*戌井昭人作 所奏演出 公式サイトはこちら 信濃町/文学座アトリエ 21日終了 アトリエの会は今年70周年を迎え、2020年までのテーマを「演劇立体化雲合―これからの演劇と岸田國士―」とした。その第一弾が、2017年、『青べか物語』で観客をけむに巻いたコンビによる書下ろしの新作である。映画『カッコーの巣の上で』(Wikipedia)に着想を得て、といってもいわゆる翻案ではない。「自由を希求する人々の悲哀を、笑いを交えて描いた作品」(朝日新聞紹介記事)とのこと。
時代は1964年秋、東京オリンピック開催の賑々しさとは無縁の山奥の病院が舞台である。何かと交信していたり、音楽家としてデヴューしたかったり、スリッパ拳法を操ったり、毛布にくるまっていたり、家に帰りたがっていたり、役者のようだったりといった男性患者が入院している。彼らは医師と看護婦とのミーティング療法(公演チラシ記載のことばだが、精神医学上の専門用語かどうかは不明)によって、主張することを管理、禁止されている。そこへ新しい患者がやってくる。彼は刑務所での強制労働を逃れようとしている、いわば「詐病」の患者なのであった。
ベースとなった映画や日本での舞台上演いずれも未見だが、ネットの情報を読む限り、非常にシビアな物語であり、後味も悪く、見る者の心に影を落としそうな作品である。戌井&所のコンビは、音楽やダンスを取り入れた軽快な手法で、休憩なし1時間40分を走り抜けた。
現状に甘んじることなく、常に新しいものに挑む文学座の姿勢は素晴らしいと思う。が、残念ながら今回の舞台を十分に受け止められず、困惑が濃厚に支配するものとなった。それぞれ個性豊かで、さまざまな病状の患者が登場するのだが、作者の意図に対する俳優の造形がいささか類型的ではないだろうか。きちんとしたメソッドの訓練を積んだ俳優が、よい発声、滑舌、姿勢で舞台に立ち、演技する様子は気持ちが良いものだ。しかし予定調和や既成概念を飛び越えるような作品の場合、正統的な演技術であるがゆえに、のびやかな劇世界が展開しないこともあるだろう。同じことば、動作を繰り返す患者たち。その役を作る、台詞を発する、演技をすることの手順、準備、造形の手の内が見えてしまうことが、いまひとつ舞台に入り込めなかった理由と思われる。
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