トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

急須で淹れたお茶は美味しい。

2022年12月05日 | データ

トドクロちゃんは日頃から「やきもの散歩道ウォーキング」をしいる。目的は健康維持とポイントをGETする事です。これは行政が医療費削減策のために行っている仕組み。

その貯めたポイントで抽選にエントリー見事B賞を頂きました。その景品が焼き物の街ならではの急須・湯呑やとこにゃんの小袋など。

その急須の形が中国由来の形で作られているもので趣があります。

そこで常滑の急須の歴史を調べてると。


常滑の急須について
平安時代末期から始まる900年ほどの常滑焼の歴史の中で、急須の歴史は、比較的新しく江戸時代後期に始まります。
江戸時代後期に関西を中心に文人趣味が生まれ、煎茶が流行しました。これを背景に常滑では、稲葉庄左衛門が、古い急須の絵を集めた本を入手して、文政年間(1818~1830)に作り始めたとされています。
天保年間(1831~1845)になると急須の生産が盛んになったと思われます。1834年には陶工である鯉江方救・方寿父子が登り窯を築きました。このころ二代伊奈長三が、半田市板山で白泥土を発見し、その土に乾燥させた海藻をのせて焼く火色焼を開発しました。
  安政年間(1854~1860)になると急須の量産化が始まり、江戸や伊勢湾岸地域を中心に流通するようになりました。安政元年には初代杉江寿門が、中国江蘇省の宜興窯紫砂の無釉茶器(紫砂茗壺)を手本に研究を重ね朱泥急須を完成させました。


まさにこの無釉茶器(紫砂茗壺)の形をしている。特徴は後手ふくよかな形。常滑焼の朱泥急須は口と持手がほぼ90度になっているのが一般的で右利き専用みたいになっている。

この小振りの急須で濃いめのお茶を淹れて飲むのに適しており朝食後の一杯はもっぱらこれを使っている。

お茶を飲んだ後はサプリを摂取。

今は骨の為にカルシウムやビタミンDが加わりこれだけ摂取。効いているかは分からないが気休め程度に。

コンデジに入っていた10月頃に撮った秋の花の写真。


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