因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

芝居屋風雷坊 第十廻公演 『庚申待の夜に』 

2016-08-11 | 舞台

*吉水恭子脚本(1,2,3) 横森文(トツゲキ倶楽部)演出 公式サイトはこちら 第十回公演 『庚申待の夜』 
 6月のJacrow公演『くろはえや』は、地元に生きる人々と、都会から帰って来た人々、地元から出て行きたいと願っている人々の葛藤を、自然災害、ダム建設、また親の介護の問題にも絡めた吉水の意欲作であった。それからわずか2カ月後、早くも新作の公演である。今回は、「庚申待」(Wikipedia)という民間信仰の行事をモチーフに、足尾銅山の鉱毒事件(Wikipedia)に翻弄される地元の一族の一夜の物語である。演出の横森文は俳優としてのキャリアもあり、何の曲でもどんな歌い手でも、いつも優しい笑顔で軽やかに演奏していらしたアコーディオン奏者・横森良造さんのご長女であることを寡聞にしてはじめて知った。

 時は明治時代、足尾銅山の鉱毒被害で廃村寸前の栃木県谷中村が舞台である。田中正造亡きあとも、彼に心酔する宮内家の人々が庚申待のために集まる。本家と分家、子を生んだ嫁と生まない嫁等々、どこにでもある親戚同士の確執はあれど、この夜のために女子衆が用意した料理を前に、つつましいなかにも和やかな宴がはじまる。
 しかし人びとのやりとりの一つひとつ、微妙だが見逃せない表情の変化、意味ありげな目配せなど、宮内家は村と一族の過去と将来をめぐって、ただごとではない闇を抱えていることがわかる。今夜の庚申待を最後に一族は新天地を求めて別の土地へ行くものあり、谷中村に留まるものありと、さまざまだ。
 上演中ゆえ、具体的記述は避けるが(というか、問題が複雑すぎて覚えきれない)、本公演の当日リーフレットの表紙には他村から嫁いできた千鶴子役の若松絵里が飾っていることの意味や効果を考えると、軽くだが背筋が寒くなるのである。

 田中正造(Wikipedia)を中心に据え、足尾銅山鉱毒事件をモチーフにした作品には、宮本研の『明治の柩』という金字塔がある(2015年文学座公演の記事)ように、実在の人物や実際に起こった事件をドキュメンタリー風にしたり、書き手が想像を膨らませて、あるときは架空の人物を登場させたり、あり得たかもしれない出会いを設定した評伝劇にしたりなど、作劇にはいろいろな手法がある。今回の『庚申待の夜に』は、足尾銅山鉱毒事件にまつわる外伝物の趣か。吉水恭子は社会的問題劇を地元の宮内家の一族のなかに落とし込み、そこに庚申待や「魂呼ばい」(たまよばい)の風習や言い伝えを絡め、村に迷い込んだ謎の女や、噂に苦しんで自殺した娘など、この世とあの世のあわいの存在を舞台に登場させ、彼女たちが生きているものの心を揺さぶり、秘密を露呈させて結果的に一族の崩壊へと導くといった横溝正史ばり(もっとずばりのたとえがあると思うが)の愛憎劇に仕立てたのである。そこには劇作家としての手腕よりも、その時代、その土地に生きてきた人びとの体温を示したいという願いが感じられ、後味が良いとは言えない物語でありながら、ある種の爽やかさがたしかにあるのである。

 横森文演出の舞台を見るのははじめてであったが、戯曲に流れる時間と俳優の呼吸を丁寧に受けとめ、決して急かせない舞台作りをしたのではないかと想像する。人物の設定がある程度「役割」的になるのは至しかたないことであり、そうすると一部の人物の造形がいささか凡庸に陥ったり、もう少し抑制されても、ともどかしく感じる面はあったにせよ、戯曲に対して並々ならぬ度量をもって受けとめ、立ち上げる演出家として、横森文を知ったのは大いなる収穫であった。

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