因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

唐組第62回公演【唐組30周年記念公演第2弾】 『黄金バット~幻想教師出現~』

2018-10-21 | 舞台

*唐十郎作 久保井研+唐十郎演出 公式サイトはこちら 猿楽通り沿い特設紅テント、雑司ヶ谷・鬼子母神 11月4日まで(1,2,3,4,5,6,7
 
唐十郎が小学校時代、「黄金バット」というあだ名のたいへんユニークな女性の先生がおられた。黄金バット先生は、当時まだ大鶴義英だった唐十郎に、クラスで上演するお芝居の台本を書くことを勧めたというから、ひとりの少年が演劇とともに生きる人生の最初の火を灯してくれた人なのである。いくつかのサイトに座長代行であり、演出、出演を兼ねる久保井研と、主演女優の藤井由紀の非常に読み応えのあるインタヴューがあり(カンフェティSPICE)観劇前の予習の教材としても有効である。

 が、予習をしたからといって、舞台が理解できるようになるかというとそう簡単にわからせてくれないのが唐作品だ。冒頭、久保井研演じる男がアイスキャンデー売りの自転車を引いて登場、女教師黄金バットを追って、幻の学校を探していると滔々と語る。女教師は受け持った子どもたちを追って中学教師の免許を取得し、中学に来たという。もうこのあたりから、女教師と子どもたちの尋常ならざるつながりが見え、そこから想像もつかない展開が待っている。

 自分は、いわゆる「先生と生徒」ものが好きである。『リタの教育』『詩人の恋』『モーリー先生との火曜日』など、教える教師が実は生徒から教わっていたり、先生と生徒の関係を超えて、対等な人間同士のよき交わりに到達したり、教えるものと教わるものの関係性の変容のさまがおもしろく、胸を打つのである。

 しかし唐十郎の先生ものは、感動するには一癖も二癖もあり(例に挙げた上記の作品が単純であるということは決してないが)、理詰めで解釈しようと頑張ってみても躓く。公演チラシに掲載の久保井研の「あらすじ書きに代えて」には、「(春公演の)『吸血姫』がほとばしる観念や生き様への渇望の物語とすれば、『黄金バット』は飛び立たんが為に、幾つもの記憶の塊を掘り起こす人々の物語といえるだろう」と記されている。

 幻の学校、名づけて「風鈴学級」では、社会に適応できない子どもたちのために夜な夜な授業が行われている。やってくるのはお腹のなかで幼なじみの小夜ちゃんの記憶を育てている青年ヤゴ、出来が悪すぎて中学6年生になった女ブドリ。鎌いたちと呼ばれる行商とその仲間、都議会議員たち、自閉症児など。入団して2年め、3年めの若手俳優はこれまでの舞台とはまた違う顔を見せていよいよ頼もしく、唐組生え抜きに加えて、常連、客演も手堅い。今回は風鈴学級に生徒を引き取りにきた教師役で、元宝塚男役の月船さららが出演した。「からたちの花」歌唱の場面ではさすがの歌声を聞かせるところなど、いい意味での違和感や異物感を醸し出している。久保井研、藤井由紀、岡田悟一のベテランの円熟、若手の向上とともに、今後もさまざまな俳優が紅テントにやってくることを密かに期待したい。

 場面転換に合わせて2度の休憩を挟んで、上演はおよそ2時間20分である。桟敷席で観劇する体力、気力からするとぎりぎりのところかもしれない。頭での理解を思い切って忘れ、劇世界に身を委ねてみれば、奇妙なモグラマシーンにブドリを乗せ、アイスキャンデーの男とヤゴの3人がテントの向こうに消えていく終幕の高揚感と寂寥感を的確に表現することばを、わたしはいまだ持ち得ない。

「記憶、ということをずっと考えていて、わたしはわたしの時間を抱きしめているんだな、と思うその感じが、舞台の上に在るようで、言っていることはほとんどわかっていないのに、こころがぐんぐん動きました」
 別の夜に本作を観劇した女性からの便りである。ことばにできないわたしの心持ちにもっとも近く、これまでの、そしてこれからの唐作品との交わりに確かな足掛かりとなることばになった。ご本人の承諾を得て、この場に記させていただく。劇団民藝演技部の笹本志穂さん、ありがとう。

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