因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ビニヰルテアタア第10回公『楽屋 流れ去るものはやがてなつかしき』

2017-11-25 | 舞台

*清水邦夫作 鳥山昌克演出 公式サイトはこちら 自由学園明日館大教室としま、雑司ヶ谷・みみずく会館、愛知県・田原市権現の森 明治の商家、新潟県・新潟古町えんとつシアターを巡演 12月3日まで
 前座朗読劇として、演出の鳥山が「女優 松井須磨子のこと」を読む。

『楽屋』本作は日本での上演が非常に多い戯曲とのこと。自分自身もこの3月に花村雅子主宰の第三回えうれか公演を観劇し、その印象を基に「えびす組劇場見聞録」55号に「観客A~女優たちの「楽屋につながるもの~」を記した。演出家、座組によって戯曲は違う顔を見せる。と同時に、矛盾しているようだが、どのように料理しても根底に潜むものは変わらず、だからこそ作り手は倦むことなく『楽屋』に挑み、観客もまた故きを温ねて新しきを知るごとく、さまざまな『楽屋』への出会いを求めて劇場へ足を運ぶのである。

 ビニヰルテアタアが気になっていたのは、このユニットの主宰の千絵ノムラが元唐組の俳優であったこと、昨年の初演、今年の再演ともに『楽屋』の演出を担ったのが、同じく元・唐組の中心的俳優であった鳥山昌克であることであった。さらに言えば、同ユニットの副主宰の目黒杏理は、かつて新宿梁山泊の俳優であり、奇しくもかつて唐十郎の下で修業を積んだ俳優たちが、それぞれの道を進み、また集まって新しい舞台を創造していることに心惹かれたのである。

 初演は予約に出遅れて残念ながら観劇がかなわなかった。今年の再演は見逃すまいと、駅からの道を迷い迷いして、雑司ヶ谷・みみずく会館にたどり着いたのだった。今回の配役は、戦前生きていた女優Aを沖中咲子、戦後の女優Bを主宰の千絵ノムラ、『かもめ』のニーナを演じる女優Cを近藤結宥花、病気の若手女優Dを大鶴美仁音と、奇しくも唐十郎ゆかりの女優そろい踏みの趣となった。

  ここは法明寺の集会室なのだろうか。決して広くはないが、ゆったりした玄関や大きな下駄箱など、訪れる者をふんわり包み込むような雰囲気がある。劇場とされている部屋は天井が低く、あまり広くはないが、最前列は背もたれの無い階段状の席に座布団が置かれ、椅子も大きめで楽に掛けられる。舞台には劇場の楽屋らしく衣裳や化粧道具などが置かれ、正面の大きな窓はカーテンもせず、表の風景が見え、日差しがそのまま入ってくる。考えてみると、こういう状況での観劇は非常に珍しいのではないか。それも本作は「なにか腐ったようなよどんだ空気が溜まっている」楽屋が舞台である。

  ビニヰルテアタアの『楽屋』の印象は、みみずく会館の雰囲気そのままに、温かで明るいものであった。これが夜の公演であればおそらくがらりと変わったものになるであろうし、昨年見逃した初演の『楽屋』は、浅草橋のルーサイトギャラリーで上演され、隅田川の夜景を借りつつも、電車の走行音が容赦ないなか、どのような舞台だったのか想像ができない。自分は初冬の昼下がり、静かな境内のなかで出会えたことを嬉しく思っている。

  当日リーフレットには、本作の上演を四十年前からたびたび見てきたという作家の天童荒太の「そのテーマが『時間』かもしれないと実感したのは、昨年の鳥山昌克演出の同作にふれたときだ」とのコメントが寄せられている。それは登場する4人の女優を演じる女優たちがこれまでに生きてきた時間、観客の目の前に存在する、まさに今このときを見せていることを指すのだろう。

 開幕すると、女優のひとりが懐中時計を手に持って登場し、最後に別の女優がそれを手にしたところで終わる。彼女たちと客席の自分とは、20171125日の2時間足らずを共有したに過ぎない。しかし彼女たちの夜は終わることなく、またいつかどこかで再会することを繰り返すのだ。

 このつぎ出会う『楽屋』は、たとえ座組が違っていても、これまで見てきたいくつかの『楽屋』の続きでもあり、その前の物語でもある・・・そんな説明しがたい妄想にかられながら、雑司ヶ谷の町をあとにした。馥郁たる幸福な時間であった。

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