因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

鵺的第13回公演『バロック』

2020-03-09 | 舞台

*高木登作 寺十吾演出 公式サイトはこちら 下北沢/ザ・スズナリ 15日まで(これまでの関連記事はこちらをスクロール)
 濃厚な血のつながりに縛られ、逃れようとしてさらに絡めとられる呪われた一族の物語『悪魔を汚せ』(2016年5月初演、2019年9月再演)の後日譚風の設定だが、物語はこの特殊な関係の人々に限定されたものではなく、人間という存在のどうしようもない哀しさ、生きている限り逃れることのできない宿命と、それに抗おうと苦闘する人々のすがたを描く2時間である。

 山深いところにあり、いかにもいわくありげな古い屋敷の一間が舞台となる。登場人物の顔すらよく見えないほど暗い中で進行し、雷鳴や大雨、時折人々の会話に応答するかのようにゆさゆさと揺れる家など、ほとんどオカルト、ホラー映画の様相である。当日リーフレット掲載の「作者の言葉」には、ホラー映画の定義、作者自身が怖がりではないこと、そして「自分の心霊観、死生観にしたがって書いた、奇妙で苦い物語です」と記されている。

 高木&寺十コンビによる舞台の「つくり」にだいぶ馴染んできたこともあり、受け止める態勢としてはわりあい余裕があったと思う。といって既視感があるわけでもない。確かに『悪魔を汚せ』の一族は非常に特殊である。現実にあそこまでのことはさすがにないだろう。しかしながら人の心が乱れ狂う様相、消しがたい憎悪や嫌悪、それゆえにねじくれる執拗な愛情といったものは、もしかしたら身近なところ、自分の内部にもあり、醜いゆえにあたかも無いかのように振舞っているだけかもしれないのである。鵺的の舞台の人々は、もはや自分が周囲からどう思われるかなどという躊躇や忖度はせず(できず)、エゴ剥き出しで暴れ狂う。中に必ず良識派がおり、その人が壊れされてゆく、気づかなかった(気づこうとしなかった)悪の部分が表出する様相に、ぞくぞくするような劇的感興があるのである。

 「バロック」とは、真珠や宝石のゆがんで歪な形の意味がある。公演チラシはバロック期のスペインの画家ベラスケスの「女官たち」をモチーフに、中央の王女の顔に、まさかのアレンジが施されている。俳優陣は続投も初参加も含め、自分の持ち場を的確に捉えた造形だ。人物の設定も、それに応える俳優の演技も一筋縄ではいかない。全編緊張感高く張り詰めた空気のなか、ときおりガス抜きのような台詞を発することもあり、それが実に自然で嫌味がなく、凡庸に見えない。「ここで客席にちょっと笑ってもらい、和ませよう」という意図が感じられないのだ。客席とは無関係に、物語の人物として存在している。

 昨日のらまのだ公演と同じく、ウィルス感染予防のためにでき得る限りの配慮と対応をして上演された舞台に出会えたことを嬉しく思う。

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