因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団肋骨蜜柑同好会 第10.5回公演『つぎとまります・匣』

2019-01-18 | 舞台

*フジタタイセイ脚本・演出 公式サイトはこちら グリーンフェスタ2019参加作品1,2,3,4,5
 佐藤佐吉賞2012優秀脚本賞、佐藤佐吉演劇祭2014カンフェティ賞を受賞した傑作二人芝居を、4年半ぶりに上演した。登場するのは、ゴミ箱を被った男と、そうめんを食べる女だ。今回は松竹梅の「完全トリプルキャスト」→
松(室田渓人/森かなみ)、竹(藤本悠希/依田玲奈)、梅(木村みちる/フジタタイセイ)の豪華版だ…と書いてきて、当日リーフレットを見直すと、梅バージョンはゴミ箱を被った男が木村みちるで、フジタタイセイがそうめんを食べる女と書かれている。男女逆転の配役だったらしい。恐る恐る劇団公式サイトをのぞいてみると、メイクをした可愛らしいフジタ氏の写真が。自分は竹の回を観劇したが、梅の回も、いやそうなったら松の回も見ておけば…と今になって欲が出ている。

 舞台上手にデスクが置かれ、バイトをしながら小説を書いている男がいる。デスクの後ろにバス停の表示があり、机や椅子、ペットボトルやそうめん流しのセットなどが雑多に置かれ、そこで配役名の通り、そうめんを食べる女がいる。

 二人がどういう話をして、どんな物語が展開したかももちろんおもしろいのだが、唐突にバス停の表示があり、そこへやってくる人、すでに居座っている人とのやりとりは、電信柱とベンチが置かれた別役実の作品を思わせるし、男は頭からゴミ箱を被ってバスを待っているが、女が何を待っているかがわからないところはベケットの『ゴドーを待ちながら』の変形のようであるし、特に作家志望の男について、何かになりたい、何かを成し遂げたいと願ってはいるものの、気の毒なようだが適正や才能、運気もなさそうな人物設定は、既視感のあるものだ。

 それをぶっとばすのが、「わたしは女優なの」と主張する女の言い分である。テレビにも映画にも演劇にも出たことはない。けれど女優なのだと。男のほうがそのあたりの常識はあって、ふたりの会話は噛み合わない。すると女はおもむろに舞台後方の台に立つ。照明が明るく降り注ぎ、荘厳な交響曲が響き渡るなか、女は「わたしは女優なの!」と叫ぶ。

 男は小説家になりたいと願っているが、まだ途上の身である。だから自分は小説家であると胸を張って言えない。なのにこの女は何も演じていないのに、照明を音楽を一心に浴びて、「わたしは女優」と主張する。「わたしは女優」。チェーホフの『かもめ』のニーナの台詞だが、もう既成の作品はどこかへ行ってしまった。

 今後再演の可能性もあるであろうし、自分もそれを望んでいるので、シュールな結末は書かずにおこう。これは、不条理と見せて実は緻密に構成されたフジタタイセイ流のメロドラマ、孤独な魂をもつ男女の出会いと別れの物語なのだ。

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