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歌丸師匠の禁煙宣言に学べ

2009年02月15日 08時02分04秒 | 離煙ニュース: 国内編
スモーカーの方、よくお読みください。

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歌丸53年目の禁煙宣言…「笑点」で復帰

復帰会見に臨んだ桂歌丸は「酸素ボンベが手放せなくなった」と語り、禁煙宣言した 肺気腫による感染増悪を克服し、12日に横浜市内の病院を退院した人気落語家・桂歌丸(72)=落語芸術協会会長=が14日、東京・後楽園ホールで行われた日テレ系演芸番組「笑点」(22日、3月1日放送分)の収録で仕事復帰を果たした。収録後、会見した歌丸は「この苦しみを二度と味わいたくない」と52年間、一時も断ったことのないたばこを封印し「吸いません」と“禁煙宣言”。「ご恩返しは本業の落語と長年やらしていただいている『笑点』で返したい」と意気込みを語った。

 笑顔の歌丸が帰ってきた。おなじみの緑の着物姿で「笑点」の釈台の前に座りテンポ良く、場を仕切っていく。声もハリがあり顔の色つやも良い。病気で12日に退院したばかりとは思えない堂々たる司会ぶりで歌丸健在を印象づけた。

 だが、そんな姿とは裏腹に苦しかった闘病生活を明かした。「肺気腫による感染増悪」とかかり付けの横浜市内の病院で診断されたのは今月2日。歌丸によると1月30日に具合が悪くなり、31日の「笑点」収録は何とか終えたものの、「空気が抜けて、しゃべれなくなる状態」。1日の仙台での落語会を終え、帰京すると「息を吸うことはできるが、はくことができない。風船が膨らんでしぼんだ状態。本当に苦しかった」。2日に緊急入院が決まった。

 さらに、薬の副作用で足が2倍にむくんだ。「(大相撲の)白鵬の足みたいになっちゃった」と笑いに変えたが、息をするのも困難な状況で、歌丸はある決断をした。「たばこはやめました。この苦しみ、もう二度と味わいたくないから」と禁煙を宣言した。

 愛煙家で知られる歌丸は、二十歳から52年間、欠かすことなくたばこを吸い続けてきた。「人の3倍から5倍、強いたばこを吸ってきました」。全盛期は缶ピースを1日60~70本。最近まで外国製の葉巻の葉をくるんだたばこを愛用していた。今後はそれを一切、やめることを決めた。

 現在も入浴や食事の際にはボンベによる酸素吸入を欠かさず、携帯用酸素吸入器も持参している。「お酒も一滴も飲めませんから、これから何を楽しみにすればいいのか」と笑い飛ばすが、「まだまだ自分でやりたい仕事がありますから」とキッパリ。15日には水戸、宇都宮の落語会で高座復帰。三遊亭円朝ものを精力的に取り組んでいる落語家・桂歌丸の情熱はまだまだ健在だ。

 ◆復帰を歓迎!?楽太郎と舌戦 ○…歌丸復帰を「笑点」メンバーも歓迎した。番組の中では入院をテーマに、三遊亭楽太郎(58)が歌丸の「借金返してよ」の問いかけに「お金返して? 入院して死んじゃうと思ったのによ」とやり、座布団を没収されるなど、笑いに転化。一方の歌丸も「(司会の座を)楽太郎が狙ってますからね。まだまだ倒れられません。あの席は譲れません」とキッパリ。帰り際には「来年3月の円楽襲名はなくなったから」と歌丸が仕掛けると、楽太郎も「じゃあ、歌丸を継ぎます」と反応。すかさず「3億で譲る」と返すなど軽妙なやりとりは健在だった。

(2009年2月15日06時00分 スポーツ報知)

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母は同じ肺気腫(COPD)で死にました。長年の喫煙が原因です。死ぬまで酸素ボンベなしでは生活できませんでした。大変苦しい病気です。

ただでさえ空気が悪くなった日本で暮らしているのに、そのうえタバコを吸ったらどれだけ肺に負担がかかるか、どなたも想像できるはず。なのにこれだけ多くの人がタバコと縁を切らないのかよくわかりません。

COPDになるのも、COPDの患者を看取るのも、とても辛いもの。スモーカーの方には歌丸師匠の言葉をしかと受け止めていただきたいと思います。

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