因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

唐組 第64回公演『ビニールの城』(唐十郎'85年名作選第二弾)

2019-10-20 | 舞台

*唐十郎作 久保井研+唐十郎演出 公式サイトはこちら 11月4日まで1,2,3,4,5,6,7,8
 
本作は
1985年、石橋蓮司、緑魔子の劇団第七病棟に書下ろされ、浅草・常盤座で上演、絶賛を浴び、その年の演劇界の話題をさらった(因幡屋は未見)。その伝説の作品が、はじめて紅テントで披露される。台風19号の接近で明治大学構内の公演が中止になり、今回はじめて実現した下北沢特設紅テントの千秋楽を観劇した。

『ビニールの城 唐十郎+第七病棟』(1987年 沖積舎刊)は、戯曲本編だけでなく、石橋蓮司、緑魔子のインタヴュー(聞き手は松岡和子)や増山真吾による劇団創立十年の回顧など、読み応えのある1冊だ。特に石橋蓮司が俳優人生を振り返り、いつ、どんな場で誰と出会い、どのような衝突や葛藤、挫折を経て劇団の旗揚げに至ったか、なぜ毎回廃墟のような場所を劇場に選ぶかなどを語ったインタヴューは、語り口こそ柔らかで軽快だが、演劇人としての気骨を感じさせ、凄みがある。

 852月に唐十郎と浅草・常盤座へ下見に行ったエピソードは、すでにこの段階でその情景がまざまざと浮かぶほど劇的だ。常盤座に入った途端、唐は「いけるね、ここでやろう」、「さあ、何書くんだ。蓮司、何かやりたいのあるの?」。緑魔子が答えて「トリュフォーの『突然炎のごとく』がやりたい。蓮司がいいと言ったのは、女の人がポーンと川に跳びこむところ」、「いいネ、それいこうか」。おいおい、ほんとうかと言いたくなるようなやりとりだが、石橋は、「唐さんはね、『こういうのやりたい』ってこっちが出しても、絶対に『なぜ?』って訊かないんですよね。そういうとこすてきでしょ」とインタヴューを結ぶ。絶対的な信頼と期待を持つ創造者同士の阿吽の呼吸であろうか。もう、ここだけでぞくぞくする。

 1887年(明治20年)に歌舞伎専用劇場として開場し、その後松井須磨子やエノケン、古川緑波もその舞台に立ち、浅草オペラ発祥の地となり、新派劇、女剣劇にミュージカル、そして映画館でもあった常盤座は、石橋をして「呼びかけを感じてトリ肌が立つ思いがした。物語の、人間のにおいがした」(同書収録の松岡和子寄稿)と言わしめた芸能の殿堂だ。そして石橋蓮司、緑魔子という余人をもって代えがたい鉄壁のコンビによる『ビニールの城』に、唐十郎本家本元の紅テント・劇団唐組が挑む。

 今回の唐組公演には、看板俳優の稲荷卓央が、数年ぶりに復帰した。開演直後、まだ暗いテントの花道に現れ、後ろを振り向いた朝顔(稲荷)に、囁くような「稲荷!」の声が飛ぶ。ずっとあなたを待っていた。稲荷の舞台を待ち望んでいた客席の思いである。

 元腹話術師の朝顔が、別れた相棒の人形・夕ちゃんを探して彷徨う中、アパートの隣の部屋に住んでいたモモ(藤井由紀)と再会する。モモは朝顔の部屋にあったビニ本のモデルで、今は夕一(久保井研)とかりそめの夫婦生活を送っている。腹話術師と人形は、初期の傑作『少女仮面』にも登場し、人間が人形を操る関係が次第に変容する様相が、唐作品の虚実皮膜のあわいを描き出す。『ビニールの城』では、人形という媒体を通してしか(あるいは通しても)ほんとうの気持ちを言えず、生身の人間と向き合えない腹話術師の朝顔と、ビニールの中に閉じ込められたモモ、モモと暮らしながら触れ合うことのできない夕一の、歪で悲しい三角関係の物語だ。

 聖子ちゃんの映画、豊田商事、少女フレンドなど、「かつての昭和」を表す台詞は随所にあり、時代を感じることは確かだが、それはほんの一瞬のノスタルジアであり、不器用な朝顔とモモと夕一の、時に狂おしく、時に滑稽で、どうしようもなく切ない交わりと、3人の腹話術師はじめ、浅草のバーに現れては立ち去る人々の織り成す強烈な劇世界に圧倒される。わたしたちが心身にまとっている日常の年月と空間の感覚が、紅テントで芝居が始まった瞬間に消え、過去を描きながら未来を見通し、浅草や日暮里という特定の場所でありながら、どこでもないどこかであるといった奇妙で、しかし心地よい時空間になる。そして紛れもなく、自分は今、ここにいて、目の前の役者を見ている。最後にテントの向こうが開かれ、ビニール越しのモモが夜の闇に遠ざかるとき、それまで見ていた物語も夢のように消えて、元の街並みが見えてくる、この感覚をどう言い表せばよいのか。

 この日常と劇世界とのあいだを揺さぶられる感覚が、紅テントの魔力であろう。身動きのできない桟敷の観劇は足腰が相当に辛いのだが、この感覚を味わう幸せは、何ものにも代えがたい。

 前述のように浅草・常盤座は、劇場じたいが時代を背負うほど重厚なものであり、石橋蓮司、緑魔子という唯一無二の俳優へ宛書された本作を、まったく異なる形状のテントにおいて、自分たちの座組で新たに作り上げるのは、大変な葛藤や労苦があったかと想像する。第七病棟の初演を見逃したことは返す返すも残念だ。しかし今、胸を張ってこう言える。自分は2019年、唐組の『ビニールの城』初演を見たのだと。

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