*三好十郎作 西川信廣(文学座)演出 公式サイトはこちら 両国・シアターχ 10月1日終了 合同公演を含めた文化座の三好十郎作品観劇の記事→『稲葉小僧』、『廃墟』、『その人を知らず』、『夢たち』、『炎の人』
劇団民藝公演『ローズのジレンマ』は、喜劇作家ニール・サイモンが最晩年に、穏やかで温かな大人のラブコメディとして、自らの劇作家人生の集大成を示したのに対し、劇団文化座の『好日』は、劇作家三好十郎が劇作にも人生にも悪戦苦闘するさまを包み隠さず、しかも自分自身を主人公にし、役名もずばり「三好十郎」として舞台に登場させるという作品だ。公演チラシには、「生前未発表戯曲、本邦初公演!」の文字が躍る。執筆は1941年6月、物語の設定は前年の梅雨の頃である。日中戦争は泥沼化し、やがて太平洋戦争へ突入する。明るくなりそうもない。
三好(白幡大介)は、高利貸しの取り立てから逃げ回っている医師の堀井(鳴海宏明)の邸宅に仮住まい中だ。あやしげな宗教にすがる使用人のお袖(高村尚枝)、三好の亡妻の教え子で、実家の家督争いから逃れてきた登美(原田琴音)も同居という奇妙な暮らしぶりである。高利貸しの韮山(小林勝也/文学座)が居座り、三好を信奉する劇作家の轟(佐藤哲也)、劇団関係者の浦上(沖永正志)、認められなければ死ぬという劇作家志望の佐田(相川春樹/文学座)が次々と訪れ、三好と激論を交わす。そこに韮山を追って、新たなる金貸し本田(米山実)までもがやってくる。
金と演劇という、もっとも縁が薄く、相反する二つの魔物にとりつかれた人々。劇作の評価は数字や金に置き換えられず、それゆえ移ろいやすい。しかしだからこそ明確な評価が欲しい。そして金は金である。金があれば借金は返せる。それがどうしても出来ない者と、返してもらわなければならない者の対立は金ができない限り解決しない。
劇作家の業や性がまことに赤裸々に描かれていて、何かを創造する仕事をしている人、これから目指している人、挫折した人にとっては身につまされるであろう。よい評価を得たい。これが第一である。しかし半分以上、いやほとんど諦めてもいる。だめでもよい、理由をはっきりと知りたい。さすがに相手は劇作家を思いやり、言葉を選び、濁し、できるだけ傷つけないようにと苦心惨憺するのに、「ほんとうのことを言ってください」と鬼気迫る表情で執拗に食い下がるのである。
こういったやりとりが轟、浦上、佐田と相手と立場を変えて繰り返される。自作の批評に対する鬱屈、世間的な地位は不要と思いつつ、実はそれを渇望する矛盾、戯曲の上演を取り下げられた衝撃と怒り、若い劇作家を諭しながら、ますます深みに入り込んでゆく絶望等々痛ましいほどだ。
浦上から「とにかく長過ぎるんですよ」「ネチネチ絡んで来る式の」などと言われる場面はまさに劇作家の自虐であり、客席は大いに沸くかと予想したが、自分の観劇日は笑いが起こったのはほんの微かで、終始張りつめた空気であった。わかるわかる。でもここで笑うのは不謹慎、あまりに劇作家が気の毒だ。そんな気持ちにさせられるのだ。
終幕、この散々な一日を敢えて「好日」と名づけて執筆に向かう三好のすがたは、静かに落ち着いて、しかも力が漲っている。たぶん彼は書き上げるだろう。創造の苦しみは生涯続くのだとしても。
公演パンフレット掲載の演出・西川信廣の寄稿によれば、本作には補筆のための覚書があるとのこと。文中に引用されたいくつかの文言は、自分自身を痛めつけるごとく手厳しい。西川は「未完成で進化の余地を残している作品」「演出の私や役者たちに作者から宿題を与えられた戯曲と言っていい」と記す。
これは観客にとっても大きな宿題ではないだろうか。このあともいろいろな座組による三好十郎作品に出会いたい。しかし『好日』を観劇し、劇作家の産みの苦しみ、産んでのちも続く悩みを知ってしまったからには、三好作品の見え方に、何等かの変化が生じると思われるのだ。楽しみでもあり、怖くもあり、複雑な思いの一夜であった。
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