因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座9月アトリエの会『かのような私-或いは斉藤平の一生-』

2018-09-11 | 舞台

古川健(劇団チョコレートケーキ)作 高橋正徳演出 公式サイトはこちら 文学座アトリエ 21日まで
「劇チョコ」の古川健(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11)はここ数年劇団内外問わず快進撃を続けている。今回の書き下ろしは、劇団屈指の財産演目『女の一生』のごとく、「長い歴史を辿り、追体験できるような物語」という演出家のオーダーのもと、今年のアトリエの会のテーマ「新しい台詞との出会いー戦後再考」にふさわしく、A級戦犯が処刑された1948年12月23日に生まれた斉藤平という男性の生涯を通して戦後日本を見つめなおすもの。明治生まれの祖父世代から、団塊の世代である主人公、そのジュニア、孫まで登場する。

 80年にわたる一家の歴史を、斎藤家の居間だけで描く手法も『女の一生』と同じだが、主人公の平(亀田正明)を軸とする家族、友人が実年齢よりも高い設定を、案外無理なく自然に演じているところが好ましい。場面ごとに白髪を増やし、会話や動作のテンポも緩やかになるあたりもあざとくなく、さらりとしている(同じことを映像でしてしまったら不自然極まりないだろう)。作り手受け手双方に「演劇におけるリアル」をうまく示しており、こちらも「いったいどうなるのか?!」と気を揉むこともなく(そういうお芝居、ありますから)、休憩を挟んで2時間30分の長尺をリラックスして味わうことができた。

 1948年12月23日、やがて天皇になる皇太子の誕生日に、東条英機らA級戦犯の処刑が執行された。当時まだ少年だった皇太子は、自分の誕生日のたびにこのことを想起されるだろう…とは、初孫(主人公の平)の誕生を待つ祖父のことばである。新しい生命を寿ぎ、幸せな未来を願う日が、同時に悲惨な戦争を指揮した人々の命を絶つ日であること。主人公がこの世に生まれたその日から、否応なく背負わされた国の歴史、その苦さや重みが、本作の底流にある。

 時代ごとの事件や風俗を物語に取り込む劇作家の手腕は、俳優の演技と同じくあざとさがない。劇中の台詞に登場する唐十郎の紅テント、吉本隆明の「共同幻想論」、LGBTなどに対する客席のリアクションが一様でないところもおもしろく、年代によって共感するところ、理解しがたいところなどが混在するのも一興であろう。

 適材適所の配役も、あらゆる年代の俳優を有する文学座ならではであり、劇作家・古川健、演出家の高橋正徳はじめ文学座、ともに手ごたえのある仕事になったのではないか。劇作家が、「安心して筆を進めている」という感じがする。盛り込んだエピソードがただサンプルを並べている印象があったり、ぜんたいの雰囲気が甘めのホームドラマ風にならないのは、斎藤平を中心とする人々が、自分の人生について、自分の頭で考え、自分で決めるという硬派で愚直な姿勢を貫いているためだろう。大変気持ちの良い芝居である。ただ欲を言えば、感じ良く収まり過ぎな印象もあり、もっとごつごつした手触りや、不協和音的な何か、後を引く痛みも欲しい気もする。

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