
■2016.02.21 日曜日は天候回復するも強風でテニスは諦めた。
そこでチョット遠いが岐阜県の郡上八幡でも散策してから温泉に浸かろうと出かけた。
郡上八幡と言えば
・郡上おどり、郡上八幡城、水の豊かな城下街、食品サンプルなどなど・・・
まずは城下街を散策し名水百選の第1号に指定されたこの湧水「宗祇水」へ

※宗祇水:室町時代、八幡町に庵を結んだ連歌の宗匠、飯尾宗祇が愛飲したことで命名されたのが宗祇水
飲むが普通の湧水かな。

郡上藩凌霜隊(りょうそうたい)
郡上藩は幕府軍側の一隊として、慶応4年(1868)年に無届脱藩ということで優秀な藩士47名で編成された凌霜隊を結成し戊辰戦争へ参加するが・・・・


城下街を抜け郡上八幡城まで徒歩で向かう。
梅が綺麗だ。

・日本最古の木造再建城「郡上八幡城」
天守閣は昭和8年(1933)に再建された木造で建てられた城で日本最古の木造再建城です。天守閣等は重要文化財

天守まで上り眺望を楽しむ。しかし風が冷たい。

顔出し。

紅葉の時期も良さそうですね。

最近こんなのが流行りですね。
北アルプスの登山口、新穂高へ向かうとき東海北陸道を使うので車からこの様な景色を何度か見ている。

食品サンプル。
自分で作れるお店もたくさんありますが素通りです。

ここから車で移動して「日本まん真ん中温泉 子宝の湯」へ向かいます。
何年か前に人工重心が美並にあった事で名付けられた。でも毎年、人工の重心は動いており今はここにはありません。
我が国の人口重心は,南東へ約2.4km移動し,岐阜県関市立武儀東小学校から東北東へ約1.8kmの位置だそうです。
昼も過ぎており先に食事をたべてから温泉に浸かります。
ここは円空の里です。


郡上と言えば、緒方直人が主演の「郡上一揆」と言う映画も見たこともあり「郡上一揆」が頭に浮かびます。
<宝暦郡上一揆>
江戸中期頃、厳しい年貢の取立てに対して、百姓一揆が全国で増える。郡上郡でも、宝暦郡上一揆と呼ばれる一揆が起こった。
宝暦4年(1754年)、郡上藩主金森頼錦は、藩財政難を解消するために、年貢の取り方を、それまでの定免取りから検見取りに変えようとした事が原因で農民らは団結して一揆を起こした。
1)定免取り:数年間の収穫量を平均して、毎年同じ年貢を納めるという方法。→隠し田が見つからない
2)検見取り:坪刈り(定められた田の一定の範囲)のとれ高を基準に、毎年決める方法→隠し田が見つかる。
藩では、きびしい弾圧をして、検見取りを行おうとしましたが、農民は激しく抵抗し4年もの長い間一揆を続けました。
この一揆は、藩主から農民まで、一揆にかかわる人すべてが処分を受けた大事件。そして、百姓一揆が原因で、幕府の首脳部まで処分を受けたのは、江戸時代を通じてこの事件だけ。
(獄門となった定次郎、四郎左衛門、由蔵の首は、郡上に送られ、穀見刑場で3日間さらし首にされた。)
この一揆が起こりうる郡上藩(金森頼錦)の背景とは
・金森頼錦(かなもりよりかね)は、父が早世したため、1736年(元文元年)に、祖父の後を受けて、37歳で跡を継ぎました。
・その頃、金森氏は、数年間の間に遠距離にわたる2度の国替えをした。
・それに、江戸の屋敷が2度も火事にあい、建てかえをしなければならなかった。
・また、参勤交替のための費用もばかにならない。
・さらに、頼錦は、1747(延享4)年に、幕府の奏者役(そうじゃやく)になり、将軍の側近くに使えるようになった。いろいろと人との交際も広くなって、衣服や生活が派手になり、出費が多くなった。
といった理由から、年貢の取り方を、「定免取り」「検見取り」に変えようとしました。
農民らが出した願書の内容は
十六ヶ条の願書(抜粋)
一、米の値段を時の相場よりも5割方高く決められ るので、年貢を金納するとき、5割も多く納めなけばならない。米の値段は時の相場にしてほしい。
一、薪まきの値段を見積もるとき、安値にされて困っているから、町で売られている値段と同じにしてほしい。
一、竹やぶを持っている者は、役人に竹を売られ、そのうえ、竹やぶの税を課せられるので、今まで通り、竹やぶの税は免除してほしい。
一、生糸の税として、一束につき24文ずつ番所にとられていたが、近頃では百文になったので困っている。今まで通りにしてほしい。
一、牛馬の通行税が、一頭について124 文ずつと決められて困っている。 今まで通り無税にしてほしい。
一、親類などに贈物をするために番所を通ると、通行税をとられるので、今まで通り無税にしてほしい。
十七ヶ条の願書(抜粋)
一、「宮ヶ瀬橋の普請ふしん」の場合、以前は人足賃がもらえたのに、現在では何ももらえず困っている。 以前のように働いた分の米を下さい。
一、寺社の立ち木を切って売り払われるとき、百姓に運ばせるので困っています。もし命令されるなら、人足賃を払って下さい。
一、ご用金を差し出しているが、一切返してもらえず困っている。必ず返してほしい。
一、真綿を納める時、特別のはかりを使って買い上げられるが、世間一般のはかりを使ってほしい。
一、百姓の持ち林の立木を勝手に売りはらわれるので、困っている。勝手に木を切らないでほしい。
一、参勤交代の費用が百姓にかけられるが、これまで一切返してもらえない。お返し下さい。
いろいろな人足や税があって、百姓はみんな貧しくて困っています。この上、検見取りを実施されれば、百姓はもう生きてはいけません。そこをわかっていただき、私たちの願いを聞き届けて下さい。
かなり厳しい状態ですね。
でこの様な状態で「検見取り」にされてはたまらないとなり一揆へとなる。
学生時代に「郡上おどり」の徹夜踊りを楽しみにしている同級生がいたがこの「郡上おどり」もこの一揆が元で始まったとされているが定かでない。
郡上おどり「かわさき」Gujo Odori - Kawasaki
そこでチョット遠いが岐阜県の郡上八幡でも散策してから温泉に浸かろうと出かけた。
郡上八幡と言えば
・郡上おどり、郡上八幡城、水の豊かな城下街、食品サンプルなどなど・・・
まずは城下街を散策し名水百選の第1号に指定されたこの湧水「宗祇水」へ

※宗祇水:室町時代、八幡町に庵を結んだ連歌の宗匠、飯尾宗祇が愛飲したことで命名されたのが宗祇水
飲むが普通の湧水かな。

郡上藩凌霜隊(りょうそうたい)
郡上藩は幕府軍側の一隊として、慶応4年(1868)年に無届脱藩ということで優秀な藩士47名で編成された凌霜隊を結成し戊辰戦争へ参加するが・・・・


城下街を抜け郡上八幡城まで徒歩で向かう。
梅が綺麗だ。

・日本最古の木造再建城「郡上八幡城」
天守閣は昭和8年(1933)に再建された木造で建てられた城で日本最古の木造再建城です。天守閣等は重要文化財

天守まで上り眺望を楽しむ。しかし風が冷たい。

顔出し。

紅葉の時期も良さそうですね。

最近こんなのが流行りですね。
北アルプスの登山口、新穂高へ向かうとき東海北陸道を使うので車からこの様な景色を何度か見ている。

食品サンプル。
自分で作れるお店もたくさんありますが素通りです。

ここから車で移動して「日本まん真ん中温泉 子宝の湯」へ向かいます。
何年か前に人工重心が美並にあった事で名付けられた。でも毎年、人工の重心は動いており今はここにはありません。
我が国の人口重心は,南東へ約2.4km移動し,岐阜県関市立武儀東小学校から東北東へ約1.8kmの位置だそうです。
昼も過ぎており先に食事をたべてから温泉に浸かります。
ここは円空の里です。


郡上と言えば、緒方直人が主演の「郡上一揆」と言う映画も見たこともあり「郡上一揆」が頭に浮かびます。
<宝暦郡上一揆>
江戸中期頃、厳しい年貢の取立てに対して、百姓一揆が全国で増える。郡上郡でも、宝暦郡上一揆と呼ばれる一揆が起こった。
宝暦4年(1754年)、郡上藩主金森頼錦は、藩財政難を解消するために、年貢の取り方を、それまでの定免取りから検見取りに変えようとした事が原因で農民らは団結して一揆を起こした。
1)定免取り:数年間の収穫量を平均して、毎年同じ年貢を納めるという方法。→隠し田が見つからない
2)検見取り:坪刈り(定められた田の一定の範囲)のとれ高を基準に、毎年決める方法→隠し田が見つかる。
藩では、きびしい弾圧をして、検見取りを行おうとしましたが、農民は激しく抵抗し4年もの長い間一揆を続けました。
この一揆は、藩主から農民まで、一揆にかかわる人すべてが処分を受けた大事件。そして、百姓一揆が原因で、幕府の首脳部まで処分を受けたのは、江戸時代を通じてこの事件だけ。
(獄門となった定次郎、四郎左衛門、由蔵の首は、郡上に送られ、穀見刑場で3日間さらし首にされた。)
この一揆が起こりうる郡上藩(金森頼錦)の背景とは
・金森頼錦(かなもりよりかね)は、父が早世したため、1736年(元文元年)に、祖父の後を受けて、37歳で跡を継ぎました。
・その頃、金森氏は、数年間の間に遠距離にわたる2度の国替えをした。
・それに、江戸の屋敷が2度も火事にあい、建てかえをしなければならなかった。
・また、参勤交替のための費用もばかにならない。
・さらに、頼錦は、1747(延享4)年に、幕府の奏者役(そうじゃやく)になり、将軍の側近くに使えるようになった。いろいろと人との交際も広くなって、衣服や生活が派手になり、出費が多くなった。
といった理由から、年貢の取り方を、「定免取り」「検見取り」に変えようとしました。
農民らが出した願書の内容は
十六ヶ条の願書(抜粋)
一、米の値段を時の相場よりも5割方高く決められ るので、年貢を金納するとき、5割も多く納めなけばならない。米の値段は時の相場にしてほしい。
一、薪まきの値段を見積もるとき、安値にされて困っているから、町で売られている値段と同じにしてほしい。
一、竹やぶを持っている者は、役人に竹を売られ、そのうえ、竹やぶの税を課せられるので、今まで通り、竹やぶの税は免除してほしい。
一、生糸の税として、一束につき24文ずつ番所にとられていたが、近頃では百文になったので困っている。今まで通りにしてほしい。
一、牛馬の通行税が、一頭について124 文ずつと決められて困っている。 今まで通り無税にしてほしい。
一、親類などに贈物をするために番所を通ると、通行税をとられるので、今まで通り無税にしてほしい。
十七ヶ条の願書(抜粋)
一、「宮ヶ瀬橋の普請ふしん」の場合、以前は人足賃がもらえたのに、現在では何ももらえず困っている。 以前のように働いた分の米を下さい。
一、寺社の立ち木を切って売り払われるとき、百姓に運ばせるので困っています。もし命令されるなら、人足賃を払って下さい。
一、ご用金を差し出しているが、一切返してもらえず困っている。必ず返してほしい。
一、真綿を納める時、特別のはかりを使って買い上げられるが、世間一般のはかりを使ってほしい。
一、百姓の持ち林の立木を勝手に売りはらわれるので、困っている。勝手に木を切らないでほしい。
一、参勤交代の費用が百姓にかけられるが、これまで一切返してもらえない。お返し下さい。
いろいろな人足や税があって、百姓はみんな貧しくて困っています。この上、検見取りを実施されれば、百姓はもう生きてはいけません。そこをわかっていただき、私たちの願いを聞き届けて下さい。
かなり厳しい状態ですね。
でこの様な状態で「検見取り」にされてはたまらないとなり一揆へとなる。
学生時代に「郡上おどり」の徹夜踊りを楽しみにしている同級生がいたがこの「郡上おどり」もこの一揆が元で始まったとされているが定かでない。
郡上おどり「かわさき」Gujo Odori - Kawasaki









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