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中村吉右衛門・自分史7:東宝への移籍

2017年07月20日 05時44分50秒 | 歌舞伎

東宝移籍・松竹復帰が、中村吉右衛門には試練となって、それが飛躍の一因になっています。

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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:7 兄弟で東宝と契約、現代劇も
朝日新聞 2017年7月19日05時00分

歌舞伎界に新風を吹き込んだ22歳のころ=1966年10月撮影

 ■歌舞伎俳優・中村吉右衛門

 《実父の松本白鸚(当時八代目幸四郎)は、伝統の枠を超えた様々な新しい試みに挑戦した。1957年、「新劇史上初の歌舞伎との合同」といわれた文学座の公演「明智光秀」に出演。歌舞伎を想定した作品で、白鸚が光秀役。杉村春子も出演した》

 兄(当時六代目市川染五郎)が森蘭丸、ぼくは光秀の長男光慶(みつよし)と、森力丸の2役で出ました。楽屋では実父のお弟子さんがおかもちにお茶や水、あめなどを準備して待機しています。「お茶」と言われると、ハッと出す。新劇の人がまねて「幸四郎ごっこ」をしていました。ジャンケンで勝った人が幸四郎になり、「お茶」と言うとお弟子さん役が「ハイ」。新劇の人には面白く見えたのでしょう。

 夏場の稽古では女優さん方の夏服に、男の中で育ってきたぼくはびっくりしました。ときめきましたが、相手にはされませんでしたね兄貴はもてましたけど

 《松竹が独占状態だった歌舞伎界で61年、染五郎と中村萬之助(まんのすけ)(吉右衛門)の兄弟が東宝と専属契約を結んだ。実父幸四郎と一門も東宝入り。新聞には「揺れ動くカブキ界」の見出しが躍り、幸四郎は「契約というシステムに魅力を感じている」「新しい舞台に生きよう」と語った》

 東宝入りは、60年に上演された舞台「敦煌」(井上靖作、菊田一夫脚本・演出)への出演がきっかけで菊田先生に引っ張られました。東宝では現代劇にも出演しました。

 兄貴は主役でしたが、ぼくはほぼ脇役。当時はインタビューを受けても兄の後では違うことを答えられず、「無愛想だ」と言われていました。

 66年に再開場した東宝直営の帝国劇場は、花道が曲がっていて坂になっているなど、歌舞伎には向かない造りでした。東宝には10年ほどいて松竹に戻りましたが、兄貴も戻ってきたので、演じる役が重なるようになったんですよ。どうしようかと思い、二代目尾上松緑のおじさんに、初代と違う型を習い、役を広げようと考えていました。

 (聞き手 山根由起子)

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実兄・松本幸四郎との差別化を考えて、「伝統歌舞伎」にのめり込んでいく吉右衛門。おかげで、多くの歌舞伎ファンは、その本道を行く骨太の歌舞伎に魅了されることになります。

若いときに苦しんだことが、吉右衛門を大きくしたのです。事実、顔つきが、若いときにはあれほど貧相だったのが(失礼!)、年と経験を重ねるにつれ、どんどん良くなっていきます。いまの端正な吉右衛門の顔など、ひとつの芸術品です。

若いときの苦労、その人に夢と希望があれば、無駄には絶対になりません。吉右衛門を見習わねば。


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