈田岳から見た蔵王カルデラ)


※山頂の刈田嶺神社

水神社を祀る神は、「ミズハノメ」
蛙の石像もありました。
地元では貴重な水として、簡易水道を作り所々に共同水栓を設けて使用していたそうです。
今は、500戸に給水されている。
昔から、長命の泉とよばれるのは、この地域では長命の人が多い由縁だそう。



ということで、カミがかった水っぽい。
お水を頂く時は、清掃の寄付金としてお供えしましょう。
また、神社を参拝してからお水を頂くように~。

鎌倉温泉の時は、タンクをもっていかなかったので、
その数日後、どうしても水神社の水が飲みたくなったので、
また行ってしまいました。

一人、高齢の男性がじっと看板を読んでいたので挨拶をして通りすぎようとしたら、
「水をくみにきたのですか?」と。
おじいちゃんは、初めて知ったそうです。
「温泉が冷水になったんですって。」という説明をしても、
おじいちゃんは、「どこからきたの?」と。
「仙台からです」
・・・「わざわざ?」
「わざわざ」。

それで、私がせっせと神社の御堂まで階段のぼっていくから、
おじいちゃんは上に水があると思っていたようで、「どこに水があるの?」と。
「下ですよ。川が流れている所。」
ああ、ここね。と言ってそのまま帰ってしまった。
・・・あのじいさん、また来るな・・・。
この水も良い洗脳されっから。笑




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さて、話は変わり、私が水について水道水が危険と思うのは、
飲むのが危険というのではなく、「大量の地下水のくみ上げによる水災害」の意味だろう、と。
ペットボトルの飲料水もそうですね。
水を採取しすぎて地元の地下水が枯渇している話はよく聞きます。
水道水よりは、自然の湧水や清水を汲んで飲んだ方が、すべての生命も地球にとっても
良いことは言えます。人口がこれから減っていくのでますます水道水は必要なくなると思うし、
ダムも必要なくなる。
ですが、毎度、水を汲みに山の方までいくのは大変です。
けれど、そのくらい大変な思いをしなければ、いずれ孫の代になって大変なことに
なるのかもしれませんし、負担をかけることになります。
原発と同じように。次は、水でしょう。

アメリカのハリケーンをみて、地球から海がなくなる日は、
本当なんだな、と思った出来事がありました。

「ハリケーンが海を吸い尽くした」
美しいバハマビーチの海が干し上がった現象。
ハリケーンイルマによって。
「異常すぎる気象現象を実際に目にすることはほとんどありません」

という世界が起こっていること。


http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/10/hurricane_a_23203121/

これが、急ピッチで「解明できない現象」として進んでいくのでしょう。
10億年先という話ではなく。。。

「自分で行った行為は自分に返る」という通り、
必ず何かの形で返ってくるのですが、それがとうとう水の災害ときた。
こればっかりは世界の歴史が苦悩してきた大きな水の壁。
自らの細胞を生かせ、と言われている気が。むずかしいー。

「海はどうしてできたか」藤岡換太郎著
という本があります。
海、大気、陸、生命が連動して「共進化」している興味深い内容になっているそうで、
読んでみたいと思っているのですが、
実際、痛い目にあわないと人間は学習しないので、
水災害は仕方ないと思っています。

食べ物は何を食べても差はないと思います。
病気も遺伝や体質など、生活習慣にも影響がでますし。
でも、水は別格です。
水は生き物です。
水は、ひとつひとつ結晶になっているので、薬と同じように
「自分にあった水」というのがあります。
水により細胞が生き返るという話は、信用しています。
まだ治験していなから、実体験としてわからないけど。

こういう事を考えている時に、昨日、私のブログ記事の中で、
最近の記事ではない内容が一番読まれていたのが、
「万物の原始は水であるby武甲山」でした。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/20c4fed5944213cfb8882cd128d12913
武甲山は、蔵王権現なんです。
秩父の今宮神社は役行者の八大龍王。
で、葛城氏。
だから蔵王山と繋がったんですね。
水が大事だと伝えているのは、私にとっては武甲山なんですね。
どこにいても、繋がっている。

これからも、行く先に湧水があったら、地元のお土産を持って帰るように、
自然の水を堪能しつつ、地元の水神様に御礼参りをしていきたい。


よく咲いている花ですが、始めて来た時は咲いていたのに、
数日後にいったら、雑草がきれいに刈り取られて花もすっかり刈りとられていた…。



※このあたりには何か所か湧水があります。
地元の飲料水として飲んでいるので、そのままでもOKですが、
一応、沸騰させて飲んだ方が安心かも。

次は、鎌倉温泉と巨木~。
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世界が団結し水を守る先住民

2016-12-07 | 水神巡礼(東北編)
世界が団結し水を守る先住民

[世界の裏側ニュース]奇跡:世界が団結し水を守る先住民が勝利 #NoDAPL 
〜絶望的に見える沖縄も変化の予感〜

「竹下雅敏氏からの情報です。

 奇跡が起こったとしか言いようがない出来事です。
12月3日の記事で取り上げたダコタパイプラインの抗議活動が、驚いたことに、
先住民側の勝利で終わりました。先住民たちが水源の汚染等を理由に
反対していたパイプラインの建設は、米陸軍が4日に、“米陸軍工兵隊は本日、
ダコタ・アクセス・パイプライン計画のためにオアヘ湖を通過する土地利用は、
認めないと発表した”とし、代替ルートを検討するために、
環境影響評価を行うと説明しました。工事予定地は米陸軍工兵司令部が
所管しており、着工には陸軍省の許可が必要ですが、
陸軍省は先住民や建設会社との協議の結果、異なるルートを検討することにしたようです。

陸軍省や建設会社に先住民や活動家たちが騙されていなければ、
この結果は先住民側の大勝利です。
 米大統領選でのトランプ氏の勝利も驚きましたが、
今回のこの結果はまさに驚きです。記事では、
“この抗議活動はパイプラインの迂回だけではなく、
もっと大きなメッセージとインスピレーションを世界中に届けました ”とあります。
 一見絶望的に見える沖縄の問題も、今後何が起こるかわかりません。
文末にあるように、“世界の潮流が変わってきている”ことがわかります。

(竹下雅敏)

詳細は、こちら。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=120592

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世界中の水戦争。
ありがてぇ、ありがてぇ、と手を合わせて拝みたくなるような話。

この先住民の笑顔にみちた顔がっ!!!
こういうのを本当の勝利というのだな。美しすぎる。


(スタンディングロックで民衆の勝利:祝賀の写真)
Standing Rock Victory Photos: Pictures of the Celebration

東北地方はどうだろう。
被災地は、どうなんだろう。

「坂上田村麻呂と水神」で、エミシ征伐が水戦争だったと妄想してましたが、
水が枯渇することを想像して水源を守ってきたのが
エミシなどの先住民だとしたら、東北の人たちは、
もっとエミシについて知らなければならない。

エミシが良い人か悪い人か、ではなくて、
まつろわぬ民が何をしてきたのか。

世界のジコチュウな連中に脅され、犯され、破たんさせられ、
大津波の水に討たれ、その罪をかぶらされた東北人は。

※世界の裏側ニュースより
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12197232334.html
アメリカ先住民による、史上最大の抗議活動が行われるが、メディアは完全に無視

抗議活動の様子
Native American nations unite to protest proposed North Dakota pipeline

ただ、このニュースをみて、エミシを思った。
こんな姿があの時もあった、とそんなことをふと思った。

世界のどこかで水が守られたことだけでも、大きな前進!
うれしいニュースが続いて、ありがたい。
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神秘の丸池様

2016-11-14 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼9(自然編)

大物忌神社(蕨岡)の次に、吹浦の大物忌神社へ向かう。


写真はわざとモノクロにしてるけど、雲がね、なんか不思議でね。

途中で、鮭が遡上する川があるというので、連れて行ってもらった。
すごいよ~。今は、鮭が戻ってくる時期だからね。
いいよね、遊佐の人たちは、こんな豊かな自然の中で暮らしているんだよ!




子供も興奮だね!
私も興奮!
でも。。。地元の人もあまり知られていない神秘の池があったのだ。



鳥海山から湧き出る清水こそが、薬水だったと妙に納得。
十二湖も良いけど、ここもすごいきれいです。
ほんとに鏡池です。



ここは「牛渡川」の側にあるのですが、すごく透明度の高い水です。
日本で生息が確認されている5種類のカジカ全部が同じ水域で見られるのは、
この川が日本唯一といわれているそうです。
バイカモ(梅花藻)などの動植物が生息している川ですが、
鳥海マリモも有名ですね。
牛渡川は、湧水を利用した鮭の孵化事業が行われています。
日本一古いそうです。
牛渡川で成長した鮭は、海で4年間成長したのち、再びこの川に戻ってきます。
秋から冬にかけて戻ってくるので、今の時期、大きな鮭がたくさん遡上してます。
・・・4年間!



3時頃に来て、もう鮭は完売しています。
干されちゃった鮭。(なんかリアルだなぁ)



そして、ここは、ほぼ100%が湧水なんです。
う~ん、ほぼ湧水ってどうすごいんだろう。。。
まあ、鳥海山そのままの水が流れているってことで。
その量が毎分24トン(1日3万トン)といわれてます!



さて、この鮭たちが遡上するだけあって、
美しい水を保っている池があります。
地元の方もあまり知らないという「丸池様」


(木がゆらゆらと映ってます)

丸池大明神---------------------------------------------------

「この池は、県内唯一といわれる湧水のみを、水源としています。
直径20m、水深3m50㎝、水はあくまで冷たく澄んでおり、
水中の倒木さえもなかなか朽ちはてず、まるで龍のごとく池底にひそんでいます。
「丸池様」なる信仰の対象となっており、決して魚など捕ってはなりません。
この「丸池様」の社叢は全くの原始林なので町の天然記念物にも
指定され、保護につとめております。」






丸池神社があります。
小さな祠。
この近くにも鳥海山大物忌神社境外末社があります。
看板にはこんな内容が書かれていました。



「丸池神社は、一般には丸池様と称され、瑠璃色の池そのものが
御神体として崇敬されてきた。現在の祭神は、田心姫命、
市杵島姫命、多岐津姫命の宗像三女神である。」




ひょ~、ここに宗像三女神がでてきた!
う~ん、もうこれは九州から海民が日本海へ上陸したってことだね。
・・・火山を崇めていた阿蘇氏の匂いが~。

「神社の本殿は、神池を拝むような形で配置されており、(省略)
八月七日の例祭では、本殿向かい側の拝殿で御頭舞(獅子舞)、
巫女舞が奉納されている。
江戸時代、遊佐郷の景勝地を巡った記録「遊佐細見往来」という書き物に、
こんな記述がある。」




「丸池大明神を参詣いたしける。此池は稲倉嶽の御尊の御手洗にして、
此所に瑠璃の御玉と云ふ宝物あり。御機嫌の節は彼の御玉、水の上に浮むと
云伝ふ。若し此池に塵塊抔を投入不浄いたし候ば、俄に東風吹出し、田畑を
そこなふ事眼前なりと。此池の名、俗説もり池と云ふ。
今にも森池東風とて吹くことあり。
慎むべし。昔より此池に住みし魚皆片目なりと承る。」



(人が池に映るほど透明度が良い)

看板の解説によると、稲倉嶽の神の御手洗とは、
水分(みくまり)の山である鳥海山=稲倉嶽であり、本池が御手洗のことと考えられる。
鳥海湖と丸池が地中深くに通じているとの伝承もある。
「片目」とは、安部宗任(鳥海弥三郎)と戦った鎌倉権五郎影政が、
宗任の左目を矢で射った伝承のこと。
「片目のカジカ」などの話もありますね。片目のカジカは秋田県だったと思います。

稲倉というのが、「ウカノミタマの宮」といった意味もあると思う。
稲をもたらした事になりますが、羽黒山の伝承でも、滝神とキツネが稲をもたらした伝承があるのは庄内だけです。
詳細は、こちらに書いてあります。

「鼓の滝と獅子踊り:羽黒山①」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140709

夢にでてきた小さいおじさんは、スクナヒコかもと思ってしまうが、
ホツマツタエに詳しい知人が、スクナヒコは薬だという。
一寸法師。
体の中に入って悪いものをやっつける(毒を消す)のがスクナヒコ。
だから目に見えないほど、とっても小さいのを称してスクナヒコといった。
なるほどね~。
そう繋げて妄想すると、ニギハヤヒは火で治療を起こす意味だったりしてね。
水よりは火のイメージだね。陽の気。

さて、ここは柴燈林遺跡(さいとばやしいせき)など縄文遺跡群があり、池の側に流れる牛渡川
が流れ、縄文時代~現代に至るまで水にまつわる信仰が残っている貴重な史跡と
なっています。



柴燈林遺跡は火炎土器が出土されています。
会津の話でも、火炎土器ルートの話をしましたが、
信州~会津~福島のルートがあった。
途中で、日本海と太平洋へと向かった二つのルートがある。
ざっくりとですが、それが日本海側へ向かった宗像系と太平洋側へ向かった安曇系があると考えられる。
安曇系は、信州から関東地方(伊豆)へ向かったと思います。
同じ九州からですね。
おそらく、火炎土器は、火山をイメージしていると私は思います。
ただ、逆さに埋められている縄文土器もあり、なぜ、逆さに埋められたかわかっていません。

上の方に大きな磐と祠がありました。
写真がぼやけてしまいましたが、近くまで登らず。
急だったし、登山靴ではなかったので今回は登りませんでした。



火山の池らしく、飲み水のある水中から、
ポコポコと湧きだしています。



あ、ちなみに「ハタハタ」は、神の魚と書くんですよ!(知らなんだ~)
お寿司屋にいくと、大体、ハタハタは売り切れるようです。
夕方に行ったら完売してた。。。

山形にだけ?特によく知られるハタハタの由来がすごかった。

鰰(はたはた)の名前は魚へんに神と書いて「鰰」(はたはた・ハタハタ)と
読みます。これは雷神の古名とされ「霹靂神(はたたかみ)」に由来していると
言われています。
その昔、冬の厳しい日本海沿岸の貧しい漁村の人々にとって、
冬の季節の訪れに轟く雷(神鳴り)と共に突然海岸にうちよせる獲りきれないほどの
ハタハタの大群は、雷神様がつかわした魚と信じられ、ありがたい魚として
鰰(はたはた)と呼ばれるようになったと言われています。


また、ハタ科の魚はいずれも体表に「斑(ハタラ)」のあり、
ハタハタも体表に流紋状の斑紋のあることにより、
「斑斑(ハタハタ)」または「斑鮮(ハタハダ)」と命名されたとされる説。
「はたはた」とは北日本各地では「ひらひらすること」「きらめくこと」
「稲光・雷光」を意味する言葉を語源とする説。
「海が時化て波の多い時期によく捕れるので、波多波多(ハタハタ)になった」という説。

※お魚名前辞典より

由来はいくつかありそうですが、いずれにしても大量に捕れた魚だったので、
神が恵んでくれたと昔の人が思ったのでしょう。
神がもたらした魚ということで、ハタハタと呼ぶようになったと思います。
私は、音から来ている感じもしますが。
ハタハタといった音?秦さんではないと思うよ。笑
それこそ、船の帆の音だって考えられますし。そんな音に聞こえるかもしれない。
船の帆がハタハタと音をたててきらめく。
はるか遠く海を渡ってやってきた人々が上陸した。
それが鳥海山。

ここは教えたくないほど素晴らしい場所でした~。
行ってみたい人は、自力で探して行って下さい。
私も場所がわからんのよ。

再び、私も鮭のように戻ってくるよ~♪
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国見の御瀧水神

2016-08-29 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼8 (自然編)

いつだったか、思い出した夢がある。
「福島県に近い宮城県に沼のような池が3か所ある。」
ただ、それだけの夢。
何かのメッセージのように思えたけれど、
県堺にそのような池や沼があるのか調べたけどわからなかった。



それがこの場所かもしれない、とその夢を思いだしたのが、御瀧水神だった。
宮城県との県境、福島県国見町の御瀧神社に、3か所の湧水がある。
その山頂には、御瀧水神(多喜大明神)が祀られていた。





また今年、主人を連れて梁川の八幡宮へ行ってきました。
伊達政宗と愛姫が初めて顔合わせをしたところで、政宗初陣があったゆかりある場所。


※梁川八幡宮

なんどか国見を通って福島市内へ行くことがあったのですが、
その通り道に、いつも気になっていた神社が御瀧神社でした。





いつも素通りしてしまっていたので、神社名を知らなかったのですが、
白い鳥居に書かれた「瀧」という文字に、びっくりしてしまった。


※大きな木の根が大事に祀られています。

ここに、豊かな泉があったとは・・・。
神社入口の下に、森に入る遊歩道がある。
そこには大きな湧水がありました。



3か所に分かれた湧水。





一か所目は、白い池にコイが固まって泳いでいる。
水中には石が集まっていて、
その中心に、イナウのような旗が。



泉の御柱。



「湧き水からの清流は光明寺の村を潤し、古い時代から水田(約20ha)が開けていた。
昭和61年(1986年)8月「ふくしまの水30選」に認定されている。」
ということで、飲めるようですが。



残念なのは、この上の方に養鶏場があるらしく、
大きな建物があったのですが、そこからくる肥料の匂いでしょうか。
臭いのです。その匂いが充満しています・・・。
畑の肥料かと思ったのですが、養鶏場からくる匂いらしい。



ニワトリね~…。

ここから下ると、石で積まれた箇所もあり、
そこからも湧水が流れ出ている。



冷たくて気持ちがいい~。





2か所目は、石碑がたっており、
そこから流れ出る大きな泉で3か所の湧水となっています。

ここに「御瀧水神」と書かれた石碑があり、
じっと見つめていたら、涙がでてきた。
まだまだ知らない所に、このようにして湧水を守っている場所があることの喜びと、
金欲が湧水を奪っている現実を、もう変えることができない無念な気持ち。
申し訳ないという、やっぱり懺悔な気持ち。



瀧大明神というのが、どういうものかわからないが、
精霊というものなのか、何か、心を持っているような石碑に感じた。
何かを伝えたいのだろうか、
しらばくこの場所から離れられなかった。



ふっと池の中をのぞくと、黒い大きな影がっ!!



・・・コイでした。
でかいっ!
わっさわさ泳いでいる。
水がきれいだからよね~。

-----------------------------------------------------
さて、この泉はどのような人たちが大事にしていたのでしょうか?
史料などがないので、わかりません…。笑
ですが、このあたりは古くは信夫郡で、信夫から伊達郷となり、
伊達家発祥地です。

平安末期から鎌倉時代、常陸国(現:茨城県)からきた中村朝宗が、
伊達氏と名前を変えて、伊達朝宗とする。

この泉によってもたらされた光明寺は、4代伊達政依という人で、
京都五山をまねて、伊達五山と称していました。
そのひとつが、光明寺でした。
また、梁川城主でもあります。
梁川にも広瀬川という名前の川があり、側の小森に梁川城がありましたが、
仙台の広瀬川と青葉城といったように、梁川を模しているわけです。



ところで、昨年、梁川八幡宮のご開帳の時にもらった観光パンフ(伊達800年ものがたり)があり、
伊達市が作成した、「伊達氏めぐり歴史マップ」を参考に今回は、歩いてみました。
その1ページを開くと、龍、現るとして、
伊達市は、伊達政宗が龍であると言ってます。

「時は戦国時代、戦場で嵐を巻き起こした龍がいた」
「奥州の伊達といわれた伊達政宗は、武力、知力に優れた龍のルーツが、
福島県伊達市にあることをご存知だろうか。
伊達の郷で育まれた一族が、昇り龍となって現在へたどり着くまで約800年。」

と、書かれています。



戦いのあった場所を年代順に、
1、初陣 2、人取橋の戦い 3、二本松城の攻略 4、南会津の平定 5、摺上原の戦い 
6、葛西大崎一揆鎮圧7、松川の合戦

これを結ぶと北斗七星の形になる。
なぜ、伊達政宗が龍なのか、よくわかりませんが、神社の由来に龍を示しているような
話も多々あるかもしれない。

この観光マップは、わかりやすくて面白いです。

国を見渡せる国見---------------------------------------

国見という地名が全国にありますが、高台の見晴らしよい場所には、
国見とつきます。
高速の国見ICは、絶景ですよね。
あのあたりから福島市内に入ると、車窓からみえる福島盆地はいつも圧巻です。
本当に福島は美しい所なのです。
それは、ずっと古い時代、湖だったことにあるわけですから。
過去、大和朝廷から追われた貴族が、
新しい大和を建国しようとしたことがよくわかります。

平野ではどのような暮らしをしているか、よく見えるようにしているために
国見とつけられますが、国を治めた時にも、国見と地名をつけます。
相馬地方にも国見山がありますが、やはりちょうどよい見晴らし台になっており、
海岸がよく見渡せる山です。

国見の聖山といったら、やっぱり半田山。
半田銀山として栄えた半田山。
奥州藤原氏の他、源義経が通った場所として義経伝承が数多くあるところ。


※梁川天神社蔵:絵馬「地租改正丈量の図」1878年
後ろに描かれている山は、半田山。

また、この半田沼の赤牛や水蜘蛛の伝承と同じように、
このような話もありました。

「これは、信達地方(しんたつ)に伝わる古い話。
 大昔、信達盆地は、霊山、小手(おで)、吾妻、
半田、厚樫などの山々に囲まれたた美しい湖だったそうです。

ところが、この湖に「水熊(みずぐま)」と呼よばれる
真っ黒で大な怪獣がすみつき、人々を襲い、
食らうようになったというのです。
人々は、何とかしてこの水熊を退治したいと願っていましたが、
広くて深い湖底を縦横に移動する、水熊にはなすすべがありませんでした。

さて、この地を訪れ、人々の話しをお聞ききになった
ヤマトタケルノミコトは、五十沢の猿跳山に、
水路を開き、湖の水を干して、水熊を退治しようと思いつかれ、
さっそく命令をお出だしになりました。

人々が猿跳山を切り開くと、湖の水はたちまち流ながれ出だし、
黒岩沖に口から炎を吐はき、怒い狂った巨大な怪獣が姿を現あらわしました。
尊はこの時とばかりに剛ごう弓に大な矢をつがえ、放たれました。
矢は命中し、水熊は退治されました。
その後、流れは阿武隈川に、湖底は豊な盆地になりました。」


※国見町の昔話より

----------------------------------------
猿跳山は、阿武隈川沿いを走る349号線からよく見えます。
このような伝承も、阿武隈川の氾濫を示しているものかと思いますが、
水熊は水蜘蛛のことだと思います。

半田沼にも水蜘蛛伝承があり、
「賢淵でつりをし、魚篭いっぱいにつれた。
水に浸していた足の親指に、水蜘蛛が糸を掛けた。
沼の底から次郎も太郎も皆来い、という声がして、
魚篭の中の魚は皆飛び出し沼へ入った。
やがて、えんとえんやらさー、という掛け声が聞こえ、足の糸が引かれ沼に落ちてしまった。」
水蜘蛛は妖怪にでてきますが、河童と同じような類なわけで、
昔は川にそのような生物がいたかもしれない?

他の地域の赤牛伝承によれば、水の災害をもたらす龍とみたて、
島のまわりに大蛇がいたという話になっている。
赤牛=龍(水神)とする場所があり、半田沼の水蜘蛛も同様、
水神=瀧という「水に龍」を祀る傾向になったようです。
そのため、水蜘蛛も龍(水神)と同じような意味があると思います。

------------------------------------------------


※阿弥陀堂

伊達政依は、光明寺を「始祖朝宗夫人の菩提を弔う」ために建立したそうです。
瀧という神は、水神という女神を想像する。
京都の五山を模したというなら、光明寺の総本山の開山は、比叡山延暦寺の法然である。
なので、法然の影響を受けたことはあると思う。
時代もその時期に重なるし。

法然の教えは、地方の武士や庶民の他、女性に広く布教を行ったことでよく知られている。
この頃、女性に向けた布教は一般的ではなかったので。

そんな女性の癒しを与えてくれそうな御瀧神社。
今もその暮らしが息づいている国見でした~♪

※国道4号線からの場合、貝田町裏の信号を左折し、321号線へ入る。
しばらく進むと左側に鳥居があります。
向かいには、駐車場があります。
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白竜のいずる街

2015-12-27 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼7(自然編

冬の赤湯温泉へ。
南陽市にある赤湯温泉は、1093年、奥州統一を担った源義家が戦をしていた時、
同行していた弟義綱に発見されたと伝えられる。
赤湯なのは、戦国武将たちが温泉で怪我を洗い流し血で真っ赤になったことに由来する。



さて、ずっと行きたかった白竜湖へわざわざ寒い日に行ってきました。
遠くから眺めたことはありますが、近くまで来たのは初めて。
目の前で白鳥が飛び立つような湿原で神秘的でした。
白鳥って羽を広げると大きいね~!

しかし~、やっぱり山形は寒い。
ずっと暖かい日が続いていたのですが、この日は仙台でも風が強くチラチラと雪が。最高気温も2度くらい。
白石~七ヶ宿~高畠経由で行ってきたのですが、まだ昼前なので、七ヶ宿からの峠は路面が凍っており
所々雪道なので、旦那の運転ではありますが、ヒヤヒヤしながらの山形行きでした。
行きは2台のスリップ事故をみてしまった…いずれも路面が凍っていたので、
スリップしたらしく畑に車が突っ込んでいた…
もう一台のは高級車!カーブで曲がりそこねてぶつかったのね…お気の毒。
いずれも大事には至らずにすみ、大きな事故ではなかったのでよかったです。
昨年に比べたら雪は少なく道もそんなに悪くないですが、しばらく峠越えは無理ですね。


(七ヶ宿の滑津大滝)

さて、赤湯は大学の時に行った以来です。すっかり街は綺麗になって変わっていました。
美味しい山形牛が食べられるイタリアンのお店もあって小さい街ではありますが、良い所です。
東北の伊勢と言われる熊野大社もあり、何といっても私が憧れる風景は、
高畠の田園風景と白竜湖でしょう!初夏の車窓から見える景色が一番綺麗です。
寒かったけど雪の湖もなかなか良い。


(秋の白竜湖)

白竜湖にはいろいろな伝説があります。そして、どこの森かわかりませんが、
弁財天を祀っているので鳥居があります。



不思議なことに、白竜湖にもうすぐ着く時にラジオを聴いていたのですが、
何処かの沼地を清掃する話をしていて水底にいろんな物が落ちていると。
中にはお賽銭箱が沈んでいた話をラジオで聞いていた。



湖に沈んでいる話を聞くと、石牟礼道子さんの小説「天湖」を思い出します。
ダム湖に沈んだ水神の話です。この話も不思議で、ずっと前に友人と友人の知人と電車を待っている時に、
出身地の話をしていて、秩父だと言ったらその方は登山好きで、武甲山を知っていた。
「かわいそうな山ですね~」と、悲しい顔をされた。
その方は、環境学の研究をしているアメリカ人の教授で、武甲山をどうにかしたいと言ったら、
天湖の本を読んだことがあるか?と聞かれた。なぜか、あの本を読むといいと。
実はその方が翻訳されていた本で、また不思議とその後、水俣に行く流れになったのだ。
石牟礼さんは熊本出身で、水俣病の本を書いた方です。
それから、水について考えるようになりました。

それを思い出してしまったのだから、白竜湖には何かが沈んでいるのかもしれないと思った。
物ではなく大事な何か。
それは、やっぱり環境なんです。

この湖もいつか無くなります。
武甲山と同じようにいつか無くなるものだから、竜が住むと言われる由縁。
龍神の必死な抵抗なのだ・・・。
そんな事を考えさせる物語があります。



白竜湖について-----------------------------------------------

白竜湖は南陽市の北東部標高2000m内外の低地にあって、
湖の周辺に約1000haにわたって大谷地泥炭層が展開していた。
昭和30年(1955年)、泥炭形成植物群落地域90.59haが
県指定天然記念物となった。特に湖に近接する泥炭地には、
中間湿原から高層湿原に自生する植物が群落を形成していた。
ところが、1900年ころから、大谷地の水田区画整備事業が推進され、
さらに昭和44年(1969年)には農業水利改良事業として
白竜湖の底の土砂を取り去ったことで、原生的な自然植生はほとんど消滅し、
アシ、マコモ、イヌビエなどの群落がとって代り、湿原植生とその環境は消失した。
(山形の宝ポータルサイトより)



白竜湖の伝説-------------------------------------------------

置賜がかんばつ旱魃に見舞われて、あちこちで水争いが起こるようになった。
村人は毎晩のように雨乞いをしたが、雨は降りそうもない。
旅の僧がやってきて、惨上を見て気の毒におもい、
天に向かって経文を唱えること三日三晩、一天にわかに曇り、
ぽつりぽつり雨がおちてきて、やがてざわざわと風が起きたと思うと、
湖から白竜が巻物をくわえて天に登って行ったという。
そこから村人はこの湖を白竜湖というようになった。

 東正寺は烏帽子子山の東側にあって、白竜湖に面している。
その寺の若い坊さんは、びもく眉目 に秀でていたので、町の評判となった。
湖の向かい側の金沢へ法要に行った折に、金沢の娘はすっかりほ惚れ込んで、
何とか若い坊さんの嫁になりたいと願うようになったが、思いを遂げることができず、
湖に身を投じてしまったが、やがて白い竜となって天に昇ったという。

 屋代村(現高畠町)深沼に竹田作右衛門という人がおった。
家の前に種池があり、秋上げも終わって、餅をつ搗いたが、
その杵を洗おうと種池に浮かしていたところ、次の朝になって杵が見えなくなっている。
不思議に思って探すこと七日ほどして、杵が白竜湖に浮かんでいたという。
置賜の池の底はみな白竜湖に通じているのだという。

 またこんな話も伝わっている。昔、白竜湖のある場所はたんぼ田圃だったというが、
ある日、一夜にして田圃が陥没して湖になったと思ったら、竹の森村(現高畠町)
に大きな山が出来上がっていた。その山が竹の森山であるという。

 白竜湖を埋めて、少しでも田圃をひろげようと考えたのは宮内の町割を行った
代官安部右馬助であった。するとその晩、右馬助の夢枕に女が現れて、
「この湖を埋めてしまえば、あなたの命は必ずなくなる」と言ったか思うと、
姿を消した。右馬助は夢のこととして一笑に付し、次の朝には家来に命じて石を運び、
白竜湖を埋めさせたのだった。次の朝見ると、あれほど積んだ石は一夜して
沈んでしまった上に、その夜に右馬助が急死してしまったとも、
右馬助が白竜湖を見に行くと、湖の向こう岸に光りものが輝いているのを見て、
恐れをなして、埋めるのを取りやめさせたともいう。

(南陽市:夕鶴の里よりhttp://nansupo.ddo.jp/nanyo-cl/yuduru/legend.html


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他にも南陽市には鶴の恩返しの話などがあり、いろいろ伝説が埋まっているようです。
また機会があったら行ってみたい所でした。
次も、赤湯のお話。不思議な石を発見♪

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竹鶴政孝翁(ニッカウヰスキー)が感嘆した清流の森

2015-09-28 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼6 (自然編)
昨日の満月は大きかったねぇ。
中秋の名月には、やっぱり森歩き?
最近、運動不足。よく登山をしていた頃に比べるとかなり体力が落ちてしまった…。

という事で、奥新川ラインを歩くことに。

途中、ここの茂庭台の交差点で、バージョンアップされた案山子をお目にかかる・・・
相変わらずピラミッドな太白山が見えるのですが、この時期になると交通安全の目的で、面白い案山子が道沿いに並ぶ。
これもある意味、秋の風物詩・・・。
毎年、派手になってる。逆に気になってチラ見してしまうから、運転中は要注意(私だけか…)



ニッカウヰスキー工場へは、何度か行ったことがあります。
最初、「NIKKA(ニッカ)」は新川川(にっかわがわ)から名前がきていると思っていた。
ら、全然関係なく、全くの偶然だった。





ウイスキー工場の見学は何度かあっても、美味しいウイスキーを生み出している
新川の清流には一度も足を踏み入れたことはなく。
やっぱ森は安らぐ~。生き返る~。







仙台から車で1時間くらいで行ける場所なので、行ってみました。
本当は「奥新川」駅で降りて歩くのがベストなんだが、秘境駅といわれる駅で、
まず電車が止まるのかどうかすらわからない。
たぶん、停車しているんだろうけど、車の方が何かと楽なので…。



ただ、奥新川駅まで向かう作並温泉街の手前で右折して林道を走るのですが、
15分くらいですが、デコボコ道を走り、大きな水溜まりがあるような所なので、
悪い道を通ります。そこさえ我慢すれば快適です。
普通車でも問題ありませんが、大雨の後は止めた方がいいかも。


(長命水)



キャンプ場なども有、まあまあ広い駐車場もあります。
そこに、「長命水」という美味しいお水があります。
ウイスキーを水割りするなら、こんな水で飲んでみたい。

すでに河原で芋煮をしている団体を発見。
まだ、紅葉の季節には早いですが、これからの季節、芋煮をするならここは穴場だな~。



<説明>仙山線の奥新川駅から面白山方面にのびる深い渓谷を「奥新川ライン」といいます。
奥新川ラインは約6km。2時間30分の「渓谷コース」と約3時間の「山コース」という
2つの自然道がありますが、吊り橋やロープづたいの道もあり、
変化に富んだコースとなっています。
夏場でも気温が低いので、あらかじめ防寒具の用意が必要です。(せんだい旅日和から)







ということですが、奥新川~八森山までの道は通行止めになっていました。
途中の岩場までは行けます。
新川へのコースは通行できますが、2時間往復?は疲れるので、途中まで行って引き返し、
奥新川~八森の通行できる所まで、軽く散策してきました。



ちょうどよい岩場の隙間があり、冷たい風がひんやり通る。
もしかしたら、昔に、ここへ来た人が寝泊まりしたような場所なんじゃないか?
と想像してしまう岩場もありました。
大きな岩のある場所は、看板がでています。なんとかサークルといったかな?
吊り橋を渡り20分くらいで到着しますので、軽く神秘な森を体験できます。



新川川(にっかわがわ)について-----------------------------

<説明>新川川(にっかわがわ)は、宮城県仙台市青葉区を流れる名取川水系広瀬川支流の
一級河川である。もとは「川」を重複させない新川(にっかわ)で、
今もしばしばそう呼ばれる。一級河川としての管理区間は4.69キロメートルだが、
上流部まであわせた長さは10数キロメートルある。





広瀬川との合流点近くの仙台市青葉区ニッカ1番地に、ニッカウヰスキーの宮城峡蒸留所
(仙台工場)がある。ウイスキー製造に使う水を新川川より採取している。
ニッカと新川の音が似ている偶然に、創業者で当時の社長の竹鶴政孝が驚いたという逸話がある。(Wikipedia)

そうそう、ここが新川の清流地なんだ。
確かに水の透明感は素晴らしい。


(森の中に大きな岩。奥新川コースは幻想的な森)

ニッカウヰスキー(宮城峡蒸溜所)のサイトより-----------------------------------

「ニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝翁(故人)が昭和42年5月にこの地を訪れ、
新川(にっかわ)の清流を汲み飲んで、あまりにも清冽で磨かれた味に驚嘆し、
北海道余市に続いてニッカが求めた第二のウイスキーの故郷、
仙台工場の建設を決定した記念の地です。」

それまで宮城、岩手の川という川に沿って適地を探したが、
ここぞという土地には巡り会えなかった。
広瀬川と新川の合流点までたどり着き、祈るような気持ちで奥へ進んでいくと、視界が開けた。
熊笹が茂り、湿気を帯びた荒地にポツリポツリと、サワシバや山栗が生えている。
見渡すとあたりは夕闇に包まれ始めていた。

翌日、もう一度この地を訪れ、川原に下りて川の水を飲んでみた。
「ここだ!」という確信が湧き上がるのを感じた。そして同年の5月12日、
政孝をこの地に連れてきた。
政孝は川原へ行き「おい、ウイスキーを持って来い」と言った。
グラスにウイスキーを入れ、川の水を汲んで作った水割りを飲んだ彼は言った。
「実に素晴らしい水だ。ここに決めよう!」






サイトには写真がのっていますので、興味ある人は工場見学してみて下さい。
県外の友人や知人が来た時は、ここへ案内することが多いんです。
その度に試飲しまくってる…(作並駅からバスがでています)

★NIKKAウィルキー仙台工場
http://www.nikka.com/distilleries/miyagikyo/equipment/spot1.html







なんか、ウイスキーって魔法の水とはいいますが、
あまり私はお酒は飲めませんが、ウイスキーは薬のような感覚で気持ちよく飲めるお酒だ、と思うのです。




ここの森は巨岩が主役な森みたい。
どこか舞台になっているような岩と、幻想的な森が交差しながら勢いよく流れて川の音がそれを盛り上げている。
気持ちいいというより、修験者のいない森は、大自然を満喫できるからいい。笑。
こういう所に祠なんぞいらないと思うほどのスケールの大きさ。
なかなか、仙台の近くでこれほどまでのは見たことがなかった。
今度はウイスキーを持って(ほどほどに)散策してみたい。


(底まで見えるほどの透明感)
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七つ森玉ケ池の伝説

2015-04-01 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼5 (自然編)

昔、七ツ森には玉のようなきれいな池があった。
玉ヶ池といい、その近くに一軒の長者屋敷があり笛を吹くのが好きな息子がいた。

ある月のきれいな晩、長者の息子は玉ヶ池淵近くで笛を吹いていた。
すると、いつの間にか、目の前に若いめんこい娘がおった。
それからというもの二人は、毎晩、玉ヶ池にやってきては息子は笛を吹き、
女は聞いているうちに、仲むつまじくなり一緒に暮らすことになった。

ある時、女のお腹が大きくなり、赤ん坊が生まれることになった。
すると女は、
「なじょなことあっても、ふすまだけはあけねえでけろ」という。
そしてふすまを閉めてしばらくたつと、家がカタカタ動きだして、そのうち地震のように揺れだした。
これには男もびっくりして、女を心配し約束を忘れてふすまを開けてしまった。
すると目の前には大きな蛇がのたうちまわっていた。



やがて女は赤ん坊を抱いて男の前にあらわれ、
涙ながらに「あれほどあけねえでけろってたんだのに。みられたからには一緒にくらすことができねえ」
と、赤ん坊を抱いて自分の左目を取りだして、「赤ん坊が泣きだしたらこれなめさせてけろ」
といって、七ツ森のほうさ消えていった。

赤ん坊は石巻の親戚に預けられ、赤ん坊も立派な若者に成長した。
そして海へでて漁をするようになった。

ある日のこと、いつものように漁に出ると、小さな舟をこいで沖の方へ行った。
仕事に夢中でいつの間にか空模様が変わり、海が荒れてきたので、
若者は急いで帰り支度を始めた。
すると、陸に向かっていても壁のような波がおしよせてきて、思わず若者は
「おっかーーー」っと叫んだと。

今まであった事のない母の名前を叫ぶと、
海から大蛇がやってきて若者が乗っている舟を陸まで引っ張っていった。
若者は、大蛇が母だろうと。
もう一度会いたいと思い、七ツ森へ行った。
どこを探しても大蛇らしきものは見つからず。
西のほうから下りへ四十八滝の川へ行ってみた。
すると川沿いに年を取った大蛇がいて顔をみると左目がなかった。
間違いないと思い「おっかあ」とよぶと、
大蛇は右目を開け、若者をみると右目を閉じて二度と開くことがなかったと。
そして大蛇の体はだんだん硬くなり、蛇石になったという。


※この昔話は、「民話万象」というメルマガサイトからで、
実際は、録音で民話語りに書き起こしているものです。
セリフはそのまま仙台弁で使わせて頂きました。


(たんがら森:白い光は雨粒です)

さて、この蛇石は、ダムの底にあるという。
確かに観光マップに蛇石という表記があったのを思い出した。
ただ、その伝説の意味がわからなかったので、その伝説に出会えてよかった♪
9世紀頃の貞観地震の話しのようでもあります。
---------------------------------------------------------
先週、傾城森の帰りに白鳥神社(村田)に立ち寄りました。
白鳥と、鷹については七ツ森探訪で前々から気になっていた。
じゃ、鷹の大高山神社に行ってみようと思っていたのだが、
不思議なんだけど、その前に、七ツ森を先に行っておくのがいいという感じに。


七ツ森は、高倉山、大倉山名があり、七ツ森全ての山には「クラ」をつける。

でも七ツ森のどこに行ったらいいか?よくわからず。
まだ登っていない「たがら森」を登山しようか~と、考えていたが、あいにくの雨。
せっかくの平日休みなのにな~。
でも、こういう雨の日こそ、水に会うのがよいのかと。
ということで、このへんの散策を検索してみると、玉ヶ池に悪玉姫伝承がある
ことを知り、むしょうに行きたくなり、雨の中行ってみました。

大蛇を産む伝説は、豊玉姫ですが、
この玉ヶ池には他にも豊玉姫ではなく、悪玉姫として伝わっています。

玉ヶ池は、七ツ森の山のひとつ鎌倉山から湧き出る清水が流入している池。
干ばつの時でも水が絶えることがなかったと言われ、付近の水田を潤す
恵みの水「神水」として信仰の対象になっていたと考えられています。
池のほとりには、鎌倉時代1289年、1290年の板碑があり、
これらは池の北側に屋敷があったという地頭によって建てられたとものと
考えられています。



伝説では、奈良・平安時代の坂上田村麻呂は、七ツ森で狩りをした時に、
玉ヶ池に立ち寄り、ここの南方の悪田地区に住んでいた悪玉姫という
女性を見初めて妻にしたと言います。
悪玉姫は、毎日玉ヶ池の清水を飲み、その水で顔を洗ったため、
大変美しい女性であったとも言います。
板碑の近くには、田村麻呂が腰掛けたと伝える御腰掛石があります。
また、池に生える菖蒲は、根が必ず石をつかむために石菖蒲とよばれ、
かつては薬に利用する人もいました。




悪玉姫については、岩切の伊豆佐比売神社に伝承があり、そーとーな妄想をしておりまして(笑)
思いだせないくらい、すっかり忘れていますが・・・。
ただ、悪玉姫は、エミシの悪路王と同じ意味をもっている気はします。

悪田という地名は、大和町にあります。
七ツ森には、古来から岩を祀る石精山神社もあり、すぐその裏手にあたるのが、
七ツ森で、玉ヶ池なのです。

他にも伊達正宗公の話でもあったりする。

郷土の傳承:宮城縣教育會より

或年、伊達政宗公が七つ森を巻狩した。
田村麻呂の時とは打つて變つて獲物はからきしなかつた。
政宗公ご機嫌益々なゝめ 追ひつめて七つ森の主峯大森山の頂上に出た。
すると前方に、によつきり立つてゐる眞黒な佛像が目についた。
その、薬師如來であることは、かたはらの片倉小十郎の説明によつて知つた。

咄、結局、今日の不獵はこの如來の邪魔立てによると、早く も鐵砲の用意をする。
片倉小十郎とめたがきかない。
南蠻渡來の種か島六匁玉にねらひを定めて打ち放したのが誤たず、
腹部 に命中して、佛像は眞二つになつた。
と、不思議や、政宗公の鼻からは血がどくどくとふき出て、止めても止まらない。

片倉 小十郎困り果てゝそこの笹の葉を噛んでつけたら、たちどころに出血はとまつた。
さすがの政宗公、この妙効利益に驚いておのづと頭がさがつた。
(薬師如來に弓を射たら、その矢がはねかへつて來て、眼に突きさゝり、
その爲に片目がつぶれたとも言 つてゐる。)政宗公、一時の激憤をいんぎんに詫びて、
その印に山を一周する道を麓に作つた。
それで今この山で踏迷つても麓 にさい出ればまちがいはない。

大森の頂上にある笹倉神社の御神体は、その時のもので、鍋鐵でつくられてゐる。
繃帯をしてゐなさるのは、打たれて眞二 つになつたためである。



悪玉姫や悪路王など、「悪(あく)」という名前を記しているのを考えると、
これは、イワナガ姫のことではないかな~と思うのです。
なぜなら、悪玉姫伝承と同じように、醜いからです。
清水で顔を洗うとイボがとれてきれいになったという話は各地にあり、
まるで、マグダラのマリア様を思います。
マリア様の洗礼でもあるよね。

イワナガヒメは、大山津見神の娘ですが、姉のイワナガヒメと妹のコノハナサクヤヒメがいました。
ニニギの天孫降臨の時に、姉は醜いので断り、妹は色白の美人であったので、妻とします。
すると姉を断った為に、人間は寿命が短くなってしまったという話。

悪=イワナガ姫。善=コノハナサクヤヒメを対比している伝説ですが、
ニニギはイワナガヒメを断りましたが、妻として迎えたのは、二ギハヤヒだと思います。
根拠はなく。笑

また、イワナガ姫は、イワ(神)ナーガ(蛇)のことで、ヘブライ語でも通じます。
妄想するに、イワナガヒメは鷹や鷲などの砂漠の民系、乾燥した地区。
それに対し、コノハナサクヤヒメは、水鳥の白鳥を象徴とするものでしょう。
乾燥した火に対し、水のある植物。
地質学と植物学の違い。
鉱石を薬など医療の他、生活にも用いてきた民族と、
西洋の植物を医療に用いてきた民族同士の融合。
その融合が蔵王の麓にあったという話。

寿命が短くなったのも、病気をするようになったからでしょう。
それ以前は、病気はなかったと思う。
岩などの鉱石をどのように使用したか?錬金術のようなことがあったかわかりませんが。
神話では、イワナガヒメを返したニニギに対し、
父の大山津見神は、「コノハナサクヤヒメだけを選んだら花のように短い命になるでしょう」という。


(もうカタクリが咲き始めてました!)

二ギハヤヒは磐舟にのる。
磐=イワなのだから。二ギハヤヒとイワナガヒメも同じであることがわかる。

それは、後で、白鳥と鷹について探訪していきたいと思っているので、
たぶん、このような伝承から、白鳥神社や大高山神社がなぜあるのか?に
繋がっていくのだと思います。
それを知る前に、七ツ森へGO!ということでした。
おそらく、七ツ森の方がずっと古く大きなムラがあったからだと思うのです。
何か政治的な意味があって東国征伐の対象となり、七ツ森の首長は、南へ向かったわけです。
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板碑の側に、文殊菩薩様の碑がありました。
七ツ森は、薬師様をお祀りしていますが、たがら森(たんがら森)だけ、文殊菩薩様を祀っています。



えみし征伐の頃、851年頃から(アテルイ処刑後)薬師堂が置かれるようになる。
「えみしの野心を粛し、役人や百姓たちの心を鎮めるため」、陸奥国分寺に五大菩薩像が
造立されるようになる。
薬師様を祀る七ツ森も、鎮護国家を目指して陸奥へ開拓してきた朝廷の意図があった。

文殊菩薩は、古代インドでは、ブラフマーという宇宙の根源を現す神である。
あまり仏教などの宗教については、よくわかりませんが、
七つ森が、岩を祀る所だと考えた渡来人が、文殊菩薩をもってきたことだってあり得ます。
薬師如来像も、密教に関係していたり曼荼羅の浄瑠璃の世界があり、
同じように文殊菩薩にも宇宙の根源を示すことを考えると、
互いに信仰している宗派でその土地に産土を祀るのだろうけど、
元をたどれば、同じ一つの星から来ていたりするのだから。

「イグサ嫌う神」で、ヘブライ語Yi音は、
Y音は、葦が群がることを伝える。
イキ・イン・イロなど、Y音。
ユキ・スキ神社もヘブライ語の意味があったり。
振動する音や言葉の意味の方が強いらしい。
波動などを神とする。
岩の波動=イワナガヒメ。
水の波動=コノハナサクヤヒメ。

悪玉姫が伊豆の神社に祀られているのは、伊豆=出雲でもあるだろうし、
それを執拗に、坂上田村麻呂などが征伐する話にして、ここには悪い人(気)がいたから
良い人(気)に変えたのだ。と言っている。

岩と水が蛇(龍)であった、そのようなヒメを、タマヨリヒメやイワナガヒメとよんだと
思います。
また天変地異(地震など)は、地下から起こるものだと地理的に考えるより、
この頃は、呪詛により起こるもの、つまりは人間の罪や怨みであったり、
念で天変地異を引き起こしていると考えられていた。
その怨霊を抑えるには、坂上田村麻呂のような人が必要だった。

また、アカは、仏教用語では、閼伽で仏の供え水。
卑弥呼名は「アカ」といわれていたという?
それが倭人の言葉で使われると、水として解釈された。
ワッカという言葉。
また、敗北した権力者に対する差別用語でもある。

広島県の安芸(アゲイ)は、元は、アケイであり、「アカ」ともよばれた。
薩摩語の赤いという意味だそう。

悪アクは、アカにも通じていると思う。
広島の古代史でも、藤原家に政権を奪われた話がある。
国造本紀(先代旧事本紀)によると成務天皇(13代)の時代、
天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)の5世孫である飽速玉命
(あきはやたまのみこと、飽速玉男命)を国造に定めたことに始まるとされる。

古事記には阿岐国とよび、厳島神社の佐伯鞍職が初代神主となって以来、
一時藤原家に神主職を奪われたが、佐伯氏が代々世襲で厳島神主を務めているという。



イワ・ナーガとは、岩(石精山神社)を祀り、水(玉ヶ池)を崇める。
七ツ森は豊に茂る恵みのムラだったのです。

最後に浮かんできたのが富士山。
元は、二ギハヤヒとイワナガヒメが富士山の夫婦神で、シヴァ神のような。
コノハナサクヤヒメは、富士山にはあまり関係ないのだと思う。
後の天孫降臨の神話で、ニニギを男神とし、妻をコノハナサクヤヒメにしたのだと思う。
そのヒントが、玉ヶ池の伝説にあり、イワナガヒメであったという事。
「13人のグランドマザー」という話がありますが、そいういことだと思う。

フチ(富士)のアイヌ(人間)

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※七ツ森湖の南川ダムを過ぎてそのまま道なりに進むと、小さいですが看板があるので右折。
数台駐車できるスペースがあります。
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亀石守る光の滝

2015-03-08 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼4 (自然編)

泉区朴沢にある光明の滝(こうみょうのたき)。
七北田川の支流で、長谷倉川上流にあります。
写真では何度かみたことがあったのですが、実際行ってみたら結構大きな滝で、爆音響き迫力満点!
新緑の頃が一番気持ち良さそうですが、ここまでの道どりの小川がとても美しい。



水田に引かれる用水路や苔が緑色の絨毯のように見える透明感ある溜池。
すぐ近くに三角山。
里の豊かな風景に水は欠かせない。


(上空から長谷倉川付近:左上の長方形のものは溜池)
※Google Earth

この日は穏やかな晴れの日でしたが、ずっとパラパラ小雨が降っていました。
まるで狐の嫁入りのような。

水神を巡礼するのに、雨は有難い。


こんなにきれいな泉があるのだな~と思うと、泉区の地名由来はここなんじゃない?
と思ってしまう。


美しい小川に思わず手を触れたくなる。
やわらかい。


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ここから泉ヶ岳へ巡礼していた道があるようです。
このあたりは七ツ森にも近い。
高や倉という地名や山名が多く、伊達正宗はこの辺りで鷹狩りをしによく来ていたそうです。
近くに鷲倉神社もあり、伊達正宗が再建したという。
「クラ」は神が座す意味。ここは水神が座すところとして長谷倉川としたと思います。
長谷が川崎町の新羅の郷に関係しているかわかりませんが、伊達家にまつわる話もありそうです。



光明の滝へ行く途中に、もみの木とたくさんの石碑があり、
面白い「亀の子石」というのがあります。
不思議な形の亀のような石。



その昔、この石で地蔵を作ろうと石屋が頼みました。
彫っても彫っても翌日になると元の形に戻ってしまうことから、
とうとう地蔵を作ることを断念したと伝えられています。
また、この石の下の土を持ち帰り、妊婦の布団の下に入れておくと、
お産が軽く済むという話もあります。




このあたりは、道標として置かれたようで、おそらく宮床のある場所まで向かったと思われます。
宮床は、元は難波と称し、信楽寺を開山し永住されたという。
その宮様とは、淳和天皇と伝わる。


難波は、古代河内国にあたる。難波では天皇の御即位の儀礼が行われたところで、
平安時代になっても難波で迎えていたという。
その七ツ森にその難波の地名がある。
この場所も、その道へ行く分岐点であり多くの里山に「倉」とつけたのは、
大和と陸奥を結びつける道であったと思います。

(これは大きな溜池そばの用水路です)

朴沢小屋沢の入り口に清水が(亀の子石から右へ進む)あり、
「阿久玉姫の化粧水」とよばれている。
悪玉姫伝説は、岩切りの伊豆佐比売神社の伝承でありましたが、
坂上田村麻呂が関係している話。



ここにもその話はありますが、美味しい水であったとか水の豊かさを繁栄する意味で、
ワッカ(清水)とよんだと思います。

(道標)

それにしても、ぽっこりしたピラミッド形の小山が気になる。
「小屋森山」といい安山岩の山。
というと、太白山と同じ性質の山。
安山岩はピラミッド形が多いのかな~?
昔は、安山岩は加工しやすい為、採掘されていたそうです。


(左の山が小屋森山)

そろそろ春の息吹が芽生える里山散策の季節。
まだ泉ケ岳は雪がありますが、森の泉を散策するには今がちょうどよいかもしれません。


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阿武隈川を守る河童神(亘理町)

2014-01-16 | 水神巡礼(東北編)

Afu13東北水神巡礼3 (神社編)

宮城県では、秋にはらこめしを食べる。
鮭とプツプツしたはらこが美味しい。膜をとるのが大変なのでイクラの時もあるが、毎年食べる。そのはらこめしは、亘理町が発祥と聞いた。

でも今回は真冬のはらこめしは食べず、鳥の海ふれあいセンターで、代わりに海の幸を頂いた。
荒汁をタダで頂き美味しかった!
まだ復興中の亘理町。
海側はコンクリートで塞がれ、海が見えない。

私が海で育ったなら、こんな形で海との間に境界線を引かれたら鬱になる…
コンクリートの壁は意外にもショックだ。
「自然と無縁の生活をして下さい」と、私はそう受け取ってしまう。
昔は松が防波堤になっていた。311はその松すら耐えることができなかった。
でもまだ山を崩すよりはいいか…そんな環境問題の比較をするものじゃないが…。

Afu11

今起こっている現実は、受け止めることができない程の重さがある。
だから覆い隠してしまう気持ちもわかる。

被災地の車道の真ん中に平気で車を停めて写真を撮っている観光人がいた。そういう人間がいる現実も耐えがたい。ただ「宮城」ナンバーだったけど・・・。

そんな中でも一筋の光を見つける楽しみもある。「山里や村を行脚する」という贅沢な幸せ。
でもまだ肉体の中に生き続ける者もいる。
そういう人はこれから脱皮が大変だ・・・。

さて~、

亘理町は、国指定の三十三間堂官衛遺跡があり、礎石のみ残されている。
場所は見晴らしのよい丘のような所。古くから大和朝廷の保護下に置かれていた良い場所にある。

Afu14_2 Afu10

他にも亘理町には巨樹もある。
秩父の今宮神社は楠だが、それに匹敵するほど巨大。
横瀬町札所8番のコミネモミジも巨樹だが、ここの称明寺はスダジイとシイノキが大きい。

おまけに石の五重塔もあり、なぜにインド?象はガネーシャ?
面白いお寺でした。

Afu09(称明寺のシイノキ)

まだまだ亘理町には観光スポットはある。

雄大な阿武隈川を流れる岩に「田沢磨崖仏(まがいぶつ)」がある。古墳時代末期の横穴墓群があり、横穴墓の幾つかを利用してこの磨崖仏が刻まれている。

この磨崖仏は鎌倉時代~室町時代の頃、四体の地蔵尊と三枚の板碑が刻まれている。この場所は稲葉の渡しといわれた所で、阿武隈川を渡る重要な地点であった。

Afu01 Afu15

▲安福河泊神社(あふくかはく)------------------------▼

ここでは古くから麻を奉納していたようだ。
縄文人の生活が伺える場所にあるし、阿(安)に麻という漢字を当てているのも、エミシが祀っていた水神だと思う。水の上にある山と言われているのだから、祓いの女神を置いたのも理解できる。

阿部氏に関係するとなれば、アラハバキ神社の中の一つだろう。

阿武隈川は、アイヌ語のワッカ(水)からきている。元は、アプとよんでいたのだから、川の神としてそこに河童=中国から渡来してきた海人族が生活基盤を建てて暮らしていた。大和朝廷はそこを占拠しないことには、東北地方を支配下に置けないから、藤原氏が派遣されて鹿島神社をたてた。物部氏はフツヌシと祓戸神をおき、アラハバキを祀ったのが現在の安福河泊神社だろう。

物部氏の先住民に対する尊敬は、福島県や宮城県に多く残されている気がする。アテルイという人は主に栗駒山がある付近、栗原や岩手県北上を中心に活躍していた。震災に関わらず、数年前から何度も何度も大きな地震を起こし、震源地がほとんど栗原郡に集中するのはなぜだろう、と思うことがある。

「東北の底力」とは、地下に眠っている巨大な龍のごとく地球のエネルギーがまだ放出されていないのだから、その力を東北地方の人たちが担っていることと、それを受け入れている所がすごいといつも思う。それを潜在的に何となくわかっていても、普通に暮らしている人たちばかりだから、神秘的ものが伝わってくる。

その精神文化を育んできた人が、物部氏でアラハバキだったのかもしれない。だとすれば、すごいことを東北に残してくれたと思う。まだ東北にはそれが残っているのだから貴重だ。

ただ、その事を忘れてきている人も増えているのだから、大いにエミシについて語ってほしいものだ。

Afu03
看板の説明では、阿武隈川の川の神(河伯)を祭神として祀る延喜式神名帳(10世紀)にものっている由緒ある神社とある。
古来阿武隈川下流の治水用水、朝廷の北辺の守りとして重要な場所だった。
そのため、この地に神社が祀られたと思われる。社名は、862年には阿福麻神社、1769年に阿武隈明神社とよばれていた。
元は、逢隈田沢字宮原の阿武隈川近くに鎮座していたのを現在地の水上山の丘の上に遷された。

河伯とは人の姿をしており、白い亀、あるいは竜、あるいは竜が曳く車に乗っているとされる。
あるいは、白い竜の姿である、もしくはその姿に変身するとも、人頭魚体ともいわれる。

元は冰夷または憑夷(ひょうい)という人間の男であり、冰夷が黄河で溺死したとき、天帝から河伯に命じられたという。
道教では、冰夷が河辺で仙薬を飲んで仙人となったのが河伯だという。

若い女性を生贄として求め、生贄が絶えると黄河に洪水を起こす。

黄河の支流である洛水の女神である洛嬪(らくひん)を妻とする。
洛嬪に恋した后?(こうげい)により左目を射抜かれた。

日本では、河伯を河童(かっぱ)の異名としたり、河伯を「かっぱ」と訓ずることがある。
また一説に、河伯が日本に伝わり河童になったともされ、「かはく」が「かっぱ」の語源ともいう。
これは、古代に雨乞い儀礼の一環として、道教呪術儀礼が大和朝廷に伝来し、在地の川神信仰と習合したものと考えられ、日本の6世紀末~7世紀にかけての遺跡からも河伯に奉げられたとみられる牛の頭骨が出土している。
この為、研究者の中には、西日本の河童の起源を6世紀頃に求める者もいる。

『西遊記』の登場人物の沙悟浄は、日本では河童とされるが、中国では河伯とされる。
(by wikipedia)

Afu04_2

▲河童と巫女----------------------------------▼

中国の伝説にあるように、河童は若い女性に取り憑くことがあるようだ。

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「かっぱのわび証文」

昔、最上川のほとりに庄屋の家があり、一人のきれいな娘さんがいた。
一人娘だったので、庄屋さんは目に入れてもいたくないほど可愛がっていたのですが、最近は何となく元気がなくなり、顔色も青ざめてきたのです。
医者にみせても病気ではないというし、娘にどこか具合が悪いかきいても首を横にふるだけです。
こまった庄屋さんは、町の巫女に娘の事をみてもらいました。
すると巫女は、
「これは河童に見込まれて術をかけられているのでしょう。えらい坊様なら、道切りの呪文で
河童を捕まえるでしょう。
と、いうので、庄屋さんは村に飛んで帰り古いお寺のえらい和尚さんに道切りの呪文を頼みました。
和尚さんは、
「河童が人間の女に心を寄せるなど、とんでもない事だ、こらしめてやりましょう。」
と、さっそく河童のいる川で道切りの呪文をとなえ始めると、川の水がみるみるへりはじめたのです。

そして和尚さんは、大声で叫びました。
「庄屋の娘の術を解き、二度と人間に悪さをしてはならぬ。明日の朝までに約束する証文をもってこない時は、川の水を枯らしてしまうぞ」
すると川の底から、苦しそうな声が聞こえてきました。
「悪かった。明日の朝まで待ってくれ」
その日から河童にかけられた娘の術がとけて、元気な美しい娘に戻りました。

次の日、和尚さんが山門に出てみると、一巻の河童のわび証文が置いてあったそうです。
今も高畠糠野目のある寺には、この河童のわび証文が残されているといいます。

(山形県の民話)

Afu05_2 (カッパに見えた龍の彫刻)

河童と雨乞いをする巫女、若い女性が犠牲になった人柱。(生贄)
高畠はマタギ伝説がある所。
河童はマタギと共通する部分があると思う。
糠という地名も、長者の名前に使うこともある。

住吉大社は海を航海する人たちが崇めていた星の信仰心が根強い。
砂漠の民も同じように方角を知る術は星の位置で確認していた。
嵐が来る時の天気予測も行っていたが、その荒波を鎮める役目をしていたのが巫女の元来の姿だと思う。

安福河泊神社のご祭神は、速秋津姫(ハヤアキツヒメ)(住吉大社)、経津主神(フツヌシ)、猿田彦神。

河口の神 の速秋津姫(住吉大社)は、祓神でもある。
残念ながら、放射能汚染で阿武隈川河口付近は濃度が高いことがわかった。

 速秋津姫は、イザナギノ尊のミソギで生まれた神が「伊豆能荒神【イズノメノカミ】」で、罪穢れを清める神とされます。この神がハヤアキツヒメノ尊です。
  『大祓詞』には「荒潮の潮の八百道の八潮道の八百会に坐す速開都比売(速秋津姫)と云う神持ちかか呑みてむ」とあり、 海の神であるハヤアキツヒメノ尊が、大海に流れ出た罪穣れを勢いよく呑み込んでしまいます。
 江戸中期の国学の四大人といわれた本居宣長【もとおりのりなが】は、『古事記伝』の中でこの神は「水戸(河と海の境)の神」でありながら「潮の八百会(あの世とこの世の境)に坐す」神であり「河よりでる所と、彼方へでる所の差こそあれ、共に同じく「水戸」なる古伝の趣の妙なる事かくの如し。よくよく味わふべし」と著してこの神のご神徳の広大さを説いています。

水戸は港のこと。
茨城から福島へ北上し阿武隈川河口で治水技術を行っていたと思う。

また、その先西側に鹿島緒名太神社があり、阿武隈川を挟んで南に千貫神社がある。
阿武隈川は、度々過去の歴史から津波の被害を受けていた。
古代も津波の影響はあっただろう。

もしかしたら、古代の人は未来(現代)を予測して原発などの環境汚染を考えて至る川に祓い神を置いたのかもしれない。
その中心となっていた巫女でもある女性酋長は、今の現代の女性たちの力を必要としている
のかもしれない。
もしくは、古代にも同じような事が起こっていたのかもしれないが・・・。

Afu12

毎日、被災地は働いている。

東北地方を行脚すると、人生の過去の清算をする旅に変わる。
それは私自身の問題ではなく、地球人の問題であるということ。

<安福河泊神社>への道

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