因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座12月アトリエの会『ジョー・エッグ』

2018-12-12 | 舞台

ピーター・ニコルズ作 小田島恒志翻訳 西本由香演出 公式サイトはこちら 信濃町・文学座アトリエ 21日まで 
 1927年生まれの劇作家ピーター・ニコルズが67年に発表し、イギリスの演劇界で注目された作品とのこと。重度の障害を持って生まれた娘をめぐる夫婦、その親、友人たちの会話劇である。一家の暮らす部屋のリビングが舞台だが、背後にはステップが不規則に組まれていたり、インコなどのペットの様子も電光板(というのだろうか)で示されていたり、あまりリアルな生活空間のように見えない作りである(石井強司美術、阪口美和照明)。
 娘は10歳になっても歩けず話せない。ずっと車椅子に座り、よだれを拭いたり首を支えたりしなくてはならないばかりか、しょっちゅう発作を起こす。両親の心のすれ違いは冒頭から明らかだ。夫は演劇サークルに通う妻の浮気を疑い、妻は娘の介護に疲弊し、相当部分を担ってはいるものの、行き届かない夫のやり方に不満を持つ。

 登場人物が客席に向かって語る形はさほど珍しくない。ところがこの物語では、語っている人の話をほかの人物もちゃんと聞いており、語る人自身も、聞かれていることをそれとなく認識している演技を見せることだ。ここに本作の特徴があり、公演チラシに掲載の「二人は重い障害を持つ娘が生まれてからの出来事を、幾度となく繰り返しているかのように芝居仕立てで再現していく」という趣向なのである。

 ならばこの物語の、ほんとうの「時」はいつなのか、どこに視点を合わせればよいのか、観客は少なからず困惑することになる。その困惑を劇的刺激、感興にできれば楽しめたのかもしれないが、夫婦二人と娘の場面である第1幕は、時間が非常に長く感じられた。浮気を疑われている演劇サークルの男性とその妻が訪れ、娘の祖母(父親の母親)もやってくる第2幕から、舞台は少しずつ濃厚になり、こちらの意識も覚醒していった。

 相模原市の障害者施設傷事件や、LBGTに対する政治家の「生産性」発言のことなどが、どうしても心をよぎる。公演チラシには、「抉るように突きつけられる問い『生きる価値のある命』とは何かー」とのキャッチが記されているものの、舞台から感じられるのは、鋭い問いかけや激しい痛みや悲しみなどの強烈でまっすぐなものではなく、それらを意識して外したかのような、娘や両親から距離を置いた劇作家の視点である。本作は「劇作家の自伝的代表作」とのことで、どの部分が自伝的であるのか、劇作家自身の体験が、このような描写でなくては示せないほどのものなのか…。

 一幕が終わると、娘役の平体まひろが元気に舞台に登場し、ステップを飛んだり跳ねたりしながら「これから休憩です」と可愛らしくアナウンスする。それすらどう受け止めてよいのか困惑するのも、本作の「芝居仕立て」趣向によるものだろう。

 さまざまな公演で研鑽を積み、本作で劇団公演初演出となった西本由香が「文学座通信」に記した文章は、冷静、客観的に作品を捉えつつも、作品に対する抑えきれない情熱がほとばしっており、それを何とか受けとめたいと願いながら、ほんとうはいつ、どこで、どうなっているのかという問いが、心のなかをずっと巡っているのであった。

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