「皇室問題INDEX」設立準備室

マスメディアによる皇室の偏向報道、ネットに流れる東宮家への誹謗中傷を検証しています。

■検証:皇室の海外ご訪問(公務、旅行)

2013-04-25 02:20:11 | 日記
speranza様より、皇室の海外ご訪問について検証したいとのお申し出がありました。
以下は、speranza様より寄せられたコメントです。

-----
皇太子殿下の 国連会議の基調講演が、なぜ「私的旅行」になるのか、を始め、
平成になってからの「海外訪問の表記と公私の分け方」を中心に、宮内庁の「アンバランスさ」を追及したいと思います。

ぱっと見ただけでも、平成初期の天皇皇后の海外滞在は2週間にわたることが多く、
雲仙普賢岳の噴火から7ヶ月後、北海道沖地震から1カ月足らずで海外訪問を行っています。
このあたりも、3.11後のウィリアム王子の結婚式欠席と比較できたら、と考えています。

今、宮内庁HPから東宮家、天皇皇后、秋篠宮家の海外訪問を全て拾い出しているところです。
HPに記載のある平成からのものだけですが、必要に応じて昭和のものを資料としてつけるようにしたいと思っております。

1)海外訪問の内容(公私の分け方への疑問)
2)日数(〇泊〇日)、お立ち寄り(果たして必要か?)など
3)災害のあった直後の海外訪問
4)海外訪問当時の皇室の状況(皇太子様ご成婚、雅子様の状況など)

などを合わせて東宮家との記事の矛盾や疑問点を出していく方向で作業しております。
思考の中ではかなり広がって行っておりますので、コンパクトにまとめていきます。
本当に皇室外交になる海外訪問とは何か、まで議論が進むきっかけになる記事を書いていければと思っています。
足りない部分が多いと思いますので、皆さまの鋭い指摘をお願いします。

---------

たいへん興味深い検証ですね。
(1)や(2)などは、国内公務についても、ぜひ検証していきたい項目です。

speranza様、皆様、どうぞよろしくお願いします。
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毎年、何らかの「意図」が感じられる秋篠宮の誕生日会見 (Unknown)
2014-12-03 22:25:47
11月30日は秋篠宮、12月1日は敬宮愛子内親王殿下、12月2日は三笠宮殿下、それぞれのお誕生日でした。愛子様はますます聡明で美しくなられ、両陛下の元へ御挨拶に向かう車中では目を輝かせて明るいお顔を見せてくださいました。三笠宮殿下は白寿を迎えられ、ますますお元気で穏やかな日々をお過ごしいただきたいと願うと同時に、最長老として、両陛下や秋篠宮一家のせいで暴走する平成皇室を厳しく見つめていただきたいと思いました。

で、秋篠宮のお誕生日会見ですが…
ほかの皆さんと同じように、「過去に何度か相手国の元首や大臣から“観光ですか?”と聞かれた」という件について色々と考えてしまいました。

秋篠宮は、訪問国から「観光で来た」と勘違いされることを「自分の地位のせいだ」と言いたげな印象を受けました。自分は天皇でも皇太子でもないただの一皇族だから、相手国も自分をどう扱っていいのか分からない面があるんじゃないか?と言ってましたが、いや、そうじゃないでしょう?と呆れてしまいました。

秋篠宮夫妻は国内外の公務に出るとき、必ずといっていいほど動物園・水族館などの趣味公務を入れてきます。海外に行く場合も必ずその国・地域の観光名所と言われる場所訪問をスケジュールに入れています。このような日程内容から、相手国から「この夫婦は我が国に遊びに来たのかい?」と思われても仕方ないような気がします。自分の地位や立場のせいで相手国から正当に扱われない!と不満を言う前に、まずは自分たちのお楽しみばかりを入れたスケジュールを見直してみてはいかがでしょうか?

ところで、秋篠宮は毎年のように自分の誕生日会見で、物議を醸し出すような発言を行ってきました。
例えば、
「予算の関係から皇族は減ってもいいと思う」という過去の発言もかなり問題だったと思いますが、メディアはこの発言を全く問題視しませんでした。
そして翌年は「しかし一定数の皇族が残ることは必要」と言い直しましたが、その前後に「内親王限定で女性宮家創設を認めるべき」という意見が湧いてきました。
また秋篠宮は「天皇定年制」にも言及し、その前後で徳仁皇太子殿下を天皇即位後すぐに退位させるべきというおかしな論調が出てきました。
そして今年は、「徳仁様が天皇即位したら皇太子が不在になる」という議論が生まれ、まるで皇太子に準じるような地位を得てから海外に行きたい、と言ってるように聞こえる秋篠宮の誕生会見につながる流れを感じました。

こうして見ると秋篠宮の問題発言とメディアのキャンペーンは流れが一致しており、何らかの「意図」が含まれているように思えてなりません。しかもそれは大抵が「秋篠宮家に有利で東宮家や他の宮家に不利」な内容となっているのです。
国民の大半は秋篠宮の誕生会見などには関心がないかもしれませんが、この会見の前後で生まれるメディアの論調と会見の内容がリンクしていることが多いので、注視した方がいいと感じます。
秋篠宮家とメディアの癒着が改めてわかります。
資料として (なすび)
2014-12-02 00:13:09
前回、秋篠宮の49歳誕生日会見の内容を投稿しましたが、資料として、その続きも ぜひここにのせていただきたいと思います。

皇族ですから、外交に携わってはいけないわけです。
外交ではない親善、例えば王室がある国ですと、向こうの王室との親善というのはある程度分かりやすいかもしれませんけども、そうでない国もたくさんありますし、
もし公式の訪問をするのであれば、例えば外交関係ができてから何十周年であるとか、日本と当該国との何か大きい文化行事があるとか、何か一つの核になるものがあるべきではないかと思います。
そうではなくて単に親善ということを目的とした公式訪問というのは、目的が曖昧になりますし、そういうものは余りよろしくないな、というふうに考えております。


「単に親善を目的とした公式訪問」というのは、親善を口実にした私的訪問、つまり観光旅行ということでしょう。
さすがにそれでは、相手国から邪険に扱われるのでよろしくないな、核になる行事さえあれば、公務らしい体裁もつくろえるし、もっとに丁重に扱われるはずなのに・・・と、いう意味にとれるのですが。

以前、秋篠宮様は、「公務は受け身なもの」という発言をされましたが、秋篠宮家の海外公務(?)は、いったい、だれの意思で決められるのか、・・・海外にお供して、おいしい思いをしたい人がいるのでは、と思ってしまいます。
外遊と言うより外遊び (昭和生まれ)
2014-12-01 10:02:18
幸か不幸か、鯰殿下は○鹿ではあってもそれほど悪辣ではないということでしょうか。
昨日の会見も、あちこちでボロを出してますね。
成長著しい年頃の我が子を「去年との違いが判らない」とか、「観光旅行と言われた」とか…

昭和の時代は、美智子さまが皇太子を伴って(という感じ)海外に行かれたら、行っている最中もニュースに歓迎ぶりが報道され、グラビアを飾り、特番でまた繰り返し報道されました。
「皇族は百人の外交官に勝る」と絶賛されて。
1回の旅に何十回も着替えられる衣装も特集が組まれました。贅沢と叩かれることはありませんでした。

意地悪姑にされてた良子皇后が、それを許されていたんです。
嫁に10年も20年も新調させず、招待で行ったオランダにも嫌みを言い…
どちらが本当の意地悪姑だったのか…
それでも一定の効果はあった昭和の皇太子夫妻の外遊に比べ、何の効果もない秋篠夫妻の外遊。
1回で何億使われているのでしょうか。
「頑張って男児を作った」ことが評価されているなら、もっと扱いが違うはず。
悠仁さんを作ったことが海外でどう思われているか、良く現実を見てほしいです。


ところで、今日は敬宮さまのお誕生日
気になるのが、どこも「愛子様」と書かれて「敬宮」の宮号をあくまで付けない。
宮号を持たない秋篠家のお子さんと格が違うことを、思い出させないようにしてる気がします。
昭和は「浩宮」「礼宮「紀宮」がメインの呼び方でしたた。
必要ないなら行かなければいい (あぶらちゃん)
2014-12-01 00:33:29
秋篠宮の誕生日会権にはちょっと呆れましたね。
要するに、招待されていっているわけではないということでしょう?
招待している国が訪問してきた相手の扱いに困るということはありえませんから。
天皇、皇后も同じようなことをしていますよね。
来年のパラオ訪問なんてまさにそうでしょう。
立場がどうこうという問題ではないんですよ。
必要のない海外訪問なんて行かなければいいだけです。
日本にとっても相手国にとってもそのほうがいいでしょう。
要するに、自分を皇太子にしろって言いたいんでしょう (ふんふん)
2014-11-30 21:47:46
赤信号ノンストップと同様に、自分が皇太子になれれば良いと考えているところが大○鹿者。

末端皇族の妃殿下である久子様がオリンピック招致に果たした役割は記憶に新しいです。
そういえば、チャールズ皇太子ご夫妻が来日されたとき、ご案内役は久子さまでしたね。

皇太子でないからじゃなくて
自分自身が無能だから「観光旅行ですか」って言われちゃうんだってこと
言われた本人には全然わかってないらしい。

こういうの、救いようもない○カっていうんでしょう。
単なる観光旅行だと自ら暴露 (ティーカップ)
2014-11-30 21:37:35
秋篠宮の誕生日会見、昔からおつむの弱い方でしたから、うっかり、本当のことをしゃべってしまってますね。

要するに、秋篠宮夫婦がしょっちゅう公務と称して行っている海外訪問も、実のところ、招待もされていない、そして、迷惑がられている、と言うことでしょう。

招待されてもいないのに、何しに行ってるんでしょう?

何しに来てるかわからないから、訪問国の大臣から「観光ですか?」なんて聞かれるんでしょう。

つまり、天皇や皇太子などの国賓でもないうえに、重要行事でもない、それなのにノコノコ皇族に来られて、こちらも忙しいのに迷惑だよ、と暗に言われているのでしょう、どうも当人達は気付いてないようですが。

結局、公務でもなんでもなくて、職員大勢引き連れて、観光旅行に行ってるだけじゃないの。
一体どれだけ無駄な税金使ってるんだか。

(実際、今年10月の海外訪問も、典子様の結婚の晩餐会に呼ばれないのを隠すための海外逃避でしょう)

平成初頭の美智子皇后バッシングの時に、公務は天皇と皇后が勝手に割り振っていると暴露されてました。

従って、この秋篠宮の理由のない海外旅行も、今上夫妻が遊びに行かせてるということでしょう。
何の為にこんなことさせるんでしょうね?
単に、お金を使わせて、予算額の確保のためだけでしょうか?

秋篠宮にひっついてると、用もないのに、あちこち旅行に行けてオイシイと思ってる輩がたくさんいるんでしょうね。
先日の逮捕された変態宮務官も同様でしょう。
身分の高いアホには、良からぬ人が寄ってくるものです。

きちんとした英語も喋れず、内容のある公務は国内でも海外でもできず、ただ、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ動物園や水族館めぐり。

一方で、海外からの招待が引きも切らない皇太子ご夫妻には、絶体に行かせない。

秋篠宮家にお金を使わせることを要求するような、よからぬ人達に入り込まれてるのかな?

招待されてもいない、特に大きなイベントもないのに、スーツケース50個でしたっけ?何を持って行ってるの?
秋篠宮家、怪しすぎますよ。
どういう裏事情があるのやら。


本日の秋篠宮49歳の会見 (なすび)
2014-11-30 19:35:56
このように述べられています

例えば天皇の公式訪問であると、国賓という形がとられることが多いと考えますけれども、
皇族の場合には、国賓としての訪問というのはまずないわけです。
そうすると国際親善・親善訪問という形になろうかと思います、枠組みとしてはですね。
ただこれは、なかなか受け入れる側としても、皇族、しかも天皇でもない皇太子でもない皇族をどう捉えていいかというのは難しいときがあるのかなという気がします。
私たちも今まで何回くらいか分かりませんけれども、行った中で向こうの元首の方であったりとか大臣だったりとかとお話をしている中で、
今回あなたたちが訪れた目的は観光旅行ですか、というふうに聞かれたことが2回くらいありますかね(紀子さまを振り向かれて)。
こちらも観光旅行ではないけれども、かといって単なる親善だけですと主たる目的が見当たらなくて、なかなか答えるのが難しかったことがあります。

???

親善を大義名分にした 観光旅行でしょ。
いろいろと大変だから (ふんふん)
2014-11-22 19:33:20
>それにしても、昭和のころは、昭和帝も香淳皇后もその他の皇族も、そして国民も、あまりに現在の今上夫妻に甘すぎましたね。

頼りにしていた、苦労をかけた愛娘を失って、1ヶ月も経たないというのに、わざわざ那須まで追いかけてきて
「那須で東宮同妃から両陛下にいろいろのこの間からのことを十時すぎまで率直にお申し上げになったとのこと。お上はよく分かったと仰せになったが皇后さまは終始一言もお発しにならなかったとの事」(入江日記)

甘やかしたくはなくとも、いろいろと大変だったんでしょうねえ。。

むしろ、マスコミがいけなかったんじゃ。
何かというとミチコさまと持ち上げて、肩ばかり持っていたから、ね。
マスコミを味方につけて、鬼に金棒状態だから。。。

皇室マスコミが皇室をダメにしたんだな。
教会で懺悔する皇后 (ティーカップ)
2014-11-22 15:38:58
海外訪問時の美智子さんの衣装代は、一回で3500万円とか数千万と書かれてましたよ、平成初期の美智子皇后バッシングの時。それも、複数の雑誌に。

また、欧州訪問の際、現地でアヴェマリアを演奏するために、わざわざ練習用に御所からピアノを運ばせて持って行ったという話も読んだ覚えがあるのですが。

要は、お金が足らなくて、家族旅行どころじゃなかったってことなのでは?

また、私的旅行じゃないと言いますが、今上夫妻は、公務と称して北京をはじめ、常に、リクエストを出していきたいところに行ってますよ。来年はパラオですし。
これって、公務、慰霊と称するご旅行でしょうに。

欧州旅行の際、美智子さんが、教会の告解室に修道女と二人で入って行って、懺悔したという話は割と有名ですよ、当時、驚きをもって一部で報道されました。

私の夫が、「やっぱり美智子さんって、クリスチャンなんだな」と言ってました。

こういうのって、私的旅行の最たるものでしょう。
しかも教会での懺悔など、皇后と言う立場の人がやっていいこととは思えません。

アヴェマリアも、教会での懺悔も、北京もパラオも、アフリカかどっかでの象の前での写真撮影も、まあ、言ってみれば、行きたいから行ってるんだろうと思いますよ。

皇太子ご夫妻のオランダ行きは、当時のベアトリクス女王のご招待でしたし、何が悪いのかわかりません。
むしろ、むげに断るのもかえって失礼でしょう。

自分たちは、海外の王族から私的に招待されたりしたことがないから、という僻み、嫉妬が炸裂してましたね。

今上夫妻は、昭和のころから世界中訪問しているのに、全く知名度がありません。
美智子さんの名前、インドでも、オランダでも、常に間違えられた変な名前で報道されてますよ。

ちっとも、海外にも行かず、あまり表に出てこない雅子さまの方が有名なのは、本当に皮肉です。

公務として公式に、とはいうものの、今上夫妻の海外訪問、一体、どういう効果があったのでしょうか?

それこそ、美智子さんの莫大な衣装代、宝飾品代にお金が使われただけのような気がします。
もうちょっと、宮内庁も、コスパを考えないといけませんよ。

それにしても、昭和のころは、昭和帝も香淳皇后もその他の皇族も、そして国民も、あまりに現在の今上夫妻に甘すぎましたね。



Unknown (なすび)
2014-11-22 09:46:36
speranza様の資料を見ていますと、海外訪問は、ひとつ大義名分があればあとは好き放題、という感じがしてきます。

平成19年5月の記者会見で 天皇陛下は「私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません。」ときっぱりおっしゃっています。
秋篠宮家が一家そろってタイへ行ったのが平成15年ですか。秋篠宮家は「私ども」とは違って、自由だということなのでしょうか。

また、同じ会見で、皇后陛下は

「これまで陛下とご一緒に52か国を公式に訪問してまいりましたが,そのうち16か国を訪問するころまでは,出産があったり,子どもが小さかったりで」と述べられています。

平成5年の会見では、

「私が初めて外国の旅行にお供を致しましたのは,皇太子が生まれた年の9月で,それから2ヶ月おいて,再びアジア,アフリカ,中近東4か国のひと月近い旅行がございました。皇太子が生後8ヶ月と11ヶ月の時でございましたので,とても一緒に連れていくことは考えられませんでした。それからも同伴を考えたことは一度もございません。何故かと問われますと本当に何故かしらと思うのですけれども,陛下がおっしゃいましたように,私共は私的に海外の旅行をしたことがなく,公的な旅に家族を伴うということに考えが及ばなかっただけの事ではないかと思います。」
幼いわが子より、旅行が大切だと? 
皇太子様にとって、あたたかい家庭だったのでしょうか。

私は「視察」という言葉にひっかかっています。
私のイメージでは「視察」は、行動につなげるための情報収集だと思うので、見るだけが目的だったら、ただの「見物」では?
見物は、「私的な行為」ではないのでしょうか。
Unknown (auxilia)
2014-09-17 21:55:24
来年2015年の春ごろ(4月以降の早い時期に)両陛下はパラオへ慰霊の旅をされるそうです。

***********************
http://megalodon.jp/2014-0917-2054-57/www.huffingtonpost.jp/2014/06/02/emperor_n_5435144.html

パラオご訪問を検討 天皇、皇后両陛下 戦後70年で戦没者慰霊へ
The Huffington Post
投稿日: 2014年06月03日 11時41分 JST
更新: 2014年06月03日 11時43分 JST

天皇陛下が戦後70年となる2015年に、戦没者慰霊のため先の戦争で激戦地となったパラオなど太平洋諸島の国々を訪問される希望を示されており、天皇、皇后両陛下の訪問について宮内庁などが検討していることが6月2日、分かった。NHKニュースなどが報じた。

両陛下は、戦後60年にあたる平成17年、天皇陛下の強い希望で太平洋の激戦地サイパンを訪問されましたが、当時も検討されたパラオなどへの訪問は、相手国の受け入れ態勢が整わないなどとして見送られました。

天皇陛下は、その後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオなどでの戦没者の慰霊について再び強く希望されたということで、宮内庁がパラオを含む太平洋諸島の国々への両陛下の訪問について検討を進めているということです。

(NHKニュース「戦後70年 両陛下のパラオなど訪問を検討」より 2014/06/02 19:32)



http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140916/k10014640971000.html
戦後70年 両陛下パラオ訪問へ
9月16日 20時31分

両陛下の外国訪問は、通常、相手国からの招待を受け国際親善のため行われますが、戦没者の慰霊を目的としたこの訪問は、天皇陛下の強い希望で実現した前例のないものでした。



http://megalodon.jp/2014-0917-2100-55/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00276771.html
天皇皇后両陛下、2015年に慰霊のためパラオを訪問される見通し
09/17 04:59

天皇皇后両陛下は、戦後70年にあたる2015年、慰霊のためパラオを訪問される見通しとなった。
菅官房長官によると、両陛下は、戦後70年にあたる2015年、4月以降の早い時期に、先の大戦で激戦地となったパラオを訪れ、慰霊される方向で調整しているという。
両陛下は長年、太平洋の激戦地での戦没者の慰霊を強く希望し、戦後60年にあたる2005年には、サイパン島を訪問された。
宮内庁によると、2014年は、パラオと日本の国交樹立20周年にあたり、パラオの大統領から、両陛下を招待する意向も示されていて、気候の良い、春の訪問を検討しているという。



中日新聞 9月17日付朝刊より一部抜粋
 
パラオへの訪問は、2005年の慰霊の旅でも両陛下の強い希望を受けてマーシャル諸島、ミクロネシア連邦とともに検討されたが、移動手段や通信事情などの製薬が多いことから見送られ、訪問先がサイパンに決まった経緯がある。

宮内庁によると、今年の8月にパラオのレメンゲサウ大統領から日本政府に両陛下の訪問の要請があった。
今年が日本との国交樹立二十周年になることから、両国の親善の目的にもなるという。

**********************

上記の報道から、戦没者慰霊が目的であれば、相手国から招待されなくても、両陛下は自由に海外訪問できるということが読み取れます。

両陛下の強い希望によりパラオ訪問を検討という報道は6月ですが、パラオの大統領が招待したのは8月です。

つまり6月から8月という約2ヶ月間は、日本からの要請を受けたパラオが調整していた期間ではないでしょうか。

戦没者慰霊は重要であり、継続しなければならないことだと思います。

でもそこには、両陛下が「慰霊したい。」と強く希望すれば、海外訪問が可能になるという事実が見えてきます。

招聘されていないけれど、慰霊という目的を持ち出して強く希望すれば海外訪問できるというのは、どうなのでしょうか。

慰霊という大義名分さえ掲げれば、自由に(私的希望で)海外訪問できるという話になるのではないでしょうか。

資料として 海外訪問とお立ち寄り⑦ (speranza)
2013-07-25 17:23:51
平成22年(2010年)3月23日(火)~平成22年3月28日(日)…ラオスご旅行
東京大学総合研究博物館モバイルミュージアム「ラオス―農の技」開会式にご出席及び家禽類の調査研究のためご旅行(タイお立ち寄り)

お立ち寄り:タイ



平成22年3月23日(火)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下   成田御発(バンコク経由) ビエンチャン御着(ラオス)
平成22年3月27日(土)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下   ビエンチャン御発(バンコク経由)
平成22年3月28日(日)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下   成田御着

【ご日程ページの下部に記載なし。1~3月のページに上記のご日程のみあり】
【渡航目的はご日程のページには記載なし】



平成22年(2010年)7月4日(日)~平成22年8月15日(日)…アイルランドご旅行(国際基督教大学海外英語研修プログラムご参加)

平成22年7月4日(日)
眞子内親王殿下   成田御発(フランクフルト経由)ダブリン御着(アイルランド)
平成22年8月14日(土)
眞子内親王殿下   ダブリン御発(フランクフルト経由)
平成22年8月15日(日)
眞子内親王殿下   成田御着

【ご日程ページの下部に記載なし。7~9月のページに上記のご日程のみあり】



平成23年(2011年)1月24日~2月1日…コスタリカご訪問
この度,コスタリカ国政府から,日本・コスタリカ外交関係樹立75周年の機会に,文仁親王同妃両殿下を同国に招待したい旨の申出があった。

お立ち寄り:アメリカ
       1月24日:午前 ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)御着
午後 アメリカ自然史博物館収蔵ご視察(殿下)
展示ご覧(両殿下)
                 ヘレン・ケラー・ナショナル・センター視察及び職員・訓練生とのご懇談(妃殿下)
       1月25日:午前 ニューヨーク(ニューアーク・リバティー国際空港)御発

1月30日:午後 ニューヨーク(ニューアーク・リバティー国際空港)御着(アメリカ合衆国お立ち寄り)
             夜  在ニューヨーク総領事代理夫妻主催夕食会(ニューヨーク市)
        1月31日:午前 ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)御発



平成23年(2011年)3月7日(月)~平成23年3月11日(金)…タイご旅行
カセートサート大学名誉博士号授与式及びチェンマイ大学名誉博士号授与式にご出席のためご旅行

平成23年3月8日(火)
文仁親王殿下   羽田御発 バンコク御着
平成23年3月10日(木)
文仁親王殿下   バンコク御発
平成23年3月11日(金)
文仁親王殿下   羽田御着

【ご日程ページの下部に記載なし。1~3月のページに上記のご日程のみあり】
【渡航目的はご日程のページには記載なし】



平成24年(2012年)6月11日~6月17日…ウガンダご訪問
この度,ウガンダ国政府から,日本・ウガンダ外交関係樹立50周年の機会に,文仁親王同妃両殿下を同国に招待したい旨の申出があった。


お立ち寄り:英国、フランス立ち寄り
      英国
      6月11日:ロンドン(ヒースロー国際空港)御着(英国お立ち寄り)
            ロンドン(ヒースロー空港)御発

      フランス
      6月16日:午前 パリ(シャルル・ド・ゴール国際空港)御着(フランスお立ち寄り)
                国立パリ聾学校ご訪問(妃殿下)
            昼  在フランス日本大使主催昼食会(在フランス日本大使公邸)
            午後 デイロール社ご視察
                国立自然史博物館ご視察
                パリ動物園ご視察
            夜  パリ(シャルル・ド・ゴール国際空港)御発

【同年6月6日、寛仁親王薨去。同月14日斂葬の儀】
【デイロール社は剝製の老舗、フランス・デロール(deyralle)社と思われます】



平成24年(2012年)8月16日(木)~平成24年8月23日(木)…ベトナムご旅行
 家鶏及び家畜類に関する文化の調査研究のためご旅行

平成24年8月16日(木)
文仁親王殿下   成田御発 ハノイ御着
平成24年8月22日(水)
文仁親王殿下   ハノイ御発
平成24年8月23日(木)
文仁親王殿下   成田御着

【ご日程ページの下部に記載なし。7~9月のページに上記のご日程のみあり】
【渡航目的はご日程のページには記載なし。】



平成24年(2012年)11月27日(火)~平成24年11月29日(木)…タイご旅行

平成24年11月27日(火)
文仁親王殿下   羽田御発 バンコク御着
平成24年11月28日(水)
文仁親王殿下   バンコク御発
平成24年11月29日(木)
文仁親王殿下   羽田御着

【ご日程ページの下部に記載なし。10~12月のページに上記のご日程のみあり】
【渡航目的はご日程のページには記載なし。】



平成25年(2013年)2月3日(日)~平成25年2月5日(火)…カンボジアご旅行
カンボジア国前国王ノロドム・シハヌーク陛下は平成24年10月15日崩御され,来る2月4日に同国プノンペンにおいて葬儀が行われることとなった



平成25年(2013年)6月19日~6月30日…クロアチア・スロバキア・スロベニアご訪問
この度,クロアチア国大統領閣下及びスロバキア国大統領閣下から,それぞれの外交関係樹立20周年の機会に,文仁親王同妃両殿下を両国に招待したい旨の申出があり,また,スロベニア国大統領閣下から,昨年外交関係樹立20周年を迎えたことから,両殿下を同国に招待したい旨の申出があった。

【ご日程の詳細なし】
資料として 海外訪問とお立ち寄り⑥ (speranza)
2013-07-25 17:17:56
秋篠宮家海外訪問(平成16年7月より) 
宮内庁ホームページより抜粋


平成17月(2005年)1月14日(金)~平成17年1月16日(日)…ルクセンブルクご旅行
ルクセンブルク国前大公妃ジョゼフィーヌ・シャルロット殿下は1月10日薨去され,来る1月15日に同国ルクセンブルクにおいて葬儀が行われることとなった。

 【文仁親王同妃両殿下でのご参列】



平成17年(2005年)8月17日(水)~平成17年8月24日(水)…タイご旅行(家禽類に関する日タイ共同調査研究)

平成17年8月17日(水)
文仁親王殿下   東京御発 バンコク御着(タイ)
平成17年8月23日(火)
文仁親王殿下   バンコク御発
平成17年8月24日(水)
文仁親王殿下   東京御着

 【ご日程のページ下部に記載なし。7~9月のページに上記のご日程のみあり】



平成18年(2006年)10月30日(月)~平成18年11月7日(火)…パラグアイご訪問
 この度,パラグアイ国政府から,パラグアイ国日本人移住70周年の機会に,文仁親王殿下を同国に招待したい旨の申出があった。

 お立ち寄り:フランス国、チリ国及びニュージーランド国
       フランス
       10月30日:午後 パリ(シャルル・ド・ゴール空港)御着
             夜  ホテル・ムーリスご宿泊
       10月31日:午前 パリ日本文化会館ご視察
午後 フランス国立自然史博物館ご視察
夜  パリ(シャルル・ド・ゴール空港)御発

       チリ
       11月4日:午後 サンティアゴ(アルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港)御着
                チリ国立自然史博物館ご視察
                日本庭園ご視察及び記念植樹
             夜  在留邦人・日系人及びチリ要人とのご懇談(ハイアット・ホテル)
                在チリ日本大使主催夕食会(大使公邸)
                サンティアゴ(アルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港)御発
       【日付変更線通過】
       ニュージーランド
1      1月6日:午前 オークランド(オークランド国際空港)御着
            午後 総領事主催昼食会(総領事公邸)
               ケリー・タールトン水族館ご視察
               ムリワイ・ビーチご視察
            夜  ランデヴー・ホテルご宿泊
      11月7日:午前 オークランド(オークランド国際空港)御発



平成19年(2007年)3月14日(水)~平成19年月3月23日(金)…タイご旅行
 家禽類に関する日タイ共同調査研究に係る会議ご出席及び現地調査並びにキングモンクット工科大学名誉学位授与式ご出席のためご旅行

平成19年3月14日(水)
文仁親王殿下   東京御発 バンコク御着(タイ)
平成19年3月22日(土)
文仁親王殿下   バンコク御発
平成19年3月23日(金)
文仁親王殿下   東京御着

 【ご日程のページ下部に記載なし。1~3月のページに上記のご日程のみあり】
【渡航目的はご日程のページには記載なし】



平成19年(2007年8月13日(月)~平成19年8月25日(土)…マダガスカルご旅行(眞子内親王殿下ご同伴))
マダガスカル国における生物多様性及び森林復元状況のご視察並びに家畜・家禽類及び絶滅鳥に関するご研究のためご旅行

平成19年8月13日(月)
文仁親王殿下   東京御発(バンコク経由)
平成19年8月14日(火)
文仁親王殿下   アンタナナリボ御着(マダガスカル)
平成19年8月24日(金)
文仁親王殿下   アンタナナリボ御発(バンコク経由)
平成19年8月25日(土)
文仁親王殿下   東京御着

【ご日程ページの下部に記載なし。7~9月のページに上記のご日程のみあり。渡航目的はご日程のページには記載なし】
 【眞子内親王の記載なし】



平成20年(2008年)1月18日(金)~平成20年1月25日(金)…インドネシアご訪問
この度,インドネシア国政府から,我が国との外交関係樹立50周年を記念して行われる「日本インドネシア友好年」開会式の開催に際し,文仁親王同妃両殿下に御訪問願いたい旨の招待があった。



平成21年(2009年)5月10日(日)~平成21年5月23日(土)…オーストリア、ブルガリア、ハンガリー及びルーマニアご訪問
この度,オーストリア国政府,ブルガリア国政府,ハンガリー国大統領閣下及びルーマニア国大統領閣下から,文仁親王同妃両殿下に対しそれぞれ各国に招待したい旨の申出があった。



平成21年(2009年)8月21日(金)~平成21年8月27日(木)…オランダご訪問
この度,オランダ国政府から,日蘭通商400周年記念行事の開催に際し,文仁親王同妃両殿下を同国に招待したい旨の申出があった。
資料として 海外訪問とお立ち寄り⑤ (speranza)
2013-07-25 17:13:33
平成21年(2009年)2月9日~2月15日…ベトナムご訪問
 この度、ベトナム国から、皇太子殿下に同国を御訪問願いたい旨の招待があった。
 


平成21年(2009年)3月14日~3月20日…トルコご旅行
 皇太子殿下は、トルコ国政府及び第5回世界水フォーラム運営委員会からの招待により、同国イスタンブール市において開催される(第5回世界水フォーラム)にご臨席のため、来る3月14日から同月20日までの予定で、同国へ御旅行になりますので、御報告します。

お立ち寄り:ドイツ
        3月14日:午後 フランクフルト(フランクフルト・マイン国際空港)御着
               夜  総領事主催夕食会(総領事公邸)
                   シュタインゲンベルガー・フランクフルター・ホフご宿泊
        3月15日:午前 フランクフルト(フランクフルト・マイン国際空港)御発

        3月19日:午後 フランクフルト(フランクフルト・マイン国際空港)御着
                   ゲーテハウスご視察
                夜  大使主催夕食会(フランクフルト市内レストラン)
                    フランクフルト(フランクフルト・マイン国際空港)御発
                    機中泊



平成22年(2010年)3月6日~3月15日…ガーナ及びケニアご訪問
 この度、ガーナ国大統領閣下及びケニア国政府から、それぞれ、皇太子殿下を招待したい旨の申出があった。

お立ち寄り:英国・イタリア
      英国
      3月6日:午後 ロンドン(ヒースロー空港)御着
           夜  大使主催夕食会(日本大使公邸)
               クラリッジズご宿泊
      3月7日:午前 ロンドン(ヒースロー空港)御発

      イタリア
      3月13日:ローマ(フィウミチーノ国際空港)御着
      セントレジス・グランドホテル・ローマご宿泊
       3月14日:午前 ナポリターノ大統領表敬(大統領府)
             午後 旧アッピア街道ご視察
                パークホテルお立ち寄り
                クラウディア水道橋及びマルキア・フェリーチェ水道橋ご視察
                ローマ(フィウミチーノ国際空港)御発
             夜  機中泊
 


平成22年(2010年)6月17日~6月21日…スウェーデンご訪問
 この度、スウェーデン国国王陛下から、皇太子殿下に、来る6月19日に挙行される同国皇太子殿下の結婚式への御招待があった。



平成23年(2011年)6月21日~6月25日…ドイツご訪問
 この度、ドイツ国大統領閣下から、日独交流150周年の機会に、皇太子殿下を同国に招待したい旨の申出があった。



平成23年(2011年)10月26日~10月27日…サウジアラビアご旅行
 サウジアラビア国皇太子スルタン・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード殿下は10月22日薨去された。



平成24年(2012年)6月20日~6月21日…サウジアラビアご旅行
サウジアラビア国皇太子ナーイフ・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード殿下は6月16日薨去された。



平成24年(2012年)6月25日~7月1日…タイ、カンボジア及びラオスご訪問
 この度、タイ国政府、カンボジア国政府及びラオス国政府から、それぞれ、皇太子殿下を招待したい旨の申出があった。



平成24年(2012年)10月18日~10月21日…ルクセンブルクご訪問
 この度、ルクセンブルク国大公同妃両殿下から、皇太子殿下に、来る10月20日に挙行される同国皇太子殿下の結婚式への御招待があった。



平成25年(2013年)3月5日~3月8日…アメリカ合衆国ご旅行
 皇太子殿下は、国際連合事務総長からの招待により、アメリカ合衆国ニューヨーク市において開催される国連「水と災害に関する特別会合」にご臨席の為、来る3月5日から同月8日までの予定で、同国へ御旅行になりますので、御報告します。



平成25年(2013年)4月28日~5月3日…オランダご訪問
 この度、オランダ国政府から、皇太子同妃両殿下に、来る4月30日に挙行される同国国王陛下の即位式への招待があった。



平成25年(2013年)6月10日~6月16日…スペインご訪問
 この度、スペイン国政府から、日本スペイン交流400周年の機会に、皇太子殿下を同国に招待したい旨の申出があった。

【報道ではスペインからの招待状は皇太子同妃両殿下に送られたとなっています。しかしホームページに記載されているものを見ると皇太子殿下にのみ招待があった様に受け取れます。ホームページは最終的に渡航した皇族のみの招待しか記載されないようです。】

【機中泊をなさったのは、ホームページを見る限り皇太子殿下のみのようです】
【皇太子殿下の海外訪問は比較的日数が短いものが多く、】
資料として 海外訪問とお立ち寄り④ (speranza)
2013-07-25 17:11:00
皇太子同妃両殿下海外訪問 
宮内庁ホームページより抜粋



平成14年(2002年)1月30日~2月4日…オランダご訪問
オランダの招待により、オランダ皇太子ウィレム・アレクサンダー殿下結婚式にご参列のためご訪問

【ホームページ[ご日程下部]には記載なし。[平成14年(1月~3月)]をクリックすると「皇太子殿下 オランダご訪問」とのみ記載】



平成16年(2004年)5月12日~5月24日…デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問
 この度、皇太子殿下に、デンマーク国女王陛下及び王配殿下から来る5月14日に挙行される同国皇太子殿下の結婚式へ並びにスペイン国国王王妃両陛下から同月22日に挙行される同国皇太子殿下の結婚式へ、それぞれご招待があった。
 また、ポルトガル国大統領閣下から、皇太子殿下に同国を御訪問願いたい旨の御招待があった。

 

平成16年(2004年)9月8日~9月11日…ブルネイご訪問
 この度、ブルネイ国国王陛下から、皇太子殿下に、来る9月9日に挙行される同国皇太子殿下の結婚式への御招待があった。



平成17年(2005年)8月3日~8月4日…サウジアラビアご旅行
 サウジアラビア国二聖モスクの守護者ファハド・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード国王は昨8月1日に崩御された。



平成18年(2006年)3月15日~3月21日…メキシコご訪問
 この度、メキシコ国大統領閣下から、本年3月の同国における[第4回世界水フォーラム]の開催に際し、皇太子殿下を同国に招待したい旨の申出があった。

 お立ち寄り:カナダ
       3月19日:夜  バンクーバー(バンクーバー国際空港)御着
                パン・パシフィック・ホテルご宿泊
       3月20日:午前 日系人及び在留邦人代表ご接見(パン・パシフィック・ホテル)
                グランビル・アイランドご散策
                トーテムポールご視察
             午後 プロスペクト・ポイントご視察
                バンクーバー(バンクーバー国際空港)御発
  


平成18年8月7日~8月31日…オランダご旅行ご滞在愛子内親王殿下ご同伴
オランダ女王陛下のご招待により,ご静養のためご旅行,ご滞在

平成18年8月17日(木)
皇太子同妃両殿下   東京御発 アムステルダム御着(オランダ)
平成18年8月30日(水)
皇太子同妃両殿下   アムステルダム御発
平成18年8月31日(木)
皇太子同妃両殿下   東京御着

【ご日程ページの下部に記載なし。7~9月のページに上記のご日程のみあり。渡航目的はご日程のページには記載なし】


平成18年(2006年)9月18日~9月19日…トンガご旅行
 トンガ国国王タウファアハウ・トゥポウ四世陛下9月10日崩御され、来る同月19日に同国ヌクアロファにおいて葬儀が行われることとなった。


平成19年(2007年)7月10日~7月17日…モンゴルご訪問
 この度、モンゴル国大統領閣下から、皇太子殿下を同国に招待したい旨の申出があった。



平成20年(2008年)6月16日~6月27年…ブラジルご訪問
 この度、ブラジル国政府から、日本人ブラジル移住100周年の機会に、皇太子殿下に同国を御訪問願いたい旨の招待があった。

 お立ち寄り:アメリカ
       6月16日:午後 ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)御着
             夜  ウォルドルフ・タワーズご宿泊
       6月17日:午前 ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)御発
       【ご宿泊のみ】

       6月25日:午後 ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)御着
             夜  インターコンチネンタルホテルご宿泊
       6月26日:午前 ご視察、日系人・在留邦人代表ご接見(全米日系人博物館)
             午後 ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)御発
             夜  機中泊



平成20年(2008年)7月16日~7月23日…スペインご訪問
 この度、スペイン国政府から、2008年サラゴサ国際博覧会の開催に際し、皇太子殿下に同国を御訪問願いたい旨の招待があった。



平成20年(2008年)7月30日~8月3日…トンガご訪問
 この度、トンガ国政府から、皇太子殿下に、来る8月1日に挙行される同国国王陛下の戴冠式への招待があった。

 お立ち寄り:オーストラリア
       7月30日:夜  シドニー(キングスフォード・スミス国際空港)御着
                シャングリラ・ホテルご宿泊
       7月31日:午前 シドニー(キングスフォード・スミス国際空港)御発
       【ご宿泊のみ】

       8月2日:夜  シドニー(キングスフォード・スミス国際空港)御着
                シャングリラ・ホテル御宿泊
       8月3日:午前 シドニー(キングスフォード・スミス国際空港)
       【ご宿泊のみ】
資料として 海外訪問とお立ち寄り③ (speranza)
2013-07-25 17:09:25
平成24年(2012年)5月16日~5月20日…英国ご訪問
 この度、英国女王陛下から、御即位60周年に当たり、来る5月18日に同国女王陛下及び王配殿下主催により各国君主をお招きして午餐会を開催するので、天皇皇后両陛下に御出席いただきたい旨の御招待があった。

 【BBCによるとエリザベス女王と英国外務大臣が話しあった上で全ての君主に招待状を送ったとのこと。そのためにスワジランド国王、バーレーン国王を招待したことに対する人権団体の抗議デモがあった。そのデモに対し皇后陛下が誤って窓をあげて手を振られたことは日本ではほとんど報道されていません。】




全体に正式は訪問、相手国の招待がなくともお立ち寄りで午餐会、晩餐会を開いてもらっていることが多く、天皇皇后というお立場上、相手国も御招待、正式訪問と同等の扱いとなっているようです。

「お立ち寄り」は招待があるわけではありませんので、日本側が予算を組んでいると思われます。
また、「お立ち寄り」の意義として在留邦人との交流などがあると思われますが、「ウィーン少年合唱団」や「人形劇」鑑賞など訪問国の文化にも触れる機会があります。

全てが無駄だとは思いませんが、大統領や首相との会見を皇族がわざわざ出向いて行う必要があるのか疑問です。
資料として 海外訪問とお立ち寄り② (speranza)
2013-07-25 17:02:49
平成14年(2002年)7月6日~7月20日…ポーランド・ハンガリーご訪問
かねてより、ポーランド国大統領閣下およびハンガリー国大統領閣下から、天皇皇后両陛下に対しそれぞれ両国を御訪問になるよう招請があった。

お立ち寄り:チェコ・オーストリア
       チェコ
       7月6日:午後 プラハ(ルズィニェ政府専用空港)御着
            夜  迎賓館(プラハ)ご宿泊
       7月7日:午前 聖ヴァーツラフ像ご供花(ヴァーツラフ広場)
                プラハ旧市庁舎ご訪問
                スメタナ・ホールご視察
            午後 カレル橋散策
                大使主催レセプション(迎賓館・プラハ)
            夜  迎賓館(プラハ)ご宿泊
       7月8日:午前 歓迎式典(プラハ城)
            大統領夫妻とのご会見(プラハ城)
            プラハ城内ご視察
            ピジョン97財団ご訪問(プラハ城)
        午後 大統領夫妻主催午餐会(王宮庭園)
            文化の夕べ(プラハ城)
        夜  迎賓館(プラハ)ご宿泊
       
       オーストリア
       7月13日:ウィーン(ウィーン国際空港)御着
             午後 歓迎式典(王宮中庭)
                シェーンブルン宮殿ご視察
              夜  ホテル・インペリアルご宿泊
       7月14日:午前 オーストリア・ギャラリーご訪問(ベルヴェデーレ宮殿)
             午後 大統領夫妻とのご昼食(シュヴェルツェンベルグ宮殿)
                 ラインツァー・ティアガルテン自然林保存区域ご視察
              夜  ホテル・インペリアルご宿泊
        7月15日:午前 <天皇陛下>大統領とのご会見(王宮)
                  <皇后陛下>ウィーン少年合唱団ご訪問(アルガルテン)
              午後 大統領夫妻主催午餐会(王宮)
                  在留邦人代表拝謁(ホテル・インペリアル)
                  楽友協会ご訪問
               夜  大使主催レセプション(ホテル・インぺリアス)
                  ホテル・インペリアルご宿泊
       7月16日:午前 大統領夫妻へのご挨拶(王宮)
                 ウィーン(ウィーン国際空港)御発

【大統領とのご会見が天皇陛下お一人だったのは当時の大統領トーマス・クレスティル氏(1992~2004年)がお一人で会見に臨まれたのでしょうか?】



平成14年(2002年)9月28日~10月3日…スイスご旅行(皇后陛下のみ)
皇后陛下は、国際児童図書評議会(IBBY)及びスイス国バーゼル都市州政府からの招待により、同国バーゼル市において開催される「国際児童図書評議会創立50周年記念大会」に同大会の名誉総裁として御出席のため、来る9月28日誤出発になり、10月3日ご帰国になりますので、ご報告します。



平成17年(2005年)5月7日~5月14日…ノルウェーご訪問
かねてより、ノルウェー国国王王妃両陛下から、天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問になるよう招請があった。

お立ち寄り:アイルランド
        5月7日:午後 ダブリン(ダブリン空港)御着
             <天皇陛下>首相ご引見(迎賓館)
             <天皇皇后両陛下>大使主催レセプション(迎賓館)
             迎賓館(ダブリン)ご宿泊
    5月8日:午前 グレンダロッホご視察
         午後 在留邦人拝謁及び伝統舞踏等ご鑑賞(迎賓館)
             迎賓館(ダブリン)ご宿泊
    5月9日:午前 大統領・同夫君とのご会見(大統領官邸)
         午後 大統領主催午餐会(大統領官邸)
             文化館関係者との懇談(ダブリン市長公邸)
             トリニティ大学訪問
             迎賓館(ダブリン)ご宿泊

【平成17年(2005年)当時の首相バーティ・アハーン氏は1992年には妻と別居、2003年までにはセリア・ラーキンと愛人関係にあった(wikipedeaより)ため、首相一人でのご引見となったため天皇陛下お一人でのお出ましだったのでしょうか?】



平成17年(2005年)6月27日~6月28日…アメリカ合衆国自治領北マリアナ諸島サイパン島ご訪問
 戦後60年に当たり、戦争により亡くなられた人々を慰霊し、平和を祈念するためにご訪問願うことといたしたい。なお、アメリカ合衆国政府及び同国自治領北マリアナ諸島政府からは両陛下のご訪問を歓迎する旨の申出があった。

【招待、招請ではないが、ご訪問となっています】



平成18年(2006年)6月8日~6月15日…シンガポール及びタイご訪問
かねてより、シンガポール国大統領閣下から、我が国との外交関係樹立40周年にあたり、天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問になるよう招請があり、また、タイ国政府から、同国国王陛下即位60年記念式典に、両陛下のご臨席を願いたい旨の申出があった。

お立ち寄り:マレーシア
      6月10日:イポー(イポー空港)御着
            午後 ペラ州スルタン主催午餐会(イスカンダリア宮殿)
            スルタン記念館ご視察
            マレー・カレッジご訪問
            イポー(イポー空港)御着
            クアラルンプール(クアラルンプール国際空港)御着
            国王王妃両陛下とのご会食(王宮)
            ホテル・ニッコー(クアラルンプール)ご宿泊
  6月11日:午前 首相ご引見(ホテル・ニッコー)
             在留邦人代表ご接見(ホテル・ニッコー)
         午後 クアラルンプール(クアラルンプール空港)御発



平成19年(2007年)5月21日~5月30日…ヨーロッパ諸国ご訪問
 この度、スウェーデン国政府及び英国政府から、リンネ生誕300年に当たり、リンネ協会の名誉会員である天皇陛下及び皇后陛下に対しそれぞれ両国へ御訪問願いたい旨の招請があり、また、エストニア国大統領閣下、ラトビア国大統領閣下及びリトアニア国大統領閣下から、両陛下に対しそれぞれ各国へ御訪問願いたい旨の招請があった。

訪問先:スウェーデン、エストニア、ラトビア、リトアニア、英国
 

【正式訪問に付随する形でのリンネ生誕300年式典は正式訪問、つまりご旅行とはならないようである。
 もしそうであるなら正式なご訪問と私的な研究の為のご旅行の線引きはあいまいであるといえます。】



平成21年(2009年)7月3日~7月17日…カナダ・アメリカ合衆国ご訪問
 かねてより、カナダ国総督閣下から、天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問願いたい旨の招請があり、また、アメリカ合衆国ハワイ州における皇太子明仁親王奨学金財団50周年記念行事に際し、同国公政府からご訪問を歓迎する旨の申出があった。


宮内庁ホームページでは(参考)として宮内庁式部職が「天皇皇后両陛下カナダ国及びアメリカ合衆国(ハワイ州)御訪問の御日程について」として文書が寄せられている。
このような文書は天皇皇后両陛下のページではこの一回のみ。他に秋篠宮家のページで「日本・ドナウ交流年2009」(平成21年)「日蘭通称400周年と秋篠宮同妃両殿下のオランダでの記念式典ご臨席について」(平成21年)がある。
資料として 海外訪問とお立ち寄り① (speranza)
2013-07-25 16:54:29
天皇皇后両陛下海外訪問(平成元年より) 
宮内庁ホームページより抜粋



平成3年(1991年)9月26日~10月6日…東南アジア諸国ご訪問
訪問先:タイ王国・マレーシア・インドネシア
この度、タイ国国王王妃両陛下、マレーシア国国王王妃両陛下及びインドネシア国大統領閣下夫妻から、天皇皇后両陛下に対しそれぞれ各国を御訪問になるよう招請があった。
 


平成4年(1992年)10月23日~10月28日…中華人民共和国ご訪問
 中華人民共和国主席閣下から、天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問になるよう招請があった。



平成5年(1993年)8月6日~8月9日…ベルギーご旅行
 目的:ベルギー国王ボードワン陛下の葬儀ご参列の為
 ベルギー国国王ボードワン陛下は7月31日崩御され、来る8月7日同国ブラッセルにおいて葬儀が行われることとなった。
【天皇皇后が葬儀参列は異例のこと】



平成5年(1993年)9月3日~9月18日…ヨーロッパ諸国ご訪問
 訪問先:イタリア、ベルギー、ドイツ
この度、イタリア国大統領閣下、ベルギー国公王王妃両陛下及びドイツ国大統領閣下夫妻から、天皇皇后両陛下に対しそれぞれ各国を御訪問になるよう招請があった

 お立ち寄り:バチカン
         9月3日:ローマ法王とご会見(カステル・ガンドルフォ離宮)


【HPには「また両陛下には、この機会に、ローマ法王台下(原文まま)及び欧州共同体委員会委員長閣下にお会い願うことといたしたい。」とあります。
 HPの[皇室][ご公務など][国際親善][外国ご訪問]を見ると≪バチカンお立ち寄り≫となっていますが、[皇室のご活動][天皇皇后両陛下]には上記の記載となっています】
【カステル・ガンドルフォ離宮はローマ南東部にあります。会見場所がバチカンではないためにお立ち寄りと記載していないのでしょうか】



平成6年(1994年)6月10日~6月26日…アメリカ合衆国ご訪問
 かねてより、アメリカ合衆国大統領夫妻から、天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問になるよう招請があった。



平成6年(1994年)10月2日~10月14日…フランス・スペインご訪問
かねてより、フランス国大統領閣下夫妻及びスペイン国国王王妃両陛下から、天皇皇后両陛下に対しそれぞれ両国を御訪問になるよう招請があった。

 お立ち寄り:ドイツ
         10月3日:ヘッセン州にて首相引見(ホテル・ケビンスキー)
フランクフルト市庁舎訪問
在留邦人拝謁(ホテル・ケビンスキー)



平成9年(1997年)5月30日~6月12日…ブラジル・アルゼンチンご訪問
 かねてより、ブラジル国大統領閣下およびアルゼンチン国大統領閣下から、天皇皇后両陛下に対しそれぞれ両国を御訪問になるよう招請があった。

お立ち寄り:ルクセンブルク・アメリカ合衆国
      ルクセンブルク
      5月30日:ジャン大公同妃両殿下主催レセプション(ベルグ城)
            ジャン大公同妃両殿下主催ご夕食(ベルグ城)
      5月31日:ご視察(ファンアンデン城)
            ジャン大公同妃両殿下主催午餐会(大公宮)

      アメリカ合衆国
      6月12日:在留邦人・日系人代表とのレセプションご臨席(総領事公邸)



平成10年(1998年)5月23日~6月5日…英国・デンマークご訪問
 かねてより、英国女王陛下及び王配殿下並びにデンマーク国女王陛下及び王配殿下から、天皇皇后両陛下に対しそれぞれ両国を御訪問になるよう招請があった。

お立ち寄り:ポルトガル
      5月24日:ジェロニモス修道院ご供花
            歓迎式典(アジューダ宮)
            大統領夫妻とのご会見(アジューダ宮)
            大統領夫妻主催午餐会(アジューダ宮)
            在留邦人代表拝謁
      5月25日:98年リスボン国際博覧会会場ご視察(ポルトガル館、海洋館日本館)



平成12年(2000年)5月20日~6月1日…オランダ・スウェーデンご訪問
かねてより、オランダ国女王陛下及び王配殿下並びにスウェーデン国国王王妃両陛下から、天皇皇后両陛下に対しそれぞれ両国を御訪問になるよう招請があった。

お立ち寄り:スイス・フィンランド立ち寄り
      スイス
      5月20日:ジュネーブ御着、ル・リシュモン・ホテルご宿泊(スイス国お立ち寄り)
      5月21日:午前 マルシッスィー村散策
           午後 ジュネーブ国際機関邦人職員等との昼食(在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使公邸)
               在留邦人代表拝謁
            夜  ル・リシュモン・ホテルご宿泊
      5月22日:午前 赤十字国際委員会ご訪問
               州政府庁舎ご訪問
               サン・ピエール大聖堂ご訪問
            午後 大統領夫妻とのご会見(ズーボフ館)
               大統領夫妻主催午餐会(ズーボフ館)
               <皇后陛下> 国際児童図書評議会創立50周年大会関連会合ご臨席
<天皇皇后両陛下>在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使主催レセプション(ル・リシュモン・ホテル)
             夜  ル・リシュモン・ホテルご宿泊

       フィンランド
       5月26日:午後 ヘルシンキ空港御着
                 歓迎式典(大統領官邸)
                 大統領とのご会見(大統領官邸)
夜               大統領主催晩餐会(大統領官邸)
                 迎賓館(ヘルシンキ)ご宿泊
       5月27日:午前 ヘルシンキ市主催歓迎行事(市庁舎)
             午後 ヘルシンキ市主催午餐会(市庁舎)
在留邦人代表及び友好団体関係者代表ご引見(ホテル・カンピ)
             夜  迎賓館(ヘルシンキ)ご宿泊
       5月28日:午前 <皇后陛下>人形劇ご鑑賞(サンポ人形劇場)
             午後 <天皇皇后両陛下>コイヴィスト元大統領夫妻とのご昼食(迎賓館)
             大統領公邸ご訪問
             ヘルシンキ(ヘルシンキ空港)御発
資料として (speranza)
2013-06-28 17:26:09
眞子内親王殿下の海外訪問

平成15年8月7日~8月21日
【タイご旅行】≪文仁親王同妃両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下≫

タイ国王妃シリキット陛下が72歳をお迎えになるに際しての祝意表明
ウバンラーチャタニー大学名誉学位授与式にご出席
家禽類に関する共同研究



平成18年8月3日~8月16日
【オーストリアご旅行】
(学習院女子中等科第3学年ご在学中)


平成19年8月13日~8月25日
【マダガスカルご旅行】≪文仁親王殿下にご同行≫

マダガスカル国における生物多様性及び森林復元並びに家畜・家禽類及び絶滅長に関するご研究のためご旅行



平成22年3月23日~3月28日
【ラオスご旅行】≪文仁親王殿下にご同行≫

東京大学総合研究博物館モバイルミュージアム「ラオス-農の技」開会式にご出席及び家禽類の調査研究のためご旅行(タイお立ち寄り)


平成22年7月4日~8月15日
【アイルランドご旅行】
国際基督教大学海外英語研修プログラムご参加のためご旅行(国際基督教大学第1学年ご在学中)
(英国(北アイルランド)お立ち寄り)


平成24年8月24日~
【短期英国ご留学】(英国エディンバラ大学)
平成25年5月に就業は終了し、その後1カ月のヨーロッパご旅行
Unknown (auxilia)
2013-06-15 22:45:11
「美智子妃」
河原敏明 著   講談社 刊
昭和62年10月12日  第1刷発行

73p.


天皇はすべて皇太子を御名代に立てていた
     中略
さらに付加すれば、天皇の訪問には外相、宮内庁長官以下三十人を超える随員、随行員が従うという、先進国らしからぬ大名行列になり、国政への影響や随員のスケジュールが絡む。結局、手軽にすむ皇太子の代行ですます、というパターンも見逃せない。


=========

これは昭和時代に書かれた本なので、天皇は昭和天皇、皇太子は明仁皇太子(今の天皇陛下)のことです。

平成の両陛下が海外訪問される時は、大名行列ではないのでしょうか?
気になる記述です。
Unknown (auxilia)
2013-06-14 14:58:20
読売新聞  昭和35年10月5日

皇太子ご夫妻は3日にシカゴに到着されたが、皇太子は有名なシエド水族館を一時間余り熱心にご見学。
四種類のアメリカ産の魚をプレゼントされた。
この間、美智子さまはホテルでお休みになった。


==========
「美智子妃」
河原敏明 著   講談社 刊
昭和62年10月12日  第1刷発行


77p.

(明仁皇太子、美智子妃の初の訪米に関して、美智子妃についての記述です。)

そのため疲労が重なり二、三の予定をカットして休養をとり、皇太子だけがはたしたこともあった。


=========

昭和天皇の御名代として、初の訪米。
その時、美智子妃も疲労のため、公務を休まれました。

雅子妃の病状は、招待する国も理解している。
その雅子妃を批判するのは、招待する国をも批判する事になるのでは思います。




なお、シエド水族館でプレゼントされた魚のうちの一種類がブルーギルです。

陛下のスピーチによると、非常に重要な意味を持つ魚だったようですが、その魚を贈られた時に美智子妃はホテルで欠席されていたのです。
皇太子殿下のスペインご訪問 (Dianthus)
2013-06-14 10:17:51
皇太子さま、スペイン語であいさつ…拍手と歓声
読売新聞 6月13日(木)17時30分配信
 【マドリード=石浜友理】スペインを訪問中の皇太子さまは12日夜(日本時間13日未明)、マドリードの王宮で開かれたフェリペ皇太子夫妻主催の晩餐(ばんさん)会に出席された。

 金色の装飾に彩られた天井画と華やかなシャンデリアが輝く「円柱の間」で開かれた晩餐会で、皇太子さまは「両国国民の相互理解と友好関係がますます深まることを期待しております」とあいさつ。後半は全てスペイン語であいさつし、東日本大震災で寄せられた支援に謝意を示された。あいさつが終わると、別室で聞いていたスペイン人の報道陣からも拍手と歓声があがった。これに先立ち、皇太子さまは、マドリード州上水管理研究センターをフェリペ皇太子とともに視察された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130613-00000956-yom-soci


皇太子殿下がスペイン語でも挨拶され、それが現地の方々の喝采を浴びたという記事です。
皇太子殿下の、実のある公式ご訪問ぶりが伝わってきます。
妃殿下ご同伴かどうかより、まずは皇太子殿下御自身の魅力、お仕事ぶりですよね。

ところが、この心温まる記事、まだ毎日新聞や産経新聞、日経新聞には配信されておりません。
朝日新聞には配信され、ご挨拶全文まで出ているのですが、肝心の、「スペインの人々の喝采」の部分が抜けています。

せっかくなら、やはりこういうところを報じて欲しいものです。
昭和の海外訪問 (speranza)
2013-05-17 22:05:27
Auxiliaさま
ご指摘の通りだと思います。

昭和時代の皇太子(現在の天皇陛下)は昭和天皇のご名代として海外に「国際親善のためのご訪問」を多くなさいました。
さらにそのほとんどの場合、「お立ち寄り」もなさっています。

宮内庁ホームページの記載による昭和28年から63年までの海外訪問
(なお、明仁皇太子殿下のご成婚は昭和34年1959年4月10日)

海外訪問:24回(うち昭和28年は明仁皇太子殿下お一人の海外訪問)

明確な目的のあるもの5回
英国女王戴冠式参列
日米修好100年に際し訪問
ネパール国王戴冠式参列
日本人ブラジル移住70周年記念式典参列
英国皇太子結婚式参列(ご差違)

それ以外の19回は「国際親善のため」の訪問です。

英国女王戴冠式参列と14回の海外訪問(計15回)は昭和天皇のご名代です。
16回の海外訪問には「お立ち寄り」があります。
訪問日数も最小が3日、最大は昭和28年の英国を含むヨーロッパ14カ国を回られた時の197日。ほとんどが10日前後、半月にもわたる海外訪問も半数近くに登ります。

昭和だけで英国女王戴冠式の際のヨーロッパ長期滞在を除いても延べ66カ国のご訪問をなさっています。
はっきりとした目的がなく「公」と「私」が綯交ぜになっているようです。

戦後、他国の王族との交流を取り戻すという意味もあったかもしれませんが、昭和天皇が次の世代に新しい皇室外交をお任せになるという度量の広さあってのことだったように思います。

公式訪問の定義 (モーリ)
2013-05-17 21:50:30
公式訪問は、国への公式な招待か、政府や王室主催の公式行事への招待があって、滞在費用を招待国が負担するのが原則。


>皇太子殿下の水関係の海外訪問
>平成18年「ご訪問」…メキシコでの「第4回世界水フォーラム」(ご招待したい旨の申出あり)
>平成21年「ご旅行」…トルコでの招待を受けてご臨席なさった「第5回世界水フォーラム」(ご招待あり)
>平成25年「ご旅行」…ニューヨークでの国連「水と災害に関する特別会合」(国際連合事務総長からのご招待)(皇太子殿下の基調講演あり)


宮内庁HPのご訪問についての説明を確認すると、

<トルコ国政府及び第5回世界水フォーラム運営委員会からの招待により,同国イスタンブール市において開催される「第5回世界水フォーラム」に御臨席のため・・・。>
世界水フォーラムは毎回、開催国の政府と世界水フォーラム運営委員会の共催で開かれています。
ですから、トルコ政府と世界水フォーラム運営委員会が共催する「第5回世界水フォーラム」へ招待したということ。
つまり、トルコ政府主催の公式行事への招待ではないので、公式訪問とはならない。

<メキシコ国大統領閣下から,本年3月の同国における「第4回世界水フォーラム」の開催に際し,皇太子殿下を同国に招待したい旨の申出があった。>

メキシコの場合は、同国に招待したい・・・とある。
つまり、「第4回世界水フォーラム」への招待も込みで国への招待があったのです。


メキシコの日程では、
フォックス大統領主催晩餐会(チャプルテペック城)
トルコの日程では、
ギュル大統領主催夕食会(ドルマバフチェ宮殿)
晩餐会は公式行事、夕食会は私的行事という分け方のようです。
公式訪問では、必ず晩餐会や午餐会が開かれますから、それを目安にされると良いでしょう。

で、国連の事務総長の招待では、公式訪問にはならない。


>平成22年皇太子殿下のスウェーデンご訪問(ビクトリア王太子挙式ご参列)以降、ご日程の詳細が記載されているのは8回中1回(平成23年ドイツご訪問)のみです。
>対して文仁親王殿下は6回の「ご訪問」と10回中2回の「ご旅行」まで詳細が記載されているのです。
>ここでも皇太子殿下に対しては視覚的に活動が矮小化されています。


日程の詳細は以前同様、別に記載されていますよ。
宮内庁HPの皇太子同妃両殿下のご日程の下部に外国訪問について記載があります。
それをクリックすると、日程の詳細が観られます。
また、皇太子同妃両殿下の記者会見の欄にある外国訪問時のご会見をクリックすると、それぞれのご訪問前のご会見やおことばが現われますが。
その中の訪問国をクリックすると、やはり日程の詳細が観られます。


秋篠宮ご夫妻の公務は日程のみですが。
皇太子ご夫妻の公務は、両陛下同様お写真も掲載されます。
また、宮内庁HPのトップには新着情報があり、陛下と皇太子殿下のおことばは必ず載りますが。
秋篠宮殿下のおことばは載りません。

Unknown (auxilia)
2013-05-17 14:44:51
speranzaさんが検証している時に横入りして、すみません。


***********

「美智子妃」  河原敏明 著  講談社 刊
昭和62年10月12日 第1刷発行


73p.

天皇はすべて皇太子を御名代に立てていた(のち四十六年にベルギー、英国、西ドイツを公式に、デンマーク、オランダ、スイス、フランスは非公式に、さらに五十年には米国を公式訪問された)。


***********


昭和に書かれた本なので、天皇は昭和天皇、皇太子は明仁皇太子です。

この本を読むと、今の両陛下が皇太子同妃の時にされていた海外訪問は、すべて公式訪問とは言えないようです。

公的なのか、私的なのか、その曖昧な基準は、平成どころか昭和から既に見られていたと考えてよいのではないでしょうか。


皇室の海外訪問その③ (speranza)
2013-05-17 08:35:12
また 「ご旅行」を見ただけでも宮内庁ホームページの記載には不自然さがあります。

 文仁親王同妃両殿下のルクセンブルク「ご旅行」に関して、日程詳細のページのタイトルは「ご訪問」となっています。これは単純な誤りであると考えられますが、正確を期すという意識が薄いのではないかと思われます。

 皇太子殿下は「ご旅行」という一見私的な訪問に見えるタイトルが多くみられ、詳細は有りません。
一方、文仁親王殿下は同じ葬儀ご参列でも日程(詳細)が記載され、研究目的の「ご旅行」は「ご日程」ページには記載されていません。

 天皇皇后両陛下、皇太子殿下の葬儀ご参列の場合、ご日程の概要があるだけですが、文仁親王殿下の葬儀ご参列の場合、ご日程の概要のほかに日程の詳細があります。文字数だけを見ればより多く活動をしているように見えます。
 その内容は「ご日程概要」に空港名、弔問、昼食会などが追記されているものです。
 これらは皇太子殿下も同様に行われているはずですが、なぜか記載はありません。
 
 宮内庁の秋篠宮家よりの姿勢があり視覚的な印象操作がされています。



 宮内庁ホームページには明らかに矛盾する表記もあります。

国内に目を向けると記憶に新しい天皇皇后両陛下のご旅行(平成25年4月15日~4月16日)があります。
宮内庁はご家族旅行、紀宮清子殿下(現黒田清子さん)とのご旅行を除く「初の私的旅行」と発表しました。当然、ホームページでの記載は「ご旅行」となるべきでしょう。しかし記載されていたのは「長野県ご訪問」でした。
その内容は知事、県議会議長、県警察本部長とのご挨拶、ご会食、そしてご視察とあんずの里ご訪問まで記載されています。
表記されたものを見て私的な旅行であると感じることは困難です。

皇太子殿下の海外訪問の中には2回の招待による水関連の会議出席があります。
活動内容からすれば皇太子殿下の「アメリカご旅行」は公務としてもおかしくないものです。しかし個人の研究対象と言うことで「ご旅行」となり、公的に「私的旅行」と発表された天皇皇后両陛下は「ご訪問」と記載されました。

このような矛盾した表記もあります。

皇太子殿下の水関係の海外訪問
平成18年「ご訪問」…メキシコでの「第4回世界水フォーラム」(ご招待したい旨の申出あり)
平成21年「ご旅行」…トルコでの招待を受けてご臨席なさった「第5回世界水フォーラム」(ご招待あり)
平成25年「ご旅行」…ニューヨークでの国連「水と災害に関する特別会合」(国際連合事務総長からのご招待)(皇太子殿下の基調講演あり)

内容は同じですが、宮内庁の公務への基準が突然変わったとしか思えません。
ここでも宮内庁の偏向が見えます。

秋篠宮家に第3子を望むという発言は平成15年に宮内庁長官から発せられました。
そして平成18年2月7日に紀子妃殿下のご懐妊が判明し、9月6日に秋篠宮家に悠仁親王がお生まれになりました。
このことが宮内庁内の秋篠宮家寄りの姿勢に転じた理由であるという可能性は排除できません。


宮内庁の海外訪問に対する「ご訪問」と「ご旅行」は文字から読めとれるものとしては「公」と「私」であると思います。
実際に「私的海外旅行」と天皇陛下がおっしゃった皇太子殿下ご家族のオランダご静養は「ご旅行」となっています。
ですが、ある時期から皇太子殿下の「ご訪問」と同じ内容のものが「ご旅行」になり、天皇皇后両両陛下の公的に発表された「私的旅行」が「ご訪問」と記載するなど宮内庁の活動に対する記載方法は曖昧で矛盾に満ちています。

平成22年皇太子殿下のスウェーデンご訪問(ビクトリア王太子挙式ご参列)以降、ご日程の詳細が記載されているのは8回中1回(平成23年ドイツご訪問)のみです。
対して文仁親王殿下は6回の「ご訪問」と10回中2回の「ご旅行」まで詳細が記載されているのです。
ここでも皇太子殿下に対しては視覚的に活動が矮小化されています。


こうなると「ご訪問」と「ご旅行」の違いは宮内庁の胸三寸で決まっているように思えます。
本来皇太子殿下のサポートをするべき立場の宮内庁の偏向はマスコミのミスリードを後押しする形でバッシングへとつながっていると考えられます。

皇室の海外訪問その② (speranza)
2013-05-17 08:34:42
「ご旅行」と記載のあるものを見ていきます。

海外訪問の中の「ご旅行」

天皇皇后両陛下の場合
 平成5年…ベルギー国王の葬儀にご参列
 平成14年…皇后陛下のみ、「国際児童図書評議会」大会出席(招待による)
皇后陛下の場合は個人の活動ということでご旅行という扱いになっていると思われます。
皇后陛下は同大会の名誉総裁としてご出席です。

皇太子殿下の場合
(※印…ご日程に記載なし)
 平成17年…サウジアラビアご弔問
※平成18年…皇太子同妃両殿下、敬宮愛子内親王殿下オランダご旅行
 (ベアトリクス女王陛下の招待によるご静養)
 平成20年…トンガご旅行 葬儀ご参列
 平成21年…トルコご旅行 「第5回世界水フォーラム」ご臨席(招待による)
 平成23年…サウジアラビアご弔問
 平成24年…サウジアラビアご弔問
 平成25年…アメリカご旅行 国連「水と災害に関する特別会合」(招待による)
皇太子殿下は国連で皇族初の基調講演をなさいました。
皇太子殿下は国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁です。

文仁親王殿下の場合(眞子内親王殿下のアイルランド海外学習を除く)
※印…ご日程に記載なし
 平成17年…ルクセンブルク御旅行前大公妃の葬儀ご参列(文仁親王親王宮同妃両殿下)
※ 平成17年…タイご旅行 調査研究
※ 平成19年…タイご旅行 調査研究、名誉博士号授与
※ 平成19年…マダガスカルご旅行 調査研究 (眞子内親王殿下ご同行)
※ 平成22年…ラオスご旅行 式典出席、調査研究、タイお立ち寄り(眞子内親王殿下ご同行)
※ 平成23年…タイご旅行 名誉博士号授与
※ 平成24年…ベトナムご旅行 調査研究 
※ 平成24年…タイご旅行 調査研究
 平成25年…カンボジアご旅行 前国王の葬儀ご参列


葬儀ご参列、ご弔問を除くと皇后陛下、皇太子殿下の旅行は招待を受けた、水の研究に関する会議への出席です。
一方、文仁親王殿下は7回の御旅行は全て調査研究目的です。
そのうち2回は長女である眞子内親王殿下がご同行されています。同行の理由は記載されていません。

「ご日程」のページを見る限りでは皇太子殿下の「ご旅行」が多い印象を受けますが、実際には記載期間が短い文仁親王殿下と「ご旅行」は同数です。

皇太子殿下の記載時期と同じ平成14年まで遡ると文仁親王殿下の「ご旅行」にはタイへの渡航があります。
平成15年、文仁親王同妃両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下ご同行、つまりご家族全員での渡航です。
目的はタイ王妃の72歳の祝意表明、名誉学位授与式ご出席、研究のためです。こちらもお子様方のご同行理由はありません。

お子様方が研究をなさると考えるのは無理がありますし、紀子妃殿下は大学では心理学を学ばれ、その後も悠仁親王殿下のお茶の水女子大学付属幼稚園入学に際して健康をテーマに研究準備をなさっているとの発表はあります。しかし文仁親王殿下は鳥類の研究をなさっておられます。
となれば、紀子妃殿下とお子様方のご同行は文仁親王殿下の研究旅行に関わってはいない渡航、つまり「私的なご旅行」ではないでしょうか。

オランダから招待を受けた皇太子殿下ご家族のご静養はバッシングの対象となりましたが、こうして見ると研究という目的に付随させる形で私的なご旅行も可能ということになります。
皇室の海外訪問その① (speranza)
2013-05-17 08:34:05
 宮内庁ホームページに記載された海外訪問を見ていきます。

 記載開始時期とそれらに関する考察はDianthusさまがなさっておられますので記載開始時期と皇室に起きた出来事の関係は割愛させて頂きます。



まず海外訪問の形に目を向けたいと思います。

ホームページ<皇室のご活動>から<ご日程>を開くと下部に訪問国と年度が記載されています。海外訪問には2つの表記があります。
「ご訪問」と「ご旅行」です。

<ご日程>の下部に海外訪問の内容へのリンクがあります。
こちらを見ると
海外訪問の回数
 天皇皇后両陛下…海外訪問17回うち「ご旅行」2回(平成元年~)
 皇太子同妃両殿下…海外訪問20回うち「ご旅行」6回(平成14年1月~)
 文仁親王同妃両殿下…海外訪問8回うち「ご旅行」2回(平成17年7月~)

<ご日程>のページではこれだけですが、さらに月別の日程を見ていくと記載にないものがあります。

 皇太子殿下…平成14年 オランダご訪問(オランダ皇太子挙式ご参列)
他ご旅行1回(オランダご静養:皇太子妃殿下、敬宮愛子内親王殿下ご同行)
 文仁親王殿下…ご旅行7回(うち1回は眞子内親王殿下アイルランド海外学習)


「ご訪問」と「ご旅行」の目的の違い

「ご訪問」と記載されているもの
 招待または招請の申出があった。
 友好親善を目的とする。
 国交樹立記念式典や王族の挙式参列のため。

「ご旅行」と記載されているもの
 王族の葬儀
 調査・研究のための渡航(招待がある場合も含む)
と大別できます。

「招待」は明確な目的(式典ご参列など)があり相手国から招待があったもの、「招請の申出」は期日のないような申出(お誘い)に対し国交樹立式典等に合わせてご訪問されている場合とみてよいでしょう。この他に「ご訪問」に付随した「お立ち寄り」もあります。

「ご訪問」を皇族としての活動つまり「公」と考えてよいでしょう。
「ご旅行」は私的な興味対象あるいは感情(弔問)に基づいています。葬儀が「ご旅行」となっているのは招待ではなく知らせを受けて自主的に向かうものとして「ご旅行」という位置づけとなっているかもしれません。
 葬儀が王族の結婚式のように公式訪問にならないのは日本のケガレの思想に基づくのかもしれません。

宮内庁の分け方を見ると「ご旅行」が「私」的活動の位置づけとなっているようです。
明仁皇太子と美智子妃が初めて訪米した時について (auxilia)
2013-05-06 14:09:36
美智子妃は訪米中に疲れがたまって、予定されていた行事を幾つか欠席された・・・・・

皇室評論家が書いた本に、そのような記述があったのを思い出しました。

それを見つければ、雅子さまが海外訪問中に行事を欠席されても、美智子妃も欠席したという前例があるのですから、何ら問題はありません。

ましてや、あらかじめ訪問先に連絡して相手国から了承を得ていれば、雅子さまが責められる理由はどこにもありません。

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