因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

Nana Produce Vol.11『レネゲイズ』

2019-10-11 | 舞台

*高木登作 寺十吾演出 公式サイトはこちら 赤坂RED/THEATRE 15日まで(12日休演、15日18時追加公演)高木登作品の過去記事はこちら→1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19
 
先月鵺的20回公演『悪魔を汚せ』で劇場に興奮の渦を巻き起こした高木登の脚本と寺十吾の演出が、早々に新作を上演する。ある新興宗教団体で、女性信者4人が焼身自殺する。病死した教祖の後追いをした彼女たちは「神の子」と呼ばれていた。15年後の現在、教祖の妹が代表を務める教団の呼びかけで、事件の関係者たちが集まった。彼女たちの死の真相はどこにあるのか。

 舞台は人々が現在会している教団の一室から、亡くなった女性信者たちの過去が行き来する。夫や恋人の暴力から逃れてきた彼女たちを教祖(男性)は限りない優しさで包み込み、右翼の街宣車まで動員して抗議する男たちにも歩み寄りを示すが、重い病に侵されている。

 15年後の現在、母親が焼身自殺し、残された娘(つまり孫)を取り戻そうと祖父が、恋人を暴力と暴言でさんざん苛め抜いた男が、そして公平な立場で両者のあいだに立つ宗教学者が一堂に会するが、品のない攻撃を繰り返すDV男のために議論が進まない。ある日DV男がひとりの若者を連れてきた。その若者が実は…。

 鵺的の舞台の定番というのか、極端に暴力的、ヒステリックで対話不能な人物は今回も健在で、こうも不愉快な造形があるかと思うほどのクズぶりである。新たな神の子と目される自殺した女性の娘と、新たに現れた前述の若者については、特に後者はSFめいた特殊能力を持つこともあり、自分の感覚の許容範囲を超えている。今回心惹かれたのは、舞台における人物の配置と変容である。宗教に救いを求める側と、宗教を必要としない側の対立がひとつの軸であるが、その両方にやや不安定であったり、自分でそれをわかっていて妙に冷静であったり、意外な行動をとる人の存在である。

 人々の中でもっとも現実的で宗教不要、実の妹でありながら教祖である兄から距離感のある妹が、兄の死後、教団の代表であること、教団の広報担当の男性は穏やかに議論をしたいと務めて理性的な言動を心がけているが、「自分は信者ではない。会員だ」とと位置付けていること、その彼と宗教学者の近いような遠いような関係性、そして娘と孫を守れなかった後悔と、対話の可能性を求めて意外な行動にでる祖父である。焼身自殺の真相よりも、これらの人々の今後が、もしかすると次なる舞台の核になるのではないか。題名の「レネゲイド」とは背教者、変節者、裏切り者を指す。背くには、変わるには、裏切るには、そうする対象が存在する。新興宗教団体に走った女性たちは、夫や恋人に背いたのである。しかしそうさせたのは彼女たちに理不尽な仕打ちをした彼らであり、彼らこそ人間の善なる本質、喜ばしい人生に背き、変節し、裏切ったのではないか。

 客席は異様なまでの緊張感に静まり返っていたが、控えめながらダブルコールの終幕となった。台風接近の報道が喧しいなか、不穏な空気の漂う赤坂は雨。

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