因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

リーディングシアター『レイモンド・カーヴァーの世界』

2019-05-31 | 舞台

*レイモンド・カーヴァー作 村上春樹翻訳 谷賢一演出 公式サイトはこちら 兵庫県立芸術文化センター企画 トライストーン・エンタテイメント共同製作 6月2日終了 六本木トリコロールシアター トライストーン・エンタテイメント主催公演の過去記事はこちら→(1,2,3
 2018年兵庫県立芸術文化センターの初演が好評を得て、このたび東京、兵庫2劇場での公演となった。カーヴァーの小説を村上春樹が翻訳し、演出は谷賢一。仲村トオル、手塚とおる、平田満、矢崎広がふたりずつ日替わりで出演する。語る作品は、仲村トオル『コンパートメント』、矢崎広『収集』『菓子袋』、手塚とおる『ダンスしないか?』と『もうひとつだけ』、平田満『愛について語るときに我々の語ること』。4日間6公演、俳優ふたりずつすべて違う組み合わせのステージで、どの回にするかは大変悩ましかったが、
平田満と手塚とおるの回を観劇した。ピアニストの阿部篤志がオリジナル曲を生演奏する。

 「カーヴァーの小説は詩のように美しく、奥行きがある。言葉は極めてシンプルで平易だが、読み進めるうちに行間から溢れるさみしさの深さや広さに読者はすっかり飲み込まれてしまう。こんなに簡単な言葉でこんなに複雑な心情が描けるものかと感動する。どうしようもない男と女の、どうしようもないすれ違いや破綻を描いたこれらの作品群は、人生に疲れたことのある聴き手の心にそっと寄り添うだろう」
 長くなったが公演チラシに記載の谷賢一の寄稿をそのまま紹介した。谷自身がカーヴァー作品の愛読者であること、作品の世界に共感し、慰められた実感を持つこと、その魅力を、この一文のように見事に表現している。カーヴァーの短編を読むと、ほんとうにその通りなのだ!

 『ダンスしないか?』…自宅の前庭(公演では「ぜんてい」と発語されていたが、「まえにわ」では違う意味になるのだろうか?)に、家財道具の一切を並べ(しかも家の中にあるのと同じ位置に)、ガレージセールをする男。若いカップルが品定めをはじめ、やがて一緒に酒を飲み始める。レコードもかけて気分が盛り上がったところへ、男が言う。「君たちダンスすればいいのに」。何週間かのち、カップルの彼女のほうが、この日の出来事を周囲に語る。「しかしそこにはうまく語り切れない何かがあった。彼女はそれをなんとか言い表そうとしたのだが、だめだった。結局あきらめるしかなかった」。こういう終わり方をするのかとしばし考え込むような一文である。うまく語り切れない何か。そのもやもやした気持ち。それこそがこの短編の眼目であり、魅力である。

 『愛について~』…二組の夫婦が夕食前の酒を飲みながら、愛について語り合う。再婚同士の夫婦の妻は、前夫の暴力的なふるまいについて、「クレイジーに思えるかもしれないが、それが愛だったとわかる」と言い、心臓外科医である夫は、交通事故で瀕死の重傷を負って運び込まれた老夫婦のことを話したあと唐突に、別れた妻が引き取っている子どもたちに電話をかけたいと言い出す。これもそう単純ではない話である。中編といってもよいくらいの尺があり、終始場が動かず男女4人のやりとりが続くところなど、語るにはハードルの高い作品だ。

 『もうひとつだけ』…親子喧嘩、夫婦喧嘩の果に、妻子から家を追い出される男の悲喜劇。題名が示す終幕に向かって一気呵成に語られる。ピアノの演奏は毎回異なるそうで、俳優とピアニストの競演もみどころのひとつだ。

 それぞれのステージを味わったが、文学作品の朗読という点において、物足りない印象が残る。生のピアノ演奏とのセッションは刺激的であり、ステージも華やかになる。しかし物語が佳境に入ったあたりで、ピアノの音に遮られて俳優のことばが聞こえないことは残念であった。味つけのまえに、素材をじっくり味わいたい。単純ではなく、複雑で微妙であり、日本人の会話のリズムや呼吸とは明らかに異なる文体であるのに、読む者の心を捉えるのはなぜだろう。読み手がカーヴァーの世界近づくというより、谷賢一が記したように、作品がこちらの心に「そっと寄り添う」のだ。その感覚をリーディングで味わってみたいのである。

コメント   この記事についてブログを書く
« studiosalt 番外公演 初期作... | トップ | 太宰治作品をモチーフにした... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事