*唐十郎作 久保井研+唐十郎演出 公式サイトはこちら (1,2,3) 明治大学構内の猿楽通り沿い特設紅テントでの公演は23日まで その後雑司ヶ谷の鬼子母神で11月6日まで
今回の『夜壺』公演は、自分にとって特別なものとなった。それは明治大学和泉図書館ギャラリーで10日に終了した企画展「演劇人、詩人、文学者としての唐十郎展」の関連イベントである「唐組 久保井研によるワークショップ『夜壺』を読む」を体験したためである。
ワークショップは2回にわたって行われた。1回めは明大のグローバルホールにて、演出の久保井研みずから、『夜壺』40ページまでを読み解いた。唐組のテント芝居の醍醐味は、布1枚で外界と隔てられた空間で、俳優たちが弾丸のように台詞を飛びかわし、肉体をぶつけあう物語を浴びるように体験するところにある。しかし台本の台詞一つひとつを丁寧に読み、ときに立ち止まったり、前の箇所に戻ったりしながら、人物の背景や性質、そこに至る経緯を想像する静かな作業は、まことにおもしろいものであった。
2回めのワークショップは紅テントで行われた。初日があけて10日ばかり。休演日とはいえ、舞台のセットが組まれており、俳優の熱気ばかりか、大道具小道具からも得体のしれぬ何かが発せられているような異空間での本読みである。久保井氏の指名で、時おり場面を区切り、役を交代しながら10名ほどの参加者が『夜壺』を読み継ぐ。
演出の久保井研いわく、「台本をはじめて読んだときの先入観はあてにならない。何度も何度も戻って読み直して構わない」。さらに「唐十郎の作品は情報量がものすごく多い」。
舞台を見ていると、設定も展開も奇想天外と思いがちであるが、こうして戯曲を読んでみると、人物一人ひとりの性格、設定、作品における役割、ぜんたいのバランスがあり、緻密に構築された繊細な物語であることがわかる。戯曲の最初の40ページをプロの手ほどきを受けながらほんの少し読んだだけで、舞台に対して今までとちがった向き合い方、受けとめ方、のめり込み方ができるようになったのである。
さあ、では『夜壺』実際の観劇の印象はいかに?!ということなのだが、今回はとくに俳優の配役についておもしろく見ることができた。たとえば冒頭から登場する看護婦には若手の清水航平が抜擢された。つまり女装なのだが、単なるゲテモノではなく、どういう目的の女装なのか最後までわからないところがよい。清水はさらに№1ホストの追っかけで自分もホストになった?分次郎という男も演じており、これが台詞はないが、舞台であるマヌカン屋の棚の上で延々奇妙な振る舞いをしたりなど、本筋にしっかり絡まないのに舞台の滞留時間が長いという、おいしいのかそうでないのか、しかし客席に「あの役者は誰だ?!」と強烈な印象を与えている。今後清水がどんな役を得て、どのように変化していくのか大いに楽しみである。
また演出の久保井研がまさかの役柄でツ―ポイントの登場(天童よしみかと思った・・・)、もったいないと言うのは野暮であろう。
物語後半に登場する白皮夫人は、唐組の名花・藤井由紀が堂々と演じる。しかしかつて唐十郎自身が演じたこともあったと聞いた。となると、唐十郎作品はあらゆるセクシュアリティ、ジェンダーを越えて成立し得るものではないかと、ますます興味が募るのであった。
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