因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋通信72号ぶろぐ公開

2022-10-31 | お知らせ
 お待たせいたしました。因幡屋通信72号を以下公開いたします。メイン劇評1本と、5月から8月のトピックです。どうかお楽しみくださいませ。

開幕ベルはひそやかに
―『ふるあめりかに袖はぬらさじ』と『亀遊の死』行き来の楽しみ―

 六月大歌舞伎 第三部 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
 有吉佐和子作 齋藤雅文演出 坂東玉三郎演出 成瀬芳一演出補 織田音也美術 前田剛美術 中村圭佑照明 今藤政太郎劇中歌作曲 内藤博司効果 6月2日~27日 歌舞伎座 

◇はじめに―◇

 昨年11月に二代目中村吉右衛門が亡くなって以来、「○○さんのこのお役は、これが最後になるのでは」という思いが募る。それゆえ六月大歌舞伎の『与話情浮名横櫛』が、与三郎役の十五代目片岡仁左衛門の病気療養のために休演と知ったときは、甚く落胆した。
 ところが代替の演目『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(以後『ふるあめりかに~』)は、開幕するや賞賛の声が引きも切らず、大盛況となったのである。
 時は幕末。横浜の遊郭「岩亀楼」を舞台に、気のいい芸者のお園、美しい花魁の亀遊と恋に落ちる通辞の藤吉らが尊王攘夷の世情に翻弄される物語である。原作は1961年、「別冊文藝春秋」に発表の短編小説『亀遊の死』で、作者の有吉佐和子自身によって戯曲として再構成、1970年に「婦人公論」に発表された。2年後、名古屋中日劇場の文学座公演で杉村春子がお園を演じて以降、当たり役となった。やがて1988年坂東玉三郎がお園を受け継ぎ、その後文学座の新橋耐子、新派の二代目水谷八重子、さらに藤山直美も演じている。自分は90年代の文学座公演以来、二度めの観劇となった。

 お園を演じる坂東玉三郎は、膨大な台詞、細かい所作事のすべてが美しく、しかもさらりとして自然である。これまで玉三郎は男でも女でも、もしかすると人間でもない、「芸術的現象」のごとく近寄りがたい印象を抱いていたが、情の厚さと酒癖が災いして、つい、しくじってしまう玉三郎のお園に、言いようのない親しみを覚えた。
 藤吉役の中村福之助は、武骨で純朴な前半から、攘夷女郎の武勇伝を信じて、自分の記憶を塗り替えてゆく後半に陰影が滲む。
 岩亀楼の老練なあるじ役の中村鴈治郎の手練れの演技も小気味よい。
 20人を越える客演の新派俳優陣も素晴らしい。まず亀遊は出番が少なく、逆に死んでから周囲に語られる部分のほうが多いため、より鮮烈な印象を残し、物語の人々や客席にもさまざまなことを想像させる力量が必要だ。演じる河合雪之丞は、あの『黒蜥蜴』の女盗賊と同じ人とはとても思えない抑制した演技が好ましい。さらに将来、お園役も期待できそうだ。攘夷派の志士役の喜多村緑郎、田口守、河合穂積、岩亀楼の唐人口遊女マリア役の伊藤みどりはじめ、芸者や遊女、町人と、まさに「隅から隅まで」の充実ぶりだ。歌舞伎と新派がそれぞれの伝統、個性を活かして構築される劇世界は圧巻というほかはなく、今年上半期随一の手ごたえとなった。

◇有吉佐和子の記憶◇

 有吉佐和子には、強烈な記憶がある。『和宮様御留』が発表された1978年放送のNHKのテレビ番組「歴史への招待」であったと思う。『和宮様御留』は、幕末期、公武合体のため降嫁した皇女和宮が替え玉であるとの仮説に基づいた小説で、ドラマや舞台にもなったベストセラーだが、歴史研究家からの批判も少なくなかった。 有吉は聞き手の鈴木健二アナウンサーをひたと見つめ、「史料というのは点でございます。そしてそれを繋ぐのはわたくしの想像力でございます」と主張する。その表情には小説家としての自信と意欲が漲り、歯切れ良い口調にも迫力があった。
 当時十代半ばだった自分には小説を十分に読む力はなかったが、あれから数十年、歌舞伎座の『ふるあめりかに~』を観劇して戯曲を読み、原作である短編小説『亀遊の死』へ進むうちに、有吉の創作の様相が次第に実感できるようになった。 
『ふるあめりかに~』(中公文庫 2012年刊)巻末の磯田光一の解説を借りれば、「典拠を持ちながらも素材に不当に拘束されることを避け、文学的想像力を加えることを通じて、素材をまったく新しいドラマに仕立ててしまった」ということであろう。
 小説家が史料を慎重に掘り下げ、次は想像力を駆使して大胆に切り開いて「お園」という人物を生み出し、短編小説に続いて戯曲を形作るプロセスは、読み手としても観客としても刺激的である。
 以来、戯曲と短篇小説を行き来し、とくに『亀遊の死』は読み返すごとにおもしろさが増して、観劇の印象がいっそう鮮やかに心に刻まれることになった。

◇『亀遊の死』のおもしろさ◇

『亀遊の死』の第一の特徴は、全編がお園のひとり語り形式である点だ。「亀遊さんが死んだのを、最初に見っけたのは私です」という第一声から、かつて吉原の遊郭で亀遊と過ごした日々、横浜での再会、彼女と藤吉の恋や亀遊が自害した夜の仔細がよどみなく語られる。昔のなじみ客か新聞記者か、もしかすると話のねたを探しに訪れた小説家なのか、話す相手については明確にされていないが、お園の声が聞こえてくるように生き生きとした文体である。
 お園自身が見聞きした亀遊の自害の顛末が有吉言うところの「史料」ならば、この騒動を収め、あわよくば一儲けしようという岩亀楼のあるじの商魂に利用されたとはいえ、お園は熱意と真心を以て、自分にとっての真実を語りつつ、知らず知らず「想像力」を発揮して話を増幅させ、攘夷女郎の天晴れな武勇伝を作り上げてしまったと言えよう。
 第二の特徴は、『亀遊の死』が『ふるあめりかに~』の終幕からさらに年月を経ての話である点だ。お園は志士たちにさんざん脅かされ、武勇伝の語りを封印されて以来お座敷に出るのが怖くなり、芸者を辞めて堅気の女房になったのだと言う。「そのおかげで長生きして、開化の御時世も拝めました」とは、舞台の『ふるあめりかに~』からは予想だにできない成り行きである。
 さらに気になるのは、お園の最後のひとこと、「藤吉どんですか、これはあれっきり。噂もきいたことがありません」である。舞台では、「あれから五年、藤吉どんはアメリカでいまごろ何をしているんだろう」としんみりしたあと、「このお園さんと来た日にゃ、ふるあめりかに袖も何もびしょぬれだよ」と毒づいて客席を笑わせる。 そして最後は「それにしても、よく降る雨だねえ」としみじみとした台詞に、倒れたうしろ姿が見事に決まって幕を閉じるが、それに比べるとあまりにそっけなく、劇的な雰囲気は皆無である。
 ところが少し前の箇所を読み返すと、医学を学ぶために廓を去った藤吉について、彼は亀遊を身請けしようとしたアメリカの商人の手引きで密航したのではないか、「あの藤吉どんならば、却ってありそうなことのように私には考えられるんです」と語っているのである。
「あの藤吉どん」という言い方に、舞台『ふるあめりかに~』後半の一場面が蘇った。自害した亀遊を攘夷女郎に祭り上げようとする廓の大騒動に背を向け、黙して動かない藤吉のうしろ姿である。
 亀遊との恋は成就せず、自害に至らせた後悔や罪悪感が、この人のなかで別の気持ちに変容している。それは自己弁護や自己完結かもしれないが、医学への志を人生の第一に据え、過去に決別する覚悟に至る時間だったのではないか。「皆さん、お達者で」と退場するあっけなさには、強かな意志が感じられるのである。
 舞台の観客の目を以て想像力を働かせてみると、そっけなく「噂も聞きません」と言うお園の眼差しの先に、岩亀楼の座敷に佇む「あの藤吉どん」の面影が浮かび、みるみる濃厚な空間が立ち上がってくる。この最後のひと言を、お園はどんな口調と表情で語ったのだろうか。ほんとうに藤吉の噂も聞いていないのか、もしかすると何かを知っているとさえ思えてくるのだ。

◇『亀遊の死』を舞台で◇

 ならば『亀遊の死』を朗読すると、どんなものになるだろうか。 お園の語りを俳優ひとりが行うと単調になるかもしれず、連続ラジオドラマという形もあるが、やはりここは一気に語られるものを聴きたい。
 本作にはお園以外の人物の発語が「」の台詞として書かれており、目の前でその人が動き、話しているかのように活写されている。亀遊や藤吉、岩槻屋のあるじはもちろん、攘夷派の志士たちまで「配役」することは可能だ。
 語り形式のため、小説の地の文も、戯曲におけるト書きもないのだが、そこに群読として旨みが生まれ、お園を複数の俳優で演じ継ぐなど構成を工夫をすれば、一幕の朗読劇として成立する可能性はあると思われる。
 自分の脳内の妄想であるから、「開幕ベルは華やかに」とは言えないものの、ひそやかに、しかしゆるぎなく、観劇前には予想もしなかった劇世界が展開している。
 俄然楽しくなってきた。
 この次にお園と会えるその日まで、豊かな時間が過せそうである。
 
【春から夏のトピック】
~心に残った舞台覚書+映画ほか~

☆5月☆
*劇団唐組 第68回公演 唐十郎作 久保井研+唐十郎演出
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』 新宿・花園神社
 コロナ禍で岡山公演が延期、強風により神戸公演の初日中止のアクシデントを乗り越え、某大物歌手の女性ファンが起こしたスキャンダルを基に、状況劇場が76年に初演した作品が現代に蘇った。妄想と現実のはざまで不器用にもがき続ける人々と、彼らを社会から排除しようとする人々が、さまざまな文学や音楽を取り込みながら織りなす物語はしみじみと味わい深い。  
*朱の会 朗読シリーズ 第5回公演「ときめいて、艶めいて」Book Trade Cafe どうひん
 主宰の神由紀子による堅実な作品選択と冒険心に富んだ構成・演出に俳優陣が誠実に応え、佳き舞台成果を上げた。中でも藤沢周平の『朝焼け』は、旗揚げから5周年を迎えた朱の会の到達点だ。好評により11月末、有吉朝子作『波津子―レディの肖像』と2本立てのアンコール公演が行われる。

☆6月
*COCOON PRODUCTON 2022   NINAGAWA MEMORIAL
 野田秀樹作 杉原邦生演出『パンドラの鐘』 シアターコクーン
 太平洋戦争開戦直前の長崎と古代王国が行き来する重層的な構造の劇世界を、誰よりも迷いながら泳ぎ切ろうとする遺跡発掘助手オズ役の大鶴佐助。観客はいつのまにか彼の右往左往や葛藤を自分の感覚として共有し、物語を最後まで見届けようとする。頼りないところが頼りになるのが、大鶴佐助のオズなのだ。
*serial number 07 詩森ろば作・演出『Secret War ひみつせん』
 東京芸術劇場シアターウエスト
 太平洋戦争中、日本陸軍の研究所で行われていたのは、秘密戦という化学戦争のための研究と実験であった。同じ職場で働く仲間同士であっても理解しあえず、互いの心に深い傷を残すことが容赦なく描かれる。科学が戦争と結びついたために起こった悲劇である。
 映画『ドライブ・マイ・カー』(村上春樹原作 濱口竜介監督 2021年公開)の寡黙な運転手を演じた三浦透子が、研究所のタイピストと、その孫である科学ライターを二役で担い、過去と現在をつなぎ、未来を想起させる。
☆7月☆
 歌舞伎座の「風の谷のナウシカ」はチケットが取れず、そのほかもコロナ禍による延期や中止等々。一昨年春の緊急事態宣言以来の観劇ゼロに。

☆8月☆
*劇団民藝公演 KEIKOBA 島崎藤村原作 村山知義脚色 岡本健一演出『破戒』劇団稽古場
 1948年、民衆芸術劇場(第一次民藝)第1回公演で上演された作品である。劇団の拠点を川崎市黒川に移転した年月は、川崎市麻生区の区政40周年、水平社宣言100周年とも重なり、いっそう意義の深まる舞台に。
 シンプルな舞台美術、無国籍風の衣装から、時や場所を選ばず、人の心に巣食う他者への偏見や根強い無理解、差別意識が炙り出される。しかし同時に、人の心の善なることを信じようとする志が描かれているから、終演後の心持は明るい。

*KAATキッズ・プログラム2022  松井周作・演出『さいごの1つ前』 KAAT神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉
 白石加代子と唐組の久保井研。このとてつもない大顔合わせが、夏休みの劇場で軽やかに実現した。この世とあの世の境目で右往左往しつつ、自分の人生を見つめ直し、再生、昇天、幽霊となってUターンする物語には、作者の死生観、哲学が潜む。これが「生まれてはじめてのおしばい」だったお子たち、またどこかの劇場で会えますように。

★映画★
 早川千絵 脚本・監督『PLAN75』
 75歳以上の高齢者に安楽死の選択を与える法令が施行された日本。SFではなく、すぐそこまで近づいているリアルな日常である。世話役のスタッフの笑顔や丁寧な説明はすべてシステム化され、老人たちは半ば諦めて流れに乗るが、そのシステムに躓く人々のすがたに微かな希望と救いがある。
★展示会★
「生誕100年 朝倉摂展」
 練馬区立美術館
 舞台美術家になる以前の、創作活動の原点となった日本画の数々に圧倒される。美しい色彩や大胆な構図、社会性に富む作風は、やがて蜷川幸雄や唐十郎の舞台美術に結実する。
 絵本の挿絵は温かく、1960年、読売新聞夕刊に連載された松本清張の『砂の器』の挿絵を担った際のエピソードも興味深い。「過去を振り返るのは大嫌い」が口癖だったそうだが、朝倉摂の作品は過去から今、未来を見据えている。
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