トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

「黒部の山賊」を読み・・・山賊の住処へ

2015年06月04日 | データ
地元の図書館にある山岳書は殆ど読んでいるが今回手にしたのは「黒部の山賊、アルプスの怪」山と渓谷社 (2014/2/22)から定本として出された書籍である。以前は三俣山荘付近の小屋でしか販売されていなかった本である。
何時ものように毎週水曜日は図書館へ通う、そこでこの本を取りペラペラと読むと・・・・・
おもしろい話が一杯です。
・・で1.5日で完読。


昨年は北アルプスへは足が向かなかったがこの本を読んでまた行きたくなった。

「黒部の山賊、アルプスの怪」
北アルプスの黒部原流域で山小屋(三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋、湯俣山荘)を運営してきた伊藤正一と、富士弥、林平、鬼窪、倉繁ら「山賊」と言われた仲間たちによる、北アルプス登山黎明期の色々な出来事や埋蔵金伝説、山のバケモノ、山岳遭難、山小屋暮らしなどなど「山の話」が書かれている山岳名著の一書。
<概要>
山賊たちとの出合い
山賊の舞台・黒部の源流/そのころの世相/山に山賊がいるという/慎重にすすむ/自分の小屋に宿料を払う/山賊対策会議/山賊たちの正体
山賊との奇妙な生活
山賊一味と暮らす/山賊事件の真相/山賊たちの熊狩り/山賊と岩魚/アルプスのキティ台風
埋蔵金に憑かれた男たち―別派の山賊
星勇九郎の大金鉱/ほんとうにあるのか山中の埋蔵金
山のバケモノたち
道しるべになった水晶岳の白骨/カベッケの不思議な呼び声/バケモノに呼ばれた人たち/人を呼ぶ白骨/神がくし?/洞穴の怪/巧みな狸の擬音/三本指の足跡/カッパの正体
山の遭難事件と登山者
薬師岳の遭難/不思議な遭難/疑われた同行者/非情な同行者/四晩つづいた遭難信号/謎の手紙/人事不省一週間の山上の病人
山小屋生活あれこれ
山ぼけ/どうどうめぐり/山小屋の費用/アルプスへの空輸/熊と登山者/熊をならす/山で育った犬
その後の山賊たち
黒四と山賊たち/

※星勇九郎の大金鉱/
戦後間もない1949年(昭和24)頃、星勇九郎という人が「神のお告げ」で金の鉱脈があるこの場所を掘り出します。
この場所は北アルプス最奥「雲ノ平」の更に奥の高天原(水晶岳の東斜面)に幾つも坑道を堀り「大銅鉱山事務所」まで設置した。
「埋蔵量は無尽蔵。水晶岳と三ツ岳にトンネルを掘り、長野県大町市まで金鉱運搬の鉄道を引く」と・・・夢は大きく。
資本家から多くの出資を募るが結局、金は出ず出たのは水鉛(モリブデン)だけだった。
この「大銅鉱山事務所」が高天原山荘として再利用されており以前泊まったことがある。近くには高山従事者が利用した温泉(露天)もありそこが日本で一番遠い温泉「高天原温泉」と言うわけだ。
私が訪れた時は台風の影響で低気圧が刺激され大雨となるが雨に濡れながらも温泉に浸かった事を思い出す。→その時の記録
また、山荘も中心部に向かって緩やかに傾斜しており朝起きると寝癖の悪い登山者は皆中心に集まっている・・
てなことはないですが風雪に耐えた山荘の歴史を感じます。当然電気もなくランプの灯りのみです。(数年前にこの山荘も建て直された)
宿泊した翌日は更に台風の影響が強く風雨の中、稜線を越え新穂高まで一気に下山した事を思い出します。

※ほんとうにあるのか山中の埋蔵金
これは戦国武将佐々成政が小牧・長久手の戦で秀吉と講話した家康に直談判するために厳冬の雪深い北アルプス・立山連峰を超え、浜松の家康に合いに行ったことを「さらさら越え」と言います。この踏破行の途上で、苦しい旅の妨げになるものを雪の中に埋めさせた、その中に軍用金も含まれていた。深い雪におおわれた峠の途中で石室を造り、佐々家伝来の鍬形の兜とともに、黄金百万両を詰めた49の壷を山中に埋めた。
この黄金が「佐々成政の埋蔵金伝説」となります。
埋めた場所は針の木峠付近、鍬崎山、内蔵助平、有峰など。
「さらさら越え」ルートは
常願寺川→立山温泉→ザラ峠→中ノ谷→刈安峠→黒部川の平→針ノ木谷→針ノ木峠→籠川谷
(又は針ノ木谷→北葛乗越→北葛沢ルート)
(又は針ノ木谷→七倉乗越→七倉沢ルート)と言われています。
このように剛勇と領民領土愛護を兼ね備えた武将「佐々成政」に纏わる話(埋蔵金伝説、さらさら越え、早百合伝説、黒百合伝説)は多く興味が沸いてきます。

それでは黒部源流域の計画を立ててみると。

※西銀座ゴールデンルート経由の埋蔵金探し。
・折立→薬師峠(幕)→黒部五郎岳→黒部五郎小屋(幕)→三俣蓮華岳→三俣山荘→雲ノ平(幕)→高天原温泉→雲ノ平(幕)→薬師沢→太郎平→折立。4泊5日の工程
・繋がっていな黒部五郎岳から三俣蓮華岳を繋ぎ雲ノ平へ向かう、ここで連泊し軽装で高天原温泉へピストン、翌日は雲ノ平を充分楽しみ薬師沢へカベッケ原でカッパに合い太郎平まで上がり折立へ下山する。ほぼ毎日7時間程度の行動とし写真三昧しながら佐々成政の埋蔵金を探す・・・ん?。
2日目を三俣山荘まで行き翌日雲ノ平抜け薬師沢経由で薬師峠(幕)にすれば2泊3日の工程になる。

※佐々成政が越えたザラ峠から針の木を見る
・室堂→ザラ峠→五色ヶ原(幕)→スゴ乗越(幕?)→薬師岳→薬師峠(幕)→折立。これは2泊3日か3泊4日の工程になる。
・まだ行ってない龍王岳から薬師岳を通り途中のザラ峠から佐々成政になったつもりで針の木を眺める。

まあ色々と思いは馳せる。

この本、山屋なら読んで欲しい。

※過去に黒部の山賊界隈への記録
2010年:北アルプス最奥部(鷲羽岳・水晶岳・高天原)
2010年:薬師峠から黒部五郎岳と薬師岳
2011年:蓮華岳+後立山南部の周回縦走
2012年:裏銀座縦走(三俣まで)
2013年:新穂高から入り三俣BCとし赤牛岳へ。

常滑市小鈴谷の白山社と西尾の久麻久神社(式内社)

2015年06月03日 | データ
常滑市小鈴谷の白山社と西尾市にある久麻久神社(式内社)の記録が溜まっているので記載する。


■白山社
※知人から貰った折りたたみ自転車で小鈴谷まで海岸沿いを向かう。
この自転車サドル位置を高くするためにパーツを購入、これで多少は遠乗りができる。
元々の目的は山行時のアプローチや車回収に利用しようと以前から考えていたものでテニス仲間に話をしたら余っているのが有るとのことで頂いたものです。

白山社へは40分程度で到着。
常滑市の旧小鈴谷村の氏神です。

ソニーの創業者盛田昭夫の実家はこの小鈴谷にあります。
そして350年の歴史を持つ日本酒の蔵元「盛田」もここにあります。

春にはこの神社の祭礼で山車が引かれる。

摂社

拝殿横から本殿への階段がある。


本殿。

御祭神の菊理媛命(ククリヒメノカミ)は加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比神(しらやまひめのかみ)と同一神である。菊理媛命は古事記には登場せず日本書紀の一書に一回だけ登場する。

「日本書紀」にみえる女神。
黄泉(よみの)国からにげる伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉平坂(よもつひらさか)で伊奘冉尊(いざなみのみこと)とあらそったとき,二神の主張を聞きいれ,助言した。その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこと)が生れます。

-------------------------------------
名称:白山社
住所:常滑市大字小鈴谷字赤松30
御祭神:
・菊理媛命(ククリヒメノカミ)
摂社神:
・神明社、秋葉社、猿田彦社、天満社、津島社、山神社、多賀社
創建: 創建年は不詳、1641年に再建
-------------------------------------
また霊峰白山は白山比神社の奥宮で高山植物も多く咲いています。以前の山行では眺望もなかったので今年にでも言ってみたいと思う。

■式内社:久麻久神社
久麻久神社(くまくじんじゃ)は、西尾市吉良地区の名前の由来となった雲母(うんも・きらら)の産地である八ツ面山(やつおもてやま)の中腹にある古社です。
延喜式神名帳(式内社)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。


久麻久神社本殿は国・重要文化財です。
愛知県には建造物の国・重要文化財は75個ありますがこの本堂も含まれます。
知多半島には2つしかなく、半田市の旧中埜家住宅(桐華学園)と東海市の観福寺本堂内宮殿(観福寺)だけです。
観福寺本堂内宮殿は室内に置かれたものなので知多四国八十八箇所巡りのついでに見にゆきましたが見れませんでした。
更に国宝は愛知県に「犬山城天守」「如庵」「金蓮寺弥陀堂」の3つしか有りません。
建造物の国・重要文化財に拘るのは外から見れ気楽に写真に撮ることが出きるからです。
情報はここで→文化財ナビ愛知

・久麻久神社本殿

-------------------------------------
名称:久麻久神社
住所:愛知県西尾市熊味町山畔52
御祭神:大雀命 須佐之男神
配祀:熱田大神
合祀:奧津比古神 奧津比賣神 火産靈神 豊宇氣毘神 伊邪那美命 氣理比神
創建:大宝年間(701~4)
-------------------------------------

※おまけ

自宅の花:ニゲラ

多屋海岸のハマヒルガオ:典型的な海浜植物

今年も恒例のバーべQが5/30に開催された。

海岸を散歩しサクラガイを集めてみた。