因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

絵本演劇ユニット BOO WHO WOOL第四回公演『たっくんの出会った鬼』

2015-06-20 | 舞台

*石川寛美構成・台本・演出 岡田達也原案 劇中劇「ないた赤おに」浜田廣介原作 公式サイトはこちら ワテラスコモンホール 21日で終了
 このユニット名から人形劇「ぶーふーうー」を連想できる人は50代以上だろうか(笑)。劇団キャラメルボックスの俳優・石川寛美が2011年12月に設立したユニットである。公式サイトをみると、「読み聞かせでも、朗読でもない。新しい絵本の楽しみ方」を探求する演劇ユニットとのこと。子どもの想像力やコミュニケーション能力を育てること、いわば情操教育の一環を担うことも目的にしている。知人のすすめではじめて足を運んた。

 地下鉄淡路町駅から徒歩数分にWATERRAS(ワテラス)がある。歌舞伎や落語関連のイベントが催され、食器や小物、さまざまな調度類や書籍を販売するショップもある。その3階のワテラスコモンホールが今回の劇場だ。横に長いスペースで、客席は前方が桟敷、後方が椅子席になっている。子どもたちはほとんどが桟敷席だが、大人もいっしょに座れる。

 時は「いまから43年前」と明確に指定される。ということは1972年(昭和47年)だ。場所は岡山県とのこと。主人公のたつやくん、通称たっくんの家族は公務員(記憶やや曖昧)のお父さんと、看護婦のお母さん、そして3つ年上のこういちくんである。こういちくんには障害があり、食事やトイレも誰かに助けてもらわねばならず、ことばは「あー、うー」しか言えない。弟のたっくんと同じ保育園には通えず、鳥取の施設に入ることになった。けれどたっくんは知っているのだ。こういちくんが、ほんとうはおしゃべりができることを。

 お芝居のタイトルと、公演チラシに掲載されている原案者の岡田達也、それをお芝居につくり上げた石川寛美の挨拶文を読むと、泣ける話らしいこと、どうやら「ないた赤おに」がベースになっているらしいことは何となく予想がつく。しかし物語は簡単に「ないた赤おに」にならず、むしろ保育園のお楽しみ会で披露する「ももたろう」のリハーサルがしっかりと描かれている。だが「ももたろう」に登場する鬼が島の鬼の存在が、「ないた赤おに」、そして「たっくんの出会った鬼」へとしっかりとつながっていく。そのプロセスに本作の見ごたえがあり、作者の思いがしっかりと伝わってくる。
 
 たっくんは鬼を怖がる。しかしそれは単なる恐怖ではなく、鬼がどんな生き物なのか、人間とおしゃべりができるのか、何を考えているのかを知りたいという興味でもある。「ももたろう」に登場する恐ろしい鬼、そしてお母さんのお迎えを待つたっくんが読む絵本「ないた赤おに」の心優しい青鬼を、こういち役の鍛冶本大樹が演じる。「鬼」という存在、そのとらえ方が本作の核である。「鬼」は肌や瞳の色、ことばや生活習慣など、自分たちと異なるものを象徴するものとすれば、お化けや妖怪など魑魅魍魎のたぐいだけでなく、わたしたちのまわりにはいろいろな「鬼」がいる、いや「鬼」を作りだしているとも考えられる。
 
 開演前、子どもたちは友だちとおしゃべりしたり、けんかをして泣き出したりとにぎやかだ。しかし劇がはじまると大人顔負けの集中度で、登場人物からの呼びかけや、客いじり、いやいや「いじる」などと言っては失礼ですね。子どもたちをリラックスさせたり、物語へ子どもたちを引きこんだりする演出にも自然に物おじせず元気に反応する。これはもう大人になるとできないことで、終演後客席の親御さんの「わたしも子どものころにこんなお芝居みたかったな」という感想に、思わずうなづいてしまうものである。いや、今日のおちびさんたちがうらやましい。

 「お父さんとお母さんは、その当時は珍しい共働きでした」という解説や、お母さんの職業を「いまで言う看護師ね」など、時代背景や用語などが説明されるところに引っかからにでもない。「いまから40年くらい前」ではだめなのか。43年前と具体的に指定するなら、その年にどんなことがあったのか、現在2015年と 何かの関連があるのかといった流れを予想する。また「いまで言う看護師」という説明が必要か。人物紹介の場面で「看護師のお母さん」ではだめなのか。劇中 「看護婦」という台詞がいくつもあるようなら、現在はちがう言い方をすることに対する配慮が必要とも考えられるが。

 60分の上演時間が、まちがいなくいい意味で長く感じられた、つまり充実していたのである。たっくんとその家族の話に「ももたろう」と「ないた赤おに」のふたつの物語を絡ませる巧みな構成に、二役から三役を演じ分ける俳優も達者で、しかも嫌味がない。たっくんに向かって「今度お父さんも『キューティ・ハニー』の話に混ぜてくれ」というお父さん役の山田幸伸は、青いスモックの保育園児をやっても、ももたろうの家来の猿をやってもぴったりだ。作品を大切に思い、子どもと大人に楽しんでほしい、何かを伝えたいという誠実な姿勢が感じられる。

 単純に家族を大切にしよう、仲よくしようという話ではない。人間と鬼、つまり異物、異種、自分と見た目や考え方、生活のしかたなどがちがう相手とどう向き合うか、他者の受容であり、共存のむずかしさと同時に、それがかなうときの喜びを伝えんとするものである。
 子どもに芝居を見せるとき、さまざまな配慮が必要だ。上演時間が長すぎないこと、音や照明などを過度に驚かせない、怖がらせない作りにすること。しかし「手加減」は不要だ。それは「大人の世界はこんなにも汚いところなんだよ」と開き直ることではなく、ただ見せておしまい、あとは自分で考えなさい的な放置でもない。見せ方、聞かせ方をとことん吟味し、工夫する。子どもになったつもりで必死で考える。「子どもにお芝居を楽しんでほしい、好きになってほしい」と強く願うこと。そして大人自身が舞台作りを楽しみ、味わうこと。子どもに対する教育的義務と責任ではなく、大人の自分たち自身がおもしろいと思うこと、心打たれることを伝えようとすること。その姿勢があれば、ことばが多少むずかしくとも、テーマが哲学的であろうとだいじょうぶなのではないか。

 楽しく充実した60分であった。大人も子どもも楽しめる、わくわくしながらたくさん笑い、ちょっと切なくなったり、お芝居の楽しさの王道をゆく作品である。そして自分は「鬼」の物語といえば忘れることのできない、あまんきみこ作「おにたのぼうし」を思い出した。これも鬼にまつわるすてきな物語である。いつかBOO WHO WOOLの舞台にならないだろうか・・・。

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