因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

二兎社41『ザ・空気』

2017-01-25 | 舞台

*永井愛作・演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターイーストで2月12日まで その後三重県文化会館、穂の国とよはし芸術劇場PLAT、長野市芸術館、川西町フレンドリープラザ、シベールアリーナ、えずこホール、盛岡劇場、兵庫県立芸術文化センター、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールを巡演(1,2,3,4,5,6,7

 永井愛が客席に、ジャーナリストに、政治家に、いまのこの国に暮らすわたしたちに熱く問いかける舞台。快作である。人気報道番組が、報道の自由やジャーナリズムと政治との関係を鋭い切り口で取材した特集を放送しようとしている。番組の編集長(田中哲司)、キャスター(若村麻由美)は打ち合わせに余念がない。しかし新聞の論説委員だった大物アンカー(木場勝己)は「戦略的にいこう」と、細かい箇所から特集の取り崩しをもくろみ、やがてさまざまな方向からの圧力に若手ディレクター(江口のりこ)や編集マン(大窪人衛)は振り回され、やがて思いもよらない展開をみせる。

 次第に「新たなる戦前」の様相が危惧される昨今、まさにタイムリーな内容であり、各所に笑いが仕込まれているものの、気楽に笑っていられない重苦しい空気が劇場を支配する。物語のほとんどが放送局の会議室で進行するが、上手にエレベーターがあり、登場人物はそれを使って別のフロアの会議室に出入りするという巧い作りである(大田創・美術)。
 カーテンコールに5人の俳優が並んだとき、「ほんとうにこれだけだったのだ」と軽い衝撃を受けた。放送局と言えば、局の内外問わず大勢の人々がひっきりなしに出入りするイメージがある。常務や専務、局長やほかの部署の人物は台詞のなかに出てくるのみである。
 学校や予備校の寮などが舞台の作品を見るとき、登場人物以外の先生や保護者、生徒たちが出てこないことがどうしても不自然に感じられることが少なくない。
 しかし本作は無機質な会議室に場を絞ったこと、エレベーターや舞台上部の別空間を、人物が台詞を言う場面だけ明転し、台詞が終わるやすぐに暗転して、放送局という巨大組織の闇を暗示してみせることでいっそう高い舞台効果を上げた。上層部や政局など、顔が見えないだけによけいに不気味で、底知れぬ恐ろしさを醸し出す。
 もしこれをテレビドラマにしたなら、ここまでシンプルな作りにすることはむずかしく、たくさんの人物を登場させざるを得なくなって、全体のイメージが拡散することが想像される。むろん専務にはあの俳優、総理にはこの人が・・・と想像する楽しみはあるけれども。

 終幕だけ、屋外の場面になる。あれから2年後、憲法は改正され、自衛隊が国防軍となり、ともに番組を作っていた5人はそれぞれの道を選んだ。放送局という組織からはじき出された編集長は、身一つで調査報道を始めるという。役員に昇進したキャスターは、彼に決別を告げるが、ややあってその場に戻る。ベンチから夕陽を見つめるかつての戦友。苦く、切ない幕切れである。

「ザ・空気」というタイトルからは、やや軽い印象も感じられる。もっと些末なことで挙げ足を取られて右往左往する人々の様相かと想像したが、舞台で描かれているのは、権力や圧力がじわじわと迫りくる恐怖や、それに屈した絶望や屈辱、誇りを失う悲しみであった。

 欲を言えば、キャスターと編集長、内外の圧力に疲弊して自殺した元編集長が実は…という設定はいささか凡庸ではないか。ともに戦う職場の仲間同士。男女の色恋を超えた情愛ある交わりが、田中哲司と若村麻由美なら可能だと思うのである。

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