因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

パラドックス定数 第25項『Nf3 Nf6』

2011-03-26 | 舞台

*野木萌葱 作・演出 公式サイトはこちら アートコンプレックス・センター 27日で終了(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10)
 第24項『5seconds』をみたのは3月10日。翌日だったら確実に帰宅難民になっていただろう。というより、劇場に行きつけたかどうか。11日の震災当日も、各地で公演中止があいついだ12,13日もパラドックス定数は上演を行った。自分はパラドックス定数の公演で劇場に入って作・演出の野木萌葱さんのすがたをみるとき、言いようのない安心感を覚える。何があっても動じない、平静そのもの。これからみようとする舞台はおそらく緊張感が漲り、安易な共感や感情移入を許さないものであろうが、上演前に野木さんの挨拶が始まり、低く柔らかい声を聞くと、「この人についていけばきっとだいじょうぶ」と思えるのである。強い余震があったときの避難経路などの説明があり、停電になったときは「懐中電灯で上演を続けます。いえほんとうです」。きっちりと折り目正しい口調のなかに、ゆったりしたユーモアもあって、安心感と同時に「さぁ、これから舞台がはじまるぞ」と背筋が伸びた。気持ちを切り替えよう。
 客席が両側から演技スペースをはさむ作り。入口はいって向こう側、最前列に席をとった。
 右に椅子が2脚、左にチェスの置かれたテーブルがある。収容所の一室にナチスの将校がひとりの囚人を抱えて入ってくる。2人は数学者であり、かつて同じ大学で議論を戦わせた盟友であった。

 本作は2006年に初演、2007年にサンモールスタジオプロデュースでも上演されているが、自分はいずれも未見である。数学やチェスが重要なモチーフであり、劇中のチェスの棋譜や数学用語が理解できればと欲がでるものの、理解できなくても舞台を味わう上で大きな妨げにはならない。戦闘の暗号解読をめぐる攻防は、完全に将校が優位に立つ力関係が次第に変化していく。
 パラドックス定数ではおそらくはじめてみる外国ものであり、将校(西原誠吾)はドイツ人で、囚人である数学者(植村宏司)がユダヤ人の設定と思われるが、いわゆる「翻訳もの」の印象はなかった。実際に起こった事件を題材に作者の想像力(創造力も)が発揮されたこれまでの作品ともひと味違い、第二次大戦末期の死線において、敵味方同士がほんのつかのま、かつてお互いが心を奪われた数式とチェスの美しさに酔い、しかしそれでも無残に現実に引き戻されるまでの夢のように悲しく切ない物語とみた。

 当日リーフレット掲載の野木萌葱の挨拶文に、「これは、パラドックス定数の作品の中で、いちばん美しい作品です」と書かれている。「美しい」という言葉について考える。中学2年のときの数学の先生のことを思い出した。新任で情熱に溢れ、あたりまえすぎて逆に変な言い方になるが、数学が大好きな方であった。黒板に連立方程式を書き、「美しいですなぁ」としきりに感嘆していらした様子が目に浮かぶ。自分には残念ながらまったくわからなかったが、『Nf3 Nf6』が「いちばん美しい作品」であることは、なぜかわかるように思えるのである。
 収容所では毎朝おもしろ半分に囚人を狙撃して殺しているらしく、この朝は数学者が餌食になるところを将校に救いだされた。人間扱いされない側はもちろん、人を人としてみない側も激しく心すさみ、ささくれ立つ。一室で将校とチェスを指した数学者の「人間扱いしないでください」という台詞の痛み。「こんな風に、美しいものを見せて。触らせて。人間扱いしないでください」
 「美しいもの」とは、自分が最も心解き放たれ、それに触れるとき、生き生きとした喜びを与えられる何かではないのか。「美しいもの」を共有できる関係は、成就した恋愛のごとく甘やかな至福の交わりといえよう。

 公演のあとは必ず上演台本を購入することにしている。おもしろいのはト書きの描写だ。登場人物の気持ちが、ひとりごとのように記されており、読み返すごとに舞台の印象が鮮やかに蘇り、変化していく。本作は小さなライト2つだけの照明で上演された。暗い上に、場面によっては人物が完全に背を向けてしまうところもあって表情がみえない。そのぶん台詞はもちろん、かすかな息遣いも聞きもらすまいと耳を澄ませたが、客席の咳払いやからだを動かすときに立てる椅子の音、後ろの席から聞こえる荒い呼吸(「いびき」でしょうか?)にさえ遮られることもあった。上演台本から想像する舞台は、完全に自分だけのもの。ト書きの部分は野木さんの声で読み、「ひとりパラドックス」を堪能している。

コメント   この記事についてブログを書く
« こまつ座  第93回公演・テレ... | トップ | 文学座有志自主公演 久保田... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事