因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座公演『怪談 牡丹燈篭』

2018-05-26 | 舞台

*三遊亭円朝原作 大西信行脚本 鵜山仁演出 公式サイトはこちら 3月に千葉市民会館大ホールで開幕し、多摩地区や埼玉県、新潟県へ。紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA公演は6月3日まで、その後神奈川県、関西方面を7月初旬までの大ツアー。

 杉村春子の当たり役を新橋耐子が受け継いだ上演を見たのは、もう20年も前であることに軽い衝撃を覚える。杉村の相手役伴蔵を続投した北村和夫が鬼籍に入ってからも、早や10年が過ぎた。公演パンフレットには、74年の初演から数回に渡る再演について、脚本の大西信行、演出の戌井市郎の寄稿が掲載され、歌舞伎、新劇それぞれの「見せ方」「切り口」の違いがよくわかる。

 98年観劇時はまだブログを開設しておらず、以後2006年ハイリンド公演(1)、2009年シス・カンパニー公演(1)のブログ記事をリンクしておきます。

 さて配役を一新した今回の上演は、杉村&北村のような「当たり役」を得た俳優の至芸を見せることよりも、作品自体の内面をより多角的に表現することに注力している。たしかに富沢亜古はお米、お峰、夫人の三役を演じ、中盤では歌舞伎ほどではないにしても、ちょっとした早替わりの場面もある。しかし改めて考えたのは、実に身も蓋もない言い方になるが、一人の俳優がお米とお峰を二役で演じることは、本作にとって必然なのかしら…と思うほど、演じ分けや演じ継ぎについては、むしろ控えめな印象を持った。

 物語の発端は、飯島平左衛門の娘お露が浪人の萩原新三郎に焦がれ死にし、乳母のお米も後を追うように亡くなったことである。「こんな境遇ならおそらくこんな人」という類型にわかりやすく収まっている登場人物一人ひとりが精彩を放ち始めるのは後半からだ。伴蔵お峰夫婦は思いもよらない大金を得て始めた商売が軌道に乗り、暮らし向きが良くなった。源次郎と情婦のお国は謀に失敗してすべてが狂い、乞食同然。さらに伴蔵らと同じ店子のお六は亭主が不慮の事故で身まかり寄る辺の無い身、源次郎とお國が口封じに殺した中働きのお竹の妹が…といった具合に、人々の相関関係、因果が絡み合って、金さえあれば、あるじさえ死んでくれたらといった短慮で行った仕業は、やがて因果応報の憂き目に逢う。

 お峰は前半こそ爪に火を点すような貧乏所帯の女房だが、後半は荒物屋の女将として商売を切り盛りし、奉公人への振る舞いも実に堂々たるものだ。ところが伴蔵のほうは、悋気に手を焼き、江戸での所業が知られそうだからといって、糟糠の妻を殺める。いかにもやりきれず、救いのない話である。一方でたちの悪い毒婦と見えたお國は足が不自由になった源次郎に尽くし続け、ぶれることがない。

 2月の『近松心中物語』で甲斐性なしの婿を思いやる優しい舅役が味わい深かった大原康裕が、この舞台では医師、馬子、さらに作者の三遊亭円朝の三役を達者に、しかし決して嫌味にならず演じ継いでゆく様子は気持ちがよく、安定感がある。

 伴蔵とお峰は幽霊への恐れと金の欲によって人生の舵を切り、破滅に至る。生きている人間の変容や裏切りのほうが幽霊よりもよほど恐ろしく、エゴ剥き出しで醜悪だ。円朝と出会った立派な紳士とその夫人が物語をきれいにまとめて幕となる。脚本も演出も手堅く、美術(乗峯雅寛)はいわゆる「和物」とは異なる風合いのものを置き、視覚的にも楽しめる舞台であった。俳優は若手、中堅、ベテランがバランスよく、文学座の財産演目がきっちりと守られていることがわかる。

 ただ、この作品にはまだまだ伸びしろというのか、別の顔があるのではないか。どのあたりがどう…と言えないのだが、冒険の余地があると思われるのである。

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