秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

岩沼の朝日山公園と鴨氏の葱と韮

2019-02-20 | 日記・エッセイ・コラム
変なタイトルですけど。笑
瀧之入不動尊の後、岩沼の朝日山公園に行ってみました。

野鳥が多く、ヤマガラ、キセキレイ、マガモ、
オオタカ、オシドリなどなど野鳥観察ができる池だそうです。





鴨や白鳥がいたので、せっかくなので鴨の妄想で。笑
どんな鴨繋がりなんだろう?と思うけれど、
結果、「生命の樹」に繋がるのだから、インスピレーションが半端ないのです。



ちなみに、朝日山公園は新しい公園で、
特に、古い歴史はないのでスル―します。
ここは鴨で。

鴨というと、鴨肉が…。(おいおい)
食べることしかない。冬は特に。





なのに、この子たちは餌がほしくてやってくる。
えぇ~、かわいいけど、餌なんて持っていないのよ~。





どうやら、ここは家族ずれが遊びにくるので、
スナック菓子などをあげてしまうらしい。(そんな家族を発見)
それで人が来ると餌がもらえるとあって人なつっこい。
ここで鳥に餌やりができるのかどうか、わかりませんけど。





餌がもらえないとわかると、ボスは鴨たちを連れて去っていきました。





変なもの食べないように気をつけてほしい。
と、鴨に言っても通じない。



人間も、ここは野鳥の生息地ということをお忘れなく。
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ところで、「鴨葱」という言葉がありますね。

『鴨ねぎとは「鴨が葱を背負って来る」
という慣用句で、鴨が鍋の具材である葱(ネギ)を背負って向かって来れば、
それを捕まえるだけで鴨鍋をすることが出来る。

ここから鴨ねぎは利用しようとするものが、
さらに良い状況や好都合な事物を呼び込むことを例えたもの、
つまり事態が自分に都合のよい、ますます望ましい状況になることをいう。』

(※日本語俗語辞典より)

という事ですが、実は、これは「鴨氏の禰宜」という意味なんだそうです。
じゃ、なぜ鴨鍋にされたか・・・。


変な妄想をしてるやつがいる・・・と噂している鴨たち。笑

おそらく、鴨氏は薬草の知識があり、今でいうアロマのように
植物を煎じて薬草を作っていた姿が、鍋に繋がったと思います。
あるいは、お産の湯。

「匂い」や「香り」とつく巫女や神話・神名があるように、
刺激の強いもの、匂いが強い植物などは邪気あると言われます。
ニンニク等もそうですね。
そういう匂いをぷんぷんさせて、森で焚いていた場所を、
香島と言われていたように。
香島→鹿島。

知らない人が、シャーマンが煙をたいて何かをしている姿をみて、
人を食っている鬼と想像した人たちがいたことはあったでしょう。

鴨氏は禰宜としてやってきたのですが、別にそれで日本の宗教を征服しよう
などといった事は考えていなかったわけで。
散々、大陸で戦ってきた姿や行いを知り、これからも争いは続くのだから、
宗教こそが、人々が望むことだと考えていたのだと思いますし、
日本の植生の豊かさを知って、錬金術を目指したと思います。



鴨氏は、今でいえば、セラピストみたいな感じがします。
藤原氏は頭が良かったので、頭脳派な感じ。

ここから妄想入りますけど、もっと深く読み取れば、
食べ物の葱は、古語を「岐(キ)」とよびました。
キは、イザナキの「キ」と同じ音だと思います。

はるか昔の岩に書かれた「ペトログリフ」の文字にも「キ」が刻まれており、
男神の意味との説があります。
また、一文字で書くので、ヒトモジという別名もあり、
二文字では、「ニラ(韮)」なのです。
ニラは、フタモジとも言う。

ここで、葱と韮が繋がった。
ひとつからの、ふたつ。
どちらもクセが強い~。

韮も匂いが強いので、古語では「臭韮」で、「カミラ」と呼んだそうです。
さて、ここから妄想が鴨を超えてしまった。笑

鴨氏もユダヤだと思うのですが、もう葱が飛んで韮がぐいぐい来る。
大河原に「韮神山」という里山があります。
あの山名がずっと気になっていました。

あの場所は、以前からいろいろな人が登場するほど、
「何かあった場所」なのです。

どんなことがあったか不明なのですが、あるサイトによれば、
あの一帯が一番、奥州合戦で征伐された場所(たくさんの人が斬られた場所)
だと言われます。

そのため、韮神山は観音像がずらっと参道に並んでいるし、
4号線の信号機のところにその入口があり、石碑や像がたくさんあるので、
国道を走るとわかると思います。ここは藤原実方伝承もあります。

韮神の地名由来は、詳細なところわかりませんが、
「韮」という漢字に隠された意味があると思うのです。

また「OK辞典」をリンクしてしまうのですが、
漢字サイトの中で、このサイトが一番面白いです。

「地上に群がり生えそろっている「にら」の象形」
をみて、あれにそっくりだと思った。。。



メノラー。
でた。
ユダヤ教のシンボル。



6本の枝が。(中央の枝を入れて7本)



※カバラの生命の樹

この元祖は、生命の樹。
韮の花も五芒聖でスターなんです。
あ、間違えた。
六芒星のベツレヘム。ハナニラの別名。



※季節の花300より

なので、韮神山は、そのメノラーを知っている人がいたと想像。
大高山神社が近いし、聖徳太子絡みだし。
白鳥信仰の中に、大高山の鷹ですから。

韮の「カミラ」の「カ」は、「香」です。
韮神山がある所が、東山道と山形の分岐なので、「岐」と考えると、
サエ神(塞神)だから、藤原実方の路になっているのだと思います。
道祖神と同じ意味合いです。

韮はユリ科。
奈良県三輪山の荒御魂を祀る狭井神社(さいじんじゃ)は、
花が飛散する3月に、疫病も四方に分散するので、
疫病鎮圧に祈願が行われ、その狭井とは、山由利(やまゆり)から由来します。
ユリは、サイとよばれ、疫病退散のために使われたユリの根の薬草という話。

これも産鉄族に繋がります。
そのため、この韮神山には、照井高直という方が亡くなった場所と伝わります。
なぜ、照井氏という名が岩手県(一関)にもあり、
アテルイのルーツをもつ名前と言われるようになったのでしょう?

奥州合戦の時。
「高直の死の直後、韮神山南の大河原町小山田六角で不思議なことが起こった。
里人たちが戦から身を隠していると、どこからともなく全身に矢が刺さった
馬が駆けてきて倒れた。その立派な馬具と、主がおらず傷ついた様子から里人は
高直が討死にしたことを悟った。
馬はしばらく立ち上がろうともがきながら地面を蹴り、
なんとか立ち上がってまた歩き出したものの、すぐに深田に足を取られてまた倒れ、
息を引き取った。」

(※もう一つの平泉史より(フォークロアwebアンソロジー)より)

「六角」の地名も、疫病退散に繋がります。
のの岳の「篦(のの)」の漢字は、箘(きん)が由来となっているのです。
箘は丸い(円い)意味があり、四角は、「京」と呼んだ。

のの岳の無夷山箟峯寺には、ここだけにしかない五芒星(五角形)の疱瘡除け守りなどがあり、
岩手県の黒石寺に伝わるものでは、六角形の小間木で六芒星なのです。
五=亀(ナガスネヒコ?)、六=鶴(ニギハヤヒ?)。

のの岳は、坂上田村麻呂が鬼魔目を退散させたとあり、(ハイヌベレ)
黒石寺は悪路王伝説もあり、薬師如来が祀られているので、疫病(伝染病)に
関わる話になっているのです。(蘇民将来)

また、蔵王町の白九龍古墳の墓と伝わる藤原国衡という秀衡の子がおり、
金ヶ瀬まで逃れ、「あつがし山の戦いで退去を余儀なく国衡は、
笹谷峠を越えて出羽へ向かおとしていた。
そこで、大高山神社付近の深田にはまり込んで討たれた。」


といった話があると、韮神山あたりに重要な人物がいたと思うのです。
その山名が韮というあのメノラーを想像させ、
源氏によって征伐されたという妄想です。

ですから、韮の葱といったら、そのまんまユダヤの神官。
でもユダヤと言ってもいろいろある。
鴨氏は、ユダヤというか「道教」の方なんだと思います。
ただ、道教は、刺激の強いニラやネギ、ニンニクなどは、タブーで食べないのです。
肉もそうです。

陰陽師の賀茂 忠行は、道教や密教、陰陽道などいろんな宗派を
ミックスして陰陽師を確立している人でした。
なので、本来の原型となる宗教・思想は、今はみなミックスされているので、
神道もユダヤも仏教も、タブーが違うくらいで、根本は変わらないと思います。



ということで、朝日山公園も「朝日」なだけに、
結局、そういうところに繋がるのだな、と思うのでした。



東北地方には、隠されている歴史がたくさん埋まっています。
この地で散った勇士の先祖が、どこの国の誰であっても、
なぜその伝承が生まれたのかを、深く知る必要はあると思います。
知るだけでも、意識は変わります。





最後に訪れたのは、愛宕神社。
次はどんなインスピレーションなのでしょうか・・・。

※マロさんのページをみてね~、楽しそうな里山ハイクだよ。
暖かくなったら登ってみます。古墳らしいから~。
https://maro407080.exblog.jp/17143667/

つづく
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バーチャルな夢と震災のVR体験

2019-02-17 | 日記・エッセイ・コラム
なぜ今バーチャルな体験なのか面白い夢をみたので、
忘れないうちにメモ程度に書いておきたい。

2,3日前にみた夢です。

「実家の秩父の家に来客があった。
知らない人だけど、帰り見送る時に庭に出て驚いた。
家の裏に巨大な岩がある。屋根を超えるほどの大きさで、
岩盤は台形の形。なんだありゃー!って叫ぶほどびっくりした。
スマホで写真を撮ろうとして、カバンからスマホを探していると、場面が変わる。

場所は、アメリカ。
なぜかスミソニアン博物館へ見学にいくことに。
博物館前に広場があり、建て物がある。
小さい洋館のような建て物だが、
裏に大きな岩があったので、ぐるっと回ってみると
その岩は建て物とくっついていた。
それをみて、実家の裏にあった岩を思い出し、
あの岩は家の建て物と繋がっていたのか!という事がわかった。

なぜか知らない若い女性が一人いて、その人と一緒に博物館へいくことに。
博物館らしき場所へ移動したが、アジアのような場所で、
地方の博物館みたく、とても立派には見えない。
入口にパイプイスに座っていた男性がいたので、
声をかけると、チケット売り場は隣の建て物だというので、
そこへ移動すると、よくお土産屋にいるようなおばちゃんが窓口に座っていた。
チケットを下さいと言うと、1枚くれる。

もう一人、若い女性と一緒だったので2枚くれ。と言うと、
「んあ?」と聞くので耳が遠いらしい。
手で「2」のピースサインをしてようやくわかってくれたおばちゃんは、
ニヤニヤしながらもう1枚チケットをくれた。
チケットは白い普通の小さい紙。

すると入口は隣だよ、というのですが、おばちゃんが指さした先は、
正方形の白い細い柱しかない。
ぽつんと立っている白い柱。よくある柱だけど。
その柱に入らないとスミソニアン博物館には入れないという。

一緒にいた女性がその柱の扉をあけるように入っていってしまった。
私は閉所恐怖症なので、それより細い柱に入れるかどうか。
嫌だな~と思っていると、「大丈夫よ、すぐだから。」
というので、試しに柱に近づくと(このへん覚えてない)体に違和感があった。

体が重いように感じた瞬間、急降下で下に落ちたような感覚が。
すると、広場に一緒にいた女性がいたので、
本当だ!本当にバーチャルの世界にいるんだ!と、感激した。
回りの人には私たちが見えてなくて、私たちにはその世界が見えている。
という完全なバーチャルの世界にいる感覚がとても面白かった。

すごい!面白い!
となり、ようやくスミソニアン博物館へ入ることができた。
展示内容は、はっきり覚えてないけど、動物の展示をみていた気がする。」


※スミソニアン博物館
By Ingfbruno (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

という夢でした。

眠っていても体に変化があった事は覚えてます。
しかし、なんであんな夢みたんだろう・・・と思う。
それにスミソニアン博物館って・・・知っているけど、
別に行きたいと思ったことはないし。

でもとても不思議で面白い体験だったので、
バーチャルの世界ってあんな感じなのかな、と思ってました。
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そして今日の出来事。
毎年この時期、仙台で私の両親と主人と食事会をします。
まだランチ後早いのでどこか行くとこないかな~、と考えていたら、
母がNHKが新しく錦町にできたので、見学してみたいと。
館内のスタジオ見学などは予約が必要なのですが、中に入ることはできるので、
私もまだ新しいNHKに行ったことがなかったので、皆で行ってみました。

入って大きな画面。
ハイビジョン(8K)でNHKの特番の放送を流しているみたいです。
2階には、震災関連の展示がされており(せまいけど)
テレビで3・11の映像がずっと流れているのですが、いろいろあの時を思い出す。
ちょうど見ていた映像が、阿武隈川が津波で氾濫し浸水している家々を、
空から映している映像でした。



その隣でVR体験ができるというので、なんだかわからないまま、
体験することに。

時間にして10分。(もうちょっと見たかった)
震災のVRと2018年3・11の各地の祈り。
防災意識をもってもらうために、NHKが映像を作成し、VR体験できるようにしたそうです。
これは大人も子供も印象に残るので良いと思います。
トラウマある人は辛いと思いますが。

私はこれが初めてのVR体験でした。
ヘッドにかけるのがちょっと重たいけれど、このVR体験をして、
ああーっあの夢!と、思い出したのでした。

実際のVRもなかなか面白く、360度全体をみることができるため、
現地に自分がいるかのように、見ている風景が目前にみえる体験は圧巻です。
被災地に行かなくても、当時の被災地の状況を体験できる方法として、
こんなVRの使い方があるんだな、と思いました。

そんな体験をしたVRですが、夢でみたバーチャル体験と、
NHKの震災VR体験が、シンクロしたという現象が不思議。
これって、だんだんと、こんな風に人間は別次元の世界を体感することを
何度も繰り返すことで、慣れていくのではないか、と思うのです。
そういう世界を簡単に見られるような人類に進化していくという事・・・。

夢は覚醒していない(意識してない)から、忘れる。
しかし、縄文人は覚醒したまま、宇宙へ自由に行き来できたと聞く。
現代人はその脳の退化で忘れているだけなのだろう。
覚醒した状態で自由に別次元へ行くことができれば、「今」の時間が、
過去も未来も同時期に体験できる。(忙しくなるけど…)

そういう時代がもうすぐ来ますよ、という体験なんだと思います。
普通にスマホを持つ時代が到来したように、
普通にバーチャルな別世界を造りだし、過去も未来も自由な世界を
行き来できる事が、自然なことになるかもしれない。

過去に出会ってみたい歴史上の人物とも会うことが可能かもしれない。
夢の世界は、脳がその世界をみせているけれど、体は完全に眠ってます。
(目の瞳孔だけ動いてます)
外からみたら、眠ったままなのですが、まるで死んでいるかのように。

でも、脳の世界では、別次元の世界でいろんな体験をしていろんな人に会っている。
前世の自分に会うこともでき、今の知識を未来の自分に教えることもできる。
未来の自分が今の自分とアクセスしていれば、危険から守ることもできるのです。
それは、本能が生きてくる証拠になると思います。

脳の世界がつくるパラレルワールドの世界は、
実際、VRという技術が発達すれば、それに近いことが可能になるかもしれません。

その世界を繋げているのが「巨大な岩」と「白い柱」というところに、
妙に納得してしまった。
それは、現代人にはまだ理解できていない部分。

古来にも同じような世界が隣合わせにあり、人はその世界へ行くために、
次元を超える世界を巨岩と柱で繋がっていたのだな。
その扉は、たぶん、茨城県御岩神社の奥の院にあったのかもしれないね。
(複数の宇宙飛行士が宇宙ステーションから光の柱がみえたという)

そしてそんな世界の入口にいるのは、まさに姥神。
耳が遠いおばあちゃんと、あまりやる気ない息子。笑。
大体、老婆が門番としているので、
修験系の山の入口に姥神がいることに納得です。笑

全て意味があるんですね。
別次元の扉を開けて入っている夢もあることを知ると、
夢をみることが、楽しくなってくるのです。



とりあえず、このNHKの震災VR体験を、
東京でも体験できるようにしたらいいと思います。
東京人は疎いから。

ちなみに、スミソニアン博物館は、ジェームズ・スミソンという人が
全財産を寄付をして知識を高めるために設立されたそうです。
スミソンは鉱物学者なのでした。さすが!
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まだ岩沼探訪の続きがあるので、次回に~。
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岩沼の中将姫の機織り伝説(2)

2019-02-16 | 東北地方の伝説(宮城県)
深山が元は「新山(しんざん)」と呼ばれていたのかどうかで、
解釈が異なってきます。山元町は「しんざん」と呼びますが、
他は「みやま」です。
深山という名の神社や山があります。
まだ他に探せばあると思いますが。



①岩沼の志賀深山②深山神社③深山・千貫森④山元町の深山(しんざん)

東松島の方にも新山神社がありますが、コノハナサクヤヒメを祀り、
岩手県紫波町にある新山神社は、瀬織津姫を祀っています。

岩手の新山神社は、京都から来られた羽黒修験の山伏だった方が、宮司さんのご先祖様だそうです。
京都から聖観音のかけ仏を背負い、羽黒で修行をした後に、
奥州藤原氏の庇護の元、羽黒から瀬織津比咩の異名でもある
玉依姫を勧請し、この地にて新山神社を建立したそうです。(遠野不思議空間より)

なるほどね。
羽黒修験が関係する名取老女とも繋がります。
瀬織津姫は、十一面観音になっていることが定説で、
奥州三十三観音の一番目に、十一面観音像(閖上がった観音様)と伝えている
のも、飛龍大権現=十一面観音様として繋がってくる話です。
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さて、もう一度、あこや姫伝承を振り返ってみます。
あまりにも妄想が広すぎて、結局、なんなの?って感じになってる。笑
前もって言っておきますが、岩沼に伝わる中将姫が奈良の中将姫のことである
という断定は、もちろんできませんが、
そのような伝承が伝わる背景に、都からやってきた「あこや姫」の存在に近いという事で、
もう一度、あこや姫と中将姫の関係を妄想してみます。

伝説による中将姫は、母が5歳の時に亡くなり、父は藤原豊成と伝わる。
藤原豊成とは、クーデターを起した恵美押勝(藤原仲麻呂)の兄にあたる。

ざっと系譜を。



藤原仲麻呂は、藤原鎌足の曾孫になるので、
名取に熊野を勧請した話は、ここがルーツにあるような気がします。
母違いのクーデターなわけで。

藤原豊成は、妻を亡くした後、再婚します。
相手は、藤原百能or橘諸房の娘とも言われます。
その相手は「照夜の前」と呼ばれていたそうです。
それから継母と関係が悪くなった中将姫は、継母の嫉妬からパワハラを受けます。

姫が13歳になった時に、「中将姫」となり、
14歳の時、藤原豊成が諸国巡視で留守にしているのを狙って、
継母は中将姫の殺害を計画します。
しかし、計画は失敗。
後にそのことが豊成に知れて、継母は確か病気で亡くなります。

殺害されることを知って、中将姫がかくまっていた所が、
紀州熊野にある「雲雀山(ひばりやま)」の「青蓮寺」と伝わるのです。
この話は、「能」になっています。

※物語については、雲雀山の演目にのってます。(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E9%9B%80%E5%B1%B1

そのお寺で1000巻の写経を成したと言われる。
後、26歳の時、曼荼羅を完成させ、29歳で亡くなったと伝わります。

青蓮寺ではなく、得生寺というお寺が中将姫の伝承になっているので、
お寺の情報は違うかもしれませんが、「中将姫古跡の松」や、
有田川清流熊野古道に沿って建てられたということから、あこや姫と通じるものがあります。
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これが奈良の都に伝わる中将姫と藤原豊成の話なのですが、
東北でも同じように伝わっているのが「阿胡耶姫(あこや姫)」です。
しかし、「中将姫の妹」として伝わる。

山形市千歳山の万松寺由来によると、あこや姫は、1300年ほど前に、
父:藤原鎌足公の曾孫、信夫(福島)国司中納言豊光(豊充)の娘とある。
しかし、豊光という人の系譜がよくわかっていません。
というか、鎌足公の系譜に、この方の名前が見当たらない。

『消えし世の 跡問ふ松の 末かけて 名のみは千々の 秋の夜の月』
「右大臣藤原豊成卿娘 阿古耶姫」といったことで、あこや姫が歌ったと残される。


千歳山萬松寺の阿古耶之廟

豊光=豊成?
専門家の説によれば、あこや姫伝承の特徴は、
①豊充系(木霊婚)②豊成系(中将姫)となっている。
なので、この二人の男性が登場するので混乱します。

山形県は、樹木霊の信仰があるので、①の豊充系のあこやの松として
広まったと思います。
あこや姫と中将姫とは、母違いだったので、あこや姫は継母からのイジメがなかったという伝説です。
姉の方が美人だったから、その嫉妬だというが・・・。

兵庫県六甲山の北にある山田の里にいる男性の昔話にも、
あこや姫が登場します。

内容は、美しい姫が山里に住む男性のところにやってきて、
「私は豊成の姫で白滝姫です」と言う。
兵庫県に伝わるあこや姫は、中将姫の妹して伝わっており、
山奥の男性の所に、都からきた美しい女性が結婚を申し込む。
という話は、砂金採りの金売吉次と同じです。

「山田」姓や山田の地名は、熊野に多く登場します。
空海のように、あこや姫も杖をもって地をたたくと清水が湧き出た話もあり、
温泉治療を村人に伝えたのも、あこや姫です。

身分違いの恋は、東北の悲恋話に共通しています。
都の皇女と東北の豪族。
あこや姫が恋をした松の木の精霊は、「名取太郎左衛門」と言われ、
名取に「橋をかける」ために、あこや姫と別れる話です。
これは亡くなった隠語と考える方が一般的です。
落馬説と同じように。

また、一説では、あこや姫は藤原実方の娘とも言われ、十六夜姫とも言う。
また小野小町が父を追って京都からやってきた話も山形県に伝わります。
※歌懸稲荷神社由縁


この石碑は、以前はなかったと思います。
明治天皇の名前も記されているのですから、ここに記されている名前がすべてを物語るものです。

巫女の地位は、姉から妹へ受け継がれる例がある。
実方を挟んで姉と妹の巫女がいるのは、実方が伊勢神宮の荒魂の巫女(御霊)を、
連れてきたように見えます。
が、時代が異なるので、元祖荒魂を下せる巫女があこや姫だったという妄想。

しかし、藤原実方は、宮城県側の伝承では、あこや姫の松に行った(もしくは岩沼志賀)
後の「帰りに」道祖神を通り落馬した。
山形県側の伝承では、あこや姫の松に「会う前」の道中で落馬した。
と、異なる。

兵庫県の白滝姫の話に戻りますが、
白滝姫伝説は、群馬県桐生の絹織物からきています。

1200年前、上野国山田郡にいた男性が、宮中へ仕え出された。
そこで機織姫に恋をしたが、叶わぬ恋だと思いつつも、
宮中で許してもらうために、見事な和歌の腕前を披露して、
白滝姫を桐生に連れて帰ることを認めてもらう事ができた話です。

後に群馬県は機織りの都となります。
群馬県は織物産業で発展しました。
秩父もその歴史を受け継ぎ、秩父銘仙となって貢献しています。

姫が亡くなると、天から降ったという岩のそばにうめ、機織神として祀ったそうで、
「カランコロン」という機織りの音が聞こえると。



※桐生市サイトより
白滝神社の石神=降臨地
http://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/gyouji/1002101.html

コメント頂いたTさんから、「和歌は元々蝦夷の文化との説」
というのだから、興味ある話。
よって、エミシは誇りたい高い民族だったと断定したい。

竹内宿禰がみたエミシも、「もとどり結い(一髻)」をしていたというのだから、
烏帽子が似会う貴族だったでしょう。
それで青い目をしていたって?!どんだけ魅力的なんだっ。
皇女から人気あったんださ。意外にも・・・。

秦氏はワイルドなろん毛。髪がばっさばさで垂らしているイメージ。
砂漠から来てるから髪質が強い。笑。
(そんな情報いらない)

石神と機織り崇拝は、福島県小手姫が伝わる女神山も同じです。
秦氏との関係、中将姫の当麻寺がある葛城。
石などの石室を埋葬する方法であった豪族たちは、
藤原家から排除された宮廷の都人ということで、地方に行って「豪族」
と言われていましたが、天皇家をつぐ本家の貴族だったら?

名取太郎も笛が上手でした。
笛吹きの伝説がある「お笛田」の金ヶ瀬の大高山神社もそうです。
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滝と機織り姫は共通し、埋葬は、石神というところが特徴です。
イワナガ姫っぽいけどね。
姉だし。
妹がコノハナサクヤヒメだし。

思い出したのですが、2017年一関の六芒星の中心にあたる配志和神社へ
行ったのですが、帰りに、小林真麻央さんの訃報をネットで知りました。
なんだかとても悲しかったです。
配志和神社はコノハナサクヤヒメを祀るので、「妹」だな~と思って。

あこや姫と中将姫の関係は、藤原不比等の系譜をもつ一族であり、
宮廷に仕えていた巫女さんのような女性ということになるのでしょう。
岩沼の斎宮は、その系譜をもつ藤原家をサポートした機織り姫=斎家と関係するでしょう。

中将姫が殺されたというのは、実際、そうではないと思いますが、
祟りの多くは、作物がとれなくなったことと、疫病にあります。
豚ウイルスが広まったように。

そのようなものから人々を救うマザーテレサみたいな斎宮のイメージです。

例えば、藤原実方が陸奥で亡くなった後、「入内雀」と言われて、
雀が御供えのお米を食べてしまうという話。
それが実方の祟りというのですが、旱魃などで作物がとれなくなったことも
示しているのだと思います。
後に、伊達政宗がお米を全国一の生産地に発展させようとしたのも、
東北地方の冷害が関係していたと思います。

関西・関東地方は暖かいので、宮城県の「やませ」の冷害は
経験したことがなかったと思います。
仙台は夏が涼しいのは、やませが関係しますが、
稲作には多大な影響を与えます。
そう考えると宮城米は寒冷にも強いお米なんですね。



これがやませの正体!
海から上陸する「やませ」に伴う低層雲(Wikipedia)

また、東北は金がとれたので、その開拓にのりだした鎌足公でありますが、
機織り技術を奨励するほど、そんなに養蚕は大事だったのか?
と麻が好きな人はそう思うのかもしれません。
しかし、麻と絹は姉妹のような関係をもっています。

本当は、もっと恵美押勝(仲麻呂)妄想をしたいところですが、
一族の系譜をみると、面倒なのでやめた。笑
仲麻呂のクーデタで結果、仲麻呂は処罰され、関わった人たちの
処刑、牢獄、左遷などの数、443人と言われます。
トランプみたいな人が古代にもいた。
それが橘奈良麻呂の乱と言い、橘諸兄の息子の逆襲です。
藤原不比等絡みのクーデターは、妻たちの修羅場みたいな。

その中に、陸奥へ逃れた人がいたわけで、「豊成公の娘」という伝説になり、
東平王の墓が恵美朝かりと言われたりするのだと思います。
実際、兄の豊成は東北へ左遷され、その家族が生き延びて暮らしていたと思います。

ということで、瀧へ行ったらあこや姫と再び繋がった話でした。
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岩沼の中将姫と機織り伝説(1)

2019-02-16 | 東北地方の伝説(宮城県)
瀧之入不動尊付近から海側は、古くは湿地帯だったそうで、
葦の原野になっていたと想像されます。
あまり人が住めるような土地ではなかったようですが、
人口が増え内陸に住む人が多くなり、古墳(円墳や石室)が増えてきました。

そして都から貴族がやってくるようになり、岩沼は「御旅所」として、
台所=斎家の習わしが残っているようです。
斎宮は、台所から入る習わしで、天皇家や神に使い食べ物を奉納する
役目だったと言われます。

「飯」とつく山名が非常に多いのも、関係していると思いますし、
ご飯とは、「もがり」です。亡くなった霊を鎮魂する意味でもあります。

おそらく、瀧を祀るのは、「かゆの神事」が角田で行われていたり、
湯立の神事が各地にあるように、その時に使う清水であったと思います。
「瀧を祀る社があるのは、神事として使用した清水」と、考えられます。
なので、とても大事な清水です。

さて、『岩沼市史』に、「中将姫の墓」という話がありました。
この話が、京の都と岩沼の斎宮を繋げているようなのです。

「昔、この里に、亀屋敷という屋敷があった。
ある日、旅をしている美しい女性が、この亀屋敷の主人に、一夜の宿を頼んだ。
この主人は、たいへん 意地悪 だったので、この女性を 門前払いしようとしたのだが、
その女性の身なりから、「 この女は、多額の金を持っていそうだな… 」と思い、
急にニコニコして、この依頼を 快諾 した。

その夜、この主人は、その女性が寝たのを 見計らって 殺害。
すべての金を奪った後、 無残 にも 遺体 を草むらに 放置 した。
ところが、ある日、その女性が 中将姫 であったことを知る。
さらに、「 京の都から中将姫を 捜しにきている者がいる 」という噂を聞くと、
主人は、屋敷の近くに中将姫の遺体を葬り 、
「 残念なことに…、中将姫は病気で死んでしまいました… 」と言って、
弔った ふりをした。

しかし、不思議なことに、その後の亀屋敷には、たいへんな不幸が続いた。
まず、亀屋敷の主人が 発狂 して死亡。
さらに、その息子が目の病気になり、 失明 してしまった。
その後も不幸が続き、ついに、この一族は 断絶 した。
里人 たちは、「 金のために、 高貴 な方を殺害した 祟り だ 」と噂し、
中将姫を ねんごろ に弔ったという。」


※伝承之蔵
http://legend.main.jp/

岩沼市史には、中将姫の墓は、
「大同道の道沿い(東海道のこと)、三色吉東安寺前の路を通り、
民家の脇を登って山路にかかり、屋敷と呼ばれる家がある。
その細い一本の杉の木
」と、書かれていました。

(三色吉(みうるし)と言い、金蛇水神社も三色吉の地名です。)


岩沼に伝わる「おすずひめ」も、京都から静(おすず)を探しにやってきます。
最後は、おすずは鳥になって深山へ飛んで行きます。

墓の場所は、瀧之入不動尊近くなのですが、不明です。
詳しくは、リンクしたサイトが詳しいのでチェックしてみて下さい。
ただ、このあたり古墳が多いです。

こんな石室みたいのも。



ところで、中将姫とは、奈良県当麻寺に伝わる中将姫のことなのでしょうか。
であれば、なぜ岩沼に中将姫の話が伝わるのか。
単に都からきた女性だったのか。。。
※斎宮=伊勢神宮に奉仕した斎王の御所
-----------------------------------------
「中将」というのは、「実方中将」というように名前の後につける役職名
であったりします。
今でいえば官僚のような役職と言えますが、律令制度の官職で、
765年に設置され、近衛中将、宰相中将のように用いる。

その男性につける役職に「姫」がつくのは、中将姫が13歳の時に、
三位中将という位をもつ「内侍(ないし)」という天皇の身辺に奉仕した女官
であったためです。
なんとなくね、サーヤ(黒田清子さん)みたいなイメージ。
最近では、黒田さんは伊勢神宮の臨時祭主になりましたよね。
私は嬉しいけど~。

で、角田が日高見国であった説は、麻を栽培していたこともあるでしょう。
麻積郷(おうみごう)と静戸郷(しずのべりのごう)があり、
麻を栽培していた郷ということですが、衣服にするため、生産地としてあったそうです。

麻を栽培していた地に、養蚕が伝わったようです。
後に、穂積氏(ニギハヤヒ系譜)が、青麻神社として苧などの植物を奉納しますが、
秦氏は、別に養蚕の神として機織り姫の技術を奨励していきます。

静戸郷は、倭文部(しとり)のことです。(もしくは、しずおり)
時代は、700年代からそれ以前と古く、機織りの「服織」の設置は、
大化の改新以前からあったと言われます。
伊具郡も古代の織物職業集団がやってきた所なので、この郷がついたといわれます。

この「倭文部」は、日本書紀によれば、五十瓊敷皇子(いにしきのみこ)が
賜わった10個の品部の内のひとつ。
分布は全国に渡り、その中に東山道が含まれている。

近畿地方から倭文部の技術が東山道を通り伊具郡に伝わったことを示し、
その技術集団の中に、中将姫の技術を受け継いだ女性がいたと思います。


古代王の浦の図

結論から言えば、中将姫に仕えていた一族が陸奥国へ逃れ、
機織技術を伝承してきたのですが、岩沼あたりで途絶えたのかもしれません。
福島までは機織り伝承は残されていますが、北上してくにつれて
機織姫は色濃く残っていません。

機織の鶴と白鳥が同じかわかりませんが、
一族が都であった出来事を村人に伝承として伝えたのが、
中将姫として残されたのだと思います。
その人は、山形県の「あこや姫の姉」と伝わるのです。

中将姫は、775年、奈良県葛城市當麻寺(当麻寺)に「当麻曼荼羅」を織った人として伝わります。
その糸は、蓮から織られたと言われていたのですが、調査の結果、
蓮ではなく錦のつづり織りと判明。
非常に高い技術なので、原本は中国製と推定される。
あまりにも重く現存の腐敗が大きいため、レプリカが保存されているそうです。



当麻には倭文神社、南にその元社とされる棚機神社などがあり、
竹内街道が通っている渡来文化の入り口だったそうです。
中将姫も織姫と伝わり、鶴の恩返しと同じように、「一夜にして機を織る」
ことが伝わっています。


當麻寺

ちなみに、遠野にも倭文神社があり、
天照皇大神 下照姫命 瀬織津姫命を祀っています。
どこか、東北では機織姫が、瀬織津姫にされており、「織」という漢字を
含めているのは、ある豪族の思惑なのかもしれません。

これが「カカセオ」に関係していると思います。
倭文神の機織・養蚕の神を祀っているのが、群馬県の伊勢崎=伊勢の崎。
天羽槌雄神(ハヅチオ)は機織りの祖神ですが、建葉槌命(タケハツチ)と同じ。
この人が、カカセオ(天津甕星)を織物の中に星を織りこんで星神にして鎮魂した。
カカセオ=セオリツヒメ的な描写。

また、姉と妹の関係は、「天照大神の妹?」が阿古耶姫になっているかもしれないのです。
以前に、言霊で書いてましたが、言霊では無理があるよな~。笑
でもそこからAさんと繋がったのだから、女神パワーなんだ~。
言霊ではさすがに苦しい解釈なので、姉は都、妹は陸奥という関係。
それは、「太陽神の女神で以て」朝廷とエミシの地を結ばせた意図があることは言えます。

ということで、中将姫に関わる一族が、陸奥にいたと仮定して、
もう少し、妄想してみます。
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岩沼の瀧之入不動尊

2019-02-11 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼14(瀧之入不動尊)

寒波で急に寒くなりました・・・。
やっぱり冬はこうでなくては!と思うものの、
連日ニュースの(北海道とかはわかるんですけど)
毎年、世の終わりを告げるかの「東京に雪がっ。」
というまるで異常気象のようなナレーションはやめて頂きたい。
都心の冬はこの先どうなるのか。って、知らねーし。(;一_一)

そんなことで近場にしか行くことがないのですが、今回は「瀧之入不動尊」へ
行ってみました。とても気になる瀧です。

このお不動さんの裏手の山が、深山(みやま)で、
このあたりは、斎宮伝説の尼寺などに関係している一帯だと思います。
が、詳細な史料もなく場所の特定が、いまだに不明です。

しかし、もう少し南へ行くと「大日如来」といった名前がマップにあり、
何も残されていませんが、山中へ入れば石碑や石段のような人工的な組跡があるので、
実際、このあたりは尼さんなどが住んでいたと思います。

岩沼の大日如来の様子はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/natoriuba/e/efce1547010f8b2d6022ac9c9beb8b4f

「緑丸」伝説のお寺もありなかなか深い場所なのです。
岩沼は城下町があった為、また竹駒神社があるように、
何かと斎宮の匂いがします。
また、斎さんという名前の方も岩沼に多いのだそうです。



さて、瀧之入不動尊へ行く目安は、「竹倉部」という場所になります。
近くに曹洞宗東安寺がありますので、駐車はそのお寺の辺り、
民家に邪魔にならない場所へ停めるのがよいでしょう。



山中へ向かって歩くこと10分もかからず到着します。
入口には、「瀧之入不動尊」の看板があるのでわかりやすいです。





由来など詳細はわかりませんが、
なんとなく、高舘山の熊野那智神社の滝に雰囲気が似ています。



名取老女もここに来てたのかな~。
わかりづらいですが、左の方にお不動さんの像がありました。





本殿の中をのぞいたら、小さな木像のお不動さんが鎮座してます。
川の水量はとても少なく、寂しい小川です。

寒々とした森なので、長居できませんが石垣らしきものが見えたので、
何か建て物が建っていたと思いますが?





この先へはまだ道が続いていて大きな溜池があり。
金蛇水神社周辺の山中には、このような溜池がたくさんあります。

また、金蛇水神社の裏手には、「氷室の跡」といわれる岩があり、
詳細は不明ですが、氷室といっているので、
昔、金蛇水神社~深山の山中は、冷蔵庫の役目になっていたようです。(写真下)



両壁がおおきな岩盤になっているのですが、下は少し陥没しているようです。
高舘山が要塞であったことを考えれば、何かを運ぶ拠点に、
金蛇水神社があり深山があると思います。


上からみる瀧。



さて、この先へ歩けそうな道がまだ続いているのですが、
寒いので暖かくなってから、どこに続いている道なのか探索することにして、
そのまま引き返してきましたが、帰ってから地図をみて、おや?となった。

瀧之入不動尊の背後には、なんとあの深山の石碑があった!
まっすぐに。



むむーっ、これはお不動さんに向かって祈願すると、
奥の院のような存在として、深山の石碑へ向かって祈願するのと同じなわけです。

これは繋がっているね~・・・。
あの深山の石碑は、初めて行った時に、見事な光のオーブが写っていた。




深山の碑



ここまで主張してくる霊に会った事がない。
要は、食べ物の霊に深く関わるモノが存在しているからこそ、
斎宮なのだな、と思っていました。
それがやっぱり稲です。
ここでの親分的存在は、竹駒神社です。



赤文字はお不動さんと関わりあると思われる所。

瀧之入不動尊は東の海を向いており、
西に向かって祈願する形になるので、背後の深山を拝むようになっている。
ということは、深山信仰(みやましんこう)というものがあるわけで、
深山とは、やっぱり「三輪山」が由来ではないかな。
この図をみると、エミシ征伐は、ヒタカミ征伐でもあり・・・。



深山は好きでよく登っていました。
深山山頂は、豊受大神の雰囲気を感じたからです。
それは、斎宮がいたことにも繋がり、「食」の「ケ」の音霊です。
トヨウケの「ケ」や熊野神の「ケツミコ」の「ケ」。
青森の方でも「ケ」という方言があり、「食べなさい」という意味。



伊勢神道の神は、豊受大神(伊勢外宮)としており、
元は三輪山にいた大巫女のことであると言われ、
その後に倭姫により京都の元伊勢から伊勢に持ってきたとされます。

そんなことを思うような奈良の都と関わりある昔話があります。
ちょっと怖い話ですが、岩沼の斎宮伝承が実話であることを想像させます。

つづく
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藤原実方と陸奥国の巫女(2)

2019-02-10 | 日記・エッセイ・コラム
藤原実方御歌「なかめやる雲井の空はいかならん 今ぞ身にしむ外ヶ浜風」

この歌は、廣田神社(青森市)を創建した際に献歌したものといわれ、
円扇形の板に人麻呂の画と、御神歌が描かれた直筆による御神宝だったとされます。

廣田神社は、往古一条天皇の御代、長徳年間(996年)に左近衛中将より
陸奥守に任ぜられた藤原実方朝臣が蝦夷鎮撫のため、外ヶ浜貝森村(現在の青森市)
に「夷之社(えびすのやしろ)」を創建して陸奥国長久の平安を祈願したのに発祥します。


廣田神社
http://hirotajinja.or.jp/about/

柿本人麻呂の画と一緒?に歌が描かれていることに、何か人麻呂と共通する部分が
あるのでしょうか・・・二人の境遇を感じてしまいますね。

主祀神は、天照大御神荒御魂。

天照大御神の荒御魂の別名はオオヒルメムチです。
青森県廣田神社は、神功皇后が新羅討伐の際に神託があった
天照大御神の荒御魂を主祭神としています。

宮城県佐沼城跡に、照日権現と出雲神を祀っています。
「封内風土記」では、大日霊貴尊(オオヒルメムチ)で、
天照大御神の荒御魂のことを、大日霊貴尊とも呼びます。
照日権現とは、対馬系日神(天日神命)とされ、
『大小神社帳』には、照日権現とあり、祭神は天津向津姫神です。

おそらく、佐沼の照日権現も天照大御神の荒御魂のことをさしているでしょう。
このお城を最終的に保護したのは伊達政宗ですが、
葛西氏と何度も城を取り合っていたような歴史があります。

その照日権現=荒魂である天津向津姫神とは、青森県と同じ名前の神社、
兵庫県の廣田神社に祀られている天照大御神荒魂と同じなのです。

兵庫県と青森県の関係は不明ですが、天照大御神の荒魂とは、
伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と同じ神とされ、
瀬織津姫とされる説が有力です。(戦前まで瀬織津姫であった)

賀茂家が陸奥の出雲と熊野を繋げていたことが実際にあったわけです。
そのパトロンとして実方が神事的な意味をもって陸奥へ行ったという妄想。

なぜ、実方がここに社を置くことにしたのかは、
天照大御神の荒御魂を崇拝していたからではないでしょうか。
夷之社はエミシ崇拝の大国主と考えられます。
エミシたちに荒魂を信仰してもらう意図があったと考えられるのです。

東北地方は熊野神社が非常に多いのです。
とくに海側を占拠するように建てられ、穂積氏や熊野信仰であった
斎藤氏も関係しています。

青森県の廣田神社も道祖神と同じように、実方の由来をもたらすことで、
エミシの地を伊勢と繋げて神格化したと思われる賀茂家が見えます。

名取老女が仏教の大日如来になった発端は、実方が荒魂を陸奥国へ浸透させる
ためだったとも考えられるのです。
そのため、斎宮といった巫女たちは、伊勢の荒魂の御霊をおろすことができるよう、
管理・監督をするために陸奥へ派遣された藤原家がいたと言えます。

その藤原家として近いのが、
「烏宮守家の先祖(名取老女の子孫)である藤原叙用(のぶもち)が
藤原鎌足十世の孫であり、武蔵国の神官を職していた斎藤氏を称した」
ことに繋がるのです。

----------------------------------------------
東北地方は「辺境」と言われ、貴族たちの間では「左遷の地」と、
見られていました。
藤原政権で逃れた藤原家がたくさん出羽・陸奥国へ落ちのび、
晩年は孤独な死を遂げたと想像されます。

そんな貴族の人生を、熊野修験や羽黒修験の比丘尼たちは、
歌や踊りで伝えていったのではないでしょうか。

実方が女性関係がとても多かったという噂はありますが、
気品ある男性で歌が上手だった人として東北でも有名だったそうです。
そんな人であれば、巫女さんや地方の女性たちにも興味をもたれたと思うのですが、
実際は、そんなに甘い話ではなかったでしょう・・・。


※廣田神社の実方桜

巫女を従えていたことを物語る、隠された東北の藤原実方が存在しており、
ただ熱心な荒魂の信者だけだったかもしれません。
しかし、都とはかけ離れた一生を過ごした人生でもあり、
どんな風に最後を遂げたのかは、誰にもわかっていません。

さて、この恋歌は、誰に向けた歌なのでしょうか。
荒魂という片思いの女神に対してか。
または、伊勢神宮に仕えていた巫女だったのか・・・。

『かくとだに えやはいぶきの さしも草さしもしらじな もゆる思ひを』

これほどまで、あなたを思っているということさえ
打ち明けることができずにいるのですから、
ましてや伊吹山のさしも草が燃えるように、
私の思いもこんなに激しく燃えているとは、
あなたは知らないことでしょう。




※小倉百人一首辞典より
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藤原実方と陸奥国の巫女(1)

2019-02-09 | 日記・エッセイ・コラム
女性性が高まる事と比丘尼の関係はあると思います。
難しい課題ですけど。
陸奥国にきた藤原実方(平安時代の貴族)について調べていた時、
イエス・キリストのような空気を感じることがあり、
「マグダラのマリアのような女性性を求めていた」という妄想をしてしまう。

マリアという女性を望んだ、或いはキリスト教だったというのではなく、
巫女を通じて女性性を高め「自らを神格化」することを望んでいた人だったと
いう妄想をしてしまいたくなる。

修験者はみなどこかそういう道を選んでいると思いますが・・・

女性性を高めるとは?
私の体験談でしか語れませんが、経験で学ぶしかないものです。
他人が、どーのこーのいって納得できるレベルではないです。

15年ほど前に中国留学をしてましたが、帰国してから自分が別人のように
変わってしまい、とても違和感をもったことがあります。
自分じゃなくなったという違和感です。
たまたま友人がヒーリングの資格をとったばかりで、
試していた時だったので、何度かセッションをしてもらったことがあります。
「男性性が勝っていたため、女性性を高めるために中国へいった」と言われて、
そういう世界があるんだ~・・・「?」と、最初はピンときませんでした。
ま、前世の記憶がいっぱいあるので、何かあるとは思っていました。
私にとって中国はバランスよくするためで、女性性が高まる場所らしい。
正確にいえば、中国よりヒマラヤ・チベットです。

その体験からスピリチャルにハマりました。
内面で起こる変化が自分で説明できなかったためで、
精神世界でないと、この現象は理解できないことなのです。

女性性が高まると、まず人間関係がガラっと変わると言われます。
とにかくもてます。モテ期が到来。
何が起こっているのかわからないほど、
いろんな所で、男女問わず、声をかけられることは本当に多かった。
ただ、それでトントンと上手くいくことにはならない。
ここから大変でした・・・。

外見では、顔が変わります。優しい顔になります。
目も変わって、肌ツヤがよくなる。
やりたい事がみつかり、生活の幅は広がるし、面白い人がよってくる。
いろんな人から影響されて、それはそれはとても積極的に行動していた時でした。

若かったこともありますが、ただ、ひとつ重い体験は、霊感が強くなっていたことです。
女性性が高まると、霊体験をすることが増えると思います。
気を失なってしまったこともあり、かなり体力が落ちていたのも、
今思えば、ストレスではなかったのかもしれない。
それから山にはまりました。
ただ、そのおかげで、まほろばブログが生まれたのは、結果、良かったことですけど。笑

良いスパイラルが大きいと、負のスパイラルも大きいので、
あまり女性性がぐぐぐーと高まると、自分がついていけないし、
その現象の説明ができないと、翻弄されるだけなのかもしれず。
それが回りに伝播したら、あまりよい結果にはならないかもしれない。

なので、日頃からスピリチャル的・精神的な現象を心得ている人は、
良い波にのれるのだと思うし、ちゃんと自分で説明できるようになれるから、
気持は楽になれるし、その状態から伝播した方が良いわけです。

その頃は、何が起きているのかを調べることで精いっぱいで、
何回もセッションを受けてました。
まだ自分ではわからないので、他人に教えてもらっていた頃でした。
幸い、近くにわかる人がいたので、私はラッキーでしたけど。

男性で霊感が強い人は、女性性が高いのだと思います。
主人をみていてそう思います。
ただ、高すぎるのは問題です。
それに苦しんでいる方は、男性性を高める方法を知ると良いと思いますが、
ただ、そのきかっけを見つけるのが難しい。。。

私の場合、女性性が高くなる方法のひとつに登山があります。
登った後の顔は変わってます。(ちょっと変身するね)
山に何度も精神的に救われている事もあります。
精神的に楽になりたければ、低すぎるどちらかの性を高めるしか方法はありません。

登山は、有酸素運動が体に良いだけではなく、いろいろな変化は起きますし、
気づきが大きくなるのは面白い現象です。
なので、修験者や山伏が山へ行脚するのは、女性性を高めるためもあり、
修験者が山に登ろうとしたのは、
山頂にある奥の院を目指すのは、宇宙に近い理由だけではなく、
登る行為から、女性性を高める修行(脳への刺激)をしていたのかもしれません。
-------------------------------------------
ある人から聞いた話。
熊野那智神社(紀州)で滝に打たれる人の中で多いのは経営者だそうです。
滝に打たれると女性性が高まるためか、業績がアップし、男性の場合は、
女性(奥さんとか女性従業員とか)と関係が良くなっていくと聞きました。
それで業績が上がるんだそうです。
本人の気持ちのとらえ方ひとつで、ガラっと変わるのが女性性が高まる証拠なのです。
特に男性は滝神を崇拝する傾向があると思います。

それが藤原実方も同じだったのかな、と思う理由です。
歴史の話に戻しますが、名取老女なり比丘尼or遊女という人が、
いったい、どんな働きをしていたのかを、藤原実方は知っていたと思います。
名取老女に興味をもつのは、その部分が大きいかも。

こんな話があります。

藤原実方が名取の道祖神の前で落馬したのは、道祖神のところに都から左遷された
巫女がおり、その巫女は密通であったという。
密通とは、両親の結婚を反対して自由な恋愛をしたことを意味します。
巫女は神と精通しているので、一般男性との婚姻は許されませんでした。
実方は名取老女がいた岩蔵寺によってから、道祖神に立ちよったことによる罰である。
といった解釈がなされている。(名取郷土史研究より)



道祖神(佐倍野神社)のサルタヒコ命とアメノウズメ

これは、道祖神に実方伝承をもたらすことで、「地元の人たちが巫女を神格化」
したのではないか、という考察でした。
実際、実方があの場所で落馬したかは定かではありませんが、

伝承によれば、道祖神に祀られるアメノウズメが裸体で踊った神話から、
下品であると見下したことが怒りになり、落馬した伝承となっているのです。

巫女が藤原実方に罰を与えたような話にも聞こえます。
この話は、仏教の僧侶が後世、伝えたものと言えるかもしれませんが、
賀茂家に関わる巫女が鎮魂のために、伝承したとも考えられます。

その巫女が恋をした相手は、商人だった?という説があり、
商人とは、金売吉次の伝承が宮城県北部にあるように、
砂金交易をしていた商人であるという事です。
実方が砂金交易の目的で陸奥へやってきたことも関係し?
それほど当時は、陸奥と朝廷の間に、金が深く関わっていると言えます。

しかし、実方がプレイボーイのようなイメージにされていますが、
それはないと思います。

京都鴨川の出雲路に、出雲への出発点に道祖神が祀られています。
幸→岐→二股に分かれる意図があって道祖神はあります。
「橋をかける」伝承はとても多く、阿胡耶姫、采女伝説(郡山)にも登場します。

名取の道祖神も同じく、朝廷支配地とエミシの地への二股の道にあります。
「エミシと朝廷の境界に藤原実方伝承がある」
ということです。
出羽国と陸奥国の境界もそうです。

これはどういう意味でしょう?

出雲の路とも言え、あの世とこの世への二股であった道祖神と考えれば、
道祖神に実方伝承をおくことで、死への結界を意味するものであると思います。
ということは、藤原実方も陰陽師の素質があったと考えるのです。

それは実際の人の死ではなく、宗教という思想の境界にあると思います。
まだ陸奥国が朝廷の支配下になっていない状況だった頃。
エミシ征伐の38年戦争の後の修復のために、賀茂家が尽力をつくしたのではないでしょうか。

実方は伊勢神宮の巫女を陸奥国へもたらすことを考えていたのでしょうか?
しかし、実際、陸奥へいくと都から派遣された巫女の現状がひどかったのでしょう。

そのため、都に左遷された巫女の貧しい環境の改善、道祖神のように罪を認めるといった
ことにより、陸奥国にいた巫女を神格化することを行って来たと思います。
それが朝廷により忌嫌われた理由だったのではないでしょうか。

一条天皇は阿部家の陰陽師を側におきました。
賀茂家の陰陽師を選ばなかった理由のひとつです。
そのため、岩沼の斎宮伝承や都からきた女性の悲恋話は東北地方に多く、
そのような話を伝えてきたのが、賀茂家だったと思います。

比丘尼は遊女と同じような意図で用いられますが、
ちょっと違うと思います。
災害などで民衆の不安から、争いや暴動は各地であったそうです。
そのような状態で、比丘尼も本来の働きができないことがあったでしょうし、
そういった比丘尼を統括する親分的な存在が、名取老女だったという妄想です。
しかし、実在したかは不明。
そのような巫女=日巫女になることを望んでいたのが、
熊野別当であり、中心にいたのが藤原家であることは言えます。

女性性を高めたいと求める男女は、今も昔もいたのですから、
巫女に求めるのも当然のことだと思います。

そのような話から考えると、青森県の廣田神社の由来に藤原実方が
関わっている理由がみえてきます。

つづく
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まんが「閖上風土記」と御浜降り

2019-02-06 | 日記・エッセイ・コラム
良い本をみつけました。
クレオ君という主人公が出張で閖上に行く設定ですが、
閖上の郷土史をマンガで書いている本です。
やっぱり絵だとわかりやすいし、すらすら読めますね。



この本は、「リニューアル」となっているように、
震災から閖上の街がほぼ消滅したことをきっかけに書かれた本(マンガ)です。

この本を見つけたのは、偶然ではないと思う理由があります。
と、いうのは、「御浜降り」て何?と思っていたからです。

今年の5月に名取熊野那智神社で20年ぶりの「お浜降り」があります。
この祭りは、毎年6月10日「御浜下り」をして橋浦家で休む例となっていた。
御浜降りは、海の安全、大漁祈願を目的とした神事であり、
「ゆりあげ」由来の証拠にならないとする意見もありますが、
熊野那智神社に限らず、御浜下りは各地で見られるものです。(閖上風土記)



宮城県南部では、ヤマトタケル伝承がとても多いです。
「景行天皇が~」という話は多くあり、
閖上の御浜下りは、同じく千葉のヤマトタケルとオトタチバナ姫の
伝説があるように、千葉県吾妻神社も「御浜下り」があるのですが、
オトタチバナが海中に身を投じたことが由来しています。




日和山から港をみる(2年前)かつてここでは市場で賑わっていました。
現在も市場は開催されています。(日曜日)

海と生活してきた地元の人たちにとって、
当然、海とは切り離せるものではないのですが、
震災の津波から、海と陸の境界には、長い壁が作られています。
東北の太平洋の海は、遠ざかってしまいました。

さて、閖上の観音様の由来は・・・

1.869年貞観地震が発生した時に流れついた
観音様と言い伝えられるが、その時の津波と関連されるのかは不明。

2.それより古く、715年~724年 朝廷が東北へ勢力を広めた時、国分寺が建立。
観音信仰が広まり、紀州熊野那智の神を陸奥国に分霊すべく名取へ出港した船が
海風にあい、難破したと伝わる。
 そして、717年6月10日、名取里浜に橋浦屋茂右衛門波間に、
光明輝くと心づき、磯辺をたずねてみると、藤蔓揺り上がり藤の後に
ご神体が出現された。
その後、観音様は里浜の明神堂にまつり、高舘山に移されたと伝わります。

この光が留まった地に宮社を創建し、羽黒飛龍として称し祭ったとの事。
(橋浦家伝記)


那智山紹樂寺


私はこの観音様をみた時、だれかをモデルにしていると思ったものです。
等身大というので。
まだ若い少年のような気もしますが。ヤマトタケルかな~あ?

この観音様は、現在、奥州三十三観音一番の那智山紹樂寺に安置されております。
このお寺では、
『閖上浜から引きあげたとされる十一面観音菩薩像が本尊で、
別名「高舘観音」と呼ばれています。
観音堂は熊野那智神社(名取市高舘吉田舘山8)の近くにあります。』(写真)

熊野は、補陀落の観音浄土と言われます。
インドが由来なのですが、「8」を聖数とするのか、
補陀落山はインドの遙か南方にある海上にあり、
八角の形状をした山だという。

仏教では西方の阿弥陀浄土と同様、南方にも浄土があるとされ、
補陀落(補陀洛、普陀落、普陀洛とも書く)と呼ばれた。
その原語は、チベット・ラサのポタラ宮の名の由来に共通する、
古代サンスクリット語の「ポータラカ」である。


ポタラ宮。

なぜ、高山から海なのかは、かつてはヒマラヤ山脈も海底から隆起しているからです。
山脈には、サンゴが見つかることがあります。

海から観音様なり、渡来人なり、何かが「揺りあがった」というのも、
スケールが大きい話ですが、山が隆起した記憶からの補陀落山なのかもしれません。
それから、閖上という地名に変化していきます。

閖の漢字は、1679年伊達綱村が大年寺に参拝の帰り、
山門内から東の海の波立つ浜をみて、地元人が「ゆり上げ浜」と伝えたところ、
ゆりの文字は?と聞いたが、地元人がわからず。
綱村が門から水がみえたことから、「閖」という漢字を用いることにしたと伝わります。
以降、仙台藩の文字として制定されました。

他の説では、水門明神に神託をしたところ、揺上の地名から、
閖上とするようになったとも。
水にすることで火災など禍を除くためであることは確かなようです。

いくつかの説から、火災の火を鎮める水としているので、
おそらく、「門から水が入る」という意味は、津波や阿武隈川や
名取川の氾濫のことを示していることもありますが、
昔は疫病が流行していたので、そのような流行は、
海からやってくると考えられていました。

アイヌ人がイナウを立てるように、疫病封じの意味もあって、
観音様の力で食い止める意図があったと思われます。
火は熱を帯び、痛みになります。炎症です。
それを緩和させる「水から上がった観音様」の力にあやかりたいと願っていたでしょう。

また、高舘山は要塞として存在していたので、
海や阿武隈川から上陸する人たちを監視する灯台として、
活用されていたとも考えられます。
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といったことで、仙台より古い名取・岩沼の県南の歴史は、
宮城県内でもあまり知られていません。
仙台の伊達藩が強すぎるわけで。。。
伊達家が古い名取の歴史を変えてきたことがあります。
変えたというと聞こえがいいですが、古い土地の上に開拓しているので、
ほとんど見えなくしてしまいました。
津波で流された形跡も多くありますが。

今年5月に行われる「お浜降り」の神事について、
名取熊野那智神社では、CFの取り組みを行っています。



河北新報より

『名取の熊野那智神社創建は719年。
この3年前に閖上地区の漁師が海底からご神体を
引上げると、夜ごと内陸部の高舘山の方角に光を放つようになり、
山上に祭ったことが起源とされる。
お浜降りはご神体の里帰りのような神事だが、
地域住民の高齢化などで1998年以降、行われていない。

今回は、創建1300年の節目で、復興達成宣言に向けた
来年5月26日のまちびらき当日に実施。
高舘山を経て閖上地区に向かう。

以前は、高舘山地区の住民がみこしを担いでいたが、
今回復興を果たした市内の団結力を示すために各地区が協力する。
みこしの修復費などで約300万円かかるとみられる。

神社は併せて国や宮城県の重要文化財に指定される懸仏155点の
収蔵庫建設費も工面したい考え。
仏の姿を現した金属板で神社の物置に掛けてあったが、
震災の揺れで落下し、東北歴史博物館などで修復された。
耐火性のある収蔵庫を造って戻そうと計画するが、
最大で6000万円が必要だという。』





懸仏

ということで、維持していくのにはお金がどうしてもかかってしまいます。
これをのせたのも、「閖上風土記」を見つけたこともあり、(じゃなけりゃ書かなかった…)
最後の文章に泣けた。

また、「御浜降り」と言っても何のことやら、地元ではない私はわからず。
せっかくなので、このような呼びかけをする前に、
こんな事があったのね~という歴史をある程度知って頂けたらと思いました。

CFサイト 「レディーフォー」へ。
目標は150万円で、神事開催費や収蔵庫建設費の一部にあてる。
来年3月4日午後11時まで受け付け。
※レディーフォー
https://readyfor.jp/projects/kumanonati

関心のある方や「最近、熊野那智神社が気になるんだよね~」とか言っている方など。
ご協力を、よろしくお願い致します。


つぶやき:「海に帰りたいんだっちゃーっ」



『海と共存する閖上。
かつての賑いを必ず取り戻すと信じています。
必ず復興すると信じています。

今、新しい閖上の歴史が始まる。
新しい閖上の可能性が拡がってゆく。
閖上の海に再び希望がゆりあがる。』

「クレオ君3 まんが 閖上風土記」:伊藤仁著(金港堂出版)
コメント

大蔵山の石舞台

2019-02-03 | 日記・エッセイ・コラム
ちょっとー。
乳神の碑を書いたから、乳がでる夢をみたよ!笑~っ!!
ミルキーウェイだったよ。あはは。
ありゃ本物だわ。

・・・さて、虚空蔵菩薩堂のある山が、大蔵山というのですが、
虚空蔵さんの入口に、石舞台という看板があり。
何か公園みたいなので行ってみたら、未知との遭遇を体験しました。



遠くにピラミッドのような物がたち、
草のない不毛な土一色に、積まれた石たちが風をうけてひそめていた。



なんだこりゃ~。
こんな光景があったとはっ。



このピラミッドは、もちろん人工物ですが、後で調べてみたら、
「伊達冠石」という安山岩の石質を利用した芸術作品でした。

・・・知らなんだ~。
石好きのくせに、知らないことがまだまだあるね~。

こちらのサイトをチェックしてみてください。
勉強になりました。

大蔵山スタジオの石塔
https://okurayamastudio.com/sekito/stone/



サイトより
『伊達冠石は両輝石安山岩に属する火成岩です。
鉄分を多く含むため、風化した皮は独特の褐色や錆色を呈する一方、
内部は一様に黒檀色です。

この特徴ある石を加工する際には、表面の皮の表情をどのように残すかが
大きなポイントになります。また、石質は非常に緻密で石目が詰まっているため、
水分を含みにくく、風雨による劣化が少ないのも特徴です。

本磨きでは光沢が強く現れ、水磨きでは奥行きある硯のような枯れた
風情を帯びる伊達冠石。加工による表情の違いも、ぜひ直接お確かめくださいませ。』




これならUFOが不時着する時にわかりやすいですね。
そーいうことではないのか。。。


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安山岩は、太白山もそうです。
板碑や墓石などに多く使われるもので、名取周辺にある板碑はすべて安山岩です。



安山岩「あんざん」と言いますが、南米アンデス山から由来します。
地球の大陸の主成分であり、大陸上ではありふれた岩石なのですが、
一方で、地球の兄弟星と言われる火星や土星にはなく、珍しい存在の岩なのです。
他の惑星は玄武岩が主成分なのですが、地球の生命誕生には「花崗岩」が関係する。
花崗岩は地球にしかないそうです。



安山岩は花崗岩ではないですが、人々の信仰のために使われる石となっており、
このような形で作品として残ることが、ふさわしいとすら思います。



ちなみに、「伊達冠石は両輝石安山岩」とあり、
両輝とは、黒色の普通輝石と、紫蘇輝石の2種類の輝石を含有している安山岩だそうです。



県南には、足尾山の石碑が多いのですが、八坂神社にもあったように、
神紋が「天狗が用いる扇子」のようなものなのです。
これって、あんばさまと同じじゃない?
やはり、ルーツが茨城県。



丸森町の岩岳や鎌倉山、鬼形山、立石など巨石の山が多いところは天狗の伝説があります。
羽という地名があるのも、関係していると思います。

足尾山は、筑波山と加波山の間にあり、草履やわらじの信仰がある。
アラハバキとみる方もいますが、よくわかりません。
足尾山も石屋があり巨石信仰です。



また、足尾山は足尾帯といって水信仰として有名な八溝山がある。
福島県と茨城県堺にあり、阿武隈山系は北上山系と同じ性質の「花崗岩」らしい。
日立地域の花崗岩と北上山地の氷上花崗岩の活動が、5億年前のゴンドワナ大陸の
沈みこみにより変成された発達の歴史が同じであるという。



阿武隈山系と北上山系は繋がっているのです!
だから地層のある所に、信仰が生まれるわけです。



古来も、石を使った信仰がありました。

地球の形成に花崗岩は深く関係しており、共通するのは巨石群とピラミッド信仰です。
それに福島県の地質調査によると、蛇紋岩もあるそうです。
エジプトのピラミッドにも花崗岩が使われている箇所があります。
全てではなく、1列のみ花崗岩というもの。



石舞台



理由はわかりませんが、あえて花崗岩をそこに並べているという意図があり、
ピラミッドは金星の質量や体積が同じに作られて計算されている。

スーパーマンに登場する記憶するクリスタルがあります。
「メモリークリスタル」といい、エジプトのオベリスクは、
クリスタルを模したものと言われます。



地球の創世に関わっている岩石が、何らかの記憶をもっているとされ、
洞窟にこもる修行僧は、岩(花崗岩など)の地層のメモリーを受け取るためであり、
宇宙と交信する目的とも言われます。
空海がそのような力を得たとも解釈されていますが。
興味深い話です。



人間はそれに繋がる能力は持っているのだから、
AIというモノは、人間の脳を具現化する存在になるのかもしれない?
同じような鏡となって存在するようなモノになり得るのか。



しかし、それより上に人間が位置できるようにしなければならない、と思います。
という点で、人間はとても未熟だともいえますし、自分を信用していない結果、
AIが生まれたのだと思います。
AIに操られる人と、AIを操れる人が、また分裂していくわけです。



立石は、古来の宇宙のアンテナだったのかもしれない。
立石周辺には、大量に土器片が出土したことから、古代から自然崇拝の対象となっていたと
考えられます。弥生時代以降のものかと思われます。


※立石


土器が出土された岩(この下から)

立石に負けて転がり落ち、内川に沈んでいるという「うなり石」や、
ここから6キロ離れた松掛の「的掛石」を射た八幡太郎義家の伝説など、
各地に伝説があります。

たぶん、そんな立石だから、小野小町の墓へ行くような夢をみるのだな、と。
あの夢は、行く時は飛んでいるようにスっと到着するのですが、
帰りは、電車で帰るという三次元な帰り方をした。

それが真野に繋がるきっかけだったようです。
知らない女性からカラー版の地図をもらい、しかも2枚。
ここを観光して。みたいなことを言われたから、その場所へ探訪しているのだと思います。



立石に行った時に、たまたまカメラがぶれて撮れた写真なのですが、
宇宙みたいで、何かを見せている世界なのかもしれません。

そんなこんなで、丸森町の宇宙へ繋がったところで、ミッション終了。

他にも耕野には見どころあります。
興味のある方は、「耕野まちづくりセンター」の案内書が絵地図でわかりやすいです。



もしくは、斎理屋敷前にある観光センターへ。
koya-kou@town.marumori.miyagi.jp

おまけ-----------------------------------------------------------


そうそう、猪が北東北にも登場してきたと。
雪深い北東北に猪が登場するのは珍しいのです。
突進してますね~。
猪も必死です。
どこに向かって走っているのでしょ~か。

走りっぷりが何ともいえませんが、突進してくる猪には気をつけましょう…。

秩父人の遺伝を受け継いでいる私は、もし山で動物にあったら本能が芽生えて、
野生化すると思います。笑。
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乳神の八雲神社

2019-02-02 | 東北地方の伝説(宮城県)
牛石の後に虚空蔵菩薩に向かう途中で、偶然、八雲神社の前を通りました。
google mapには牛石はありますが、この神社はのってません。
探すのも大変だし、諦めていたので、嬉しかったです。





なぜなら、「乳神」の碑を見たかったからです!
おっぱいの石碑を作った人は、こんな人です。



『大正年間に建立、県道角田線字羽抜の八雲社内にある。
明治大正年間のころ、子供を産んでも乳が不足だったり、出なかったり、
又乳房の病気にもなり困っているお母さんたちがいたので、
同部落の一條利吉という人が、妻の胸を見ながら刻み乳神を祀った。

乳の出難い人や、病気の人は、甘酒を入れた2本の竹筒を供えて祈願すれば、
たちどころに効能があったと伝えられている。
大正12年耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、
その子供が小学校に入学したのは57人だけであった。
この碑は宮城県では珍しい』

※耕野の名所・旧跡と伝説より

母乳が出ないお母さんたちは、昔もたくさんいました。
阪神淡路大震災の時に、母乳育児率が上昇したと言われます。
災害時にミルクが手に入らない。
でも、そのような状況こそ、母乳で育てることが大事だとわかったところで、
お母さんたちは、逆境に強いと言えます。
いろいろ母乳育児は大変だそう。
今は、粉ミルクがありますが、昔は母乳しかなかったわけです。



この人は、よく作ったなあ~と思います。
奥さんもえらいよね。
こういう形で残ることは、必要だから存在していると思います。
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隣に、弘法大師の碑があり、道祖神の碑もあります。
私は知らなかったのですが、織田信長は、空海が建立した高野山を焼き打ちした
んですね。後で知って、そうなのか~と思いました。
この石碑の弘法大師と虚空蔵菩薩との流れ、結果、織田信長てところが、
どこか繋がっているものだな~と思います。

空海は洞窟にこもり、瞑想中、口から光が入って飲み込んだ。
といった伝承があります。
「虚空蔵求聞持法」と言われるものは、
密教で、記憶力の増進などを得るための修法とされる。

字のごとく、虚空を聞く方法ということで、
洞窟が虚空でありますが、どんどん聞いて求めなさい、ってことなのかな。
洞窟には何もない。と言う人は、何も見えないし聞こえない。
何かあると言う人は、何かを見ようとする幻想が現実化されていく。
シンクロなどはそうだと思います。
求めているから答えがやってくるわけで、
空海は、空虚の中こそ全てが見え、聞こえるとした人なのでしょう。

さて、八雲神社もスサノオ命を祀ります。
牛頭天王の祇園信仰です。
関東地方では、八坂神社が多いですね。
県南は、八雲神社を見かけることが多いです。

八坂は、「弥栄」と書くそうです。
島根県弥栄神社は、鷺舞が有名で、スサノオをご祀神としています。

『鷺舞の源流は八坂神社の祇園祭にて奉納されたもので、
中国の七夕伝説を端緒にするものとされる。
また、名前は鷺舞であるが、この鷺とは歌詞(後述)にもあるように、
鵲であるともされる。
鵲は七夕伝説に於いて、牽牛と織女のため、天の川に桟を渡した存在であり、
歌詞もその伝承に因んだものである』


前回も書きましたが、「鵲」は、七夕の鳥で、
昔とつく姓の人が、日本海へ上陸して機織りや七夕伝承を伝え、
白鷺や鶴といった白い鳥が伝えたことにしているのです。


※東京・浅草寺の白鷺の舞。

この舞は、京都の祇園祭から山口県山口市の八坂神社祇園祭に伝わった鷺舞を,
天文11(1542)年にときの領主が津和野にもたらしたものと言われます。

歌詞
『橋の上におりた 鳥はなん鳥かわささぎの かわささぎのヤーかわささぎ 
さぎが橋を渡したさぎが橋を渡した時雨の雨に ぬれとりとりヤーかわささぎ 
さぎが橋を渡したさぎが橋を渡した』


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春日文字ですかね?
「足尾山」とあります。
足尾山の石碑も、度々、みることがあります。



足尾山は、「筑波山や加波山と並んで古来より山岳信仰の対象となっており、
山中には霊石とされる巨岩や奇岩も多い」



丸森には猫碑が多いのですが、養蚕が伝わったことに由来し、
猫はネズミを退治してくれるから、ネズミが食べてしまう養蚕の繭を、
守ってくれることで民間信仰になったと考えられます。

が、もっと広く神話を広げれば、大国主はネズミである事が多い。
ネズミを追いかけるのは猫です。
猫は、エジプトからもたらされたと思います。

丸森町は伊具郡といわれたのですが、
鳥屋嶺神社(とやみね)があり、以前に妄想していた時に、
鳥が烏(ウ)の方の漢字ではないか?と思いました。
阿武隈川沿いに建てられているので、丸森町の道祖神ともいえます。


鳥屋嶺神社

ご祀神が、ウガヤフキアエズなので、産屋で出産した豊玉姫が生んだのが、
ウガヤフキアエズとなり、真野のカヤ姫を「萱」とも書くので、産屋の説がある。
ウガヤフキアエズを祀る神は、鵜戸神社でした。
宮崎県日向なんですね。
その意味は、「空洞」の意味をさすそうですが、
「うつろ」の意味がありそうなのです。
うつろ舟・・・。
これが、海底に沈んだ?籠(かご)ではないかな。

鳥屋嶺神社のご祀神も、中央にウガヤフキアエズ、左に猿田彦命、
右に保食神となっています。
ウガヤも猿田彦も、海に沈められた伝承になっています。

角田の高魂神社もウガヤフキアエズを祀っています。
前に深山(山元町)が見えるので、大山積見神を向いていると思います。


高魂神社

伊具十郎は、平永衡と言う人で伊具郡の豪族=下総国の平氏の一族。
相馬~宮城県南部に妙見信仰をもたらしたのは、これらの武蔵平家です。

また、「ウト」は、結局、忍熊皇子に繋がってしまう。
丸森の大猪伝承は、宇佐八幡の神託にも関わっていたりして。
宇佐八幡といえば、道教の事件がありましたが、それに関わった和気清麻呂が
いましたが、和気清麻呂を祀る「護王神社」が、猪なのです。

また戻りますが、五十瓊敷命は菟砥川上宮で剣をつくった伝承がありました。
菟砥が「ウト」なのです。

前回、「海童」が出てきましたが、
宇佐八幡宮の縁起の秘話によれば、神功皇后(大帯姫ともいった)は、
新羅遠征の直前夜に、住吉大明神と結ばれたとか、
ウガヤフキアエズの御霊が来て、大帯姫との間に、子をもうけ、
その子が応神天皇になったという話すらある。
応神天皇を誕生させるために、そのような伝説になったと思いますが、
八幡宮に秦氏が関わっていたことが、やはりあるわけです。

丸森町には、「羽」とつく地名があります。
巨大な道祖神として立石があったところは、小野小町の夢をみた場所でしたけど、
地名は「羽入」でした。
斗蔵山を考えてみれば、丸森町には宇宙的な思想があったと思います。

角田の高蔵寺は、岩城氏の豪族でしたが、「タカ」の地名から、
高倉下の剣があります。
思兼命の系譜をもつもので、天の岩戸に関係します。

思兼命といえば、阿智(アチ)です。
スサノオ信仰は北陸から伝播し、太平洋側へやってきたのですが、
阿武隈川を使用したと考えます。
渡来してきた中に、阿智氏がおり、長野県阿智神社では、
神坂峠(みさかとうげ)にやってきた渡来人として祀られている。

これもサカなのだから、境界です。
岐阜と長野県の境という場所にあるとの事。
日本の県境は、渡来した人の終焉地or墓場であったかもしれない。
その線引きにされた都道府県は、渡来人と先住民の境とも言えます。

ということで、丸森町にウガヤフキアエズをもたらしたのは、
海民で、大綿津見ということになるでしょう。
安曇氏も、阿智氏も、和邇氏も、みんな海の豪族。

それは、石巻の真野まで伝播し、坂上田村麻呂の征伐から、
小野氏、和邇氏、関東系武士団が東北を形成していくことになるのです。

源義家は巨石萌え、いや、イワクラ信仰があり、
平家討伐に、同じような石信仰をもたらし、怨霊を恐れて石で弔ったと考える。
石舞台や石室を用いていたのは、古代では、蘇我氏や物部氏、葛城氏、秦氏たちです。

霊山は、北畠顕家でしたから、関東経由ですね。
みんな、そうなっているのだから、関東はいろいろ東北を荒らしてますな~。

まとまりないけど、最後に、面白い場所を見つけました。
なぜ、石が信仰になったのかを考えるきっかけにもなるかもしれません。

つづく。
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