今年度の不要になった本の処分を始めました。まずは要・不要の判別をしないとなりませんが、その辺の微妙なラインにある本はもう一度読み直して検討します。それで今回「リングにかけろ」全25巻も検査対象に入りました。
これは今まで永久保存対象の別枠扱いだった本です。
私が生まれて初めて買ったコミックが「リングにかけろ」22巻でした。いきなり22巻から買ってさかのぼるようにちまちま集めて揃えました。それはいまだに自室に全巻揃えて並べてあるのですが、もう数年読んでいませんでした。
改めて読んでみるとこれがつらい、実につらい。30年も前の作品なので現在の視点で見ると古臭さを感じるのは仕方ないとしても、読み手の私の感性が大幅に変わっているので素直に楽しめません。
この漫画を最初に読んだ当事、私はまだ未就学児童でした。ブラック・シャフトと高嶺竜児が「ブラックスクリュー」と「ブーメランフック」を激突させてました。理解力に乏しい子供の目には「必殺パンチの名前を叫びながら殴りあう」派手な漫画がとてもかっこよく写りました。数年後にギャラクティカマグナムが現れ、グシャア、ドシャア、グワシャアと人が吹っ飛び頭から地面に叩き付けられる必殺技インフレ漫画と化し、小学生の私は改めて読んでたちまち染まりました。こうした経過があるため、この漫画は自分の原点であり不可侵領域として別格扱いでした。年代的だとリンかけ世代というのは私よりも若干年齢層が上で、周囲ではドラえもん読んでる子供が大半で話題が合わなかったのですが、先行してる優越感でいい気になってる嫌な子供でした。ちなみに車田正美は「風魔の小次郎」で卒業し、男坂も聖闘士星矢もスルーでした。
その特別な漫画を読み直してみるとつらいんだっての。子供相手の子供騙し漫画だから大人になってからの観賞に耐える内容では無いのです。連載中に数度の梃入れ方針転換をしたので、初期はしみったれたお涙頂戴人情ドラマの出来損ないで、当初の終了予定だったらしい都大会決勝まではかなり「あしたのジョー」の影響が強く、地味なボクシング漫画なのですが、全国大会をチャンピオンカーニバルなどと言い換えた辺りから変な勢いが出てきます。必殺パンチの応酬、日米決戦、影道一族、世界大会トーナメント、ギリシャ十二神、阿修羅一族、凄まじい強さ描写のインフレーション。少年ジャンプ誌上で際限なく上昇する話の規模とトーナメント戦はだいたいこいつのせいらしいです。通して読むと8巻辺りまではまだ人間のボクシングですが、それ以降の話の膨張具合はどう見てもやり過ぎでギャグの領域です。当時はこれがカッコよく見えたのですが今読むとギャグに見えるのです。しかも登場人物は全員真面目かつ真剣に動いているため、ツッコミ役が存在しないまま全員がボケ役として際限なく世界観がズレていきます。「なにい!?」「ばかな!?」「まさか!?」と登場人物が動揺するたびに馬鹿馬鹿しさが倍増し、読んでいて疑問はどんどん蓄積していきますが、当時はこれで良かったので解消はされません。1週廻った時点なら高度なギャグ漫画として成立していたのでしょうが、30年経った今は3週廻って痛々しさを感じてしまうのです。主たる理由は自分達で「黄金の日本jr」とか呼んじゃって自画自賛モードに入っちゃう点。その時期には必殺パンチ大バーゲン漫画になってるため話もぞんざいで、敵が名乗って必殺パンチ>主人公が反撃必殺パンチ>KOのワンパターンでこれがだいたい後半15冊くらい続きます。漫画としての技巧やら描写の精緻さなどはどんどん少なくなって派手で大味な漫画になるのですが、それでも前半のしみったれ具合よりはずっと爽快で楽しいのも事実で、虚飾も極めれば芸と呼んで差し支え無い出来です。実際のところ、作者も若干の気恥ずかしさがあったようで当時セルフパロディで「リングにこけろ」という読みきり漫画を描いており、これがまたえらく笑えるのです。内容は本編16巻のエピソードに対応して、作者チームが主人公チームと対戦してボロ負けするという話。そんな作者自身にも息抜きが要る作品ですから、現在の視点で一気読みするのがどれだけしんどいか。私自身の読み方はギャグには一定間隔でツッコミによる疑念解除を必要とします。明らかにおかしい不条理に対して、それはおかしいとツッコミを入れることで、これは異様な事態だったと確認します。この1手順で内容を1段階消化するわけです。ところがここにツッコミが入らないと、不条理展開への違和感が疑念としてどんどん溜まります。そして頭のメモリの容量を圧迫し本筋理解へ割り振る集中力が低下していきます。
「どうして発電所で特訓してるの?」
「どうしてヘリコプターを金色に塗ってるの?」
「どうしてみんな『まさか…あの…』の先を言わないの?」
まだまだあるけど気にし始めたらキリがありません。しかし私にとってはギャグとツッコミは2個1セットで、動作に例えると潜水・息継ぎに近い作用があります。息継ぎ無しで25冊読む苦しさを何に例えればよいものか。
あまりに苦しかったのでこうしてテキストに起こして解消しているのです。
クソゲーだって「ここがおかしい」「ここが変だ」と把握理解することでネタに昇華できるのです。クソゲーオブザイヤーだって出来の悪いゲームのクソさ具合を考察して、悲痛と苦難を解消するのです。
そんな読んでてしんどい果てしない不条理ギャグ漫画「リングにかけろ」ですが、先述したように私の最初に買った漫画であり、原点ですからこれを捨ててしまうことは自分の過去の否定に繋がります。繋がる気がします。少なからず自分の基礎部分を作った素材で、内容如何を問わず捨ててはいけない類かもしれませんが、そう大事にするほど私は過去の自分を好きではありません。卒業アルバム等の過去の記録は全部捨てました。思い返せば愚かだったと忌々しく思っています。だいたい10年前が区切りで、それ以前の自分は思考判断基準が大分違っていて、客観的に見ると今では嫌いなタイプの人間でした。なのでそちらに直結する「リングにかけろ」には正直不快感もあります。一見大袈裟で派手な見かけに釣られて中身の構造を考える足枷になっていた浅はかな性分は、ここの影響が大きかったと感じています。
これだけ悪口書いたのでもう未練はありません。処分決定。
うちの本棚の最古参が消えるので、次点だった「機械戦士ギルファー」が最も古い本になります。巻来功士は「サムライR」「ブラックナイト」「機械戦士ギルファー」で卒業してしまいメタルKやゴッドサイダーはスルー。嫌な子供だな。だから昔の自分は嫌いです。
これは今まで永久保存対象の別枠扱いだった本です。
私が生まれて初めて買ったコミックが「リングにかけろ」22巻でした。いきなり22巻から買ってさかのぼるようにちまちま集めて揃えました。それはいまだに自室に全巻揃えて並べてあるのですが、もう数年読んでいませんでした。
改めて読んでみるとこれがつらい、実につらい。30年も前の作品なので現在の視点で見ると古臭さを感じるのは仕方ないとしても、読み手の私の感性が大幅に変わっているので素直に楽しめません。
この漫画を最初に読んだ当事、私はまだ未就学児童でした。ブラック・シャフトと高嶺竜児が「ブラックスクリュー」と「ブーメランフック」を激突させてました。理解力に乏しい子供の目には「必殺パンチの名前を叫びながら殴りあう」派手な漫画がとてもかっこよく写りました。数年後にギャラクティカマグナムが現れ、グシャア、ドシャア、グワシャアと人が吹っ飛び頭から地面に叩き付けられる必殺技インフレ漫画と化し、小学生の私は改めて読んでたちまち染まりました。こうした経過があるため、この漫画は自分の原点であり不可侵領域として別格扱いでした。年代的だとリンかけ世代というのは私よりも若干年齢層が上で、周囲ではドラえもん読んでる子供が大半で話題が合わなかったのですが、先行してる優越感でいい気になってる嫌な子供でした。ちなみに車田正美は「風魔の小次郎」で卒業し、男坂も聖闘士星矢もスルーでした。
その特別な漫画を読み直してみるとつらいんだっての。子供相手の子供騙し漫画だから大人になってからの観賞に耐える内容では無いのです。連載中に数度の梃入れ方針転換をしたので、初期はしみったれたお涙頂戴人情ドラマの出来損ないで、当初の終了予定だったらしい都大会決勝まではかなり「あしたのジョー」の影響が強く、地味なボクシング漫画なのですが、全国大会をチャンピオンカーニバルなどと言い換えた辺りから変な勢いが出てきます。必殺パンチの応酬、日米決戦、影道一族、世界大会トーナメント、ギリシャ十二神、阿修羅一族、凄まじい強さ描写のインフレーション。少年ジャンプ誌上で際限なく上昇する話の規模とトーナメント戦はだいたいこいつのせいらしいです。通して読むと8巻辺りまではまだ人間のボクシングですが、それ以降の話の膨張具合はどう見てもやり過ぎでギャグの領域です。当時はこれがカッコよく見えたのですが今読むとギャグに見えるのです。しかも登場人物は全員真面目かつ真剣に動いているため、ツッコミ役が存在しないまま全員がボケ役として際限なく世界観がズレていきます。「なにい!?」「ばかな!?」「まさか!?」と登場人物が動揺するたびに馬鹿馬鹿しさが倍増し、読んでいて疑問はどんどん蓄積していきますが、当時はこれで良かったので解消はされません。1週廻った時点なら高度なギャグ漫画として成立していたのでしょうが、30年経った今は3週廻って痛々しさを感じてしまうのです。主たる理由は自分達で「黄金の日本jr」とか呼んじゃって自画自賛モードに入っちゃう点。その時期には必殺パンチ大バーゲン漫画になってるため話もぞんざいで、敵が名乗って必殺パンチ>主人公が反撃必殺パンチ>KOのワンパターンでこれがだいたい後半15冊くらい続きます。漫画としての技巧やら描写の精緻さなどはどんどん少なくなって派手で大味な漫画になるのですが、それでも前半のしみったれ具合よりはずっと爽快で楽しいのも事実で、虚飾も極めれば芸と呼んで差し支え無い出来です。実際のところ、作者も若干の気恥ずかしさがあったようで当時セルフパロディで「リングにこけろ」という読みきり漫画を描いており、これがまたえらく笑えるのです。内容は本編16巻のエピソードに対応して、作者チームが主人公チームと対戦してボロ負けするという話。そんな作者自身にも息抜きが要る作品ですから、現在の視点で一気読みするのがどれだけしんどいか。私自身の読み方はギャグには一定間隔でツッコミによる疑念解除を必要とします。明らかにおかしい不条理に対して、それはおかしいとツッコミを入れることで、これは異様な事態だったと確認します。この1手順で内容を1段階消化するわけです。ところがここにツッコミが入らないと、不条理展開への違和感が疑念としてどんどん溜まります。そして頭のメモリの容量を圧迫し本筋理解へ割り振る集中力が低下していきます。
「どうして発電所で特訓してるの?」
「どうしてヘリコプターを金色に塗ってるの?」
「どうしてみんな『まさか…あの…』の先を言わないの?」
まだまだあるけど気にし始めたらキリがありません。しかし私にとってはギャグとツッコミは2個1セットで、動作に例えると潜水・息継ぎに近い作用があります。息継ぎ無しで25冊読む苦しさを何に例えればよいものか。
あまりに苦しかったのでこうしてテキストに起こして解消しているのです。
クソゲーだって「ここがおかしい」「ここが変だ」と把握理解することでネタに昇華できるのです。クソゲーオブザイヤーだって出来の悪いゲームのクソさ具合を考察して、悲痛と苦難を解消するのです。
そんな読んでてしんどい果てしない不条理ギャグ漫画「リングにかけろ」ですが、先述したように私の最初に買った漫画であり、原点ですからこれを捨ててしまうことは自分の過去の否定に繋がります。繋がる気がします。少なからず自分の基礎部分を作った素材で、内容如何を問わず捨ててはいけない類かもしれませんが、そう大事にするほど私は過去の自分を好きではありません。卒業アルバム等の過去の記録は全部捨てました。思い返せば愚かだったと忌々しく思っています。だいたい10年前が区切りで、それ以前の自分は思考判断基準が大分違っていて、客観的に見ると今では嫌いなタイプの人間でした。なのでそちらに直結する「リングにかけろ」には正直不快感もあります。一見大袈裟で派手な見かけに釣られて中身の構造を考える足枷になっていた浅はかな性分は、ここの影響が大きかったと感じています。
これだけ悪口書いたのでもう未練はありません。処分決定。
うちの本棚の最古参が消えるので、次点だった「機械戦士ギルファー」が最も古い本になります。巻来功士は「サムライR」「ブラックナイト」「機械戦士ギルファー」で卒業してしまいメタルKやゴッドサイダーはスルー。嫌な子供だな。だから昔の自分は嫌いです。