因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズ ドラマリーディング『アダムの後に』

2007-02-06 | 舞台番外編
東京国際芸術祭2007より クリスティーナ・ハム作 川島健訳 中野成樹演出 にしすがも創造舎特設劇場 公演は4日のみ 
 舞台には洋服掛けやソファ、椅子が置かれ、小道具もある。上手には会議用の長机とパイプ椅子が数脚あって、舞台稽古の演出家席のような雰囲気である。開演が告げられると上手の演出家スペース?に制作の女性、ドラマツゥルクの長島確、演出の中野成樹が座り、舞台中央に3人の俳優が進みでる。そして演出家席の3人からこの作品のあらすじなど、おおまかな解説があったのち、リーディングが始まる。こういう形式は初めてだったのでちょっと驚いた。2幕4場(だったと思う)を1場ずつ区切って、ト書きは制作の女性が読む。場が終わるごとに短く解説しながらリーディングが進行する。台本を離して本格的に動くのは無理だが、できる範囲で少し動きながら読んでみましょう・・・という段階の稽古の雰囲気である。
 ロサンジェルス南部に住む労働者階級のアフリカ系アメリカ人の一家を巡る謎めいた血の物語である。登場人物はボイドとその妻ルース、ボイドの弟タンクの3人だけなのだが、タンクは兄の妻ルースに対して息子のような口を聞き、当然ながら最初は戸惑っていたルースもなぜか母親のようになっていく。のみならずタンクは兄夫婦が亡くした息子アダムになったり、死んだ父親になったり、その役の切り替えを指示する言葉が「戯曲の中に全くない」(中野)のだそうだ。

 兄弟と父親のあいだに何があったのか、兄夫婦の死んだ息子の存在とは?
 当日パンフの川島健の解説にある通り、題名の『アダムの後に』の「アダム」が象徴的な意味をもつことがわかる。旧約聖書の創世記に登場する最初の男性で、神に背いた罰としてイヴと共に楽園を追放される。罪を犯した人間に救いはあるのか、贖罪の道はあるのか。舞台では3人が糸がもつれたような会話を続けており、時には暴力もふるったりしているのだが、単なる複雑家庭の揉めごとではなく、「人間の原罪」を問いかけているように感じた。

 特殊な設定で繰り広げられる特殊な人々の話には思えなかった。決してありきたりであるという意味ではなくて、戯曲の構造や手法も受け入れられる範囲のものだろう。しかし実際に上演するとなると、相当な体力知力が必要になるのでは?「誤意訳」の中野成樹も今回は大人しめ?の印象。まだ彼自身の言葉に置き換えられない段階の舞台をみられたという点では非常に貴重な体験ができた。作者の心の中の声が戯曲となって生まれでた、その赤子を受け取ったまさにその瞬間のような公演で、戯曲に対する中野の戸惑いや悩みが伝わってくる。
 
 猛然とこの戯曲を読みたくなった。いささかミーハーな配役だが、ボイドに堤真一、妻ルースに中川安奈、ボイドの弟には松田洋治か高橋洋では?

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