秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

初心にかえろう。宗教を超えて。

2019-11-27 | 日記・エッセイ・コラム

先週くらいから、ブログの整理を始めてます。

当初の過去記事を読んでいたら、初心に戻りたい!と本当にそう思いました。

まだ書き始めの頃は何もしらなくて、図書館で調べたりいろんな人の本を読んだり、

ネットで詳しく書いている人のを参考にしたり、とにかく夢中でした。

とってもピュアだったな~と思い、あー、この頃に戻りたい!!

と、本当に思ったので、そういう書き方に戻します。(できるのかね・?)

心のつぶやきは、アメブロで。

今、せっせと過去記事を修正しながら、2014年頃からだんだんごっちゃになって、

複雑すぎてワケワカメなので、もっと読みやすくしようと奮闘中です。

そんな時、友人の情報からこれを知って、本当に良かったことがありました。

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感動したのでのせてしまいます。

ただただ、本当に良かったな~と思いました。

思えば、今年の3・11、祈りの会に参加させて頂きました。

福島第一原発から17キロにある曹洞宗の同慶寺の住職、田中徳雲さんのお寺でした。

祈りの日、なぜ、私はここにいるんだろう・・・・と思ったのですが、(知人に誘われたこともあったが)

あの時間、地元の方たちとご一緒させて頂いたことが、今でも不思議でなりません。

同慶寺だけではなく、多くのお寺が被災しました。

神社もそうですが、原発で被災した方たちすべての気持ちを背負っての出会いなんだと思うのです。

『宗教を超えて力を合わせた』被災の住職、教皇に体験語る。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191125-00000031-asahi-soci.view-000

初心にかえることは、震災の前に戻るのと同じ意味があるのでしょう。

私の場合、2010年の秋に書き始めたから。

そこにもう一度、帰ろうと思いました。

ということで、gooブログが軽くなると思います。。。すっきりするね。

削除がすごく気持ちいい。笑

なので、先祖のことを調べて検索される方が、まほろばブログに迷いこむ(あるいは捕まった)

場合、削除されている記事があったら申し訳ありません。

とは言うものの、ほとんどの過去記事は残しますので、老後の楽しみにとっておきます。笑

ブログUP時間:222222!!

いえ~ぃ!!


笠島道祖神と出雲の関係

2019-11-25 | 宮城県の神社

むしょうにラーメンが食べたくなり、主人と岩沼のいつものラーメン屋へ行く。

帰り、主人が「あそこの神社にいきたい」と言う。

 (珍しい・・・) あそこってどこ?

名前が出てこない。

 「来る時に通ってきた」 私は金蛇水神社へいこうかなと思っていたけど、そっちじゃない方がいいという。

「来る途中にあった神社」・・・あった?

高舘那智神社?今熊野神社?

 「違う、その先にある所・・・誰かが死んじゃったところ。」

死んじゃった人→実方さん

 あ、道祖神か!! ということで、やっとわかりました。笑

で、久々に道祖神へ。

小雨降る中ですが、そんなに寒くない日でした。

新しい小道を発見!

これは歩きたくなる!

神社の鳥居前には美しい竹林の小道がありました。

いい雰囲気なんです~。

春頃に散策するのがよさそうですね~。

このまま先まで道が続いているようですが。

 断層?

ところで、以前、名取郷土史の資料で道祖神の巫女と商人の恋話しがありました。

実方がこの神社の前で落馬して亡くなった話しになっているのは、 その巫女を藤原実方と繋げたい為に、

地元の人がそのような伝承として 作りあげたという話し。

 なぜ実方と巫女を繋げたのかは、「出雲路の道祖神」と関係している事でした。

(3つの鏡?)

 以前どこかで書いた気がしたのですが、見当たらないので書いておきます。

その話しの元になっているのは『源平盛衰記』からでした。(1161年頃)

『奥州名取郡笠島の道祖神に蹴殺されにけり。 実方、馬に乗りながら道祖神の前を通らんとしけるに

、人諌めて(いさめて) 言ひけるは、「この神は効験無双の霊神、賞罰分明なり。

下馬して再拝して過ぎ給へ」と言ふ。 実方問うて曰く「いかなる神ぞ」と。

答へけるは「出雲路の道祖神の女なりけるを、いつきかしづきて、

よき夫に合わせんとしけるを、商人に嫁ぎて親に勘当させられて、

この国へ追下され給へりけるを国人これを祟め敬ひて、神事再拝す。』

名取の笠島道祖神と京都の出雲路が繋がっている。

都にいた巫女は、商人と結婚したことを親から勘当されて陸奥国へ逃れてきた。

『出来斎京土産』という書物によれば、

 「むかし、道祖神のむすめが商人に語らわれ、奥州に下り笠島という所に 住みて神になる。

笠島の道祖神とはこれなり。』とある。

山形県千歳山の阿古耶姫が、笠島の道祖神の巫女となっている話しもある。

 『日本行脚文集』という江戸時代のもので、全国行脚した際に集めた文集。

同じような話しで、名前は「阿胡屋」と登場する。

名取左衛門太郎が京都へ行った際に、阿胡屋に惚れてしまい契りを交わすが、 名取太郎が都に戻ってこないので、

阿胡屋姫は探しに陸奥へ行ったという話し。

 2人は再会することはできなかった。

阿古耶姫が「わけあって」都からきた巫女である話が長い間広まっており、

「都からきた巫女」は「あこや」という名前の総称になっていると考えられます。

※「さぐのえ(佐具叡神社)」と言います。

祭神:高皇産霊(たかみむすび)

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京都鴨川の西に出雲路幸神社(いずもじさいのかみのやしろ)があります。

出雲路幸神社の創建年代は不明ですが、飛鳥時代からあり(それ以前説も) 奈良時代~平安時代には「鬼門」として置かれたと伝わる。

他、700年代の始めての神社ともいわれ、 900年代の創建など、様々な説があって不明。

出雲氏との関わりがあるともいわれ、かつて「出雲路道祖神」と呼ばれた。

鴨川河畔西側の出雲路にあり、出雲への出発点になっていたともいう。

3月に下鴨神社に参拝してましたけど、あのY字の近くにあった!!

※鴨川近くにあった「出雲阿国像」

また、出雲郷の雲上里と雲下里の境に祀られていたとも。

※幸神社 https://kyotofukoh.jp/report33.html

この出雲氏が謎ですが、道祖神の由来に出雲族が関係されるのは、

白鳳元年再興、延暦13年に平安京鬼門除守護神として再造営され、

神亀3年(726年)の『山城国愛宕郡出雲郷計帳』に記されることから、

出雲氏集団との関係を推定するとある。

 (726年:京都出雲郷にいた住人の名が300名いた名簿帳)

つまり、「京都に出雲族がいた」という意味は、 「出雲族は京都から離れた」という意味にもなります。

鴨川西岸で発見された建物跡が出雲氏の屋敷とされたそうです。

 この場所は、「上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)」と御霊の祟神にされている所です。

ですから、笠島道祖神で落馬したのは祟りであると言われる由縁なのです。

上御霊神社の出雲族との関係を示している伝承と思うのです。

※道祖神

藤原家と出雲族の深い関係がみえてくるわけですが、 場所からして、鴨ですね。

賀茂家ではなく鴨家の方かと思う。

妄想するに、藤原実方が賀茂家だったことを考えれば、 出雲族を追って実方は陸奥へやってきた事もあったのでは?

賀茂と鴨の違いは、なんだっけ?

その道が、笠島道祖神だったわけで、竹林が知っていると思ったのです・・・。

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しかも、驚いたことに「笛吹き」が繋がっていたのです!

つい先週に書いていた千歳山大日堂の「オオヒルメ」の事。

金ヶ瀬の「お笛田」と、鹿角の「笛吹田」の屋号の話しがありました。

田を開墾した話し(少年)は、笛を吹く人でした。

阿古耶姫の松の木の精霊も笛を吹きます。

この「笛吹」というのは地名として全国にありますが、 以前から気になっていた葛城氏に関係していたのです!

やっぱり気になる葛城。

地名が「笛吹」でした。

それが「葛木坐火雷神社」で通称「笛吹神社」だったのです。

葛木坐火雷神社は、火雷大神と天香山命を主祭神とし、 大日霊貴尊・高皇産霊尊・天津彦火瓊瓊杵尊・伊古比都幣命を配祀する。

葛木坐火雷神社の元々の祭神は火雷大神で、天香山命は笛吹神社の祭神である。

大日霊貴尊(オオヒルメ)がここで登場。

 天香山命とは『先代旧事本紀』によれば、天照太神の孫神となる二ギハヤヒ (天火明命と同一)との事。

 天香山命=二ギハヤヒとしているのは、「尾張物部氏」なのです。

この尾張氏は愛知県です。 熱田神宮と出雲の「剣」が関わる。

ここで繋がる剣とは、「天の村雲」でした・・・

 ヤマタノオロチで先にあった村雲の剣(天叢雲剣)は、 後のタケルの剣=草薙に変わります。

 ※熱田神宮には青銅の剣が保管されているらしい。

「古代出雲王国」について書かれたサイトを発見。

まさか、ここに繋がるとは、本当に不思議です。

天の村雲の宮殿は 「笛吹きの地」と呼ばれていたと。

海童(ワタツミ)達は、ふるさとをしのび 「とうけん」(土笛の一種)を 吹いていたからですが、

後に竹笛をふいていたといわれます。

笛吹という地名が、田を開墾する意図があるのは、 出雲族が葛城地方へ移住して開墾したことから由来するという話しがあった。

何の資料を根拠にしているのかわからないのですが、興味深い話しです。

確かに「香語山」は、「かごやま」と言いますが、 かごは籠でもありますね。

籠神社は、真名井でした。

金ケ瀬の真野とは、そういうこと。

そこで休憩したあこや姫の伝承も。

出雲族が葛城にやってきた後に、香語山のグループ(丹波では五十猛の事という) の2つの氏族が、

同盟を結び香語山の息子が村雲に嫁ぎ、「天の村雲」王国ができた。

という話しになっています。

高鴨とは、アジスキタカヒコネという「味鋤」が登場していましたが、 これもタタラの意味が有力です。

ヤマトタケルが、鴨のアジスキ~を退治した舞台は、福島県のツツコワケ神社です。

それが土蜘蛛。

タケルVS土蜘蛛。(熱田神宮のマシキトベに繋がる)

そして、以前に何度も雷神がシンクロしていたのも、  

火雷(ほのイカヅチ)は、踏鞴(たたら)の金属精錬の神様で、  穴師(金属精錬技術者)たちに

信仰されたと言いますが 後に 雷神になったと。

穴師=オオナムチでしょう。

宮城県に多い「五十鈴神社」ですが、海側に多く祀られます。

これも籠神社の海部氏から繋がる話しかもしれません。

海部氏が祀ったのであれば、尾張物部氏とも繋がりますが、 海部という名は、

東北では安曇氏や宗像氏に統合されている気がする。

 大山積見(ヤマツミ)が特に強かった。

ということで、阿古耶姫が道祖神と重ねられているのは、 藤原家の娘であったが、

婚姻した相手は、東北に逃れた豪族のことを示している。

この裏道も通ってきたのでしょう。

千貫山・深山、愛宕山、猪倉山、五社山、樽水・・・の地名をみればわかる。

大河原の韮神山あたりは、山形へ行く笹谷海道の分岐でした。(東山道と陸奥街道の分岐)

金ヶ瀬の大高山神社にも近い所ですが、藤原実方が山形へ行く道として利用していた可能性有。

後に、奥州合戦で源氏に逃れて「照井高直」の首塚と、奥州藤原氏の「藤原国衡」が落ちのびた伝承がある。

藤原国衡の母は異母であり、蝦夷だった説あり。

出羽・羽黒にいた出雲族末裔が熊野信者を保護していたと思う話です。

早くに出羽国にきた出雲族です。現在の南陽市の熊野大社(出雲式です)

漠然とあった「羽黒講が出雲と熊野を繋げた」という話は、

日本海へ逃れた出雲族の末裔が、太平洋側のワタツミと結んだという話なのでしょう。

その仲介をしたのは、出羽三山の修験者たち(特に羽黒)という羽が黒い人たち、ヤタガラス?

出雲族の系譜をもつ豪族や鴨氏、葛城、物部、大伴、安倍氏などなど、 多くの東北に散った豪族たちの物語は、

都から派遣された出羽・陸奥国の藤原家の娘たちによって、 東北の成立を目指していた事を伝えます。

なかには、心外だった巫女もいたでしょう。

これは、 「平和的な意味をもって女性たちが間に入り、和合を結んだ」と考えるべきなのです。

 いつも平和をもたらすのは、女性であることを忘れずに。

まさかね、道祖神でこうなるとは。

出雲路のことは知っていましたが、笛吹きの意図が繋がるとは驚きです。

あこやんだわ。(親しみをこめて(笑))

この話しは、これからも続きそうです。

ひとまず道祖神はおしまい。


アメブロも利用

2019-11-23 | 日記・エッセイ・コラム

お知らせ。

今までのブログ記事を整理しつつ、今後は、歴史意外の精神世界の話は、

アメブロに書くことで分けることにしました。

メインはgooブログですが、歴史と個人的な心理な話をひとつにまとめると、

混乱するし、とても読みにくいので分けることにしました。

あまりアメブロで書くことはないと思いますが、

太白山に行って感じた話を、さっそくアメブロに書いてみました。

過去記事の中で歴史とは関係なく、どーでもいいじゃんな話は、

削除するか、アメブロに移行するかもしれません。

興味ある方は、こちらもどうぞ。

「tohoku-inehapo」 秩父まほろばPart2  !!

https://ameblo.jp/tohoku-inehapo/

 

 


おもひでぽろぽろ神明社

2019-11-22 | 山形県の神社

山形市内から天童へ向かう時に、山寺の裏側を始めて通ってみました。

長いトンネル「べにばなトンネル」を抜けると、 桃源郷のような昔にタイムスリップしたような風景が、

 とても素晴らしくて、いい所だな~と思って走ってました。

石碑群が並んでいたり、巨木のある八幡社も趣があり、 車なので急には止まれずそのまま通過してましたが、

後でゆっくり歩きたいような所です。

十八夜観音?

後で調べてわかったのですが、「おもひでぽろぽろ」の舞台になった所とあり、

どうりで絵になる風景だな~と思ったのです。

この映画はみたことないのですが、山形県が舞台になっています。

 私が通った道は高瀬という地区で、そこに立ち寄った神社は、

石畑という地名らしいです。(googlemapより)

ポツンと見えた鳥居が気になったので、寄ってみたら「神明社」でした。

月待講の碑もあり、すぐ前の山は山寺になります。

山寺の裏側にこんな場所があったんですね~。

有名なお寺が高台にあるらしい。

この時はわからなかったので、またいつか参拝したいと思います。

「神明社」は度々みかけますが、これも導かれた神様のような気がします。

神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大御神を主祭神とし、 伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社である。

神明社(しんめいしゃ)、神明宮(しんめいぐう)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、

 天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、 通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い。

ということは、大嘗祭の前だったと思うので、繋がっている感じですね。

こちらのサイトに映画の舞台になった内容が詳しくのっていますので参考に。

※おもひでぽろぽろ舞台探訪 http://astral01.hatenablog.com/entry/2017/05/29/212337

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境内の石碑に目がいったのですが、始めて聞いた名前。

 「秋元大神」

調べてみると、高千穂にある神社でした。

「秋元神社は阿蘇神社の祭神、建磐龍命(たていわたつのみこと)が 高千穂にある諸塚大白山に造ったと言われ、

1683年に現在の地に移されたと伝えられている神社です。

 秋元神社の拝殿は、鬼が出入りするという鬼門(北東)の方向を向いて邪悪な気を抑え込んでいると。

中でも秋元神社は国常立尊、国挟土尊、豊斟淳尊の三神を祀っており、

主神の国常立尊が国土・大地の神様である為、国土安泰や心身健全などに ご利益があると言われています。」

※skyticketより https://skyticket.jp/guide/16621

ふ~ん。 知りませんでした。

 山形県のこんな里の風景の中に、高千穂とは・・・

 九州からやってきた人たちが置いていった信仰ですね。

ひっそりと木の影にいました。

 よく気づいたわ。

神明社のイメージは、とても大人しいという感じがします。

表にどーんと出てくるような神様ではないと思います。

そんな控えめな神社にお参りして仙台に帰りました。

 高瀬の道はおすすめです。!

これにて山形探訪はおしまい。


千歳山周辺散策@エンドレスノット

2019-11-19 | あこや姫伝説

万松寺へ。

お寺の奥には、阿古耶姫や藤原実方の碑、修験者たちの塚や講の集まり、 明治天皇を含め、

ずらりと霊が鎮座する場所があります。

そこにお参りした直後です。

カーン、カーンという高い音が聞こえ、複数の女性たちの祈祷が始まりました。

体にズシン、ズシンと響く般若心経と木魚が、心臓の鼓動と同じリズムでした。

ちょっと心地いい。

なんだか帰れなくなってしまい、しばらくお経が終わるまで、 御堂と向き合っていました。

御堂は土間で、

本尊(中尊:釈迦牟尼仏立象像・脇仏:如意輪観世音 菩薩座像)や

脇侍(大迦葉尊者立像・阿難陀尊者立像)、不動明王立像が安置されている。

菊紋様の家紋が目立ちます。

お経を聴きながら、菊紋様に聞く。

なぜ私はここにいるのでしょう?笑(←なぜか笑える)

 菊は、「聴く」なんですね。

中心に坐す釈迦牟尼仏とは、

大乗仏教では、 十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)

 三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、 現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏であると。

また、三身説では仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。

釈迦の教法により解脱した聖者に「阿羅漢」がいますが、そのシンボルマークに これが出てきた!

 どっかで見た事あるような・・・。

 ※エンドレス・ノットの意匠は、アジアの多くの国でカルマの象徴とされる。

エンドレス・ノットとは、 結び目を用いたシンボルであり、8つのアシュタマンガラ(Ashtamangala;八吉祥)で構成される。

直訳すると「終わりなき結び目」「無限の結び目」。

八吉祥! ピンときた。

 だんぶり長者の吉祥姫!

そういう意味だったのかー!

仏教においては、煩悩に縛られていることから解放され、迷いの世界、

輪廻などの苦を脱して自由の境地に到達すること。 悟ること。

金剛杵の上にはチャットラ(Chattra)と呼ばれる傘がある。

これはチベットのアシュタマンガラ(Ashtamangala、八吉祥)と呼ばれる吉祥物のひとつで、

ブータンの人々と国王の精神的な守りを意味する。

チベットに繋がるとは・・・、

このシンボルの解釈のひとつに「先祖とユビキタスを結びつける結び目の象徴」とあった。

※ユビキタス・・・いつでもどこでも存在する「偏在」を意味。

確かに、日本の原風景は、ヒマラヤやチベットとよく似ている。

エンドレスノットの紋様は、以前、Rさんが子供の頃に書いていた紋様の話とよく似ている。

宇宙の記憶をもった子供たちは、この紋様を無意識に書いていたと。

私はこの紋様を書いていたことを覚えていないが、見たことがあると思いました。

リラを故郷にする人や、リラのエネルギーを強く持つ人にとって、 この文様はある種の「お守り」として機能するのだろうとの説。

とても興味のある話しです。

これがリラ星の紋様。

「8」紋様の正体です。(横も縦もどちらも)

あ~、思えば私がスピリチャルにハマったのは、チベットでありヒマラヤだった。

記憶の王国マナスル。

※物部守屋:顕彰碑拓本

2011年7月に調査が始まり内容が明らかになった。

 千歳山公園に立つ石碑。

1896(明治29)年12月に建立。

 それまで生い茂る森の中で誰も気づかなかった。

久々に訪れましたが、立派になっていました。

石碑の一文。

『今、名分の学が開きゆくこの大御代(おおみよ:天皇の御治世)に、

守屋公の忠憤義慨が世に明らかになってゆくにつれ、山形県の有志の者が、

 同村の千歳山に祭場を設け、一千首余りの国歌を備え、 守屋公の忠勇遺烈を顕彰するものである。

すなわち、ここに大石碑を建て、守屋公の正義を後世に永く伝えて、邪道に迷い、

 大義をあやまることがないように、世に示すのである。  

明治廿六年十一月  陸軍大将議定官大勲位有栖川熾人(ありすがわ たるひと)親王

(注5)篆額  枢密院副議長従二位勳一等伯爵東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)(注6)撰并書』

物部守屋の碑

阿古耶松の碑(万松寺)

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織姫神社の紋様も、エンドレスノットと同じような意味があるわけです。

扶桑は、もののふ集団の故郷ではないか、と。

ツングース系の射日神話は、物部氏の系譜をもつと思います。

『古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ伝説上の巨木であり、 そこから太陽が昇るとされていた。

古代、東洋の人々は、不老不死の仙人が棲むというユートピア

「仙境=蓬莱山・崑崙山」にあこがれ、同時に、太陽が毎朝若々しく再生してくる という生命の樹「扶桑樹」にあやかろうとした。

「蓬莱山」と「扶桑樹」は、古代の神仙思想が育んできた幻想である。

海東のかなたには、亀の背に乗った「壺型の蓬莱山」が浮ぶ。 海東の谷間には、

太陽が昇る「巨大な扶桑樹」がそびえる。

古代の人々は「蓬莱山に棲む仙人のように長生きし、扶桑樹に昇る太陽のように 若返りたい」と強く願い、

蓬莱山と扶桑樹への憧憬をつのらせてきたという。』

「下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。

黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある 」(Wikipedia)

烏が乗る10の太陽という話は、三足烏の神話と共通である。

 10個の太陽を射る話し(オロチョン)など。

※漢代の壁画(右が火の鳥)=ヤタガラスは太陽の象徴

火の鳥が、鳥海山であり二ギハヤヒ伝承(鳥見山)となっている。

つまり、阿胡耶姫の松の木の精霊をもたらしたのは熊野修験であり、 扶桑の世界樹を意味するものだろう。

柱を建てるのは、世界樹を建てるという意味で。

出雲もそうです。

大国主は天をあおぎ世界樹に祈る。

中国では蓬莱山は、蜃気楼との説があり、 実際、山東省の蓬莱市(旧蓬莱県)は、蜃気楼の名所で古来より有名だそう。

そこに仙人が住む伝承があり、「五神山」と言う。

日本にもある徐福伝説ですが、不老不死がいる山なので道教がもたらしたものです。

※五の宮岳

鹿角の大日堂舞楽にも「五の宮岳」があります。 この山が、だんぶり長者の舞台になっているのです。

また、錦木塚伝説に登場し、子どもを攫う大鷲の住み処であったと伝わるため、 大鷲とは、世界樹に留まる鷲だと考えます。

※世界樹の上にたつのは鳥

秋田県鹿角市遺跡詳細分布調査報告書によれば、下鷲の巣遺跡・小豆沢館跡・

堂の上遺跡(縄文、奈良・平安時代)などの遺跡がある。

そして仏教は薬師信仰となり、鳥海山も薬師如来なのです。

鹿角は、縄文時代~平安時代、安倍貞任のいた鎌倉時代まで、

ずっと長い間、五の宮に世界樹を仰いでいたのではないか?

「東の海に蓬莱という山あるなり」の『竹取物語』は、富士山を差すといわれますが、

 実際、蓬莱山や扶桑国というのは、失われた大陸のことを言うのだと思います。

最後に、里の風景で出会った神社へ。

 千歳山散策はおしまい。


千歳山周辺散策@ヒルメの大日堂

2019-11-19 | あこや姫伝説

慈覚大師の開祖と伝わる平泉寺(へいせんじ)は、天台宗。 (現在は曹洞宗)

 このお寺は、天然記念物の枝垂れ桜が有名で、歌碑もあります。

仏像、仏具、絵馬等多くの文化財が伝わるが、 最上氏の家臣氏家相模守光房が大日堂に寄進した鉄鉢があるとの事。

枝垂れ桜

ころり観音堂を参拝

湯殿山と金毘羅山の石碑。

ちょっとこちらで参拝し、隣に鳥居がみえたので行ってみました。

それが大日堂でした。

大日堂とは、大日如来を本尊として祀っている御堂のことを言います。

私は大日堂が以前から気になってました。

千歳山大日堂(別当平泉寺) 聖武天皇の時代、奥の新山という所に行基が自作による大日如来の尊像が安置 されてあったが、

慈覚大師が東北巡礼の際に尊像の風雨に打たれているのを 悲しみ現在の地に安置したと伝わります。

大日堂までの道が、神秘的なんですね~。

 ここだけ空気が違います。

縄文時代の象徴である石棒がたくさんありました。

 山形市内にもたくさん縄文遺跡があるので、この場所もそうでした。

本堂下にある池は、慈覚大師本尊の閼伽水を求めていたところ、 杖にて地をついていると、

突然、白蛇が現れ水が湧きでたという。

 現在の平清水というのは、これによって伝わったとの事。

水面に光が当たっていて神秘的。

金魚が絵みたい。

鎌倉時代、源頼朝が東北祈願所として三十六町の荘園を賜わり、 後、欺波兼頼公により祈願所とされた。

本尊:胎蔵界大日如来 

不動明王:南瀧山の本尊

飛行地蔵大菩薩(秘仏)

大きな大仏様の頭像がありました。 とても優しいお顔でした。

大仏様は、元、千歳山公園六角堂にあったものだそうです。

ここは白山大権現が地主神であったと。

行基の話し、源頼朝から考えて、奥州藤原氏と金ですね。

なので、金売吉次が阿古耶姫と結びつけられているわけです。

黒々とした狛犬。

「大日堂」といえば、秋田県鹿角の大日堂舞楽。

大日堂は天照大神ですが(仏教で大日如来)

「アマテル」よりも「オオヒルメムチ」という響きの方が好きです。

美しい響きだと思います。

 

物質文明に近づくためにあてた言霊がアマテルだと思います。(あくまでも私観です)

なので大日堂に魅かれるのは、オオヒルメだからです。

 実際、鹿角の大日堂は、大日霊貴=オオヒルメムチです。

高貴なヒルメ(太陽神)

一関の達谷毘沙門堂の霊は、口3つの巫女の漢字です。

これもヒルメの太陽神を示しています。

天照大神は、太陽神の総称と言われます。

鹿角の大日堂については、以前書いたので詳しく書きませんが、 「だんぶり長者」が有名です。

簡単に言いますと、

「だんぶり(トンボ)の導きにより富を得た夫婦に、女の子が生まれ桂子姫と名付けられた。  

夫婦は美しく成長した桂子姫と共に、長者の称号を得るために都へ行き、 時の第二十 六代継体天皇に見初められ、

后として中宮に召され「吉祥姫」と名を改めた。

米代川に産湯を使い、その清流に美しい肌を磨いて育った古代鹿角を代表する美女が 吉祥姫である。」

 国の重要無形民俗文化財に指定されている「大日堂舞楽」は、

その当時吉祥姫の霊を慰める際に建立された大日霊貴神社に奉納した舞とも云われている。

このヒルメから繋がる阿古耶姫というのは、 長い間、複数の巫女伝承で各地に伝承される。

やっぱ恋話。 世阿弥はコイバナが好きだったんじゃない?笑

(不動像)

こちらの像は生きているみたいでした。

手に数珠をもっているのが印象的です。

お顔が暗くてわかりづらいですが、少年のようでした。

鹿角の大日堂の舞は、4つの地区の氏子で舞が行われるのですが、 その中のひとつ「小豆沢」という所に、

「笛吹田(ふえふきだ)」の屋号があるそうです。

かつて神社から田んぼを分け与えられたという。

それから笛吹田と名付けられたのですが、同じような伝承が宮城県の阿胡耶姫にもある。

それが何度も書いている「真野の金ヶ瀬」。 大高山神社がある所です。

大高が「鷹」という鳥を想像するのですが、鳥が神となる伝承は東北各地に多い。(これが後に繋がります)

伝承では、阿胡耶姫が長旅に疲れて病気になり、 通りかかった一人の百姓に助けてもらう。

その百姓は青根温泉の川崎村であったらしい。

その途中に阿古耶姫が休んだのが「金ヶ瀬付近」と伝わる。

この金ヶ瀬にも「長者」伝説があります。

美しい長者の娘と牛の伝説。

笛をふく青年が現れ長者の家に住むようになり、 その青年は田を開いて開墾し、よく働くようになるのですが、

やがてその笛が聞かれなくなり、その場所に笛がでてきたので「お笛田」とよばれた。

阿古耶の松の木の精霊も笛を吹く。 笛を吹く人は、田を開墾しにやってきたのだから、農耕民族です。

それに対するナーガ的な大蛇信仰(母系)の巫女。

といったわけで、各地の伝承から、大日堂=笛吹田=長者の娘と青年の話し。

 鹿角の「錦木」という陸奥国の風習があることを考えれば、 若い男女の恋話しが多いことは、納得できます。

 能にもあります。

「都から遠く離れた、陸奥の地。鄙の習俗の中に生きる、若き男女の恋心。」

感動的ですよ。

錦木を持った里の男(シテ)と、細布を持った里の女(ツレ)の話し。

 妄想するに、この「木」が阿古耶姫の木霊信仰になったりして。

※能と狂言「錦木」 http://www.tessen.org/dictionary/explain/nishikigi

錦木塚=男性が女性に求婚する時、女性の家の前に木を立てる。

女性がOKだったら、その木を家に入れる。

フラれれば、木はそのまま放置され、どんどん木だけが増えていくことになる。

要は、国司を置かれるようになってから、長者の娘が貴族や天皇家に嫁がれることがあった時、

(福島の采女伝承のように)

 地元の青年は、それにより婚姻を絶たられた、という事でしょう。

それが雲南省の若い男女の恋話しと同じなんですよね。

騎馬隊の漢民族が入って来て村の娘と婚姻させられた為、雲南省では若い男女は、来世に結ばれることを信じていたので、

男女の自殺が絶えなかったといわれます。

入口には姥神。

乳母のこと。

本当は優しいおばあちゃんです。

私を孫にように慕ってくれます。

山寺の姥神は最強です。

引き裂かれた恋話しは、先住の地を侵略してきた渡来人によって消えていく。

まだ鎮魂されない若い男女の悲しい魂は眠っており、 目覚めれば、再び今世になって巡りあうのです。

 横の糸と縦の糸。

松の木が伐採されていた・・・二代目松が・・・。(千歳山にて)

アカマツ枯れ・・・。(T T)

「消し世の跡問う松の末かけて 名のみは千々の秋の月影」 阿古耶

「夜や更けておぼろの中に松の声」 風五

大日堂境内にこの歌の碑があるそうですが、どこにそれがあるか確認してこなかった。ワラ

裏山には四国八十八所霊場を勧請した石仏がならぶというが、 裏山まで行く気が起きなかった。ワラワラ

もう全然ダメ。

地元の男性だろうか?荷物も何も背負わず、山を登って行く。

その姿をみたら、私にはまだ無理だと思った。

 何も背負わずに登れる時が来るのだろうか・・・・

白山権現もあるそうですが、それも確認せず。 もう行くなよ、って感じ。笑

来年、大日堂から千歳山に登ろうと思うので、その時にまた確認しておこう~。

ということで、宿題ができたからまた行ける!

桜の咲く頃、また参上す。

ちなみに、「名取に橋をかける」の「橋」が「端」とすれば、 端山=里山にこもる霊と天をかけるという意味になる。

亡くなった霊を弔う力があった巫女は、ヒルメということになりますが、

神ではなく、人々のためによりそう事に決めた阿古耶姫だったと思うので、そういうところが好きです。

さて、最後に萬松寺へ参拝。

いつも訪れるお寺ですが、ここで興味深いモノと繋がりました。

 宇宙的スピリットなシンクロです。

ここはチベットだったのか・・・!?

次にします。


千歳山周辺散策@里山信仰と恥川

2019-11-17 | あこや姫伝説

勧音堂すぐ下に耕龍寺があります。

龍だけに龍神様がたくさんいました。(御堂の中に)

「1062年平清水の奥地深山にあって、勧音菩薩を祭礼する天台宗の寺だった。

中頃、千歳山東方の寺ヶ入に移り、さらに1394年肥前国佐賀城下の玉林寺の 徒弟自玉和尚によって

千歳山西麓に移され「清水山耕龍寺」と号したといわれる。

 以後、曹洞宗の名刹となった。 境内には深山以来の勧音菩薩を祀り、

最上三十三観音第六番の札所として 信仰を集めている。(以下省略)」

※看板の説明より

 

伝説では付近一帯は湖で、そこに住む竜神を白苗和尚が成仏させたことから、

 湖は耕地に生まれかわり、耕龍寺の名がつけられたという。

看板の説明にある「奥地深山」というのが、瀧山(りゅうざん)だったのです!

山好きなので、瀧山はよく知っています。

 姥神がある参道コースがある。

きつそうなのでまだ登ったことがないのだが。

蔵王麓にあり、大山桜が有名。

※東北・夢の桜街道より https://www.tohoku-sakurakaido.jp/lineup/yamagata/sakura41.html

この桜について西行法師の歌があるのです。

  「たぐひなきおもいではの桜かな うす紅の花のにほひは」(山家集)

この頃から、桜が咲いていたかは疑問ですが、 西行が奥州に来ていた頃、藤原実方を追っかけしているので、

 阿古耶姫伝承にも興味をもっていました。

『この地区から西蔵王高原ラインと交叉し、 標高が510㍍の高原地帯となり、神尾地区がある。

 この地区は滝山信仰と関係が深く、滝山信仰の盛んな鎌倉時代には、 別当(寺・行屋を含む)三百坊があったと伝えられている。  

滝山は1,362㍍の山、背景に蔵王大権現が鎮座する蔵王連峰をひかえている 霊山(古くはリョウゼンという)であった。

福島県の霊山と同様に修験者達の交流がなされていたことが、 福島の霊山を訪れて知ることができた。

単純に慈覚大師が開山した山でなく、一連の天台密教の修行場としての役割を 果していたのが瀧山であった。

この高原では毎年5月8日に「瀧山大権現=薬師如来」の祭礼が行われる。

 オオヤマサクラの下で、後藤利雄元山大教授の提唱で「西行祭」が賑やかに行われた。』

※山形市観光協会(Web山形十二花月)より

瀧山信仰が盛んだった鎌倉時代、300の坊があったという。

だから千歳山も信仰が深い場所だったわけですね。

『里人が死ぬとその屍は端山に葬った。

肉体を離れたその人の魂は、美しい端山の頂きに登ると考えた。

 端山に登った霊は、三十三年のあいだ端山の頂きに止まるという』

※山形の自然と文化

この端山は、山形市内では千歳山であり、深山が瀧山と言われます。

瀧山麓に日本最古の鳥居と言われる社がある。 伝説には、天邪鬼が一夜で造ったが、

一番鳥が鳴いたため中途半端で立ち去り、 こんな形になったという伝説。

もう一つの伝説はこの鳥居の主の龍が夜になると鳥居にからみつき、

龍の赤い眼と合うと熱病にかかり死ぬ者もいたところ、 和尚が龍は霊だから首を落とせば消えると教え、

侍が龍退治をしたという伝説である。

首以外に斬りつけても龍はすぐ再生するため侍は苦戦したが、

 砂を投げつけて龍が眼をつぶった瞬間、龍の首に斬りつけて龍の首を斬り落すと

 石鳥居の端が落ち、以来龍が現れなくなったという。

しかし、天台宗を目の敵にする鎌倉幕府執権北条時頼の命により瀧山は閉山されたと。

なぜ北条氏は天台宗を避けていたのか?

修験者の行動などが問題視されたというのが定説かもしれない。

 修験たちは夫婦、家族をもっていたのですが、 ある説では、横暴な振る舞いが広がったということ。

妄想するに、女性の講が多かったことがあると思います。

東北地方の奥州札所三十三観音の勧請は、天台宗の開祖慈覚大師なのですが、 名取老女説もある。

盲巫を広めた宗派のお寺周辺に集中して札所観音霊場があることを考えれば、

女人禁制である山岳信仰が解禁されていた可能性も考えられます。

山に女が入ることはタブーとされますが、黙認されていたこともあったのでは?

出羽三山信仰が広がる鶴岡で生まれた「黒川能」の「鐘巻」 の話し(『法華験記』)を読めば、なんとなく理解できるのかも。。。

女は男を惑わす魔物と考えられていた中世。

罰を受けるのは、女だった時代です。

黒川能は世阿弥、音世弥が作成された部分があるそうですが、 謡曲「名取ノ老女」も音世弥が作成したものです。

熊野修験なのですね。

女性も行っていた山岳信仰を、黙認?していた天台宗のバックに、 広大な荘園をもち、

在地の長から「庄」に変えて、 熊野修験が武将たちの力になっていたことがありました。

阿古耶姫伝承も、羽黒・熊野信仰が関係していると思います。

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 さて、「恥川」という川がありますが、こんな阿古耶姫伝承があります。

「父の眠る千歳山の墓を訪ねんと遥か京の都から幾山河を越え悪路の 雑草の露を踏み分け

やっとの思いで千歳山の麓に辿りつき、 墓参りに詣でるため旅姿の乱れを直そうと近くに流れていた

小川に自分の姿を写してみたところ余りの顔のやつれ、髪の乱れ、

衣服の乱れに驚き恥じ入り口ずさんだのが、

「いかにせん 写るすがたは つくも髪  わが面影は 恥かしの川」

と呟いたそうです。

すると歌に感じ入った水神は姫が渡る所の流れを地下に流し水を無くしたと言われます。

その後、四十年間千歳山万正寺に庵を結び父の霊を弔い1036年9月15日に没した説もあります。

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焼きものの里・平清水のはじまりは、江戸中期の頃。

常陸笠間の小野荏兵衛が、 平清水の丹羽治左ヱ門方に寄寓して窯業を始めたといわれ、

現在では陶祖として崇められているが、実際には、 それを引継いだ岩波村の伊藤藤十郎らによって成功し、

世に平清水焼の名を知らしめた。

看板横の御堂に、おびんずる様が祀られていました。

わ~、こっちからみる千歳山は新鮮。

この後、平泉寺(へいせんじ)の後に参拝した大日堂がすごかった!

黄泉の世界に迷いこんだみたいです。

つづく


千歳山周辺散策@観音堂

2019-11-16 | あこや姫伝説

水晶山の後に、再び山形へ。

 ちょっとだけたちよった寺社です。

 あまりお寺に行くことはないのですが、千歳山周辺は阿古耶姫伝承があり、

多くは観音様ですが、素晴らしい風景でした。

紅葉の季節の里風景は、本当に美しい。

雪が降らないうちに、また千歳山に登りました。

 なぜ再び千歳山に登ったのかは、しばらく後に書くことにします。

千歳山麓に「大日堂」があり、宮城県南にある名取老女や斎宮のある場所、

また、山形県内でも敵に殺された武士の妻が尼となって 開山されている伝承があるので、

マップをみて行ってみたくなりました。

 大日堂は後で。

武将の妻は、敵の妻になるか、入水するか、尼になるしかなかったようです。

特に天台宗がそのような妻たちを保護していました。

 観音様は両性具有と言われますが、中世の天照大御神は両性とされています。

なので、女も男もどっちの説もあるのは、崇高な精神をもつ人は、 男女どちらも兼ね備えていると言う事になります。

今回の散策では、阿胡耶姫伝承にあるように、亡くなった霊(特に女性)を供養するため、

 女性の尼僧や講がたくさん集まっていた感じがします。

弔う千歳山であったことがわかり、多くの方を供養している土地とわかりました。

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 いつもの萬松寺から急登を登り山頂を目指す。 萬松寺から登る人は、まずいない~。

 私はせっかちなので、早く到着するコースを選んでしまう。

 きついけど。

40分くらいで到着。 あっという間。

小さい方の石碑。「阿古耶松之遺蹟」

展望が素晴らしいのは、残念ながら松枯れで多くの松が伐採されました。

数年前はもっと松が生い茂っていたのですが・・・。

 阿古耶姫と松の木の精霊話しなのに、ほとんどの松が枯れている。

これは非常に残念なことです。

もう月山は雪。

さて、いつもは山頂から千歳山稲荷神社へ降りてくるのですが、 今回、始めての道を降りてみました。

コースは、耕龍寺の方。

道はわかりやすいのですが、降りれば降りるほど暗くうっそうとした森に。

途中の道表示が、「五郎宗吉稲荷神社」という看板になっていた。

このまま降りてよいのか不安になりながらも進むと、鳥居がみえて森の中に神社が。

五郎宗吉という人の稲荷神社がよくわからない・・・。

またもや、タイミングよく稲荷神社で登山客と出くわす。

 稲荷神社を参拝していると、上から男性が一人降りてきた。

あまりこの道は選ばれないと思うので、私がいたのでちょっとびっくりな感じ。

てか、私もびっくりだ。

なので、その方が先に降りてからゆっくり後をついていこう、 と思っていたら、

その方は、稲荷神社の鳥居と登山道が合流するところで、 立ち止まり、私が降りてくるのを待っているのだ・・・。

ああ、そっか、参拝したいわけか。

私が邪魔なんだと思い挨拶をしてそのまま通り過ぎようとしたのですが、

念の為、このまま下へ降りると耕龍寺にいけるのか、聞いてみました。

ご高齢の男性の方でしたが、丁寧に教えて頂き、 そのまま道をおりていくと、

鳥居の入口になり、ちゃんと看板の表示もありました。

その方は、私が複数の仲間と来ていると思い、一人できた、というと、 無言になった。笑。

唖然とするのかな。やっぱり。

心配してくれたのか、私の後をついて一緒に降りてくれました。

ほっとした~。おっちゃんもいろいろ。笑

草木供養碑

入口でお別れして、ゆっくり紅葉を楽しみながら無事、耕龍寺の前まで降りてきました。

このルートは良いかもしれない。

いつもと違った登山道を歩くのもよい。

して、私は観音堂を参拝したかったので、向かいの御堂へいくと、 さきほどの方が、

向かいの勧音堂に駐車していたので、また再開することに。

地元の方で山形市内から来られたと。

 阿古耶姫の伝承について調べていることを話したら、 阿古耶の清水を教えてもらった♪ラッキー。

すぐ近くにあったその小さな水溜まりの石がそれ。

この石は、硯石と言い、阿古耶と名が書かれた石碑がそばにありました。

 「阿胡耶の硯石」との事。

日照りでも水が枯れることがないという伝承。

水が枯れない伝承はよくありますが、治水神の伝承です。

おそらく、源氏の頭といわれた源頼義が応戦でやってきた時に、 源氏がもたらした伝承だと思います。

七ヶ宿にも同じ伝承があり、源頼義の話しになっています。

 源頼義は、八幡太郎義家の父です。

地元の方から、この付近のお寺のことや奥平清水の家々のことなど、 ちょっとした地元の情報を教えてもらう。

ここは「平清水」と言いますが、 この話は次にしまして、紅葉が美しい観音堂にお参りし、

 阿古耶姫とのご縁をつないでくれたことに御礼。

「ひがしやま ながれはおなじ ひらしみず  むすぶこころは すずしかるらん」

最上三十三観音六番

「平安中期、陸奥の源頼義が奥羽の安倍貞任一族と戦い、 その戦勝を京都の清水観音に祈願し成就したため、

京都の音羽の滝に似た平清水に京都清水寺より十一面観世音菩薩の分霊をまつり、 信仰を広めたといわれる。」

京都の音羽~。

清水寺の音羽の滝です。

 美容にいいという話しですが、正直、清水寺の音羽の滝に関しては何も感じない。

でも音羽川ならわかる。

京都へ行った時に参拝した下鴨神社に流れる高野川と鴨川の合流地点にあたる川。

やはり、斎宮なのです。

阿古耶姫の伝承は、2つのパターンがあり、

 ①藤原豊光系・・・木霊信仰

②藤原豊成系・・・中将姫の妹

どちらの伝承も同じ藤原家の娘になっているのですが、 阿古耶姫も同じ機織の魂をもっていると思うので、

姉とされる中将姫は、大麻寺(奈良県)で蓮糸で曼荼羅を織った人です。

兵庫県に伝わる阿古耶姫がタクハタチチヒメ(機織姫)です。

美しい里山ですね~。

「戸神山」という山らしい。

ということは、やはりピラミッドですね。

裏手の三角山もきれいなピラミッドです。

千歳山も天然から人工のピラミッドにしているという妄想。

太白山もそうです。

その直線に向く西の富神山もピラミッドです。(縄文遺跡あり)

 阿古耶姫がこの山を選んだのには、いろいろ理由がありそうです。

とにかく、山形県はピラミッドな山だらけ。

その地元の方が、五郎宗吉について調べている方が平清水にいたそうですが、

 ご高齢で亡くなられたそうで、もうそのことについて詳しい人はいないらしい。

もう高齢者が多いので、資料をみつけるのは難しいといった話に。

ほとんどが口承に限られてしまいます。 コツコツ拾っていくしかないですね。

「ながれすむ まつかぜかおる こうりゅうじ じぞうぼさつの めぐみやさしく」

 ※山形百八地蔵尊 五番

いずれ、名取老女のように、阿古耶姫も地元の方と交流する時がくると思います。

 今回のこのご縁を次に繋げていこうと思うのでした。

次も散策つづく。

千歳山公園でひとやすみ-----------------------------------

細長い雲。


「大嘗宮の儀」にみた岩手山の夢

2019-11-15 | 日記・エッセイ・コラム

大嘗祭が終わったようですが、夜中に行う?儀式なんですね。

伊勢神宮とかよくわからないし、未だに、内宮、外宮がどう違うのかとか、わからない。

でも、黒田清子様(サーヤ)が、伊勢神宮で大嘗祭の成功祈願をしたとあって、清子様は「妹」なのです。

私はサーヤが好きなので、サーヤさえいれば、日本は安泰だと思っています。笑

でも、ほんとに大変な作業なんだろうな~と思うわけです。

国民というか世界の平和のために、あんなに着飾ったぶ厚い単衣を着て、 夜中まで行う儀式なんて、

ほんと~に大変なことだと思ってニュースをみてました。

世紀の儀式的なことを言われていますが、何の儀式なのかちょっとわからないねぇ。

14日夜~15日の朝まで世通し行われていた「大嘗宮の儀」という時に、 なぜか、岩手山の山頂に登る夢をみた。

登るというか行くというか。

大嘗祭に関係しているのかわかりませんが、 こんな時だからこそ、

「まつろわぬ民の聖なる山」が夢に登場したことが、 とても感慨深い!

「大嘗宮の儀」とは、天皇陛下の即位に伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」の

中核儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が 14日午後6時半過ぎから、皇居・東御苑に建てられた祭場「大嘗宮」で執り行われた。

即位に伴う一連の行事のクライマックスと言える行事で、 前半の「悠紀殿(ゆきでん)供饌(きょうせん)の儀」には

安倍晋三首相ら三権の長や各地の知事ら510人が参列した。

『皇祖神とされる天照大神と全ての神々に新穀を供え、 自らも食して国家の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る一世一代の儀式だ。

大嘗宮は大小30余りの建物からなる祭場で、天皇陛下は東の神殿「悠紀殿」で 「悠紀殿供饌の儀」を

、西の神殿「主基殿(すきでん)」で「主基殿供饌の儀」を行う。 両儀式は同じ内容だ。』

※朝日新聞DIGITAL

という儀式の最中に、岩手山・・・。

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夢の話し。

知っているような知らないような女性と部屋でテレビをみていると 岩手山が映っていた。

 「今なら岩手山いけるよね。」 といったことを言うので、お昼過ぎに山頂で集合しようよ、みたいなことを勝手に決められる。

※盛岡市内からみる岩手山

朝の8時くらいだったので、今からいけば間に合うらしい。

その後どんな場面か忘れたが、映像に岩手山山頂にもう一人女性が立っていた。

※岩手山上空より(このような映像が映っていた)

その人はもう岩手山山頂に行って、私たち二人を待っているらしい。

 なんだか、待ち合わせをしているようだ。

これはお昼過ぎに到着せねば、と思い、 場面変わり、私はママチャリをキコキコ。

どうやら岩手山に向かっているらしい。

 (夢でもママチャリかよ)

おばあちゃんが、駐輪場を探してくれて地下道の階段下みたいな所に、 自転車を置いていけ、という。

岩手山登山入口に、リフト乗り場がある。(実際はありません)

ゴンドラに乗って山頂に行けるらしい。

乗っているとなんだか賑やかなお店があった。

 お土産などが売っていて観光客もたくさんいて賑やか。

ずっとゴンドラに乗っているのだけど、いつ山頂につくのか不安になってきた。

間に合わないな~と思っていたら、 ようやく着いたと思われる時は、もうすでに夜で真っ暗。

高い所にきている。

下をみると小さな街の光。

女性2人の姿はみえないのだが、遅いよー!という無言の圧迫を感じた・・・。

ちょっと説教される感じを受ける。

しょーがないじゃない。人間だもの。by相田みつお。

 的なことを言いたくなった。

もうすっかり夜で真っ暗な道をどうやって下山するのよ!という夢でした。

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知らないような知っているような女性2人は、肉体がないと思うから 簡単に岩手山山頂に行けるのだと思います。

この世界は、自転車、ゴンドラに乗り、物産店という誘惑がある・・・。

人間は体(肉体)を運ぶから時間がかかる・・・。

そう思った夢でした。

やっぱりずっと大武丸と坂上田村麻呂と鈴鹿御前。

(鈴鹿御前は男だったらしい:別情報)

想像するに、両性なんだと思うけど。

 鈴鹿御前=瀬織津姫にもなっている。

といことで、ナグサトベからずっと続いている大武丸。

鬼死骸村にもいったしな~。

せっかくなので、岩手山の伝説を。

岩手山は、別名に巌鷲山(がんじゅさん)があるが、本来「いわわしやま」と呼ばれていたものが、

 「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われます。

 春、表岩手山には雪解けの形が飛来する鷲の形に見えるため、 これが山名の由来になったとも。

 静岡県側から見た富士山に似ており、その片側が削げているように見えることから 「南部片富士」とも呼ばれています。

岩手山といえば、三山伝説です。

簡単に言いますと、 むかし、岩手山(夫)と姫神山(妻)は夫婦の山でしたが、

岩手山は妾であった早池峰山を好きになり、 姫神山を追いだしてしまう。

送仙山に姫神山を遠くに行かせるよう命令するが、 目の見える所にまだ姫神山がいるので、 送仙山の首を切ってしまいます。

なので、送仙山は台形なのです。

この話しは、岩手山の噴火を伝えている話しだそう。

その送仙山に三峰神社が祀られている。

 「浮島の里を見守り、幾星霜 ああ 偉大なるかな送仙山」(浮島古墳あり)

岩手三山(岩手山、早池峰山、姫神山)の関係は、景行天皇の伝承と似ているのです。

東国巡礼時、景行天皇は社地を囲む白岩山、妙法山、雲取山(奥秩父の山)の三山を賞でて 「三峯宮」の社号を授けたと伝わります。

※白岩山

※妙法岳(狼を祀る)

だから、送仙山に三峰神社を祀ったかもしれない。

送仙山が送りだした姫神山は、嫉妬深く早池峰山と岩手山が仲よいので、

縁を切ってしまい、麻をつむいだ丸緒(へそ)を、岩手山の裾野に投げつけた。

という伝承もあり、まあとにかくいろいろ三角関係な話し。

※姫神山

姫神山は、とても美しい形をした山なので岩手山の妻になったと思います。

坂上田村麻呂が東征の折、立烏帽子神女を祀ったのが始まりとされ、

立烏帽子神女は、京の都を荒らした鬼を退治した際、

 田村麻呂の守護となった姫神とされる。  

ということで、鈴鹿御前=姫神山とも言える。

※瀬織津姫坐す早池峰山

これも「田村草子」に基づく話しですね。

岩手山やその周辺に伝わる田村丸伝説では、 岩手山の山頂にある鬼ヶ城に棲んだ鬼が大武丸であり、

岩手山にはのちに神として田村丸が岩鷲大夫権現(岩鷲山大権現)として現れ、

烏帽子岳(乳頭山)には田村丸の妻である立烏帽子神女が、 姫神山には2人の娘である松林姫が現れたという。

大武丸は転訛により、大瀧丸とも同じであるとされる。

中世の岩手山は鎌倉御家人・工藤氏の流れを汲む栗谷川氏(厨川氏)が大司祭となって 祭礼が行われていた。

遠野空間より、

『坂上田村麻呂の時代にあっても、既に山岳信仰は浸透していた。

山を御神体、もしくはその地に住む人々の魂が昇る山として存在していた事だろう。

つまりだ、岩手の地を代表する山には、その地の人々の魂が昇る…

それは朝廷側にとって"まつろわぬ魂"が昇る山としての岩手山であったのだろうと思う。

それ故に、坂上田村麻呂をヒーローとして仕立てたうえでの敵役の鬼である 大武丸が鎮座するのが岩手山というのは、納得するものではある。』

「遠野不思議空間より」https://dostoev.exblog.jp/17815289/

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ということで、大嘗祭という儀式があったからこそ、 改めて「まつろわぬ民」とは何であるかを考える。

天皇家の長い歴史を考えると、 鬼死骸村に行った時にみた真柴(大武丸の井戸)と明治天皇の碑を思う。

今の天皇陛下は、平穏を祈るために坐す。

大武丸は、朝廷に反対したまつろわぬ民と言われたが、元祖、大いなる国の主である。

女でもあり男でもあった。

この時ばかりは、朝廷もまつろわぬ民も、敵も味方もなく、 山々が「大嘗宮の儀」を見守っていたのではないかな。

岩手山の山頂に登って、岩手県の村や街を見ろおろした。

まだ世が明けない暗闇の中、村々の小さな灯火が見えたのが印象的でした。

その灯火は、命だと。

「大武丸は今でも岩手の大地を見守っている」

と、そんな風に思います。

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震災遺構の小学校と守りカニ

2019-11-12 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日、主人と閖上かわまちテラスでカレーを食べに行きました。

名取川

 「笑夢」というお店は、美味しいです!(福島のお店です)

 いつものバターチキンと本日のカレーがココナッツの野菜カレーだったので、

その2色カレーに決めたけど色も味も似てるのにしてしまった。

 でも美味しかった♪ (^J^)

帰りに、主人が震災遺構の荒浜小学校へ行きたいと言う。

 私は震災の時、泉中央に住んでおり一人で過ごした震災を思い出すので嫌でしたが、

 主人のように県外にいた人は、震災の津波がどうであったのか、知りたいそうです。

ということで、閖上から近いので行ってみることに。

海側のそばには防波堤の役目となる道路を工事中。

 当時は、東部道路まで津波が押し寄せてきたため、 車に乗っていた人は、東部道路へ避難したと聞きます。

 海側は、土地が低く海抜とほぼ標高が変わらない為、昔から何度も津波の被害に あっている所なので、古墳がたくさんありました。

なので、岩沼の方で人骨が発見されたのですが、室町時代と判明されたそうです。

まだ行方不明者も2000人余りとされ、捜索はずっと続いています。

この時も見学者は多く、団体客や外国人もいらっしゃいました。

2階部分まで津波が押し寄せてきた。

学校はほぼ、そのままの状態で、水の怖さを思い知らされます。

3階では当時の様子をまとめたフィルムが見られ、 緊迫した声と共に、ヘリコプターの上空からみた津波の黒い波というのは、

この世で経験すべき風景ではありません。

いったい、何の存在がそれを見せているのか・・・。

人口が増えたことで災害を受けやすくなったと思いますが、 何度もこのようなことが、あったのです。

荒浜小学校の校長先生は、いつも避難訓練の時は体育館で行っていたのですが、

 大きな津波がみえた時に、急遽、屋上へ避難するように誘導したそうです。

 校長の判断により、児童も教員も助かりました。

救助までの記録。

たくさんの死者を出した石巻の大川小学校とは大きな違いです。

同じ小学校でも異なるのは、校長・教頭のトップの判断です。

 上司の意見、命令は絶対という日本人の古い組織体制が、本能を殺していると思う。

また、それに慣れていることも。

自分はこうしたい、という決断を動けなくしているのではないか?

こういう時、日本人は弱いのではないか、と思う。

「なぜ逃げなかったのか。」といった声をたくさん聞きました。

介護をされている方は、逃げられないという厳しい現状もありましたが、

若くして亡くなった従業員もたくさんいるのです。

それぞれに思い感じる震災があると思いますが、それによりたくさんの人の意識が向上したことは事実です。

東日本大震災の意味を考えたい方は、ぜひ、訪れて下さい。

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 ところで、そのような津波と共に暮らしてきた海の歴史があります。

今年の5月、名取熊野神社創建1300年で、「お浜降り」が行われました。

閖上の海まで高館山から神輿を担いでおろす祭りで、21年ぶりでした。

『名取の熊野那智神社創建は719年。 この3年前に閖上地区の漁師が海底からご神体を 引上げると、

夜ごと内陸部の高舘山の方角に光を放つようになり、  山上に祭ったことが起源とされる。

お浜降りはご神体の里帰りのような神事だが、  地域住民の高齢化などで1998年以降、行われていない。』

海底からあがった観音様伝承が海側にはとても多いです。

津波などの川の氾濫で、どこかのお寺から流れついた像というのが定説です。

波のマークのシンボル。

熊野神社が海側に多いのは、津波が多い地域に関係するそうです。

 その熊野神社のほとんどが津波被害を受けていないのは、 ちょうどその津波がきた境界に、祀られているからではないか?ということだそう。

「大津波の祓えは瀬織津姫」と考えて、穂積氏が熊野から瀧神を唐桑半島に移したと考えます。


(閖上の御船)

最後に、震災遺構の後に、落合観音堂に行きました。

名取川も、古くから氾濫しているところです。

そのような伝承があります。

仙台市太白区四朗丸にある落合観音堂のカニ伝承。

「昔、落合観音堂の側を流れる名取川が、 洪水のために氾濫し観音堂も浸水して安置されている

十一面観音堂があわや沖に流されるようとした時、  名取川にすむ無数のカニが観音像を守り、流されるのを防いだ。

それ以来、村の人々はカニを食べず、絵馬にカニを描いて奉納するようになったという。」

ここは、2016年に参拝に来たことがあり、十一面観音堂ですが、 蟹(カニ)の絵馬が珍しいお寺です。

この時、妄想していたのは、この蟹は、「出雲の加毛利神社」と関係すると。

加毛利神社は、「カニモリ」とよみ、「蟹守」と変化した。

本来は、カムイのカイモリだったのが、転じてカニモリとなったそうだ。

天津彦火火出見命を祭神とし、トヨタマヒメ、ウガヤフキアエズを祀る。

※板東・西国・秩父

加毛利神社は、トヨタマヒメがウヤガフキアエズを産む時に、産屋に八百蟹が来るのを 彦火火出見命が掃守となった所以の神社で蟹守の後裔が、

宮崎明神三神を奉納し、 出雲に来て氏神としたと伝わる。

掃守連とは、「かにもり」と言う。

天忍人命が雄略天皇に掃除の事を監したので姓を与えられたのが、掃守連であった。  

宮中の清掃をする人らしく、「アメノオシヒ」は、大伴氏の祖神で、 ニニギに伴っていた氏族でした。

祠にひょこりいた。小さな白蛇さん。

ここの白蛇さんは、愛らしいです。

赤い甲冑=蟹という説もあるのだが、 いずれにしても、海に住んでいた出雲族がみえ、 観音様を丁重に祀ってきた人々のようです。

確かに、出雲族はエミシと共にいた。

 だから大国主だったのか!と思いだした・・・。

震災の前に何度も大国主のシンクロがあった。

大国主が何度も出てくるのはなぜだろう、と。

震災の前日、オラクルカードでも大国主のカードをひき、

 「こうするしかなかった」というような言葉が浮かんで、涙が出てきた。

次の日、東日本大震災が起った。

私は大国主に会うと、そのことを思い出す。

 

※出雲大社の大国主