因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シアターコクーン オン・レパートリー2018『民衆の敵』

2018-12-10 | 舞台

*ヘンリック・イプセン作 広田敦郎翻訳 ジョナサン・マンビィ演出 公式サイトはこちら シアターコクーン 12月23日まで 森ノ宮ピロティホールで12月27日~30日まで マンビィの演出は、2016年の『るつぼ』に続いて2本めである。
 舞台前面に石ころが敷き詰められ、カンテラを手に辺りを照らしながら歩くトマス(堤真一)、その背後に押し黙る民衆たちの景にはじまり、舞台はトマスと家族の住まいと印刷所、集会所など、舞台転換も鮮やかに走り抜ける。シアターコクーンの高い天井まで、壁に太いパイプが張り巡らされている。工場の排水管のようでもあり、温泉水のそれのようにも見える(ポール・ウィルス美術、衣裳)。温泉景気に沸く町。そのコミュニティで生きる人々が、温泉が象徴する社会の枠組みの中、いやその底部に沈み込むかのように支配された様相を想起させる。硬質な議論の劇は、2時間15分を休憩無しに走り抜ける。

 とまどったのは、俳優の台詞が聞き取りにくいことだ。かろうじて2016年の『アルカディア』ほどではなかったが、それは事前に戯曲を読み、その記憶を補いながら観劇したためである。どなたかのサイトであったか、「カタカナが聞こえにくい」という感想があり、共感する箇所多々あった。耳なじみのないノルウェーの人名なのでなおさらであろう。とくに大鷹明良演じる不動産業者の「アスラクセン」の名が最後まできちんと聞こえない。客席に背を向けたり、横向きであっても台詞が流れてしまう箇所が散見し、正面を向いてくれて、声は聞き取れるものの、ほとんどの人物の口調がこちらの想定よりも速く、台詞の内容がきちんと届いてこないのだ。

 若い記者の台詞が、「ッスよ」という語尾になっている点には少なからず困惑した。若者らしさを示すのに、もっと違う方法があるのではないか。さらにトマスの妻役の俳優の抑揚が不自然にというのか、必要以上に上がったり伸ばされたりしているところにも躓いた。感情表現の方法としてなのか。広い劇場ゆえ、表情の変化だけでなく、台詞の上からも表現する必要があることは理解できるのだが(翻訳の過程や作業についてはパンフレットに翻訳者による丁寧な寄稿あり)。

 ホルステル船長役の木場勝己の台詞は安心して聴ける。物語のなかでもっとも冷静で客観的な視点を持つ人物だからでもあるが、木場の台詞は聴いていて疲れることがなく、沈黙したまま舞台前方に座っている場面であっても、「この人の心の声を聴いてみたい」とこちらの眼を惹きつけるのである。やや大仰な造形ではあるが、決してやりすぎに陥っていない義父役の外山誠二(文学座)もみごとであった。

 物語ぜんたいを構築する上で、演じる人物ごと、場面ごとに、必要とされる台詞の発し方があると思う。スピードはもちろん、呼吸の深さ、息継ぎの箇所、声の高低や声の「色」というもの。相手役とのテンポ。どうすれば戯曲に記されたこの人物の性質、言わんとしていることが客席にまちがいなく届けられるのか。

 トマス・ストックマンという人物の捉えにくさは、むしろおもしろく受け止めた。何があっても挫けず恐れないが、場の空気を読めないところ、かっとなって暴言を吐くところなど、必ずしも共感しやすい人物ではない。熱血漢的お調子者のようですらある。「自分は彼らを許す。なぜなら彼らは自分たちが何をしているのかを知らないのだから」という台詞は、キリストが十字架につけられ、苦痛の極みにあってなお、自分を罵倒する民衆について神への執り成しを祈った場面のことばである。トマスがこれを言うとなると、まことに傲慢に聞こえ、民衆ががいよいよ怒るのも無理はない。最後の台詞のように、彼が自分は一人で立っている強い人間だと主張することに違和感を禁じ得ないのだ。

 20人を超える「市民」が場面転換ごとに見せる群舞(ムーヴメント)は、物語にメリハリを生むだけでなく、その動きがトマスの言動に対する感情のうねりのようでもあった。暴力的で、まさに衆愚的なところがあるにも関わらず、洗練を感じさせて見応えがあった(黒田育世振付)。

 舞台中央で身を寄せ合うストックマン一家の頭上から、石が次々に落下するラストシーンは、彼らの将来の不安定なること、本作が勧善懲悪の物語ではないことを示す。果たしてトマスは新天地でどこまで生きていけるのか。イプセンが本作を執筆するにあたり、前作『幽霊』が酷評されたことへの反動、温泉地でコレラが発生したことを指摘した医師が町を追われた事件を基にしたことなど、示唆するものは多い。

 自分ならどうするか。自分ならどちらを支持するか。観客は本作をただ見て流すことはできないだろう。どこかで答を出さねばならないからである。トマスの主張を認めるかだけではなく、虚偽が隠蔽され、多数派の政党が十分な議論を尽くさずに政治を進めているこの国のありさまについて。

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