因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場『ゴドーを待ちながら』

2011-04-15 | 舞台

*サミュエル・ベケット 作 岩切正一郎 翻訳 森新太郎 演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 5月1日まで
 『ゴドーを待ちながら』(以下『ゴドー~』)。題名も内容もよく知っているし、さまざまな劇作家に計り知れない影響を与えた作品であるが、これまで実際の上演をみたのは一度だけである。1994年鴻上尚史演出版で、白石加代子、毬谷友子が出演した。この言い方はいかにも上から下への評価のようで使うことに抵抗はあるが、「感心しません」というのが率直な印象であった。言いかえると「自分には理解できませんでした」と脱帽するのは不本意であった。ヴラジミールとエストラゴンを女優が演じることはじめ、「自分は世界に名だたる不条理劇をこう見せるのだ」ということを、劇中さまざま差し挟まれるオリジナル部分で示そうとしたのか、観客は笑っていたけれども、それらが作品の根本の表現に活かされていたとは思えなかったためだ。
 戯曲もおざなりに読んだだけで、以降自分は『ゴドー~』から遠ざかり、『ゴドー~』的な作品にはいくつか出会ったが、近年の串田和美、緒形拳版、石橋蓮司、柄本明版の舞台いずれも見ようとしなかった。今回は森新太郎の演出に惹かれて重い腰がようよう上がったのだが、それでも喜び勇んでわくわくというよりは、苦手科目の試験を受けにいくごとく、気重く憂鬱な気分で席についたのだった。

 客席は舞台を四方から囲む形をとり、、広々とした長方形のステージ、どちらが上手下手といえばいいのかわからないが、舞台両側はアーチ状の出入り口は暗くて向こうがまったく見えず、ヴラジミール以外の人物が時間感覚をなくすことにも暗示されているように、過去や未来もわからない絶望的な不安を感じさせる(舞台美術/磯沼陽子)。今回は岩切正一郎による新訳(悲劇喜劇5月号に掲載)で、パンフレットの対談によると原典のもつニュアンスにぎりぎりまでこだわり、稽古場で演出家や俳優とともに練り上げていったとのこと。違和感なく聞きやすい台詞であった。

 心に残ったのは、劇中2回ある使いの少年(柄本時生)とヴラジミール(橋爪功)の場面である。聖書的に考えればヴラジミールとエストラゴンは羊飼いであり、少年は救い主の誕生を告げる天使であろう。しかしはっきりしているのは「ゴドーは来ない」ということだけで、少年の言うことは要領を得ない。さらにヴラジミールはゴドーが来ないことを知った上で、穏やかで悟りきったような口調であるが、冷徹な訊問のように少年に問いかける。百戦錬磨のベテラン橋爪功と新進の柄本時生が、会話するには遠い距離をおいて向き合う。よけいな演技を一切せず、伝言を言うためにだけやってきたことをこれほど素直に表現できるのは、生まれながらの資質なのか、それともこれも演技なのか。「対決」というほど強いものではないが、悩みもがく生身の人間と、人智の及ばないことを司る底知れない大きく深い何かから使わされた者が静かに対峙するさまは、絶望がより確かになるにもかかわらず、詩情が漂う美しいものとなった。

 難解で退屈な作品、でも一応知っていないと恥ずかしい必須科目的強制感覚、設定やおよその話の流れは知っているが本気で向き合ったことのない後ろめたさ、俳優が2人座っているだけで、「ゴドーがベースにある」と決めつけてしまう安易な発想。これらもろもろを気持ちよく吹き飛ばし、『ゴドー~』は自分の演劇人生のなかに確かな足取りで復活した。今夜の舞台が自分の『ゴドー~』の出発点になることはまちがいなく、自意識過剰気味の苦手意識が和らいだことを素直に喜び、出会いに感謝しよう。
 さて問題はこれからだ。今後もいろいろな演出、翻訳、俳優による『ゴドー~』が上演されるだろう。これまでよりは意欲をもって劇場に行けそうだ。しかし新しく出会う『ゴドー~』にすべて納得できない可能性がかなり高いことを覚悟しなければならない。また安易に今夜の『ゴドー~』と比較しないことも必要だ。やっぱり難解で退屈じゃないかと感じても簡単に失望せず、戯曲にもどろう。劇中のヴラジミールとエストラゴンが絶望と希望をくりかえすがごとく、『ゴドー~』とつきあっていきたい。いつかきっとゴドーはやってくるのだから。

 幕の終わり、天空に大きな月が上がる。そういえば来週の月曜は満月、そして日曜はキリストの蘇りを祝う復活祭だ。復興、再生を被災地だけでなく、自分たち一人ひとりが日々の生活に始まり、住む町、生を与えられた国ぜんたいの将来を考えなければならない事態において、何をどうすればよいのか、どこから手をつければよいのか途方に暮れる今、いささか大仰な表現になるが、今夜の『ゴドー~』はまさに戯曲の命の蘇りであった。

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