撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

学習院大学 乃木館 厩舎

2012-08-07 20:27:38 | 東京
続きまして学習院大学構内さるく記はいよいよ大団円を迎える事となります。


構内の端っこに近いところに立つこの和風建築は乃木館といいまして


1908年の建築。パンフレットによると学生寮の一部で管理棟として使われていたようで、1944年に学生寮を取り壊した際にここだけ保存したものであります。


なぜ乃木館というかといえば


日露戦争時の陸軍大将で旅順攻防戦の司令官、乃木希典が引退後に学習院院長となりここに住み込んで学生の指導にあたったからだそうです。


説明文。今は平和な世の中、軍人の指導がなくとも有意の人材が育っています。


乃木館の裏は崖になっていて、崖沿いにこの様な小道がある。


小道を通って見えてきますのは


厩舎


パンフレットによれば1908年竣工、1927年現地へ移築されたものだそうです。


厩舎の裏からさらにこういう道を進みます。ほんの2~30秒ですが、これが東京都目白区内の一角とは思えないほどの風景、まるでジャングル。タヌキやムササビがいるそうで東京都の奥深さというか凄みすら感じさせる。


馬場。構内に馬場があるというのも大学の格式を感じさせる。そういや大阪市立大と大阪府立大にもあったな。

東京23区内にこれだけの緑と文化財建築を有する学習院大学、構内には見所が多く、わたくし以外にも雨の中 物好きな方々を何人かお見受けしました。
見学中には大学関係者と思しき人から挨拶されたりして皆さん品がよく親切。お茶の水女子大の二の舞は避けられましたです。

注意点:見学は9時から16時まで、部外者の建物内立ち入りは資料館を除き禁止。
時間外や試験期間、皇族の訪問等、一般人が入構できない場合もあるとの事、見学の際は、警備室で許可をもらいましょう。

学習院大学 東別館 西1号館 南1号館

2012-08-06 20:52:12 | 東京
北別館の裏には


この様な


売れる前の赤塚不二夫や石森章太郎が住んでいたアパートのような木造建築があります。


これは恐らく便所であろう。


東別館。旧皇族寮。文化財です。1913年竣工

続いて向かいましたのは


これ、西1号館


1930年竣工といいますから昭和に入ってからの建物です。




窓の中をのぞいたら講義中でした。


続く国指定文化財、南1号館。1927年竣工、これも昭和の建物ですが


工事中じゃんか~。


防護シートのスキマからその一旦が垣間見えます。


南1号館と西1号館の前には近代高層建築があった。
以下次号

学習院大学 北別館

2012-08-05 09:24:59 | 東京
とりあえず立番の警備員に「こんちは」と挨拶をし、警備詰め所に大学見学に来た旨伝える。
詰め所の警備員のおじさんは、奥の休憩室にいる同僚に「今何かやってたっけ」と問い合わせた後、「そこに木造の校舎があって中は資料館になっていますが、今は特別な展示をやっていません。入れるか判りませんが、行ってみて下さい。」との事。親切な警備員さんにお礼を申し上げ、構内へ突入。


学習院目白校地案内図。中学校や高校も同じ敷地内にあり、面積205,038㎡。わたくしの知る限り、東京23区内では特別扱いの東大、東京工業大の次に広い大学ではないか。

学習院大学は 法、経済、文、理の4学部を有す、1877年に創立された歴史ある大学です。元は公家の学問所だった関係で、OBには皇族が多い事で知られていますな。他有名どころでは 小倉久寛(SET)、 仲本工事(年の差婚)、宮崎駿(ジブリ)の各氏。


さて親切な警備のおじさんが教えてくれた木造校舎


やはり文化財であった。


全景


資料館となっていた。開館中となっていたので入ってみる。


廊下。右が事務室。「ごめんください」というと事務の女性が出てきて色々説明して下さった。
この木造校舎は1909年に図書館として建てられたもので当時のまま残っているのが


事務室のドアの蝶番だそうです。


この様な天井の梁も当時のまま


明り取りの天窓を設けるなど、図書館であった名残を今に伝えております。


構内に点在する文化財の案内パンフレットを頂き、丁重にお礼を申し上げて辞去する。


正門とこの「北別館」をあわせ構内には7つの重要文化財があることが判明。雨が降っているが、全箇所制覇を目指し、次へ進む。
以下次号


東京都豊島区 学習院大学正門

2012-08-04 11:13:07 | 東京
雨が降ってきたのでJRの目白駅へ出て帰阪の途につこうと鬼子母神電停から歩いて目白通りに入る。


目白通り沿いには東京都目白警察署と


東京都警察 目白合同庁舎という警察関係の建物がなぜか隣接している。重要施設でもあるのかと思っていると


この緑あふれる重厚な趣の門が目に飛び込む。


篆刻字体で 学習院 と書いてある。


学習院大学であります。隣接する警察の建物は皇族警備の利便性を考えての事であろう。


正門は国指定文化財であります。構内にも相当数の文化財があるのではないか。
東京勤務時にお茶の水女子大を見学に行き、チャンカワイの様な警備員に追い払われた苦い思い出が蘇るが、意を決して正門をくぐります。

以下次号


鬼子母神大門ケヤキ並木と電停

2012-08-03 21:09:19 | 東京
雑司が谷鬼子母神の正面を出まして右折すると


住宅街ですが、この様な緑あふれる通りがあります。




東京都天然記念物の「鬼子母神大門欅並木」であります。


通りの入り口を望む。涼しげでいいですな。そしてすぐそばに


電車が走っていました。今は知りませんが、わたくしが子供の頃に長崎市民がいう「電車」とはこれの事で、JRや私鉄を「汽車」と呼んでいました。新幹線も「汽車」となります。


鬼子母神前電停であります。


しかしよく見ると路面ではなく、専用軌道を走っている。長崎人の感覚からしてこれを「電車」とは呼びづらい。とはいえ、我が長崎電軌も浦上車庫から浜口町までは専用軌道なので、東京の電車も検証する必要がありましょう。



東京都豊島区 雑司が谷鬼子母神

2012-08-02 21:18:20 | 東京
明けて7月21日(土)、フリーであります。宿を立ち池袋駅から明治通りを南下し10分程歩きますと


参道商店街のアーチが見えてきまして


西側入り口へ至り境内へ入る。雑司が谷鬼子母神であります。東京勤務時に行きそびれた先のひとつです。

鬼子母神といえば入谷が有名ですが、雑司が谷もなかなかのものがあります。


何かの碑がありました。


鬼子母神像


鬼子母神堂扁額。ここ雑司が谷鬼子母神堂はお堂のHPによると1578年の創建とか。かなりの歴史がある。


鬼子母神堂。ちょうど盆踊りの時期で出店が沢山出ておりました。


境内にあった古そうな駄菓子屋


境内の大イチョウの看板


大イチョウ。でかすぎてフレームに入らず。


仁王像


正面から望む。東京都のすごいところは都心の一角にこの様な緑あふれる場所がいくつもあるところだと思うのであります。
わたくしの住む大阪府の都心は完全なコンクリートジャングルなので、こういう場所へ参りますとほっとします。

池袋駅のフクロウ銅板

2012-08-01 20:59:31 | 東京
7月20日(金)、入間から池袋へ戻って参りました。
2日にわたる出張はこれにて終了ですが、明日は休み、せっかく東京へ来たので自腹でもう1泊して明日は東京見物としゃれ込みます。


新宿駅の地下通路に


フクロウの銅板オブジェを発見


地上へ出て


この様な道を歩き


宿方面へと向かう。宿へ荷物を置いて少しばかり仕事をした後


盛り場へ繰り出すが、高くつきそうで店へ入れず、昨日の若菜弁当と趣向を変え、この日はオリジン弁当を買って宿で食いました。わびしいなあ。