因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シス・カンパニー公演 『アルカディア』

2016-04-15 | 舞台

*トム・ストッパード作 小田島恒志翻訳 栗山民也演出 公式サイトはこちら 4月30日までシアターコクーン 5月は大阪・森ノ宮ピロティホール
 『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』、『リアルシング』、『ロックンロール』など、イギリス演劇界を代表する劇作家トム・ストッパードの最高傑作との呼び声が高いという本作は、1993年のイギリス初演以来、日本でも長らく上演が待ち望まれてきたとのこと。堤真一、寺島しのぶ、井上芳雄、浦井健治、神野三鈴など、舞台はもちろんのことテレビや映画でも活躍する俳優が顔をそろえる豪華版である。チケットはS席11,000円という高額ではあるが、「あの俳優さんを舞台で見たい」と思えば、一般的な金銭感覚というのはどこかへ行ってしまうのである。

 第一の舞台は19世紀、イギリスの豪奢な屋敷シドリー・パークである。かの著名な詩人バイロンも逗留しているという。この屋敷の13歳の令嬢が、家庭教師のホッジに勉強を教わっている。早熟で天才肌の令嬢は、「肉の欲による抱擁とは何か?」(台詞は記憶によるもの)などとホッジに質問する。ホッジは令嬢だけでなく、浮気相手の夫・詩人のチェイターの決闘の申し込みも舌先三寸で丸め込みながら、ひそかにこの屋敷の女あるじ(令嬢の母)を愛している。
 第二の舞台はそこから200年後の現代、場所は同じくカヴァリー家の居間である。バイロン研究で脚光を浴びた女性作家、同じくバイロンを研究している学者、この屋敷に住むきょうだいたちが、19世紀の貴族たちを巡って論争を繰り広げる。
 同じ場所を媒介として、200年の時間が別々に描かれつつ、次第にまじわり、絡み合いながら進行する非常に演劇的な作品である。また「カオス理論」に着想を得て書かれたというだけに、劇中にはさまざまな学術用語が飛びかう。演劇的刺激と機智に富んだ3時間の舞台である。

 結論から言うと、苦行の3時間であった。もっとも大きな理由は、俳優の台詞が客席まできちんと届いていない点である。座席の位置によるのか、あるいや自分の加齢のためかと思ったが、同道の知人はじめ、周辺の観客からも同様の感想が聞かれたのは驚きである。俳優の台詞がへんに反響し、ちょっとどうかと思うほど聞き取りにくい。ことばひとつひとつが粒だってきちんと聞き取れたのは、屋敷の女あるじを演じた神野三鈴だけであった。台詞が聞き取れないから、人物の性格も気持ちも、物語の流れも理解しづらい。この人はなぜこんなに衝撃を受けているのか、こんなに喜ぶのか、どうしてつぎがこうなるのか。舞台経験の厚い出演陣で、このようなことになるのはどうしてであろうか。

 いくつかの演劇雑誌や公演パンフレット掲載の座談会などを読むと、出演俳優は戯曲に対してほとんど異口同音に「わかりづらかったが、台詞を口にしてだんだんつかめてきた」という手ごたえを語っている。栗山民也の的確な演出にも大いに助けられたらしい。しかしながら、それが客席にまで伝わっていたかどうか、自分の印象からすれば、実にあぶなげである。戯曲に描かれた世界を把握し、ひとつひとつの台詞を頭にもからだにもなじませて、自分のことばとしてしっかりと発し、確実に客席に届けるためには、必要な(必然の、でもある)声の高さ、速さ、テンポ、リズムが決まってくるはず。そのあたりが整っていない印象を受けた。

 堤真一が「演じる側としてはまずテンポを大切に。お客さんを置いていく勇気も必要だと思う」と発言する一方で、寺島しのぶが「とにかく役者が台詞をしっかり噛み砕いて、お客様に『細かいことをすっ飛ばしても面白い!』って作品にしないといけない」と発言していることは非常に興味深い。自分はみごとに置いていかれたことになる。

  さて題名の「アルカディア」とは、古代ギリシャの肥沃な土地のこと。ローマの詩人ウェルギリウスが理想郷として描き、文学や絵画の題材とされてきた。19世紀の貴族や詩人たち、21世紀の学者たち。いずれも追い求めながら、得られないことの象徴か。しかし愛ある信頼、穏やかな幸福はあんがい身近にあるものかもしれない。終幕、過去と現代の二組の男女がワルツを踊る場面には、切なさと同時に希望が感じられた。

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