トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
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史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

中山道「木曽路を歩く」贄川宿から福島宿

2021年04月17日 | データ

中山道の中で急峻な木曽谷を通る街道部分を木曽路と言い。その木曽路には11宿場と2箇所の関所がある。今回もこの木曽路を2泊3日で歩こうと思う。

車中泊+JR利用による踏破で行程は2泊3日とする。


中山道「木曽路を歩く」贄川宿から福島宿(1日目)

中山道「木曽路を歩く」福島宿から三留野宿(2日目)

中山道「木曽路を歩く」三留野宿から落合宿(3日目)


■2021.04.14 深夜2時に自宅を出発、深夜割引を使い中津川ICでOUT。R19北上し木曽福島の大手町駐車場へ向かう。

駐車場から駅までは歩き始発電車に乗る、6:08木曽福島駅→6:44日出塩駅。

日出塩駅の1日の利用者は9人であり中央本線内の駅では最も少ない(2018年データ)。近くにセツブンソウの自生地がある。

今回の日程は予報を見て決めているが午前中は雨が止みそうにもない。そこで駅の待合室で雨具+ザックカバー+傘使用で歩き出す。

国道19号桜沢橋南詰西側に到着。

かつて桜沢橋の下を流れる桜沢が尾張藩と松本藩(松本藩の天領預地)の境界で、明治時代以降は木曽郡と東筑摩郡の郡境をなし、2005年(平成17年)3月31日までは木曽郡楢川村と塩尻市の境界でもあった。

私の木曽路を歩くとはこの石碑と落合宿にある対をなす石碑まで歩くことを言う。ただ車回収などがあるため中津川駅まで結局は歩きます。

「是より南木曽路」の碑

国道沿いのこの坂道が木曽路への第一歩となる。しばし山間からR19を見下ろす感じで行く。

土木遺産「片平橋

この橋梁は、国道19号の旧道であり、奈良井川を渡河しているRC開腹アーチ(リブ+柱)橋として昭和10年に建設された。現在は廃道になっているが、橋梁としては健在であり、高度な技が要求される構造である。特にアーチ部の曲線が美しく仕上がっている。

平成20年11月に土木学会推奨土木遺産として認定を受ける。

しばしR19を南下。

桜は満開。雨に霞む景色も良いものだ。

国道整備で迂回を強いられ「若神子の一里塚」はパス。

■贄川宿 

歌川広重の木曽海道六拾九次之内 贄川

贄川宿 - Wikipedia

 

 

昭和5年の大火で古い町並みの大分は焼失。

贄川関所は昭和51年に古図を元に復元。

贄川関所は、江戸時代に福島関所が開かれるにともない、副関としての役割を果たし、女改めや木材、木工製品などの監視をしていました。

雨が強くなり「道の駅木曽ならかわ」で雨宿りと栄養補給。今日は40Km近く歩く。

「漆器の町 木曽平沢」の町並み。木曽平沢は漆工町/国選定重要伝統的建造物群保存地区

2代前の味噌汁お碗はここで購入したものを使っていた。現在は奈良井宿で購入したものを利用中。

ここからは奈良井川沿いの道を行く。橋を渡り踏む切を過ぎると・・・

■奈良井宿

木曽11宿の中では最も標高が高く、難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」と謳われました。

木曾街道六拾九次 奈良井(渓斎英泉画)

奈良井宿 - Wikipedia

 

 

まだ宿場が起きていない。

観光客は数名。

保存地域の写真が思うように・・・・

古の趣があり地元の方の努力にお蔭です。

雨が少し小振りに。

そして鳥居峠へ。

平安時代後期、以仁王の令旨を受けた源義仲(木曽義仲)は平家追討の旗揚げをし、八幡宮にて挙兵の奉納をした後、県坂(現在の鳥居峠)御嶽遥拝所に参拝し、大夫房覚明に執筆させてここより出陣をしたとされる。硯水の傍に柳の木があり、義仲は枝を折り「我が事ならば、この柳に根を生じて繁茂するであろうと立ち去った」とされ、この柳はその後見事に根付き、成長したという伝説が残っている。渓斎英泉の浮世絵「木曽街道 薮原宿 鳥居峠」の絵には、木曽義仲の硯清水の碑と湧き水が描かれている。木曾義元が戦勝祈願のため、峠に鳥居を建てて以来、鳥居峠と呼ばれるようになったといわれている。

この大夫房覚明が平家物語の作者とも言われている。

峠の休憩室では地元の人が整備をしていた。ここで雨具を脱ぎ昼食とした。

峠前にヒトリシズカ、峠後にニリンソウ、ネコノメソウ

■藪原宿

お六櫛はここの名産。以前読んた木内昇さんの「櫛挽道守」はこのお六櫛の話です。他にも「新選組幕末の青嵐」「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」「よこまち余話」など良かったです。

木曾街道六拾九次 藪原(渓斎英泉画)

藪原宿 - Wikipedia

 

 

ここの藪原スキー場、こだまの森はお気に入りの場所で何度も訪れている。

会社のスキー部でスキーバス旅行を企画し、ここで泊まった。深夜、暖房の不完全燃焼で鼻の中が真っ黒になったのも今思えば楽しい思い出でです。(匂いが変だぞと騒ぎ事なきを得た)

藪原から宮ノ腰までは約8km。今年は花が速く山に雪が少ない。

道脇にさくイチリンソウ。

山吹トンネルまでは木曽路のなかでも一番谷が狭い。

■宮ノ腰宿

木曽義仲は乳父である中原兼遠の元でここで育った。

歌川広重「木曽街道六十九次・宮ノ越」

宮ノ越宿 - Wikipedia

 

 

桜が綺麗。

巴が淵、徳音寺、義仲館(休業中)、本陣跡

中山道中間点、手習天神、福寿草、カタクリなど咲いていた。この時期の木曽路は季節の花が一度に楽しめる。

■福島宿

戦国時代は木曾氏の城下町として、江戸時代には木曽代官山村氏の陣屋町として栄えた。四大関所の一つ福島関所が儲けられていた。

宿場のあった上町・下町は昭和2年の大火で焼失し古い建物は残されていない。地形や道路から当時の面影を残している。

福島宿 (中山道) - Wikipedia

 

 

16時過ぎに福島宿に入る。

木曽福島と言うより木曽駒高原は私のアウトドアの原点がここにある。

中学のキャンプは木曽駒高原で凄く楽しかったこれが我がアウトドア人生の始まり。

写真の収めた一里塚。

当初は熊野古道「小辺路」計画していたが密を避けた移動が困難な事と勢いが拡大しているなどの理由で2回目の木曽路を歩いた。大好きな木曽路(R19郷沿い)は何度来ても面白い。

 

1日を終え木曽福島のイオンで買い物を「駒の湯」で今日の疲れを癒そうと向うが・・休み。慌てて「二本木の湯」へ。

炭酸泉で毛細血管の血流が活性化され疲えの回復が速い。

そしてP泊は道の駅木曽福島へ。

夕食を食べ儁ねる明日は早い。朝にかけて気温が下がる予報なのでシュラフの上に毛布掛る。

同じP泊は3台程度。

今日の活動データ(スマホのアプリ)


歩数:51,797歩 距離:37.29Km 消費カロリー:2,125Kcal


 



2 コメント

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Unknown (はあい!おはようございます!)
2021-04-21 05:20:42
3回にわたって、詳細なレポート感心しながら楽しく拝読しました。花の美しいいい時を選びましたね。
そこで18年間育った私も知らないことばかりでした。
1日目が雨だったせいか、木曽駒のことがかかれていませんでした。宮ノ越宿から少し下ったあたりは木曽谷でも一番、谷が広い所です。左手に木曽駒ヶ岳が一望できる場所が何か所かあります。
雨では見えなかったのでしょうね。
翌日、御嶽山は望めたようですね。
とにかくお疲れさまでした。
そしてありがとうございました。
今週は晴天の日が多いので、義姉たちを見舞いがてら2つの山の雪形を観に行ってきます。
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Unknown (inakun)
2021-04-21 13:42:42
ねもばーば様。
良い所は何度でも行きたいですね。
何処からか忘れましたが、木曽駒から馬ノ背の稜線も見えました。写真は撮り忘れましたが。

今年は雪が消えるのが早く雪形を見に行くのも大変ですね。
それにしても家から近いのが羨ましいですね。
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