因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団青年座スタジオ公演№124『眞田風雲録』

2017-12-20 | 舞台

*福田善之作 磯村純演出 公式サイトはこちら 青年座劇場 24日で終了
 開場するや、客席が見る間に埋まってゆく。初日の今夜は通常料金4000円よりぐっとお値打ちな2500円の有料公開稽古のせいもあろうが、観客からはこれから始まる舞台への強い期待、作り手からはまさに走りはじめようとする緊張と心意気で、小さなスタジオは熱気が溢れんばかりだ。これまで青年座のスタジオは文学座アトリエや民藝の稽古場、いまはないがステージ円ほど足を運ぶ機会がなかった。当日リーフレットに掲載の演出ならびに企画・製作の磯村純の挨拶文によれば、来年3月の本公演『砂塵のニケ』(長田育恵作 宮田慶子演出)を最後に、建て替えのため劇場としての使用を終了するとのこと。同じく企画・製作を担い、猿飛佐助役で出演もする久留飛雄己とぜひ『眞田~』を上演したいと意気投合し、今日の日を迎えられた喜びが生き生きと綴られている。
 その久留飛は、「この作品の登場人物たちが考えていることは全くバラバラです。そして私たちの1人ひとりが考えていることもバラバラです。そのバラバラな人たちがこの空間で一つになっていることを感じていただけたなら幸いです」と記す。芝居作りの内実は想像もできないが、一筋縄では到底いかない大変な労苦があるのだろう。それでもこの作品を上演したい、多くの人に届けたいという情熱あってこその今日の初日である。青年座だけでなく、文学座やテアトル・エコー、フリーなどさまざまな俳優が出演するのも興味深い。

 15分の休憩をはさんで2時間40分の上演は決して楽なものではないが、出演の俳優はじめスタッフのこれほどまでの熱意を受け取っては、こちらもしかと見届けようと力が入るというもの。互いの熱で舞台が一層盛り上がる幸福な観劇となった。

 真田幸村と十勇士たちの物語であるから時代劇、と単純に括れない作品だ。1962年の初演当時、60年安保闘争の様相が色濃く反映された本作がどのように受けとめられたのか、それから半世紀以上が経った今、個人と個人が属するコミュニテイー、そのなかで生まれる無数の衝突と和解、駆け引き、いつの時代でも無くなってほしくない人の心の交わり、情愛といったものが見る者を強く惹きつける。

 NHK大河ドラマ『真田丸』もまだ記憶に新しく、「あのときのあの役が目の前のこの人」と若干「照合」する箇所もあったが、人物の性格や造形が大きく異なることもあり、中盤以降は舞台に集中することができた。

 心に残る場面が多くあり、俳優についてもあのときの表情、声、しぐさなどあげていけば切りがないほどである。ひとりを例にあげれば、「あの人のあの場面もよかった」、「あれは忘れられない」等々、どの人物にも「とっておき」的なところがある。正直なところ、ここまで全体を「ぶっちぎり」でなく、もう少し抑制した造形で緩急、メリハリをつける方法もあると思うが、それを言うのは野暮というものかもしれない。

 別の演出において、舞台に大量の泥を敷き詰め、俳優たちがその中で七転八倒し、文字通り泥にまみれる演出もあったが(未見)、実際に水や火や泥を舞台に持ち込むのは、見た瞬間ははっとするものの、終始目にする状態であるのは必ずしも効果的ではないと思う。泥などなくても、泥沼のような戦国時代の混乱、もがき苦しむ人々を見せるには、まずは俳優のからだと声を根本に置き、音響や照明、さまざまな道具、ぜんたいの舞台美術など、「本物ではないもの」から、観客に想像させ、あたかもそのように見せることが可能なはず。そうするのが演出の手腕であり、舞台というものの旨みではないか。

 青年座の本作は徒手空拳、実に気持ちが良く、今年最後の現代劇の鑑賞を幸せに締めくくることができた。

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