因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『Sheakespeare's R&J~シェイクスピアのロミオとジュリエット』 

2018-01-23 | 舞台

*ウィリアム・シェイクスピア原作 ジョー・カラルコ脚色 松岡和子翻訳 田中麻衣子演出 トライストーン・エンタテイメント主催、世田谷パブリックシアター提携公演 公式サイトはこちら シアタートラム 2月4日まで 2月7~8日兵庫県立芸術文化センター阪急ホールでも上演
 
厳格なカソリックの全寮制寄宿学校の男子高校生たちが、禁断の書である『ロミオとジュリエット』を真夜中にリーディングを始める。数百年に渡って演じ続けられ、読み継がれてきたシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をジョー・カラルコが脚色した作品である。2003年、ロンドンで初演され、日本は2005年の冬、首藤康之、佐藤隆太、小林高鹿、浦井健治の座組でカラルコ自身が演出し、パルコ劇場で上演された(わたしは未見)。

 前述の舞台設定に加え、まだ幼さの残る若者たちが愁いを含んだ眼差しでこちらを見つめる写真が掲載された公演チラシをみると、少女漫画やBL風の妄想が否応なく広がる。また高校生である彼らの現実、つまりどんな家庭のどんな両親のもとで育ったのか、何が好きなのか、夢は何かといったことや、4人の関係性の変容などと、『ロミオとジュリエット』を劇中劇仕立てにして、ふたつの劇世界が絡み合う構成ではないかと予想した。

 上演中の舞台ゆえ、詳細は書けないが、上記の予想はいずれも清々しく裏切られた。つまりシェイクスピアの台詞、物語そのままで、『ロミオとジュリエット』をきっちりと見せながら、演じている高校生たちはみずからのことをまったく語らず、仄めかしもしない。観客にも「彼はたぶんこんな男の子なのかな」程度の想像すら退ける。ほんとうに、彼ら自身のことがまるで描かれず、わからないのである。この潔さ。

 矢崎広、柳下大、小川ゲン、佐野岳は最初から最後まで学生1,2,3,4であり、名前も背景も持たない存在として『ロミオとジュリエット』を演じ切る。語られないこと、知らされないことがあまりに多い。それは舞台において、自分の言葉ではなく、劇作家が書いた台詞を発する存在である俳優という生業の宿命、悲しみまでをも描こうとしたのではないだろうか。

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