因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

MITAKA “Next” Selection 22nd 劇団普通『病室』

2021-08-08 | 舞台
*石黒麻衣(12)作・演出 劇団サイトはこちら MITAKA “Next” Selection 22nd参加 三鷹市芸術文化センター星のホール 8日で終了
 舞台には長方形の白い台が4つ置かれ、天井からは白い布が下がっている。正面には銀色の四角い枠があり、病室の窓と思われる。タイトルの通り、病室での物語である。もう老人といってよい4人の男性が入院している病室に、その家族や看護師、リハビリ技師らが出入りする日常が描かれる。作者の実体験がもとになっているという「全編茨城弁で紡いだ家族の肖像」(公演チラシより)である。2019年の初演(未見)のスタジオ空洞から、大きな劇場での公演となった。 

 物語の起承転結を追ったり、何らかの事件が起こることによって生じる登場人物の関係性の変容を期待すると困惑する。ゆったりとした茨城弁のやりとりが延々と続き、いったいこの舞台は、どこに収まるのか、どういう落としどころを狙っているのか。
 ―本稿中の台詞は記憶によるものです―

 何度も繰り返される老人のことばや、面会に来た家族のなかに割って入ったり、気難しく淋しがりやの夫を気遣いながら、その一方でやや無神経な振舞をしてしまう妻や、あまり丁寧でない医師の説明にいらだつ息子など、自分自身や家族に入院体験があれば、あの微妙に嫌な感じや、小さな我慢を重ね、疲労が蓄積する日々の感覚は、まさに「あるある」であろう。

 当日リーフレットの「あらすじ」を読むと、片岡家(小野ゆたか、松本みゆき、安川まり、函波窓)の話が中心になると思われたが、4人の患者のうち、誰が主人公と設定されているわけではなく、それぞれの事情や過去、心のうちが描かれていく。幼い子どもたちを抱えて離婚の決意をした娘(小野寺ずる)と橋本(折原アキラ)のやりとりは、病の上にさらなる心労が加わってしまう現実の重さが伝わる。呆然とし、案じる父は「やっていけるのか」、それに応える娘も「わたしやるから」と同じ言葉を繰り返すばかりだが、こんなときはそう言うしかない。この感覚は非常によくわかる。これは劇中観客に与えられた「大きな心配事」だ。また時折、過去の家族の諍いがかなり生々しく挿入され、長年連れ添った夫婦、血のつながった親子というものが、必ずしも心から信頼し、愛し合えないことや、消えないわだかまりを抱える苦しさ、人間と言うものの恐ろしさや悲しさを見せる。

 同時に看護師(小野寺二役)とリハビリ技師(函波二役)の恋愛の場面はとても微笑ましいが、親との関係が影を落すことなど、こちらは「小さな心配事」だが、こういった足跡を観客の心に残すところも魅力のひとつだ。

 患者たちのなかで最も饒舌な佐竹(用松亮)の世話を黙々としていた看護師(石黒)が、パジャマを着た佐竹の妻として登場する終幕は胸に迫る。癌を宣告された夫が入院する前の夜のことだろう。夫婦には子どもがない。妻は「お父さんが居なくなったらどうしたらいいの」、「お父さんと毎日畑仕事して、いっしょに暮らして幸せでした」と泣く。これ以上ないほどドラマチックな台詞であり、場面になりうるところである。しかし妻は客席に背をむけたまま、佐竹はぶっきらぼうに「もう寝るぞ」と言う。その次の瞬間、情愛のこもった妻の声から現実の看護師の声になり、黙々と世話をはじめるところは、俳優の二役や時空間が交錯する場面には珍しくない描写だが、「演劇ならではの手法」の披露ではなく、非常に控えめな手つきであり、そこに好ましさを感じる。

 劇団普通が目指しているもの、そこに到達するための手法は伝わりにくいものかもしれない。同じ題材をもっとメリハリのある方法で、わかりやすく伝えられる作り手はほかにもいるだろう。だが、一見頑なと捉えられかねない戯曲や演出に内在する作り手(作・演出、演者ともに)の声や体温を感じ取りたいと思う。今日の舞台からは大小の「心配事」を受け取った。この手触りを大切にしよう。
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