因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝 『箆棒』(べらぼう)

2016-09-28 | 舞台

*中津留章仁(1,2,3,4,5,6)作・演出 公式サイトはこちら』 紀伊國屋サザンシアター 10月9日まで1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23
 ここ数年、ぶっ飛ばすような勢いで活躍中の中津留が、老舗新劇団の民藝に新作を書き下ろし、演出も担った。今回は照明の宮野和夫、音楽の高畠洋、音響の佐藤こうじなど、中津留とともに舞台を作ってきたスタッフが多く参加しておられることも珍しいことではないだろうか。大変な気合いが感じられる舞台である。

 しかし本作に対して、どう向き合うことが適切なのか、実はよくわからない。非常に熱量の高い(強い)舞台で、作り手のエネルギーがびんびん伝わってくる。しかし自分は人物の背景や設定、性格づけ、俳優の演技の造形、物語の展開等々、さまざまなところで次々につまづき、違和感を覚えざるを得なかった。

 *本作は9日(日)まで上演されます。これからご覧になる方は以下ご注意くださいませ*

 店の経営に苦悩する信勝が、藁をもすがる思いで妻の凛に、知己である銀行家(実は凛にご執心だった)の説得を頼む。ホテルに呼び出された凛は銀行家に身をゆだねざるを得ない。それで数千万円の融資が可能になるなどという話が現実にあるのだろうか。あってもよいが、その描写がほとんど安手のメロドラマである。だからこそ、後半の凛の苦悩がよけいに際立つのだろうか。

 次に人物の性格づけだが、この判断もむずかしい。まず信勝の弟はテニスだけが取り柄と兄から常に叱咤激励されて心を病み、妻に暴力を奮う。しかし第二幕では別人のように明るく闊達になっており、スポーツ用品の会社に転職したという。水を得た魚のように明るく生き生きしたすがたに安堵するものの、前半が深刻だった割にはあまりに展開があっさりしている。

 第一幕で「ママを侮辱した」と怒る娘は、正義感にあふれる心温かな女性である。対して告げ口をした夫は実に小心で情けない男のように描かれている(この過去の暴露の顛末の展開が、山口百恵の「赤いシリーズ」を思わせるという知り合いの感想あり)。それが第二幕になると、娘は福島から訪れた契約農家の男性に、丁寧な口調ながら水を浴びるように言う。そして情けなかった夫は、義父に向かっても堂々と意見を言える立派な男に変容している。それはいいとして、弟(凛の娘の弟)がシャワーを浴びる時間がいささか長すぎないかと突っ込みたくなる。契約農家さんは大変な覚悟で大友家へやってきたのだ。義理の兄さんはおそらくシャワーもそこそこに応接間に戻り、義父である社長を必死で説得しているというのに。

 そして信勝の秘書のほとんど戯画的といっていい悪女ぶり。信勝は家族や社員の前で彼女を「幹子」と名前で呼び、仕事のスケジュール表を確認しながら「ここで温泉に行けるな」などと言う。社長として、夫や父親としての貞操観念や良心をとやかく言うのではない。いかに家族も社員も黙認している愛人であるとはいえ、あまりにワキもツメもあまい言動ではないか。さらに奨学金返済のために降格をしないでほしいと訴える若い女性店長と、ユニオンの結成を宣言する男性社員。「この二人は付き合っている」というが、そんな二人に全く見えないという無残。

 凛の説得に信勝は心溶かれるも、前述の女性店長は・・・というラストに衝撃というよりも唖然。『そぞろの民』の終幕を思わせるが、なぜこうするのか。等々、重苦しい内容の物語にも関わらず、客席からはしばしば笑いが起こり、自分もよく笑った。それがどういう笑いなのか。
 と、このように疑問点やとまどいをどんどん書いていくことによって、本作にはまっていく。それはある意味で手ごたえが確かにあったことの証左で、そのような観劇体験もまた「あり」と思われる。それにしても、やっぱりあれこれ気になるなあ…。

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