因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座公演『ガラスの動物園』

2019-07-05 | 舞台

*テネシー・ウィリアムズ作 小田島恒志翻訳 高橋正徳演出 公式サイトはこちら 7月7日まで東京芸術劇場(芸劇)シアターウェスト その後長岡リリックホールシアター、尼崎ピッコロシアター大ホール、可児市文化創造センター小劇場を巡演

 本作と文学座の関わりは長く深い。公演パンフレットには、62年の試演会に始まった本作の上演史が掲載されており、69年、71年、76年、90年と翻訳、演出、俳優を変えて上演を重ねている。今回は90年に鳴海四郎訳、坂口芳貞演出のアトリエ特別公演以来29年ぶりの上演で、小田島恒志の新訳、前回ローラを演じた塩田朋子がアマンダを演じることも話題のひとつである。

 上演前、暗い舞台に目を凝らすと、巨大な額縁のようなものが掲げられていることがわかる。ウィングフィールド一家は母親のアマンダ(塩田)と娘ローラ(永宝千晶)、息子トム(亀田佳明)の3人暮し。家族を捨てて姿を消した父親は最後まで登場しないが、劇中何度か壁にかかった父親の写真がスポットライトに照らし出される場面がある。戯曲には、写真の父親の容貌についてもト書きに詳しく書かれているものの、本作における父親の描き方は非常に不思議で、その場に居なくても家族に影響を及ぼし、支配するかのようではなく、浮遊感というのか、現実味がないのである。

 額縁の中の父をどう見せるのか。この巨大な額縁は、開幕前から場内を支配するかのように不気味な雰囲気を醸し出している。上演中のため詳細は記せないが、ほんの少し書くとすれば、この額縁の中の父親には顔がないこと、額縁は紗幕の役割も果たしており、「追憶の世界」を描いていることを効果的に示している。気鋭の若手・高橋正徳の新演出に、装置の乘峯雅寛、照明の阪口美和はじめ多くのスタッフがイメージを具体化し、実現するために知恵を絞り、それぞれの持ち場で力を出し合ったことが想像される。

 トムの同僚で、ローラのお相手としてアマンダの大変な期待を以て一家に迎えられるジム(池田倫太朗)について、これまで戯曲(鳴海四郎訳)の配役表に書かれた「感じの良い、世間なみの青年」の通りに捉えていたが、今回の上演では彼のもつ微妙な一面を考える必要があると気づかされた。ハイスクール時代は学内のトップアイドルで将来を嘱望されていた青年が、わずか6年後に倉庫で働いているということ、彼自身が野心を内に秘め、着々と備えをしていること、だがどこか諦めているようでもあり…といったなかなかに複雑な人物なのである。

 トムは物語の語り手でもある。観客を舞台にいざなうことで、観客と同じ立ち位置にあり、同時に過去の物語の時間のなかにも存在している。異なる時空間を行き来するのである。非常に演劇的な人物設定であり、演出によってさまざまな造形が可能であろう。終幕のトムのありようは、彼が時空間を行き来することで語られてきた物語が、「もうここで終わりだ」と語り手自らが幕を閉じざるを得ない絶望、いよいよ家族と訣別する彼の悲しみがあふれ出す。この場でのトムの台詞の発語、ほかの人物との温度差の表現は聴く者を我に返らせ、終わろうとしている物語を受け止める心の備えを促すのである。

 過去に違う劇団で2度ほど観劇したことがあるが、その記憶に引きずられることなく、戯曲に立ち返り、なおかつ新しいいくつかの気づき、最後にはこれまで抱いたことのなかった心持を与えられる一夜となった。

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