因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場2020/2021シーズン 『反応工程』

2021-07-13 | 舞台
*宮本研作 千葉哲也演出 公式サイトはこちら 25日まで 新国立劇場小劇場
 本公演は全キャストをオーディションで選ぶ=「フルオーディション」企画の第二弾である。オーディションは2018年秋、約1400人の応募者から450人が参加し、6週間をかけて行われたとのこと。公演パンフレットには、昨年3月収録された芸術監督の小川絵梨子と演出の千葉の対談が記載されている。それによれば、オーディションの後、千葉は街中で何人かの若手俳優から「あんな丁寧なオーディションは初めて」、「次も受けようと思う」と言われたとのこと。オーディションに落ちたにも関わらず、豊かな体験ができことを喜び、将来への希望に繋がった企画であったことがわかる。

 それが間もなく初日を迎えるタイミングで座組を解散せざるを得ない状況となった。座組の失意、そして1年以上を経て上演の運びとなった喜びはこちらの想像を超えるものがあるだろう。訪れるのは一昨年の『あの出来事』以来となった新国立劇場には、その喜びとともに、4度めの緊急事態宣言が発令された緊張感が入り混じり、複雑な雰囲気であった。

 本作は2016年5月、俳優座文化座の公演を相次いで観ており、深い感銘を受けた。今回は舞台を上手から見下ろす位置での観劇だ。敗戦間近の九州。軍需化学工場の舞台美術は、これまで観たものと非常によく似ているが、天井の高さや、中央部、下手側の階段など、より立体的である(伊藤雅子/美術)。
 実を言うと、「深い感銘を受けた」にも関わらず、登場人物やその相関関係、全体的な話の流れはともかく、細かいところがかなりの部分、記憶から抜け落ちてしまっており、少なからず困惑した。

 その困惑が観劇の決定的な妨げにならなかったのは、若手、中堅からベテランまで、公平なオーディションを経て選ばれた俳優陣の奮闘、その熱気や息づかいが生々しく伝わったからに他ならない。

 平時は主に染料を生産していた工場で、ロケット砲の推進薬を製造している。その工程が題名の「反応工程」である。現場にはもともとの工員たち、これも管理職からこの道何十年の職人や徴用工がおり、そこに動員学徒たち、中学生までやってくる。筋金入りの労働者と学生たちが協力し合い、時には衝突しながら、「日本は必ず勝つ」と信じて必死で働いている。これが本作最初の物語の「色」である。

 しかし「若者たち」と一括りにはできず、大人たちも同様だ。世の中に違和感を持ち、大勢とは別の考えを抱いている者、ある行動を起こすことを決意している者などが物語の「色」とは違う「色」を少しずつ、あるいは突然に発し始めることから、舞台は急展開する。

 物語には「勤労課員」という役割を持つ太宰という青年が登場する。とうに二十歳は過ぎているが、何等かの理由で戦争に行っていない。この「勤労課員」がどのようなポジションで、具体的にどんな仕事をするのかはわからなかったが、工場内ではホワイトカラー的な位置に思われた。演じるのは内藤栄一で、出演作を観るのはこれが2度めとなる。

 最初の観劇は2020年1月のTrigrav公演『ハツカネズミと人間』(ジョン・スタインベック作 中西良介翻訳 新井ひかる演出)で(1もう一つさらに)演じたレニーである。からだは大きいが、小さな子ども程度の知能しかなく、相方のジョージに苦労をかけながら農場で働いていたものの、悲劇的な結末を迎える。この役柄において、声も話し方も過度に作り込まない自然な造形ができるのは、演出、演じ手ともに戯曲の深い理解と考察があり、それを表現する技術、さらにそこさえも超えた役や作品への愛情があると思われた。
 
 太宰は知的で弁が立ち、工員や学徒たちからも一目置かれている存在だ。その一方共産主義に傾倒しており、学徒たちに影響を及ぼそうとしている。内藤が演じる太宰は、すらりとした長身に張りのある爽やかな声の好青年である。自信たっぷりな雰囲気を纏うが嫌味がない。レニーとは正反対の人物なのだ。
 本作においてもやはり作り込んでいる印象はなく、内藤栄一という俳優の不思議な魅力は、よく言われる「カメレオン俳優」などという言葉では表現できない。別の座組であれば、召集令状を受け取りながら脱走し、数日後に翻意して戻ってくる影山役や、模範学徒と称賛されながら迷い続ける田宮役、もう少し年齢が高くなったら、憲兵に脅されて生徒を引き渡す監督教官役を演じる可能性もあるのではないか。

 敗戦後、田宮(久保田響介)が再び工場を訪れると、太宰は組合の委員長として活躍中だった。背広を着こなし、さらに自信をつけた様子だ。しかし生き残ったことの苦さ、孤独感を深めた印象があり、いっそうわかりにくい人物として物語に確かな足跡を残す。

 生き延びたものの、自死あるいは空爆によって亡くなった友を思い、進む方向を見失った田宮は、互いに思いを寄せ合っていた正枝(天野はな)の死を知って、呆然と立ちすくむ。長尺の物語が、最後に来てこのような終わり方をするのは、観客の心身を思いのほか重くする。この重みや虚しさを抱えることが、本作の味わいなのか。なぜ5年前は気づけなかったのか。歯がゆくもあるが、再会できたことを感謝して、今回の舞台を心に強く刻みつけておきたい。

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