因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ハイリンドvol.18『あたま山心中 散ル散ル、満チル 』

2017-12-19 | 舞台

竹内銃一郎作 西沢栄治演出 公式サイトはこちら 下北沢・小劇場「楽園」24日まで1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17
 
さくらんぼの種を食べて、頭に桜の木が生えてしまった男の悲喜劇を描いた古典落語の『あたま山』と、幸福のしるしを探すチルチルとミチル兄妹の物語、メーテルリンクの『青い鳥』が交錯する80分、伊原農、はざまみゆきによる「夫婦漫才」ならぬ「夫婦演劇」(公演チラシより)である。

 竹内本人のブログには、本作執筆のいきさつなどが詳細に記されており、落語と童話だけでなく、いくつもの作品からの引用を散りばめているとのこと。1989年に発表され、初演は串田和美と吉田日出子が共演、演出は鵜山仁である。2016年、寺十吾演出の舞台のために一部改訂されたとのこと。このときは劇団大人計画の同期である近藤公園、平岩紙が共演した。自分はいずれも未見、今回のハイリンド版が初見である。

 竹内銃一郎作品はほとんど見ていないと思っていたら、東京乾電池の月末劇場で数本は観劇している、当ブログに記載あるのはごくわずかで(1,2)、ブログを始める前の数本を微かに記憶している程度である。それなりに楽しんだのであろうが、残念ながら竹内戯曲に対して明確な認識を持てたとは言い難い。

 下北沢の小劇場「楽園」は演じ手にとって使いづらい空間であろう。入って正面に大きな柱が立っており、客席は否応なくその左右に分かたれ、舞台を見る視野が限られてしまう。一方で、観客の視点が左右から集中するので、それを活かした舞台美術や演出を工夫することはできる。今回は入って片方を「やわらぎ席」、もう片方を「あじわい席」として(実は記憶曖昧)、「ぜひつぎは反対側から」とのアナウンスも。

 演技エリア奥には山の見立てであろうか、いくつもの椅子や台、木枠が組み合わさった塔のようなものが作られ、そのオブジェを中心にふたりの人物が動く。旅支度に余念がない女、気づかいながら手伝う男。男に対する女の呼び方を何度か注意する。あなたと呼ぶな。兄さん。女は少し心を病んでいるのか。

 初日の気持ちの良い緊張が舞台にも客席にもあり、ハイリンドの大黒柱である伊原とはざまが、稽古のきっちり入った丁寧な芝居を見せる。

 このふたりは兄と妹であると思っていたが、女が「あなた」と呼びかけるたびに何度も「兄さんだろう」と訂正させる奇妙なやりとりや、過去の思い出を語りながらいつのまにか過去そのものの世界に入っていったりなど、物語の軸や流れは見る者を少しずつ惑わせていく。もしかしたら夫婦ものではないのか、いや母と息子のようにも見えるぞなどと次第に混乱し、終盤では病んでいるのは女ではなく、男のほうでは?との印象も。

 俳優の演技はもちろんのこと、音響や照明、舞台美術の細部に至るまで、非常に丁寧な演出が施されている。ハイリンド結成から、自分がこの劇団の舞台に対して感じているのは、戯曲を重んじ、演出を信頼するという姿勢であり、今回もまた揺るぎない。旗揚げメンバーの多根周作が劇団から離れ、枝元萌もテレビ出演のため今回の舞台には出演せず、伊原とはざまの二人芝居となった。劇団の運営は、こちらからは想像もできないほど困難な面があるのだろう。ずっといつまでも同じ顔触れで、毎回クオリティの高いものを作り続けていくのは至難のわざだ。変わらざるを得ない現実において、方向性を見極めること、ときには大胆な方向転換も必要だが、どうしても譲れないこともあるだろう。

 今回の作品は多くの人に受けとめられるタイプのものではない。困惑や疑問がどうしても出てしまうものであり、これまでの多くの公演がそうだったように、明るく朗らかに泣き笑いして劇場を後にすることはむずかしい。
 ハイリンドの方向が今後変わる可能性の兆しを見せるものとして、自分は味わうことができたが、改めて、この戯曲の落としどころは何だろう?

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