母恋

2005.3.5にすい臓がんにより天国へ旅立った母の手記や看病の記録、その後の生活などを書いてます。

テレビ

2005-05-14 23:01:00 | 母の居ない生活
今日、『世界がもし100人の村だったら』の放送がありました。
今回もとても逞しい少年、少女達が紹介されていましたよ。

父親は殺され、母親は病気、弟2人の面倒を見ながら、家事一切をし、ゴミを拾って一家を支える少女。

8歳で親に捨てられ、12歳で妊娠、13歳で出産した、スラム街に住む14歳の母親。

家族の為に過酷な労働条件の中鉱山で働く少年達。

皆、家族の為だけに、未来への希望を持ち、逞しく生きていました。

34歳の私はといいますと、会社や家族に不平不満、自分の時間が持てない事への苛立ちを募らせ、
全くもって恥ずかしい限りです。

30代に入った頃、「このまま結婚もしないで、子供も産まないで生きていくんだろうなぁ。」と、思い始めました。
それと同時に、劣悪な環境下にいる子供達が、まるで自分の子供の様に思えてきたのでした。
(かなり大袈裟)

3、4年程前から、フォスタープラン協会のマンスリーサポーターに参加しています。
途上国の過酷な環境にいる子供達を、金銭や物資の援助だけにとどまらず、自立していけるような
施設や環境を整えていこうという団体です。

母が、私がこのプロジェクトに参加しているのを知った時、とても喜んでいたのを思い出します。
普段は「子供なんて…」的な発言をしていたので、ホッとしたのかもしれません。

自分で働いた給料の一部である1000円/月が、こんなに有効に使ってもらえるなんて
嬉しい限りです。

寄付金はもっと高額にもできるのですが、無理なく長く続けていこうと思ったので1000円にしときました。

自己満足、偽善者…とかなんとか言われようが、これからも続けていくつもりです。

TVを見て、今日もまた、母の笑顔を思い出して涙してしまいました。