因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団文化座公演『鈴が通る』

2006-06-19 | 舞台
*三好十郎作 小林裕演出 三百人劇場
 幕が下りて、祈ったこと→ともしびよ、母の行く道を照らせ

 本作は劇団と縁の深い劇作家三好十郎が51年にラジオドラマとして書いた作品を舞台化したもので、1時間半足らずの短い劇だが、力強さに圧倒されると同時に、土の匂いのするような温かさに包まれる体験をした。
 敗戦から5年たったある村。戦死したはずの息子がシベリアで捕虜になっていると知った老女そめ(佐々木愛)は、毎月26日になると村役場へ出かけ「早く息子を返してほしい」と懇願する。孫のお守りに精を出すしっかり者だが、この日だけは何かに憑かれたかのように同じ話を繰り返し、周囲からは「シベリアばあさん」「シベリア惚け」と笑われ、迷惑がられる。
 舞台の中央に大きな木が立っており、開演が告げられいったん舞台が暗くなると、木の向こう側に2人の人影が見える。木の周囲が回り舞台になっていて、人影が手前まで回ってくると、老女のそめが家族らしい若い女に着物の着付けを手伝ってもらっていることがわかる。かけ声と共に勢いよく正面にからだを向けて、きっとした眼差しでこちらを見据えたそめの顔つきに、思わず身が引き締まる。粗末ながらもきっちりと身支度を整え、並々ならぬ決意で出かけようとする気合いが、背中の曲がった小さなからだに漲っているのがわかる。
 そめは着物に結わえた鈴を鳴らしながら一心不乱に歩いて行く。そめの役場通いは村の人々のあいだでも有名になっており、「あのばあさまの鈴が聞こえるということは、今日は26日か」といった具合である。
 のみならずそめが鳴らす鈴の音は、それを聞く人々の心にさまざまな思いを呼び起こす。
 佐々木愛によるそめが舞台の核である。そめは岸壁の母的な深刻一辺倒ではない。懸命な姿に胸が痛むが、どこか微笑ましくユーモアすら滲ませる。前半は思い詰めた中にもどこか浮き立つような雰囲気があり、「今度こそは願いが叶う」という希望を感じさせる。それが村役場でほとんど嘲笑に近い目に合い、重い足取りで帰路につく後半はみるのが気の毒になるほどである。
 しかしその帰り道でそめは夫をなくして路頭に迷った若い未亡人に自分の弁当を与え、いたずら少年に再会する。 この少年(劇団東俳の立石親良くん)とのからみがなかなかおもしろい。少年は昼間ばあさまを通せんぼして、まんまとお金をせしめるが、帰り道でお金を返そうとする。ばあさまがなぜ歩き続けているのかを知り、子供心に何か感じたのであろう。「このつぎは息子に会えるよ」と言うが、別れ際は昼間と同じく「馬鹿、気違い」と憎まれ口をたたく。そめはにっこり笑って「いいお子だ」と返す。ばあさまはこの子がほんとうに言いたいことをわかっているのだ。少年はなおもそめのあとをついてくる。心配した姪に迎えられる姿に安心したかのように、少年は初めてそめに笑顔を向けて大きく手を振る。
 姪の赤ん坊を背負ったそめは、さっきとは別人のようなしっかりした様子で家路につく。するとそめの周囲に、小さな明かりをもった人々が静かに集まってくる。人々の顔は見えないが、今日1日、そめの鳴らす鈴の音を聞いて心を動かされた人々の心がともしびのように、そめの足元を照らしていることを示したのであろう。
 今月も息子は帰ってこなかった。しかしひたすら歩く姿によって、そめは周囲の人々に希望や慰めを与えていくのである。親孝行をしたいという気持ちであったり、不正な米の売買を思いとどまらせるぎりぎりの決意であったり、つれあいへのいたわりであったり、失意の底から立ち上がる力であったり。
 何かに憑かれたような、狂気さえ感じさせる面と、未亡人や少年と接するときの温かく情愛のこもった優しさの両面をあますところなく演じて、佐々木愛は実に見事であった。

 どうか小さなともしびを絶やすな。
 ともしびよ、母の行く道を照らし続けよ。

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