因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

T-PROJECT vol.13『ダム・ウェイター』+『ヴィクトリア駅』

2018-11-01 | 舞台

*ハロルド・ピンター作 喜志哲雄翻訳 村田元史演出 下北沢「劇」小劇場 4日で終了 
 前者は一昨年の板橋ヴューネ2016において、ピンター三作品『別の場所』として観劇しており、後者はダブルキャストで交互上演された2004年のシス・カンパニー版を見ている(リンクは公式サイトのもの。この時点でまだ当ブログは開設しておらず、感想メモも残していない)。
 本公演については、カンフェティのWEBインタヴューに詳しい。公演名の記載は上記の通りだが、上演は『ヴィクトリア駅』、休憩を挟んで『ダム・ウェイター』の順である。田中正彦は、あれは80年代の終りであったか、劇団昴公演『セールスマンの死』の息子役、それも次男のハッピー役を思い出す。風貌からすれば、その後演じた長男ビフのほうが合っているのだろうが、自分はハッピー役の田中が、中盤で女性をナンパする場面、気後れする兄に、「兄さん、あの娘(こ)、落ちるよ」と自信に満ちて断言する口調に惚れ惚れした。今回の相手役である森田成一(まさかず)は、初めて拝見する俳優さんである。

『ヴィクトリア駅』舞台上手にタクシー会社の事務室、下手に座席とハンドルだけのタクシーのセットがそれぞれ据えられている。指令係と運転手のやりとりは最初から噛み合わず、精神に異変をきたしているのは運転手なのだろうが、指令係もまた緩やかに日常の感覚から滑り落ちそうな危うさを滲ませて、背筋にうすら寒いものが走るのである。指令係と運転手は無線の声で通じており、互いの顔は見えない。しかし観客には両者の顔が見えている。どちらのほうが怖いかを想像すると、たったひとりの空間で、声だけを聞いている指令係の困惑といらだち、諦念と恐怖のほうがはるかに強いのでは?

 会話のなかで、運転手が不思議そうな顔で自分の座席あたりを見回したり、終盤で眼鏡を外したりする。自分でも意識しないうちにどこか妙なところへ迷い込んでしまった人が、それをむしろ幸福と感じているかようでもあり、この短い劇に詩的な味わいをもたらしている。前述のWEBインタヴューでは、冗談めかして、「森田が指令係で、田中が運転手のバージョンも」という話が出ていたが、それも十分アリと思う。

『ダムウェイター』ある建物の地下室にベッドがふたつ並び、殺し屋のベン(田中)とガス(森田)は、そこで上からの指示を待つ。上手のドアは調理場とトイレに、下手のドアは廊下に通じるらしい。どういう組織なのか、どんな目的によるものかは明かされない。絶妙のタイミングでドアの下から封筒が際込まれたり、タイトルの「ダムウェイター」すなわち「料理昇降機」からオーダーのメモが降りて来たり、最後まですがたを表さない支配者の動向に、ふたりは翻弄される。オーダーは「ステーキの煮込み、ポテトチップス」などと、レストランのそれに等しい。ベンは手持のビスケットや牛乳をトレイに乗せて、昇降機を上げる。調理場があるとしてもふたりはコックではないのだから、料理が出せるわけもなく、オーダーの内容が何かのたとえであり、隠語のように機能しているわけでもないらしい。

 ベンとガスは一応コンビを組んでいるが、ぴったりと息が合っているとは言いかねる。見えない組織は、彼らをどうかしようとしており、そのことに対するベンとガスの意識には温度差がある。

 わかりかけたかと一瞬喜んでも、次第に確信が持てなくなったり、1時間足らずの短い芝居であるが、ずっと集中することもむずかしい。しかし観客の疑問が解決されること、謎の解き明かしを観客に提示することが本作に限らず、ピンター作品の眼目ではないと思う。従って観客もまた、作品の理解を最終目的にしなくてもよいのではないだろうか。無意味な料理のオーダーや、それに全く応じられないベンとガスの行動などなど、観客に「どうも変だな」と疑問を次々にもたらして、あの結末へ一気になだれ込む様相は、観客をさらなる疑問と、『ヴィクトリア駅』よりももっと鋭い恐怖を抱かせるのである。

 もしかすると、「今回もやっぱり理解しきれなかった…」という敗北感を噛みしめることと、「この次はもっとどうにか」と密かに決意することが、観客としてのピンター作品の楽しみ方ではないかとすら思うのである。

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