因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場小劇場『骨と十字架』

2019-07-15 | 舞台

*野木萌葱作 小川絵梨子演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 28日まで
 
パラドックス定数の野木萌葱1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28の書下ろし作品が、新国立劇場演劇部門の小川絵梨子芸術監督の演出で同劇場にお目見得となった。6月20日に出演俳優のひとり、田中壮太郎が健康上の理由のため降板し、代わって神農直隆の出演が発表された。7月11日の初日に先駆けた6、7日のプレヴューを控え、まさに最後の追い込みにかかる時期での出演者変更とは、作り手の苦労は想像を絶する。またネットの情報によれば、プレヴューでは休憩を挟んで2時間20分だったそうだが、本番になってからは20分短い。一幕が65分。15分の休憩後の二幕は35分である。公式サイトの発表には、「カットやトラブルではない」とあるものの、1幕と2幕がこのようなバランスの公演は過去に記憶がなく、ならば休憩なしの1幕仕立てでも良いのでは…?と釈然としない気持ちも少々。

 張り出し舞台を観客が三方から見る形。険しい岩山の奥にある深い洞窟を思わせるが、そこはローマのイエズス会本部。テイヤール(神農直隆)は神に生涯を捧げる司祭である一方、人類の進化の謎を探求する古生物学者でもある(ピエール・テイヤール・ド・シャンタン)。彼の論文をめぐってヴァチカンの司祭レジナルド(近藤芳正)とイエズス会総長(小林隆)が諮問を行おうとしている。考古学者である司祭エミール(伊達暁)ははるばる北京から呼び寄せられた。テイヤールを敬愛する若い司祭・アンリ(佐藤祐基)は気が気ではない。

 正面通路には燭台が立てられ、そこが諮問室にもなり、北京に左遷されたテイヤールが、エミールとともに発掘に精を出す野外にもなる。左右の通路も自在に使っての時空間の表現は、観客の脳を刺激し、舞台への集中度を高めてゆく。

 登場人物はすべて外国人であるが、翻訳戯曲ではない。野木作品の『Nf3Nf6』(11,27)、『Das Orchester』のように、かの時のかの国の人々が、いつのまにか史実を越えた生身の人間として舞台に存在することの不思議、面白さが体感できる。

 いわゆる善玉、悪玉、中間子と仕訳されがちなところ、それぞれの人物が別の顔を見せる。総長役の小林隆、ヴァチカンの近藤芳正はテレビドラマにも多く出演しており、外国人司祭には無理があるかと思ったが、ステレオタイプに陥らないベテランらしい演技を見せる。なかでも目を引いたのがテイヤールと同じく司祭であり、学者でもあるエミール役の伊達暁である。冷静な皮肉屋に留まらず、テイヤールの主張に警鐘を鳴らす役割も果たす。

 テイヤールの生涯や進化論と宗教について、それぞれの碩学の寄稿あり、野木作品の年譜ありと、背筋が伸びるような充実したパンフレット。また今回は劇場ホワイエにさまざまな趣向が凝らされており、重厚な舞台美術のなかで交わされる硬質な会話劇からしばし解放されて楽しむこともできる。

 客席の年齢層は、いつものパラドックス定数のそれよりも高い印象があり、野木作品をより多くの人が体験できたことが感じられる。同劇場2018ー2019シリーズを締めくくる刺激的な舞台であった。

 神はどこにおわすか。天上にというヴァチカン司祭と、われわれが歩むその先にというテイヤール。両者の議論は最後まで一致しないが、その不一致すら、わたしには神が与えたものと思われるのである。地上の人生が終わったとき、相反する思想を持った二人は同じく神の前に立ち、信仰者、聖職者としての生を全うすることができるのではないだろうか。

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